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異世界に穴があったら入りたい 作者:大野水城

第一章

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第十六話 危機管理

 和やかだったエントランスの雰囲気は、突如として立ち込めた血の匂いによって完全に塗り替えられた。

 冒険者試験を受けるため、ゼフィランサスの冒険者ギルドを訪れたザリッツとその仲間たち。
 大陸西部を渡り歩く傭兵団『三首竜』のメンバーである。彼らは、試験突破のため必要な10個の魔石を求め、地下訓練場の下層へ下りた。
 一体、彼らの身に何が起きたのか。

「しっかりしろ、ネスタ!」

 肩を貸す男が声をかける。
 ネスタと呼ばれた男は、その肩から袈裟懸けに斬られていた。
 出血がひどい。両脇から仲間に抱えられ、辛うじて意識をつないでいたが、蒼白となった顔面は死相を映していた。
 彼だけではない、それ以外のメンバーも傷だらけだ。

 こんなときに一番動きが早かったのはヘルムートだ。
 彼は、ジェイスとともに即座にネスタに駆け寄ると、ハンドサインだけで仲間を使い、物資の入っていた空の木箱(コンテナ)を二つ並べさせ、その上に慎重に彼を乗せた。さらにナイフで服を裂いて装備を脱がせ、傷の深さを確認する。部下から消毒用のアルコールの瓶を手渡されると、それをドバドバと流し込んで、傷口を洗う。ジェイスは、布を割いてそれで流血をぬぐう。実に見事な連携である。彼らはいたって冷静であり、まるでそれが日常茶飯事であるかのように手慣れていた。
 魔物狩りは下手だが、こういう修羅場は何度も経験しているらしい。傷口を探し当てたヘルムートが、鎖骨の下の動脈を指で圧迫しながら叫ぶ。

「だれか! 回復魔術が使える者はいるか!?」

 ヘルムートは周りにたむろするメンバー全員の顔を見る。
 俺……は、どうしよう?
 一応、できるんだが、俺のは『魔術』じゃないんだ。

 一方、ジェイスは視線をロゼッタに向けていた。

「は、はい! 私、魔術師ギルドの中級回復師の資格を持っています。」
「そうか、頼む」
(うわ俺、格好悪…)

 ジェイスはロゼッタが使えるということを知っていたらしい。
 彼女は、しばらく茫然としていたが、冷静な対応を見せたヘルムートとジェイスに追随し、我を取り戻した。
 これが土壇場の結束。信頼のアイコンタクトである。

 受験者の紅一点。ロゼッタ・エヴァンスは魔術師ギルドに与しているらしい。
 魔術師ギルドとは、魔術の研究と魔術師の育成を目的とした組織だ。歴史は古く、発足は第三天子の時代にまで遡る。数百年前から、草莽崛起的な活動で平民社会に魔術を根付かせきた結社でもある。魔法は使用者を選ぶが、魔術は正しい訓練をうけていれば誰でもそれなりに使えるようになるのだ。もっとも魔術師の養成には金がかかる。実家にある程度の財産がなければ魔術教育は受けられない。そういう意味では魔術も使用者を選ぶのかもしれない。

 ロゼッタは懐から錦糸の刺繍が施された護符を取り出した。護符の袋を紐解くと、翡翠をすりつぶしたような粉末がこぼれおちる。
 彼女はそれを左手で掬うと、優しく息を吹きかけ、当たりに散らす。煌く粒子がコンテナの上に仰臥する男に降りかかる。 
 さらに懐から金属細工の計測機器を取り出し、覗き込んだ。羅針盤のようだが、その針は不規則に回転している。魔素の濃度を測っているのだ。先ほどの粉は、おそらく純度の高い魔石の粉末だろう。
 平民の魔力は高くない。そのため、あのような魔石の粉末を使い、周囲の魔素の濃度が高めた上で、魔術を行使するのだ。
 魔素が一定レベルにまで充溢したところで、彼女は深呼吸し、深手を追った男の額に手を当て、詠唱を始めた。
 唱えるのは、対象の治癒能力を高める第七魔術の詠唱である

 ―――― 君死にたまふことなかれ ――――

 その詠唱の第一節と同時に、男に振りかけた翡翠色の粉が淡い光を放つ。

「君死にたまふことなかれ、すめらみことは戦ひに、おほみづからは出でまさね、かたみに人の血を流し、獣の道に死ねよとは、死ぬるを人のほまれとは、大みこゝろの深ければ、もとよりいかで思されむ」

 第七魔術の呪文はこの世界のものではない。第七天使の故郷に伝わるという、『歌』である。その歌に秘められた意味を知る者は、ここでは『俺』を除いていない。
 唱えているロゼッタにとっても念仏同然で、意味は知っているかもしれないが、理解はしていないはずだ。詠唱が終わると、光の粒子は徐々に空気に溶解し、ネスタの呼吸が緩やかになった。
 止血のため彼の腕の付け根を深く抑えていたヘルムートがゆっくりと手を放す。出血は止まっていた。
 ロゼッタは安堵とともに大きく息を吐き、巨漢の弓兵は感嘆して賞賛の言葉を口にする。

「大したものだ」
「いえ」

 そんな二人をジェイスが叱咤する。

「まだだ。他にも怪我人がいるんだろ」
「……そうだったな」
「ロゼッタはネスタについていてくれ。他にも必要な奴がいれば呼ぶ」
「わかったわ」 

 俺もこのままぼさっと突っ立っているわけにもいかないので、治療道具を持って他の怪我人の元へ駆け寄る。
 みんなで手分けしてヘルムートと同じように傷口を消毒し、清潔な布を当てる。
 そうしている内に、一通りの応急処置を終えたジェイスとヘルムートの真剣な話し声が聞こえてきた。

「ネスタの容態がよくない。試験終了まで3時間だが、このまま3時間もここにいたら死ぬかもしれないぜ?」
「治癒師に見せるべきというのか?」
「そうだ」

 そう、ロゼッタが行ったのはあくまで応急処置だ。
 ネスタの命を救うには、一刻も早い医療施設への搬送と輸血が必要だろう。
 ジェイスはネスタの救命を最優先に考えているようだ。
 やがて、ヘルムートが折れた。

「むぅ、やむをえんか」
「ま…待ってくれよ!!」

 狼狽しながら異を唱えたのは、ヘルムートの仲間の一人だ。
 補欠コンビの片割れ。歳はおそらく10代後半だろう。

「そいつを治癒師に見せたら、おれたち全員、失格だぜ? 隊長!」
「だが、仕方がない。あきらめるのも戦いなのだ」

 ヘルムートは若い仲間を見据えた。
 ロゼッタも彼に視線を向けて口を開く。

「一人でも脱落すれば失格。そして、死者は脱落です。彼が死んでしまったら、どのみち全員失格なのですよ?」
「け、けど…」
「……あきらめろ」
「おまえはどうだ? 小僧」

 ヘルムートに問われた。ここで否とはいえまい。
 そもそも冒険者ライセンスなんてものは、人の命と天秤に掛けて得るような資格でもないのだ。一度きりというわけでもないしな。

「見殺しにして失格になるより、助けて失格になった方がいいに決まってます。
 もしここで見捨てたら冒険者になったあとずっと後悔するでしょう。
 …試験はこれっきりじゃありませんし」
「……だ、そうだぞ? お前のノルマが達成できたのはそこの小僧のお陰だよな?」

 若い彼は不満のようだったが、ヘルムートの仲間たちも諦めろとばかりに首を振る。
 やがて彼も肩を落として承諾した。

「次は自分の実力で合格します。子供に手伝ってもらって合格というのも恥ずかしいですし」
「それでいい」

 仲間の説得を終えたヘルムートは、今度は俺に向きなおった。

「すまんな。せっかく合格させてもらったのに…」
「ヘルムートさんが謝るようなことじゃないでしょう?
 すごいかっこいいところ見せてくれたじゃないですか。とても見事な手際でした!」

 そういうと、偉そうなことを言うなと、ジェイスに手荒に背中をたたかれる。
 それを見て若い傭兵も破顔した。
 さすがに8歳の子供が、ここまで潔い態度を見せたら不貞腐れるわけにもいかない。

 ザリッツの仲間たちは黙っている。
 申し訳ないとでも、思っているのだろうか?
 憔悴しきっていいるがなにか言いたげな顔だ。

 ………そういえばザリッツはどこだ?
 メンバー8人、留守番が1人で、下に降りたメンバーが7人…
 5人は戻ってきたが、2人足りない。
 一人は当のザリッツだ。
 俺と時を同じくして、ジェイスもそれに気づいたらしい。

「おい、ザリッツはどうした?」
「隊長は……下だ」
「はぁ? こんなときに単独行動かよ?」
「ち……ちがう、仲間が落ちたんだ!! さらに下に…」

 その言葉を聞いて、ジェイスの顔色が変わった。
 ヘルムートも細い目を見開いて驚愕する。

「床がもろくなっていて…ヒュージが滑落した。奴を助けるために、俺たちも降りた。……そして…」
「……ネスタの怪我は……降りた先で、『奴』にやられたんだ」
「『奴』?」
「暗くてよく見えなかった。けど、なにか黒くてでかいやつだ。でかい鎌みたいな腕を振り回して、それにネスタは…」

 そいつにやられた怪我というのがこれらしい。まるで戦斧でも叩きつけられたかのような傷口だ。
 今更ながらよく生きていたものだとおもう。
 少なくともこの訓練場A層には、スライムだのゴーストだのと、仕留めることこそ難儀な奴はいたが、大の男に致命傷を与えるような危険な魔物ではなかった。B層、C層の魔物だって、それをグレードアップした類だろうと誰だって思うはずだ。
 俺は狼狽する男に尋ねた。

「その、でかいというのはどれくらいですか? 牛ぐらいはあるんですか?」

 俺の質問に、男は首を振り、もっとだ、と答えた。
 下層にはそんな奴が配置されているのか?

「そんな馬鹿な、下級冒険者の試験でそんな化け物と戦わせるはずが…」

 ロゼッタが絶句するのも道理だ。
 ここはあくまで、訓練施設だ。人を殺しかねないような化け物なんて試験に使うわけがない。

「この施設、もしかして、突然変異の魔獣も出たりするんですか?」
「そんなはずありません。人工ダンジョンだからこそ、魔素の濃度も、魔物の強さも管理されているはずなんです。仮に、ギルドの地下にもしそんな奴が現れたら大事件です」
「だが、可能性はゼロじゃないだろ? 都市の下水道にもたまに厄介な奴がでるらしいじゃないか!」

 出たらただちに駆除されるだろうな。
 ここは冒険者のメッカだ。腕利きを探すのに苦労はしないだろう。

「ザリッツ隊長は、俺たちを逃がすため……囮に……」
「なんだと!?」

 ヘルムートが声を荒らげた。

「隊長の命令だったんだ。お、おれはネスタを担いで何とか這い上がった」

 ザリッツは仲間を逃がして自分は殿軍をつとめたということか。
 おそらく、腕に自信があってのことなのだろうが…
 そして、滑落したというヒュージもまだ下にいる。

「頼む、隊長を助けてくれ」
「ともかく、これはすでに非常事態だと思います。応援を呼びましょう」

 ロゼッタの提案にジェイスが首肯した。

「…だな、試験会場の足場が壊れてるなんて問題だ。試験なんて呑気にやってる場合じゃない。そしてそんな奴がいるのなら、さっさと封鎖して討伐だ。ネスタの搬送の手配もしなきゃならん」
「ああ、そうだな」 

 そうだろう。ここにいる受験者だけで助けにいくことはない。
 最悪、ザリッツとヒュージはもう手遅れかもしれないのだ。
 ヘルムートが全員の意思を確認する。

「俺たちはみんな失格になるが、皆も異存はないな?」
「ああ」
「仕方ねぇ…」

 自分の手に負えなければ速やかに退く。
 退くべき時を知っているっているということが、経験というものなのだろう。
 ヘルムートに迷いはなかった。
 その場にいた全員が、それぞれうなずいた。
 俺にも異存はない。

 だが、俺は一人、考えていた。

(はたしてこれは不慮の事故なのか?)

 このAフロアの魔物を狩るだけで約150匹。つまり、脱落者はたった3人か4人しか出ないはず。 
 ノルマは魔石10個…簡単すぎる。魔物は決して強くない。狩猟経験のあるやつや、人海戦術をつかえば、150個なんてあっという間にとりつくしてしまう。
 各受験者にとって、魔石を10個以上持っていても意味はない。だから、俺のように余分に魔石(ポイント)を獲得した受験者は、仲良くなった他の受験者に融通する。結果、この試験では、過半数が制限時間に大きなゆとりを残して合格ノルマを達成することになる。自分は一匹も仕留めず、交渉だけで首尾よくゲットする受験者もいるだろう。
 一方、数人は必ず魔石(ポイント)が足りなくなる。そういった連中は下層を探すだろう。
 なにしろ、フロアは3層もある。

 だが、そもそも何故、3層もあるのか?

 そんなことを考えていると、Ⅻの扉がひとりでに開いた。
 扉の向こう側はエレベーターである。

「よっこらせ……」

 出てきたのは、あの作業員の婆さんだった。
 前回と同じようにコンテナを乗せた台車を押している。
 老婆は当たりを見回して、少し驚いた様子で言った。

「あらあら……、さっきと違ってずいぶん人が多いのね?」
※備考
 この世界の魔術は、天子が『世界の理』にアクセスし、一部を書き換えることでもたらされます。呪文を決定する権限は天子にるため、第七魔術の呪文は日本語です。専門教育を受けているロゼッタはある程度読めるレベルですが、他の人には意味はわかっていません。
 呪文は、与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」(c)
 著作権は原則60年ですから、問題はない(……んじゃないかなぁと思ってます。汗)
 もし、私の認識が間違いで、知財の法律について詳しく知ってる方がいたら、ご一報ください。
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