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異世界に穴があったら入りたい 作者:大野水城

第二章

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第三十二話 小熊のプー太郎

「あー、つれー、昨日、実質一時間しか寝てないからつれーわー、実質一時間しか寝てないからなー」

 眠い。たとえ物言わぬ壁相手だろうと、何かしゃべってないと眠ってしまいそうだ。
 時刻は午前4時半。ロッジに戻ってきた明け方未明である。
 8歳児の体が今すぐ睡眠をとるよう否応なくシグナルを鳴らす。坊や~はよい子だねんねしな、と口やかましい。わかっている。わかっているさ!
 こっちだっていますぐにでも、『でんぐり返ってダイナミック就寝』といきたいのはやまやまなのだ。だが、俺には朝までの限られた時間にやるべきことがあった。生理現象にはもうしばらく我慢してもらわねばならん。

 キャンプ村に帰るやいなや、俺は簡易事務所で2枚の羊皮紙を購入した。
 そして、深夜しばらくトイレを占有し、その羊皮紙の上に定規とコンパスで魔法陣を描く。

 俺はそれをもって納屋へ向かう。
 納屋には依頼などで捕獲した魔物や動物を一時的に飼育するための檻が設置されていた。
 俺が入ってくると、頑丈な柵の中で大人しくしていた黒い獣が目を覚ます。
 俺は、ジェスチャーで静かにするように伝えると。静かに扉を閉めた。
 そして、彼を取り囲む柵の内側に羊皮紙を差し込み、日本語で話しかけた。

「その紙を広げて、手を魔法陣に手をのせてみて……。それで言葉が話せるはずだ」

 俺がトイレで制作したのは、第七魔術の一つ。『伝心術の魔法陣』だ。
 これはそもそも、かつての『俺』が、障がいで口がきけなくなった人たちの心の垣根を取り払うために作ったものだが、知能の高い魔獣と話をする時にも使える。

「……どう?」
「ん…………あー、あー、えーと……
 テステス! マイクテス! 
 一月は、正月で酒が飲めるぞー♪」

 なんか歌いだした。

「どうだ? 伝わるか?」

 態度からして、どうやら『おじさん』以上だな。
 一応、年長者扱いしようか。

「……えっと。お酒好きなんですね?」
「おお! 感動した!」
「でも、こっちの正月は『花月』ですから………」
「ハナヅキ?」

 子熊は首をかしげる。

「新年の訪れとともに、花が咲くから『花月』ですよ」
「そりゃあ…風流だな。じゃ、今はナニヅキなんだい?」
「『炎月』。4番目の月、初夏ですね」

 こちらでは、『花月』、『土月』、『緑月』が春。つづく、『炎月』、『火月』、『灼月』が夏。『嵐月』、『風月』、『凩月』が秋。『氷月』、『水月』、『雪月』が冬である。
 正月は春の訪れとともにやってくるのだ。

「……なるほど、春が土で、夏が火、秋が風、で冬は水か……わかりやすいな」
「一日は24時間で、一年が365日、4年に一度閏年があるのも『あっち』と変わりません」

 違う天体であれば、ズレてるのが普通なんだろうが、なぜかまったく同じである。
 まぁ、天子の力をフルに使えば、星のサイズや公転自転のスピードをコントロールすることもできるかもな。他の六人のうち誰かが調整したのか、あるいは第一天子が召喚される前に、かのホモが世界を作るときにそう設定したのか。いずれにせよ調査する術はない。
 俺の言葉に反応して子熊が訪ねる。

「『あっち』ということは、やはり……」
「ええ、俺も転生者。元日本人です」
「そ、そうか…よかった。話が通じる人間がいて……」
「こんなこと言いうのは気が引けるんですが、その……あまり、気を落とさないでください」
「あ、うん……」

 畜生に転生するなんてひどすぎる罰ゲームだ。
 俺が天子としてトリップしたときだって、相当苦労したんだらな。それが一匹のモンスターだったとしたら、無理ゲーにもほどがある。
 俺は神妙な顔をしていると。彼はしばらく自分の手足を確認し、再び顔を上げ、俺を見ていった。

「……君が気にすることじゃない。これは、六道輪廻でいうところの『畜生道』。
 まぁ、仕方ないさ。私は前世で結構人に恨まれただろうからね。ある意味、当然の報いさ。君は『人間道』ってやつじゃないかい? きっと日ごろ私より善い行いをしていたのだろうね」
「『畜生道』?」

 俺の見立てとは違うが、教養のありそうな人である。一応、転生前の年齢を尋ねてみる。

「あの、おいくつで?」
「まぁ、おじさんと言って差し支えない年齢だ。もうすぐ爺さんだな」

 やっぱり結構、齢いってんですね。
 しゃべり方からすると、四、五十代かな?

「君は?」
「えーと……」

 六十代で死んだとしても大往生とはとても言い難い。むしろ、急逝だ。
 俺は見た目二十代で陵墓に入ったが、そんな彼にあまり可哀想な人だと思われたくもない。
 不幸自慢なんてみっともないからな。

「まぁ、七十ぐらいまで生きましたね」

 嘘は言ってないが、それを聞いてなぜか彼は驚愕する。

「え? ああ、そうか……それじゃあ、年上か?」

 どうやら、今のは『現在の年齢』に対する質問だったらしい。
 子熊は、畏まって、ペコリと頭を下げた。

「これは大変な失礼を。つい見た目で判断して生意気な口を聞いてしまって、申し訳ない」
「いえ、敬語を使われる必要はありません。
 こんな……………あ、いや、やめにしようか。
 どちらが年長かなんて、転生したら意味ないし」
「あ、うん。そうだな」

 敢えてタメ口で会話することで見えてくる人となりもあるだろうしな。

「ところで、『当然の報い』って、生前、何かしたのか?」
「…あ、ああ……まぁ…犯罪者ってわけじゃない。言い訳になるが、それだけ責任の重い仕事をしていた」

 子熊はおもむろに語りだした。

「私はとある組織の財務の総責任者だったんだよ。組織を改革するために、大鉈を振るった。
 私は良かれと思っていた。だが、たとえそうだとしても、人の反感を育ててしまうということはある。世の中というものは、ままならないものだからね」

 どうやら、この熊さんはどこかの大きな会社の重役かなにかだったらしい。

「反感、ですか?」
「ああ、どうやら私の存在を苦々しく思っていた者はたくさんいたらしい。
 かなり敵を作ってしまった。私が失態をしでかしたとき、だれもフォローしてくれなくなる程にね」

 ……わかる気がする。
 志がある人間が、金や権力や武力を手に入れたところで、何でもできるわけじゃない。
 俺にも経験がある。どれだけ力があってもままならない。他人を意のままに操るなんてできやしないのだ。
 逆にコントロールされるのは自分の方だ。強大な力をもっていれば、その力を利用しようと、胡散臭い連中がよってくる。
 実力者だろうと、権力者だろうと、権威者だろうと同じだろう。
 コントロールできそうなら神輿に乗せ、できそうにないなら正論振りかざして批判し、引きずり下ろそうとする。
 チート級の能力があったところで結局、みんなの協力が必要だ。偉い立場にあればあるほど、自分勝手な発言はできなくなる。全体の方向性を示す舵取りをしながら、一つ一つの意見を調整して回らねばならず、そんなことしてると「リーダーシップがない」と批判される。要は、「自分にとって都合のよいリーダーではない」というだけの話だが、どいつもこいつも勝手なのだ。

「改革自体はやりとげたんだが、そのあと地位を追われた。……今は無職だよ」

 おだてて木に登らせ、そして、失敗したら、そいつに全責任を擦り付けて掌を返し、失脚させる。
 あー、やだやだ。思い出しただけでも腹が立つ。

「一体、どんな『失態』を?」
「公の場で恥ずかしいふるまいをしてしまってね。それで解雇されてしまったんだ。弁明の余地もなかった。ここで言うのも、できれば勘弁してほしい」

 何だろう?
 …………伝説のブリッヂ○ナニーでも見られたのか?
 だとしたら、そ、そりゃあ、まぁ、な。
 責任ある立場で、あんな命がけの最終奥義を見られたら、俺なら自己嫌悪で首を吊りたくなるだろう。
 あげく異世界に転生もするさ。
 ……うん。ごめん。今のはもちろん冗談だ。

「今はただの『プー太郎』さ。そう呼んでくれ」

 いいのか、それで?
 口角が上がってるわけではないが、そのなで肩がやや躍っている。『プー太郎』が自嘲気味に笑っているのだ。
 個人的には彼がそんなに悪いことをしたとは思えないが、まぁ、本人が言いたくないというなら、聞かないでおこう。
 要するに、彼は生前、大きな組織の管理職だったが、失脚した。
 独裁者にはみんなこびへつらうが、凋落すればみんな「石もて追う」。野生の灰色熊グリズリーにあえば、みんな逃げるか死んだふりをするが、弱ってたり、檻の中のならば誰も怖がらない。むしろ、中途半端な攻撃を仕掛けることで自尊心を満足させようとするかもしれない。
 そんなところだろう。

「じゃあ、話を変えよう」
「そうしてくれると助かる」

 俺は、『プー太郎』の檻の前に胡坐をかいて腰を下ろす。俺は彼に、この世界がマンガやアニメにでてくるような剣と魔法の世界であることを説明した。
 そして、彼がこの世界では黒鉄熊フェール・ベアと呼ばれる害獣の一種であるということも。
 俺たちは、話しているうちにすっかり打ち解けた。彼は元重役とはいえ、気さくな性格らしい。

「なるほど、剣と魔法の世界か……こうやって獣の身で話ができるとは。凄いものだな魔法の力というのは……」

 感慨深そうに、腕を組んでうんうん頷く『プー太郎』。
 可愛くても中はオッサンである。

「それより問題は、今あなた自身がああいうマンガみたいな『非現実的な現実』に直面してるってことだ。それを受け入れられるかどうかが、俺は心配なんだが……」
「……そうだなぁ、まじめに考えると、大変なことになったもんだ」

 ペット扱いするのなら必要ないけど、それも失礼だろう。
 遠い目をする『プー太郎』。今のままでは、会話できるのは俺とだけだ。こちらの言語を覚えれば、ほかの人とも会話できるだろうけど……。
 言葉を覚える気があるのならば協力するが、正直、どう声をかけていいのかわからない。

「………大丈夫だよ。語学は得意な方だ。貿易のお手伝いもしていたからね。時間はややかかるかもしれないが憶えるさ」

 優秀だなこの熊。
 そして、結構ポジティブだ。

「我が国では、水を被ると熊になるとかいうマンガが流行ってると、知り合いから聞いたことがあるが……」
「それ熊ではなく、パンダだろ。てか、何年前のマンガだよ?」
「そうなのか、はは……パンダじゃなくてよかったな。どこぞのアカい国が一億寄越せと言ってくるね」

 たしかに、熊猫溺泉に落ちた人間もしれっと輸出しそうだよな。あの国は。 

「幸い、この世界にあの国はないし、()の国もないぞ?」
「そりゃあいいな!! 今のは点数高いぞ」

 上機嫌である。
 特定アの国に恨みでもあるのか? この人は。
 まぁ、あるかもしれないな。
 特定の()の国に進出した企業はみんな政府に煮え湯を飲まされたっていうし。()の国は、あらゆる意味で斜め上というしな。

「…………それで、あなたの身の処遇だが……」
「ああ、うん。そうだな!」

 俺はリナとの勝負のことについて話した。
 プー太郎は短い前足を腕組みして聞く。

「……まぁ、つまり、『プー太郎』には、出汁になってもらう」
「なるほど」

 つまり、今回は勝負の勝ち負けはどうでもいいのだ。
 あの暴風のような小娘をどうにかする。それが最大の焦点なのである。
 彼女は暴力で物事を解決するのではなく、靴底を減らして協力者を探し求め、人に頭を下げながら働くということを学ばねばならない。
 それができないのなら、自分が取り返しのつかないミスをしでかしてしまう前に大人しく帰るべきだ。
 貴族だ、平民だの言う以前に、リナはあのままではあぶない。
 だからこそ、俺はこの勝負を仕掛けた。
 友人を頼るのもいいだろう。彼女は自分を支えてくれる人間の重要さを知るべきなのだ。
 もちろん、クリアできてもできなくても構わない。
 正直、実家を頼って連れ戻されることを一番期待している。

「あなたの食、住は俺が保証する。ただ都会で暮らすのは無理だ。物価も高いし、養えない」
「ふむふむ…」
「けど幸い、俺の実家は田舎だ。ここから50キロほど北に行ったクルリス村というところ。山間だけど、この世界では比較的豊かな農村だよ」
「自然の中の農村か! そりゃあ、いい! この世界の大自然はほとんど手つかずなようだしな!!」

 『プー太郎』は乗り気である。
 だが、相手の無知にかこつけて、話を取り付けるのは俺の良心に反するので、最低限の説明責任(アカウンタビリティ)は果たそう。

「確認するけど。いいのか?」
「いいもなにも、他に余地がないね。私は君を頼らざるを得ない。この身の寿命が何年ぐらいかはしらないが、野山でハイエナに食われるよりはいいだろう。どうせ死ぬのなら、死ぬのを急ぐことはない。次、生まれ変わるときは記憶も消えているだろうさ……」

 『プー太郎』の態度はどこか捨て鉢である。

「……どうせ、『畜生道』だからな」
「そうだろうか? 俺は、あんたは憑依霊だと思うが?」
「憑依霊?」
「さっき聞いたが、生まれてすぐ自我があったわけじゃないんだろ? あなたは生まれ変わったわけではなく、英霊として召喚され、何かの拍子にその子熊に乗り移ったんだ」

 この世界には、英霊の魂を召喚し、一時的に守護霊にする魔術がある。
 世界に大きな功績を遺した英雄ほど強力な守護霊になる。肉体に乗り移らせて、そのスキルを再現することもできるのだ。
 80年ぐらい前、とあるアニオタが作った『黒歴史』さ。
 あまりの痛さに封印されてしまったが。

「この世界では、そんなことが起こるのか? なんでまた」
「俺の予想が正しければ、たぶん母熊の仕業だ……」
「母……熊……?」
「知能の高い魔獣は、殺してもその憎悪を呪いとして大地に残すことがある。
 自分の命や魂すら消費するなら、『怨念』っていうのは一種の大魔術に近い。
 おそらく、母熊は死を覚悟したとき、残していく我が子に命を賭して加護を願ったのかもしれない。
 それが偶然、英霊召喚の儀典(プロトコル)に引っかかったんだ」
「難しいことはよくわからんが、だとしたらどうなるんだ?」
「…………だとしたら、あなたは俺の保護がなくても、一人で生きていけるかもしれないってことだよ。ジャングルの王様として」
「私なんかが加護になるかね?」

 たしかに、前世のいきさつを聞くと、「うわっ!私の幸運…低すぎ?」かもしれないな。しかし、英霊の加護っていうのは、恩恵なのだ。いま彼には現に知恵がある。そのおかげであの危機を切り抜けた。お母さん的には当りを引いたんじゃないだろうか?

「しかし、おかしいな。呼び出されるのは世界に影響を与えた英雄の魂なんだけど……」
「英雄?」
「もしかして、『あっち』で世界を救ったりしました?」
「………………え?」
「あの魔術って、世界に影響を与えた偉人とか英雄とかが召喚されることになってるんですが?」
「……………………」

 しばしの沈黙の後、『プー太郎』はぶんぶんと首を横に振る。

「……そ、そそ、そ……、そんな大それたことしてるわけないだろうっ!!」

 だよなー。
 まぁ、魔獣がファイナルアタックで放った魔術だから、そりゃバグるか。
 あまりにも不安定だから、封印したんだし。

「ともかく、私は君を頼るほかない! そもそも人間の魂なんか乗り移ったところで、野山では生きていけないから! 無理!!」
「わかった、……では『契約』だ」

 俺は急遽作成した、もう一枚の羊皮紙を手渡す。

「これをやるとどうなるんだい?」
「まず常時、俺との念話(テレパス)が可能になる。あとは俺の魔力で、『プー太郎』の身体能力が強化される、というくらいかな」
「ほほう……」

 羊皮紙を広げるプー太郎は。
 朝食中のオッサンみたいだ。

「訓練すれば、魔術も使えるようになるだろう。だから、魔獣は本来自分より格上と認めた魔獣使いとしか契約しないんだ」
「なるほど、魔獣側にもメリットがなければ、契約は成立しないんだな」
「そういうこと。逆に言えば、伝心術と術者の力量があれば、基本的な術式であらゆる魔獣と契約可能だってことなんだ」
「え? おかしいな? それじゃ、なんで魔獣の種類ごとに術式が違うんだい?」
「簡単に言えばね、契約魔術ってやつは、基本的には術者の力量を大きく、あるいは、外見をよく見せるための魔術なんだ。
 魔獣の側から契約をしたいと思うようにね」
「……な、なるほど、つまり化粧やハッタリでだますわけか。いろんな意味でビジネスライクだな」
「当然、知能が高い魔獣は騙されない。むしろ逆鱗に触れるだろう。だから相手が大物であるほど余計な小細工をせず、誠実な契約術式を作った方がいいんだよ」

 さて、暁烏の声が聞こえてきた。そろそろ夜が明けるぜよ。

「じゃ、いいか?」
「ああ、『契約』しよう」

 その瞬間、羊皮紙は魔力の炎で燃え尽き、ここに契約は成立した。



   *   *    *



  某月某日 東京都

 普段は閑静な住宅街で行われた『その男』の葬儀には、二種類の人間が参加していた。

 参列する者と、それの様子を報道する者だ。
 参道の脇に整然と並ぶ喪服の人々を、テレビカメラを担いだマスコミ関係者が待ち構える。パーカー姿で仕事の打ち合わせなどしながらも、著名人が通るたびに、殺到して集音器やストロボ付きのカメラを突き付けた。
 しめやかに行われなければならない儀式の隣では、祭りに興じているような無自覚な狂気が渦巻いていた。

 前後に護衛を配置した黒塗りのセダンのドアを開け、一人の男が降り立った。
 齢70にしては矍鑠とした体躯。窶れ姿を衆目に曝すことを嫌い、髪はまっ黒に染めているが老人だ。その眉間には職責からくる心労で無数の皺が刻まれていた。
 マスコミ関係者たちは、煙草をコーヒー缶に押し付けたり、あるいは排水溝に投げ捨て、カメラを担ぎ、彼を背景とした女性レポーターを撮影した。
 報道に必要とされたのは、その男のコメントではない。マイクを突きつけるレポーターを無視して去っていく『負け犬の絵』であった。

「えー、たった今! 前総理が到着しました!! 前総理が車から降り、焼香に向かうようです!!」

 ジャーナリズムという、場をわきまえない歪な使命感がそこにあった。
 『戦友』を死に追いやった理不尽が、そこにはあった。
 だが、敗軍の将は、その忸怩たる思いを胸に、狂騒の中へと足を踏み出した。
 彼は敗者の行軍をあざ笑うかのように殺到するジャーナリストたちをかき分け、戦友の棺の前で人知れず拳を固く握り、心の中で叫ぶ。

(馬鹿野郎! お前はまだこれからだってのに、なんで死んじまうんだよ!)

 彼の戦友は間違いなく、国を救った。ユーロを救った。ドルを救った。まさしく経世済民なしたのだ。
 それを理解せずに馬鹿騒ぎに興じる者達に怒りを覚えた。
 眼がしらに涙を溜め、弔事を述べる。
 遺影の前で読み上げた弔事に偽りや美辞麗句はまったくなかった。

「先生……」
「奥様、この度は心よりお悔やみを申し上げます」
「あ…ありがとうございます…」

 喪主は、弔事に精一杯の誠意で答えようとする。しかし、その様子は報道の対象になることもないだろう。代わりに報道されるのは、過日故人のしでかした『失態のVTR』ばかりである。
 ただ、参列した者の多くは『世界を救った』という彼の功績を忘れはしなかった。血縁でもないのに参列した人々と、彼らが握る無数の祖国の御旗がその証明だったのだ。
この小説はフィクションです。
実在の人物・団体・事件などとは関係ありません。

分かりにくいとのご指摘をいただいたので
ストーリーを時系列順に直しました。
+注意+
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