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異世界に穴があったら入りたい 作者:大野水城

第三章

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第五十六話 敗北

 都市屈指の高層建造物の屋上は、飛竜が離発着を行う場所らしい。
 遮蔽物がないためふきっさらしの強風が吹いている。飛竜はこの風を捕まえて空を舞うのだ。
 ただ、いつもならよどみなく涼気を運ぶでだろう夜風はこの日ばかりは灼熱と化していた。
 私たちを中心に渦を描き、炎を天へと巻き上げている。
 誰が灼熱にしたのかは、この際、些細なことである。
 そう!
 ちっちゃい!
 意思を持つこの熱風も、ギルド上空に立ち上った炎の竜巻も、空の果てから見下ろしたらば極小の点でしか無いではないか!!
 そう考えたら、すぅぅぅぅぅっごく些細な事だ。

 くよくよしない。今は反省会なんてしてる暇も必要もない。
 なにしろ、戦闘中なのだ。気を抜いて竜巻に巻き込まれたら、あっという間に火だるま。自分で出した魔法で大やけどなんてマヌケは御免こうむる。

 自らの退路も塞ぐ紅蓮の壁の中、私の視線は目の前にいる影を追った。
 影に合わせて私も足を捌き、標的に狙いを定め、できうる限り最速の予備動作で拳を突き出す。
 しかし、影は柳のように柔らかく、私の拳をいなしていた。

 その影の名は、ジュリア・フライアというらしい。
 (かつら)なのだろうが、髪は七色。衣装風俗はというと、これが痴女扱いされないならこの都市の先進性に戦慄を禁じ得ないところだ。
 しかし、たちまち体力を奪うこの獄炎のフィールドに、全く動じていないというのはさすがは百戦錬磨というべきか。

 炎の轟音のなかででも、鋭い拳の風切り音や、それが己の頭蓋に衝突する打撃音が耳に届く。

 私は自問の中にいた。
 敵は速いわけではない。力でねじ伏せられているわけでもない。
 青き血をもって強化した私の拳は、速度と膂力、ともに敵を凌駕しているはず。
 劣るは手足の長さの違い、間合いの差のみ。
 それですら拳二つ分の違いもないはず。 
 ……なのに、なぜこうも打たれるのか?

 エルフ族特有の細長い腕が鞭のように撓り、その動きに幻惑された刹那。フライアの拳は、腕の隙間から私の顎を襲う。不意に頭が跳ね上がり、敵を見失った瞬間、さらに死角から二の手、三の手が放たれる。
 そのほとんどが、こめかみや顎、鳩尾といった人体における急所ばかりを正確に撃ちぬいてくる。

 強い!!

 体捌きはまさに変幻自在。軸足は前後左右自由に移動し、重心は常に拳打が最大の威力が発揮できる位置にある。構えはない。(かいな)を大きく開き、両の拳は、どちらかが私の視界の外だ。
 フライアは両腕で己の急所を守ろうとしない。足捌きと上体そらしだけで私の攻撃の尽くを回避していく。彼女の拳は自然体から、踏み込みと同時に縦横無尽の軌道を描いて私に襲いかかる。
 次の拳打の予測は辛うじてできる。反応はできる。しかし……

「タフですわ……ねっ!」

 モーションに入ると、二本しかないはずのフライアの腕が、私には増えたように見えた。
 つられて回避が遅れる。その一瞬の拍子に、フライアは私の頭蓋骨に難なく殴打を捩じ込んでいくのだ。
 一発一発が鉄の固まりでどつかれているような衝撃だ。この拳はインパクトの瞬間に螺旋を描き、芯に響く。受ける度に視界がゆがむ。
 だが脳を揺らす打撃の対処は、ここ数日、寝ても醒めても考えてきた。一度受けた技で二度も三度も昏倒してやるほど私の気前は良くはない。イメージトレーニングはすでにできている。
 この程度、堪えるだけなら十分できる。足も手もまだ動く。

 『学習』を重ねること十数合。
 ようやくカウンターで拳を合わせることができた。
 しかし、私の拳の方が速く届くはずが、突き出した肘で起動を変えられた。
 あえなく拳は空を切る。ならばっ!

「おっと!」

 打ち終わりに振り回した私の上段蹴りを難なく躱し、女頭目は地面を滑るような足捌きで距離をとった。
 まぁ、わかっていたことだ。
 このレベルの相手に蹴り技はめったに通用しない。モーションだけで察知されて難なく躱される。
 だが、それでいい。そうでなくてはならない。
 それでこそ、A級冒険者だ。あんな非常識な作戦を立案し、それを平然と遂行できるほど冒険者のなら、これくらいはやってもらわないと困る。
 効いてないことを示すよう私が再び握りを固めると、フライアはこちら話しかけてきた。

「いい加減、気は済みませんか?」
「何が?」
「不毛な争いですわよ? これ…」
「不毛? 私には得るものは多いわ。そもそも!……ぅむぐ」

 くそ。口の中、しこたま切ったんでしゃべりにくい。
 しかし、私が突き出した人差し指の先には、私をこんな目に合わせた女がいる。
 ここでセリフをやめたらかっこ悪いだろう、私はその場にいったん血反吐を吐き出して、まくし立てた。
 一気にしゃべらないと、すぐにまた口の中に血反吐が貯まるからだ。

「そもそも自分で始めといて、思惑通り進まなくなると『不毛な争い』とか良識人ぶって言い出す奴は、正直、反吐がでるわ! これはあんたらが始めたんでしょうが! 不毛な闘いになったというなら、せめてこの私にとっては有益なものにしろっつーの!!」

 うをぅ。喋ってたら、赤いものがよだれのようにドバドバ出てきた。
 エプロンのドレープは血で真っ赤だ。
 ああ、ミリィにどやされる。エリカに回復魔法でも教えてもらっときゃよかった。

「申し訳ありませんが、私達、急いでますの……」
「それはあんたらの都合でしょう? 他の人間には通用しないわ」

 屋内にはまだステラがいた。
 飛竜の傍、女竜騎兵が輻射熱から守るように彼女を庇っている。
 ステラは何か叫んでいる。彼女にも言いたいことはあるけど……、後回しだ。

「私達は巫女姫様をお返しせねばなりません。あなたのお相手であればその後存分に…」
「知らん! ステラを聖殿に返すっていうなら、さっさとこの私を倒して行けば?」

 正しいことをやってると思うのなら、正面から出ればいい。
 屋上からコソコソ逃げようとするのは疚しいことを自覚している証拠だ。公の場で問い詰められたら困るから逃げてるわけだ。それはこいつらの責任であって、私が配慮してやることではない。
 私は、今はジュリア・フライアに用がある。言いたいことがある。聞きたいことがある。
 それは言葉ではなく、この拳骨で、だ。
 フライアは辟易したように嘆息して問うた。

「一体なんでこんなことを?」
「動機? 楽しいからよ」
「このようにサンドバッグにされるのが……ですか?」
「んなわけないでしょう」
「いえ、私の攻撃を受けて興奮なさっているようでしたので……」

 滴る汗もたちまち熱を帯びるこの空間の中で、勝ち誇るような余裕の表情だ。 
 私は拳を向けて敵意を示す。

「ちんけな暴力振りかざしてドヤ顔してる奴の顔面にこの拳を捩じ込むまでのプロセスが、よ」
「ご自身のは『ちんけな暴力』ではないと?」

 愚問ね。
 領地を寄越せ。主君を敬え。法に従え。威信を示せ。国を守れ。
 騎士や聖職者が振り回す剣や教義も、その多くは所詮、自分本位のちんけなプライドと暴力だ。
 私の判断基準はただひとつ。
 物事の正邪なんかより、カッコイイかどうかの方が大事なんだ。
 もちろん、私の主観から見て……。

「最終的に勝てば『正義の鉄槌』! 途中で諦めるから『ちんけな暴力』になるのよ」
「ああ、なるほど」

 一瞬きょとんとした顔をしたのち、ポンと手を打って勝手に納得するフライア。

「お互い聖人君子じゃあるまいし、結局は腹の座った奴がやりたい放題やる。ダメだというなら止めてみろということですか。なるほど……たしかに、それもそうですわね」

 話が速い。えらく物分かりのいいやつである。
 フライアは、かぶっていた軍帽と七色の鬘を炎の中へ抛り捨てた。
 しっとりとした長い金髪と、長穂のような耳が露わになり、碧眼のエルフは飄々と笑みを浮かべる。
 この空間の中で戦闘が続けられる時間は私も長くない。
 戦闘再開だ。こちらから仕掛けても躱される。ならば、カウンターを狙う。
 だが、矢先。

「………お返しに、私も、いいことを教えてあげましょう」

 フライアは澱みのない足取りでゆっくりと歩を進め始める。
 余裕だな。
 まぁいい、しゃべりたきゃしゃべれ。

「上級冒険者にもなると、二つ名で呼ばれるようになります。
 あなたのよく知るアマルダ・ロックウェルの二つ名は『烈剣』。彼女もかつては『振り下ろされる剣の速さは大陸一』とも謳われた剣士ですわ」

 ふぅん。
 女将さんが強かったことも、上級冒険者だったことも知ってるが、それは知らなかったな。

「平民である冒険者が青き血を引く『貴族』と互角以上に戦えるのは、肉弾戦用の魔術を行使しているからです」
「魔術?」
「ええ。第六魔術ですわ。
 魔術とはいえ、呪文を唱えたり魔法陣を描いたりするわけではありません。
 ただ修行あるのみです」
「それは知らなかったわ。『貴族』に教えてもよかったの?」 
「教えなくても、才覚ある者はいずれ身に着けます。たとえ師がいなくとも訓練を続けていけば、第六魔術だということに気づかず、体が自然に技を覚えてしまいますので」
「ふぅん。魔法と同じね」
「クス……そうかもしれませんね」

 平民は勘違いしているが、貴族だって最初から強いわけじゃない。魔法の習得だって訓練がいる。
 理論を学び、己の血に刻まれた記憶を呼び起こす。さらにそれを実践で使えるようになるためには、反復練習が不可欠なのだ。
 フライアもそれは知っているのか、否定はしなかった。

「しかし、第六魔術は『青き血』とちがって、親から子へ引き継がれることはありません。
 命のやり取りの果てに目覚めるもの。実戦を潜り抜けるうちに、冒険者は己の必殺技とも呼ぶべき第六魔術を体得していくのです」

 フライアは再び話しかけて来たが、私はそれを無視した。
 次、仕掛けてくることが分かったからだ。
 フライアはすでに間合いに入った。カウンターを狙う以上、私は全神経を敵の攻撃に集中する。一挙手一投足を凝視し、今度こそ機先を看破せねばならない。

「私の二つ名は………」

 フライアが構えた。奇妙な感覚だ。
 攻撃の機先は察知できた。しかし、私はそれを把握できない。
 多すぎる。幻術による認識阻害か。

「千手千眼」

 フライアの両の掌が残像のように視界に広がる。 
 そして、次の一瞬、フライアの体が分れた。分身は更に分れ、あるいは重なり、無数の拳となって私に襲い掛かる。
 防御しきれない!
 私はすべてを迎撃すべく、可能な限り分身むかって拳打を放った。
 魔力によって回転数を上げ、拳の弾幕をはる。
 しかし、それらすべてが揺らぐ分身の影を貫くのみ。
 だが、分身の拳は実体となり、あらゆる角度から拳打の嵐が降り注ぐ。
 迎撃も回避も不可能な打撃、数十がほぼ同時にかよ!
 ……ありえない。
 だが、これが第六魔術。
 体術によってのみ儀典をなし、奇跡を発現させる武芸者のための魔術。

「…………『千手千眼』のフライアですわ」

 思いっきり脳を揺らされ、平衡感覚もなくなって気が付けば、目の前に地面がある。立ち上がろうと思い、懸命に動かす私の手足は、ただ歪んだ空間をつかむだけだった。

   *  *  *

 貴族とは、歴史上最初に現れた第一天子の血を引く者たちだ。
 彼らはその青き血を特権として、この世界を人々を支配している。
 さりとて、支配されている庶民もいやいやというわけではない。「貴族が秩序を守っている」と考え、自ら従い、奉仕する者が大多数だ。そして、その思想は基本的に正しい。
 封建制とは文明社会の形成において不可欠な過程である。それは封建社会というものが、君主と臣下という互いに有益な契約を締結することから始まっているからだ。君臣両者に義務が発生し、軍隊を合理化することで秩序が創造され、武人に誇りが育まれ、生産技術が競争、また共有されることによって人の文明は豊かになる。
 つまり、封建制とは社会の構成員が互いに仲間意識を持つために、敢えて一部の人間を『高貴な者』として担ぎ上げるという発想なのだ。
 故に、その『高貴な者』の身柄は闘争の中でも丁重に保護される。この世界において、『高貴な者を殺すこと』は禁忌である。それがこの世界のルールだ。

 『王族』を殺せば、戦争の落としどころがなくなってしまう。『貴族』を殺せば、秩序の守り手を喪失してしまう。よって平民や異種族が貴族の命を奪うことは許されない。もしその禁を犯せば、さながら人を殺傷した野良犬が殺処分されるかのごとく、政治的鉄槌が振り下ろされるだろう。
 冷徹に、そして、徹底的に。

 しかし、この世界の歴史は例外もまた許容した。
 当代に存命する一人は『ナヴラの死神』と呼ばれている。

 その男は、騎士を相手に、その武名を誇った『英雄』である。
 あまたの敵の粛清を、自らの剣一振りで断ち切った『剣聖』である。
 遺恨を抱き、放たれる貴族たちの刺客を尽く返り討ちにした『人斬り』である。
 王侯貴族がいかに巧みに兵を指揮し、厳重な隊伍を組んでも、本陣に不意に現れ、必勝不可避の王手を捩じ込んでいく『暗殺者』。名誉と武勇を貴ぶ君臨者の魂魄に、恐怖の二文字を刻み付けた『死神』。

 その経歴をみて、俺ならこう評する。
 『剣術版ゴルゴ13』と。
 つまり、平民でありながら、危険すぎて貴族でも手が付けられない存在となっていたのだ。あの小僧(ハナタレ)は。

 第七天子(この俺)ですら自重したってのに………


   *  *  *


 俺が横一文字の斬撃を回避し反撃に転じようとしたとき、『翁』はすでに白鞘を逆手に持ち替え、二の太刀の体勢だった。
 俺はあわてて反撃をキャンセルし、バックステップで距離をとる。
 兇刃が鼻先をかすめる。うなりを上げる太刀音が至近距離から鼓膜に届く。
 剣速が半端ない。予備動作が短すぎる。見てから避けてたんじゃ間に合わない。
 今、首と胴がつながってるのが不思議なくらいです。ハイ……

 剣を抜いたからといって、俺の不利が解消されたわけでは全くなかった。
 古来の真剣勝負で鍔迫り合いになった例はほぼ皆無だったという。間合いに入ればどちらかが斬られたわけだからな。
 まして、こいつの間合いは危険とかいうレベルじゃない。工作機械の中に手を突っ込むようなものだ。
 俺は『翁』を牽制しながら、その間合いから離脱する。
 しかし、遠心力に任せて壁を走る俺を、『翁』はなんなく猛追する。
 俺は刀片手に防戦一方だ。
 そんな俺に外野から、阪神ファンのようなヤジが飛んだ。

「何してやがる!! 逃げ回ってねーで、さっさとやっちまえ小僧!!」

 アレック、UZEEEEEEEEEEEEE!!
 解ってるのかこいつは?
 頑張るのは俺だ。
 下手したら斬られるのも俺だ。
 運よく勝てたとしても勢い余って寝たきり老人にしちまったら世話をするのも俺なんだよ。
 そもそも誰のせいでこうなったと思っとんじゃ?

 この『翁』を倒すなんて至難の業だ。
 仕方ないだろう。体格も身体能力も剣の腕前も、バーサーカー状態の爺さんの方が上なのだ。
 こいつは狂戦士になっても戦闘技術に劣化が見られない。
 某スロットさんみたいに剣聖のまま見境だけがなくなってるんだ。隙なんてあるか!
 フライアが来るまで走り回って凌ぐしかないだろ。

 猛ラッシュをかける『翁』は、まさに進撃の老人である。
 その剣は圧倒的鉄量に任せてブンまわる土木用重機のプロペラのごとく、闘技場に並べられた金属製の客席を容赦なく伐採していく。
 粉塵のなか跳躍すると、『翁』は飛散する瓦礫を足場に二段ジャンプで接近してくる。
 隙どころか、休む暇も与えてくれない。

 気が付くと俺はふたたび間合いに入っていた。
 空中では踏み込みが利かないため、今の翁の剣速はそれほどでもない。しかし、翁には六人の剣士を一度に斬った技がある。速度不足を補ってあまりある、あの八連撃だ。
 能面の奥で、『翁』が静かに唱えた。

「八臂……明王剣……」

 厨二病チックな技名が聞こえた瞬間、俺は『翁』の姿を錯視した。
 それは八本の腕に、八本の刀。八の斬撃。とある大橋の英雄王と見まごう三面八臂の姿。つくづく大した奴である。
 さきほどの八連撃の正体はこれだ。
 連撃にあらず。これは斬撃を同時一斉に顕現させる第六魔術。イメージを具現化させるほどの濃密な剣気に、一瞬手足が増えた様に錯覚するのだ。八つのうち七つはホンモノの剣ではない。しかし、フェイクでもない。剣気を纏う幻である。

「スタンド能力かよっ!!」

 八本の幻剣すべてに、鉄塊すら一刀両断にする剣気が込められているのだ。すべてを防がなくてはならない!!
 近距離パワー型のスタンド能力者を相手にするなら、射程内に入らないような戦い方がセオリーである。
 ならば、こちらは飛び道具。
 『翁』の八臂が刀を振り切る直前、俺は八相の構えからの剣気を飛ばし、叩きつけた。

 低く鈍い風音が轟く。
 依然見せたような斬撃ではなく、大気による面制圧だ。
 竜巻となって襲い掛かる空気の壁。突然の風圧に、防御の姿勢をとる『翁』。
 振りかぶった八本の腕と白鞘の太刀がかき消される。

「カッ!!!」

 短く浅いうめき声が聞こえ、翁の勢いが止まった。
 幻への攻撃は肉体的ダメージは伴わない。ただ、精神的なダメージを与えることができる。阿修羅のように増えた『翁』の腕は、翁自身も己の腕だと知覚している。つまり、斬払えば腕六本分の『幻肢痛』を伴うのだ。痛覚は長続きはしないが、一瞬だけ怯ませることはできる。
 痛みによる硬直は一瞬だが、そこそこのレベルになれば充分な隙だ。

 よっし! もういっちょだ。
 俺は振り切った刀の勢いそのままに回転し、もう一度、剣気を放った。
 打ち下ろしの風圧は『翁』を地面に叩きつける。しかし、『翁』はものも見事に体勢を立て直して着地してみせた。足袋の底を床に擦り付け静止したため、砕かれた混凝土の粉塵が盛大に巻き上がる。

 どうだ!?

 ……あ、やべ、これ敗北フラグだ。
 俺が着地する寸前、そう思った瞬間だった。
 爆音が鳴り響き、粉塵の中から、巨大なコンクリートの塊が飛んでくる。
 さらに瓦礫のつぶてが砲弾のようなスピードで飛散する。
 俺はそれをサイドステップで躱す。
 その瞬間、背筋に悪寒が走った。俺は自身の失態を悟る。

 粉塵が晴れた一瞬、そこに突如浮かび上がったのは『翁面』!
 わずか二歩の至近距離。
 俺は、瓦礫に紛れての接近を許してしまった。
 慌てて、方向転換する。最初の左切り上げはかろうじて躱せた。
 しかし……。
 このとき俺の頭のすぐ横にドン、と硬く重い質量が落下する。
 瓦礫だ。しかも、一つではなく、さらに続けざまに振ってきた。

「っ……なんだ?」

 『翁』に援軍が現れ、横やりを入れてきたわけではない。
 これらは接近前に『翁』が飛ばした人の頭大の瓦礫だ。MRSI射撃のごとく計算ずくで放り投げた瓦礫は、高い放物線を描いてこのとき着弾したのだ。

 くそ、なんて奴だ!
 同時に斬撃を放つことが可能なら、同時に投石することだって可能だってことかよ!!
 力も技も上回っているうえに、勝つためなら何でも使うのか!
 俺は、そのことを悟り、そして、落石をふりはらうため、『翁』から目を放した。

「……し、しまった!!」

 一瞬の間隙に『翁』が迫る。
 俺は、奴の完全に間合いに入っていた。
 死に体の俺に、今度こそ白鞘の太刀が振り下ろされる。両の足を接地し、踏み込み充分の剣聖の太刀だ。

 どないすりゃえーねん!
 どないせいっちゅーねん!!

 この強かさ、最早『剣聖』のやり口とは思えん。老師っていわれる齢になったら、もう少し横綱相撲覚えてほしいよ。師匠としてはっ!!

 音のない世界。色のない空間。瞬きよりも短い時間内に、己の死へのプロセスすべての体感させるような濃厚な時間感覚。その中で俺は、己の頭蓋が純粋な殺気を込めた刃で断ち切られていく感覚をただ茫然と甘受するしかなかった。
+注意+
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