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異世界に穴があったら入りたい 作者:大野水城

第三章

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第五十五話 狂戦士の暗示

「……躱した?」

 貴賓用の桟敷席から、一部始終を観察していたアマルダの口から驚嘆のつぶやきが漏れる。

 初手こそ剣聖に軍配が上がった。
 だが回避不能な後の先の必殺を受け、少年はまだ立っている。
 彼は超人的防御技術であの猛攻を凌いでいた。

 自己暗示の魔術によって、剣聖は全盛期に近い身体能力を得る代わりに、人としての機能の一つを失っている。すなわち、他者を認識できなくなっている。いま『翁』はこの闘技場に入ってくる人間をすべて敵とみなし、その意識を奪うまで戦闘を続行する狂戦士だ。

 
 アマルダは乗り気ではなかったが、巫女姫を逃がすためには時間稼ぎが必要だった。だから、こそ彼女はアレックたち冒険者をこの闘技場に誘導し、『翁』と対峙させたのだ。
 もちろん実際に殺すわけではない。
 『翁』がその身に施した外法について、ジュリア・フライアは「技量に天地ほどの開きがあれば、手足の腱を斬られるぐらいで済む」などと笑っていた。
 たしかにそうかもしれない。
 その戦闘能力は、アレックや金剛流の剣士たちを一瞬で切り伏せるほどのもの。一対多数であったところで、さしたる違いはない。レベルが違いすぎれば、殺し合いには発展しない。
 さらに万一に備えて、この闘技場にはジュリア・フライアがいつぞやの冒険者試験でこれを使ったのと同じ秘術が施してある。

 第七魔術の一つ、『耐命の糸』。

 本来ならば訓練用。対象の絶命の瞬間に、身体の生命活動をすべて停滞させる救命の高等魔術である。この結界の中ならばたとえ斬られたとしても、絶命には至らない。
 無論、その後治癒が施されなければ、そのまま死ぬしかないのだが、命に係わるような重症であっても半日は持ちこたえることが可能だ。

 だからこそ、エグゼリカ・セレスティの乱入は計算外だった。
 今、師に分別などできない。
 エグゼリカの入口から中を覗き込んだ時、闘技場の桟敷席から見届けていたアマルダ・ロックウェルの心胆は不意に井戸水を浴びせられたかのように冷えた。
 彼女の身に何かあれば作戦そのものが瓦解する。
 この都市には腕のいい治癒術師は他にもいるが、脳に負ったダメージを回復できるのはさすがに彼女ぐらいしかいないだろう。その傷害致死で救国の英雄が罪に問われるなど、お茶の間の市民が噴飯間違いなしのスキャンダルだ。
 そんな最悪で不謹慎なストーリーがアマルダの頭をよぎった一瞬の出来事だった。

 少年は、一切の逡巡もなく飛びかかった翁を迎撃した。
 空中で繰り広げられた剣戟は、正に電光石火。アマルダの目と経験を以ってしても、辛うじて説明できる程の高等技能の応酬だった。

 交錯の瞬間、得物を破壊されながらも初太刀を回避し、すれ違いざまに反撃に転じたことにも驚いたが、驚異すべきはその次だ。彼は反撃を透かされ、身動きが取れない体勢で、回避不能の二の太刀すら避けた。
 理屈は拳闘家(ボクサー)の世界で、スリッピングアウェーと呼ばれる技術と同じ。打撃の瞬間に首を捻って衝撃を逃がす防御技術。ただし、彼が躱したのは打撃ではなく、刺突である。しかも、『神速』と賞するに申し分のない剣聖の突きだ。それを彼は瞬きすらせず『硬気功』で受けた。気の力で頭をガードし、切っ先が頭蓋にめり込む一瞬に脱力して、上半身を捻って刺突を透かしたのである。

 たしかに達人ならば、『気』の力で、己の肉体を鋼となすこともできるだろう。
 ただし、どれほど気迫を込めようと、触れただけで鋼すら断ち切るあの剣気に対抗できるはずはない。
 あれこそが、『剣の真髄』であり、すべての剣士が目標とみなす頂点なのだ。目の当たりにして、己の死を予感しない剣士などいない。予感できなければ、剣士ではない。
 一廉の剣客ならば、剣を合わせた瞬間相手の力量は理解る。そして、格の違いを意識してしまえば、強者の術中に堕ちてしまう。
 だからこそ剣士には限界が存在する。身体能力において紙一重の違いでさえ、越え難き壁となって立ちはだかる。それが『剣聖』という圧倒的強者との対峙なのだ。

 視界を鮮血に染めながらも、彼の眼光に帯びる覇気は一向に衰えを見せなかった。
 怖いもの知らずという次元ではない。
 理解してやったのであれば、正気の沙汰ではない。すでに、その立ち位置が尋常ではないのだ。
 誰にも教わらず、活殺の一瞬を見切ってそれができる天稟。数十年の修練を経ても凡人にはたどり着けぬ領域に立つ、齢8つの少年。
 そんな人間を形容の言葉を、アマルダ・ロックウェルは『怪物』の他に見けらなかった。

「おっと、こうしちゃいられない!!」

 ハッと我に返ったアマルダは、ほんの一瞬でも呆けていた己を猛省し、事態を収拾すべく階段を駆け下りていった。

   *   *   *

 奥さん! ご覧くださいましたか? この切れ味!
 お子様の頭蓋骨なんて一瞬で串刺しにしてしまえるほどの破壊力!
 今なら専用のまな板と、こちら、ダイヤモンドの砥石をお付けしましてお値段なんと!!!
 なーんてな。

 あ……あぶねぇ……。
 一日に三回も殺されかける日がくるとは思わなかったわ。
 最早、修羅の国だな、この都市は。
 一刻も早くエクソダスが必要だ。

 頭蓋骨に刀がめり込んだ時には、冷や汗がでたぜ。
 もちろん今、俺の顔をびっしょりと濡らしている液体は、汗じゃない。
 アドレナリンが出まくって痛みなんて感じないんだが、額がぱっくり割れてる。
 傷は結構深い。
 ちょっと剥いたら、頭蓋骨までベロンと見えるかもしれない。
 い~や~! 怖くて鏡見れない。
 プロ◯クティブ女子の心境が今なら理解るわ。

 せっかくのベビーフェイスになんてことしてくれやがんだよ!
 ヤー公じゃあるまいし、天下御免の向こう傷なんて要らねーんだよ。俺はッ! 

 さて、この魔物『翁仮面』の正体だが、実際、太刀を受けてみて、思い出したわ。
 『気』っていうのには一人ひとり個性があるからな。
 80年ぐらい前の記憶なんだが……たぶん当りだ。
 あんなジェダイみたいな剣技使いがそうそういてたまるか!

「おい!!」

 地面に落ちる血の雫の音が聞こえるほどの静寂を破って、俺は声を上げた。
 言いたいことは山ほどある。
 正直、まだこんなに強かったとは知らんかったわ。

「何のつもりだよ。爺さん!?」

 『翁』は答えない。
 一瞬の沈黙の後、背後から意外そうな声があがる。

「………え? 誰って?」 

 声の主はエグゼリカだ。

「…………こいつ、ウチの爺さんです」
「ええ!?」

 今、背後に視線を向けてる余裕はないが、そりゃ、癒し姫だって驚くだろう。
 俺の驚きはそれ以上だ。
 身内の爺が知らないうちに創◯学会に入会していたら戦慄すら禁じ得ない。
 それと同じくらいの衝撃だったよ。

「何やってんだよ、爺さん!」

 俺の問いかけに『翁』はぴくりともしない。ノーリアクション。
 …………あれ? 息子が呼びかければ、反応があると思ったが。
 別人なのか? まさか……。
 ただ、あの阿修羅のような猛攻は止んだ。翁は静々と刀を白鞘に納める。
 一応、効果はあった……のか?

 しかし、その仮面の奥からみなぎる殺気と嬉気は一向に衰えない。能面通りの喜色を浮かべ、納刀のまま静かに無行に位取る。
 いまだ空気はピリピリだ。
 『翁』の凄惨な殺気に、場は再び静まり返った。
 自分の心臓がバクバクいう音が聞こえる。

 こんな相手に丸腰でいられるほど、俺は勇敢ではない。
 ぶ、武器はないのか? 武器は!?
 ビームサーベルでも、バルカンでもいい!!

 そんな中、背後でヘルムートが「ええい」と舌打ちしながら瓦礫を持ち上げる。
 部下二人に気を配りながら、いまだ自分が健在であることをしめす。
 さすが過酷な戦場を駆けぬけてきた歴戦の勇者といったところか。安心と信頼のヘルムートだ。
 派手さは無いが、トヨタ・ハイラックスのごとき頑丈さである。
 彼ならきっと、多少の怪我など「いいからテーピングだ!!」と仲間を一喝して、戦線復帰しちゃうんだろう。そこにシビアコである。

「待て、姫さん!! 入るな!」

 俺に駆け寄ろうとしたエグゼリカを瓦礫の下から復活したヘルムートが制止したらしい。
 たしかに今エグゼリカに入ってこられても困るな。つくづくナイスだ。ヘルムート。
 生憎、爺さんと睨み合っている俺に、振り返ってその雄姿を拝める余裕はないが。

「そのまま聞け! 小僧!!」

 おう、聞こう。
 俺は膠着しながらも、ヘルムートの大喝に意識を向けた。

「今、老師は強力な自己暗示を掛けている!! この闘技場に足を踏み入れた人間が戦闘不能になるまで襲い掛かるっていう、狂戦士の暗示だ!!」

 な……なんだってーーー!!!
 ドーピングじゃねぇーか!!
 まさか、あれか? 「我! 不敗! 也!」で、ムキムキきんにくんになるやつか?
 しかも敵味方の区別がつかなくなる? それで俺まで殺そうとしたのかよ!

「……た、対策は!?」
「知らん!!」

 助言のために登場しておきながら、鬼軍曹バリの大声で即答された。体育会系の威勢で押し切られると結構凹むな。まぁ、ヘルムートは門外漢だろうしだろうからしかたないんだが。
 つか、救国の英雄様が、そんな術使っちゃっていいわけ?
 誰が責任取るんだよ!!

「解除方法はジュリア・フライアが知っている! 攻撃ルールを決めたのもあの女だ」

 ま・た・お・ま・え・か。
 もうその名前を聞く度に、額の血管がブチ切れそうだぜ。
 oh………この大出血もお前のせいだからな。くそ。あのエルフ、絶対に訴えてやる。

 今すぐに首根っこ捕まえて連れてきたい気分だが、目の前の『翁』には隙がない。
 逃げるどころか、一瞬たりとも視線を逸らすことができない。
 背中を見せようものなら、後ろからバッサリかもしれない。

 しばし、にらみ合いは続く。
 俺は翁の一挙手一投足を観察した。
 『翁』は動かない。とはいえ、俺に気づいて自らの『殺意の波動』とイマジネーションの世界で戦っている様子でもない。臨戦態勢のまま静止し、こちらを観察するのみだ。

 ヘルムートは言った。「強力な自己暗示を掛けている」と。
 『自己暗示』。
 正式名称は知らないが、第六魔術の一つだ。ルーチンを決め、己自身の肉体をその通りに動かす魔術である。
 第六系は正式名称がないから、使い手が勝手に厨二病的な技名をつけるのだ。儀典を作ったのは天子でも、いろんな流派が知らず知らずのうちにそれにたどり着いて、『本家』や『元祖』を言い出す。
 『暗示』を掛ければ考えるより早く動けるため、相手の行動に即座に反応するカウンター技に使うやつが多いが、俺の認識だと、あくまで訓練で使うものだ。
 何が起こるかわからない実戦で使うのは悪手である。応用力がなさすぎる。訓練に使えば、気の遠くなりそうな反復訓練も自己暗示をかければ、知らないうちに体に染みつくし、メンタル弱いやつでも限界まで走り込みができる。EMSマシーンみたいなものだ。
 肉体的なピークを過ぎた爺さんが、『奥の手』として編み出したとしても可怪しくは無いわけだが、たぶん、身体能力や気を倍加させるかわりに見境がなくなるような仕様にしたんだろう。厄介な。
 だが、ルールを決めたのはジュリア・フライアである。なら、自分の呼びかけで暗示が切れるようにしてる可能性は高い。
 ここは、あの女にケツを拭かせるしかないな。

 一体どこに隠れやがったんだ?
 そういえば、リナもいない。あの暴力女はフライアに落とし前をつけるようなことを言っていたし、ここにはいないとなると、クソエルフを追っていったと考えるのが妥当か。
 ………勢い余って、殺っちゃったりしないだろうな?

 こうなったら大至急、エグゼリカ先生に探してきて貰おう。

「じゃあ、あの女探してきてください!! エグゼリカさんと!! 可及的速やかに!!!」
「い、いいのか?」

 「ここを離れてもいいのか?」という問いだ。

 俺はしばし考える。
 ヘルムート曰く『狂戦士の暗示』。 
 要するに「殺っちゃえバーサーカー」状態である。
 これが、三文芝居なら、身内が声をかけると正気に戻ったりするのだが、俺の言葉は届かない。
 この世界の魔術というものは結構システマチックなのだ。情状など差し込む余地はない。

 ヘルムートはこの中に入らなかったし、エグゼリカが入ろうとする前に止めた。おそらく『翁』はこの闘技場に入ってきた者を攻撃するように暗示をかけている。
 扉の外に出たアレックを攻撃したところを見ると、一度入った者は外に逃げても無駄だ。中に入ってしまった以上、俺は逃げられない。
 とはいえ、最低限のセイフティーネットは用意しているはずなんだ。あのクソエルフの性格なら。
 また爺さんは、自分で暗示をかけた。爺さんやアマルダの同意の上の凶行なら、死人がでないようなおさら策が練られているはず。

 今の爺さんから目をそらすのは怖いが、俺は思い切って一瞬だけ視線を動かす。
 闘技場に散らばった冒険者たちに目を向ける。袈裟懸けに来られた者、手足の腱を来られて動けぬ者。うめき声はいささか聞こえるが、そのほとんどが昏睡していた。

 そこで気付いた。
 みんな派手に斬られているはずなのに、流血の量は少ない。

 魔術的保護で時間が停滞している。
 結界魔術だ。救命のための術が施してあるらしい。

「………『耐命の糸』!」

 思い出した。
 絶命の瞬間に、重傷者の肉体時間を停滞させる結界型の第七魔術。
 意識を失ったものの命をつなぎとめるため、身体機能が停滞する。
 俺の黒歴史を掘り起こしたのか。
 そういや『ぼくが考えたとっても不思議のダンジョン』を実装したんだったな。
 たしかにこれなら、身体が真っ二つになっても殺人にはならないかもしれない。傷害と殺人未遂で済む。

 つまり、中に入った物は必ず、一度は『翁』に斬られる。斬られれば戦線離脱(ゲームオーバー)だが、斬られても『耐命の糸』によって、一命は取り留められる。
 相手にダメージを与えたら、『翁』は様子を見る。逃げたり歯向かったりすれば、再度攻撃される。動きがなければ保留するのだろう。

 それがジュリア・フライアの入れ知恵か。
 なるほど、これなら上手くやれば死者を出さずに、突入した脳筋どもを制圧できる。
 実に賢いネ。クソエルフシネバイイノニ。

 俺は息をついて、ヘルムートの問に答えた。

「こちらから仕掛けなければ、たぶんこのままにらみ合いです」

『翁』が斬るのはおそらく「攻撃対象が行動能力を失うまで」。殺すまで斬りつけるのであれば、爺さんは間違いなく人殺しになってしまう。
 だから、武器を持ったり、攻撃を仕掛けてくる対象だけを攻撃するのだ。アレックに飛びかかったのも、再び剣をとった時だった。
 一度ダメージを与えた相手は観察する。
 俺の傷は深い。ということは、ダメージと見做され、このまま動かなければスイッチは入らないということだ。

「わかった!」

 自分が考えた正解と同じだったらしく、ヘルムートは早速行動を開始してくれた。エグゼリカならば、きっと見つけてくれるだろう。

「お前はなんとか踏みとどまれよ!!」
「はい!!」

 とりあえず元気に返事をしておく。
 俺は、ここで爺さんを刺激せず、睨み合っていればいい。

 ……とはいったものの、まずいことがひとつ。

 しみる~。お目目が真っ赤だ。
 でも、充血じゃなくて流血だからドラゴンケースに入れてる目薬じゃ治らないんだぜ、コンチクショー。
 真赤な視界で前が見えない上に、頭がクラクラしてきた。

 そこへエグゼリカから声援が届く。

「ファイトーーーー!!!」

 ……いや、そう言われてもね。スイーツ。
 そして、エグゼリカは精一杯息を吸い込んだ後。

「一発ーーーー!!!」
「痛ッ!!」

 掛け声と同時に、俺の背中に衝撃が走る。
 衝撃は全身を駆け巡り、鼓膜の内側から、ばちーんとしびれるような耳鳴りまでした。
 一瞬、攻撃されたのかと思ったが………。

「とりあえずーーー、傷だけ直しときますからーーー!!!」

 そう言い残し、彼女はヘルムートの後を追い、この場から走り去っていった。タッタッタッタッと彼女の足音は遠ざかっていく。

 どうやら治癒を掛けてくれたらしい。さすがだ。直接触れなくても遠距離からこれだけの魔法が使えるのか、あの娘は。
 しかし、痛えよ。スイーツ。
 しかも考えなしだな。いま攻撃されてたらアウトだった。
 それともわざとか?
 熊鍋の件で恨んでたりするんだろうか? 
 ………まぁ、どっちでもいいけど。

 顔を流れる血をぬぐって確認すると、確かに割れてたはずの額が見事にふさがってる。
 これなら大丈夫そうだ。
 俺は、再び爺さんと正対した。
 『翁』は俺よりわずかに背が高い黒装束は殺気はみなぎらせたままだが、ぴくりとも動かなくなった。

 どうやら読みはあたったようだ。
 俺がその場に座り込んでも、ゆっくり移動しても反応がない。
 おそらく、一旦、俺にダメージを与えたので、フェイズが変わったのだろう。
 ここで俺が仕掛けたり、武器を持ったり、逃げようとしたりすると、再びスイッチが入る。
 ……唐倶利武者かよ。

 さて……。

 当たりは一見、死屍累々だ。
 俺は、翁に気を配りながら、少し移動し、近くに倒れていた冒険者の男の側にやってきた。
 レザーアーマーごと男は胴を斬られていた。
 しかし、呼吸は静かで心音もゆっくり。普通なら激痛で目が覚めるところだが、そのまま気を失っている。傷口には魔素(マナ)の光が集まり、出血を防いでいた。

 使い手の気質にもよるのだが、剣気を帯びた刀で斬られた者はダメージは浅くとも意識を失いやすい。斬られた方に同じくらいの気迫があれば耐えられるのだが、逃げ腰だとまず間違いなく気絶する。つまり気圧されるのだ。
 剣聖に斬られて意識を失い、その瞬間『耐命の糸』が発動して肉体を停滞させる、というわけだ。これなら死ぬことはないだろう。
 彼の手当をしたいところだが、応急処置としてはすることがない、むしろ俺が触ると返って、バイ菌が入ったりするかもしれない。あとでエクゼリカに見てもらったほうがいいだろう。

 でも、一応確認していくか。
 万一、意識のある奴がいれば「動くな」と忠告しなければならない。
 俺だって、爺さんが人を斬ってるところなんてみたくないからな。

 ………ん?
 そういえば、アレックはどこに行ったんだ?
 奴は爺さんに斬られてもまだ意識があった。
 壊れた入り口当たりにいたはずだが…………居ない。
 逃げたのか? それならいいんだが。
 血の跡を視線で追っていくと、客席の裏に続いている。

 だが、俺がその血痕を辿ろうとした、そのときである。

「小僧!!」

 右斜め後ろからアレックの声がした。
 そして、声のした方向から風切り音がする。
 何かが投擲されたのはわかったので、俺はとっさに条件反射で掴んでしまったわけだが……

 どうやら、俺が『翁』と膠着している間、アレックは客席の影を這って進み、あの道場主のおじさんが倒れてる場所まで移動していたらしい。

 アレックがぶん投げたそれは、黒光りを放つ漆で塗り固められた立派な鞘拵えの日本刀だった。実に高そうな刀だ。
 あの道場主さんのものらしい。ふーん。

 ………って、おい。

 そう。俺は掴んでしまったのだ。アレックが投げて寄越した日本刀を。
 アレックは絞りだすように大声を出す。

「そいつぁ、たぶん業物だ!! やっちまえ!!! 小僧!!」

 おいこらあああああああああああああああああ!!!!!!!!

 まるでナメック星で死闘を繰り広げてたかのような満身創痍のむさい男のサムズアップを見た時、なんだか自分の血の気が引いて行く音が聞こえたよ。たぶん俺の顔は今真っ青になっているだろう。

 なんて余計なことを……
 アレック。お前は一体、何を聞いていたんだ?
 それとも匍匐前進に夢中で俺とヘルムートの会話を理解する余裕がなかったのか?

 アレックへ抗議する暇もなく、翁の殺気が膨れ上がる。
 仮面の奥の目が爛と輝き、次の瞬間、『翁』は一足で間合いを詰めてきた。
 怒涛の突進から抜刀術の構えだ。

 ………くそったれ。楽しい楽しい第二ラウンドの始まりだよ!!
 俺は是非もなく手にした刀の鯉口を切った。
+注意+
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