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異世界に穴があったら入りたい 作者:大野水城

第二章

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第二十四話 気が付けば熊


 ― ??? 視点 ―

 こ…これは、どういうことなのだろうか?
 なぜここにいるのだろう。

 『私』は、一体…………
 ……………………………ああ!…そうだ。

 寝床についてもなかなか眠れないので、浴びるほど酒を飲んだのだ。
 職を失ったことで精神的にも追い詰められていたのだろう、その夜、私はいくら飲んでも眠くならなかった。
 職は失ったが、明日もやらねばならないことがある。「仕方ない」と、私は睡眠薬もいつもより多めに服用した。そこまでやってようやく眠くなり、床に就いたのだ。
 だが、横になってしばらくすると、急に胸が焼けるように痛み出した。

 私は暴れまわり、シャツをはがし、胸をかきむしり、もがいた。
 呼吸ができない、体が動かない。「助けて!」とも叫べない。
 そして、見苦しくのたうち回った挙句、意識が遠のいた。
 初めての経験だが、これが『死』なんだと、なぜか理解できた。

 そう、私は死んでしまったのだ。

(ここはあの世か……親父もここに来たのだろうか?)

 どんな顔をして会えばよいのだろう。
 同僚や家族に迷惑をかけてしまった。
 応援してくれた人たちを失望させてしまった。
 大失態をしでかした挙句、酒におぼれ、そのまま絶命なんて、合わせる顔がない。
 情けない最期だった。惨めな最後だ。
 だが、同時に楽になれたと思った。
 ようやく肩の荷が下せる。人生の恥をかき捨てていける。
 そう思って、正直、すこしホッとした。

 私は、死んでしまった。それをすんなりと受け入れることもできた。
 だが、なぜこうなったのかはわからない。

 私は死んだ。
 ……そして、『私』はここにいる。
 ……けれど、『私』はここにいる。
 ……なぜか、『私』はここにいる、のだ。

 雨上がりの森。濡れた土の匂いのする草叢の中を、私は両手を地面について陸士特技課程を受ける新兵のごとく身を低くして這い進んでいた。
 いや、違う。這っていたのではない。

 …………歩いていた。

(え? な、なんで?)

 気が付くと、私の足は、四本になっていたのだ。
 こげ茶色の毛におおわれた前足をひっくり返せば、黒く分厚い肉球が現れ、手を広げてかざそうとすれば、鋭利な爪が現れた。

(こ……これは…もしかして…) 

 水たまりに写ったわが顔を覗き込み、改めて愕然とした。
 顔から突き出した鼻と上下の顎、濡れた黒い鼻先、口を開ければ幼いながらも尖った犬歯がある。耳は頭の上にある。

 そこにいたのは『熊』だ。まだ幼い子熊だった。
 人として一生を終えた私は、一匹の獣になっていたのだ。
 山月記に登場する隴西の李徴は、発狂したのち人食い虎に成り果てたが、私は熊になっていた。
 どうやら、生後数日して、何かの拍子に前世の記憶が覚醒したらしいが。

(な……なんてこった……)

 これはもしかして、六道輪廻の四番目、『畜生道』というやつなのか?
 たしかに生前、私はいささか人に恨まれたと思う。失業したとはいえ、あの職業について天国に行ける奴はまずいないだろう。地獄行きもしかたないかもしれない。
 だが、せめて転生するなら前世の記憶は消してほしい。さすがに日本人として清潔な暮らしをしていた私には、これは大いに抵抗がある。それともこれが罰なのだろうか? 悪人のくせに贅沢を知ってしまった代償を生まれ変わっても払わねばならんのだろうか? 前世の記憶を背負ったまま野生動物として生きて行けと?
 だとしたら、神も仏も残酷なものだ。

(冗談だろ。もう、酒ものめないのか……、いや、それ以前に、これからからはどぶ水を飲んで、ほかの動物を殺し、血なまぐさい生肉を食っていかなければならないのか?)

 飲むことが楽しみだった飲兵衛の私にとって、これはつらい。
 いや、酒どころか、この姿では、もう調理された食べ物や、清潔な飲み物を口にすることはおそらくできない。再度転生しないかぎりは…。

(う、腹が減った)

 だが、この体が育ち盛りだからだろうか、無性に腹が減った。
 空腹感を我慢できなくなった私は、それをしのぐためにそこらに落ちていたドングリをかじった。

(冬眠前の熊ならたぶん食うよな? 食えないかな? 食えるよな? 栗の味がしないかな? この体ならおいしく感じるかもしれない。まぁいい、ものは試しだ)

 バリバリッ むっしゃむっしゃ……ペッ!

 噛み砕けはしたが、食えたものではない。やっぱまずい。

(まいったな。これは……)

 自慢じゃないが、私はこれでも経済的には恵まれていたので、結構うまいものを食って育ってきた。それが災いしているかもしれない。野生動物に成り果てても私の舌は、日本各地で口にした美食の味まで覚えてしまっていた。
 これも因果なのだろうか?

(……くそ、食べ物のことを思い出したら、腹が減ってきた!)

 といっても、今この身はまだ子熊だ。一匹でサバイバルなんて当分無理である。

(とにかく、哺乳動物なら辺りに母親がいるはずなのだ。母を探そう!
 ……えーっと!! あ、足跡だ)

 地面に目を向ければ、自分の手足と同じ形で倍は大きい足跡があった。
 あたりの草木もなぎ倒されている。察するに私は彼女がつくった獣道を辿っている最中だったのだ。前の方からせせらぎの音が聞こえる。
 もしかしたら、遡上する鮭を捕りに行ったのか? なら、私もありつけるかもしれない。

(とりあえず、前向きに考えよう!
 酒は無理だが、魚へんの方のサケは食べ放題ではないか!)

 イクラをたっぷりと含んだ遡上中の鮭を人間が捕るのは違法だが、保護動物(わたし)が捕るのは自然の摂理である。一応、私の好物の一つにはありつけるということだよな?
 そんなことを考えて歩いていると、ようやく草叢が途切れた。
 森の中の開けた場所、小川のほとり。そこには巨大な熊がその大きな体を地面に横たえている。

(あ、いた! たぶんあれが母親だ!)

 私は駆け寄ろうとしたが、足を止めた。
 すぐに異変に気付いたのだ。
 巨熊は巨大な黒檀色の塊のような体を横たえたままピクリともしない。地面には血が飛び散っている。何かあったのだろうか? 
 私が物陰からうかがっていると、ガサガサっと何かが近づいてきた。

(え?)

 ニンゲンだ。四人の人間が現れ、巨熊の周りを取り囲んで歓声を上げた。狩人か? だが、猟友会には見えない。なにやら装備が前近代的なのだ。彼らは皮鎧らしきもので身を固め、手には剣や弓を握っていた。特に一番長身の男が背に担いだ剣などは、そんなものが本当に振り回せるのか疑問になるくらいの長大な大剣だった。
 だが、ぶんっと、彼がその鉄塊を振り回すと、目の前の木がなんなく伐採された。
 とんでもない膂力である。どちらが熊かわからない。

「―――――?」
「―――!」

 4人の男たちは何やら話をしている。紅毛碧眼の者もいるが、顔つきは欧米人とは少しちがう。話している言葉も英語ではない。ドイツ語でもフランス語でもスペイン語でもない。いったいここはどこなのだろう?
 仲間の一人が、500キロはあろうかという巨熊を仰向けにし、短剣でその腹を裂いた。そして、手慣れた手つきで解体作業を開始したのだ。彼らはあっという間に毛皮を剥がすと、大剣の男がこしらえた丸太を組み、残った肉の塊に火をつけた。
 薪以外にも何か燃料を用いたのか、焼けた獣脂の匂いとともに炎は瞬く間に肉の塊を焼却した。
 死骸を放置すると衛生上の問題があるから…か、どうかはしらないが、どうやらそれがこのあたりの風習らしい。
 毛皮を、水嵩を増した小川で洗い、それだけを担いで彼らは去った。

(……………………)

 一頭の生き物が解体され、燃やされる様はかなり衝撃的ではあったが、残酷だ、とは思わなかった。ただただ傍観し、客観的な感想まで心中で述べられたのも、茫然自失していたからだ。

 気が付くと、私は悩みから解放されていた。 
 幼い私が野生で生きていく術が、このとき失われたのだ。諦観するしかないではないか。
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