新居浜
萩。
古い立て札がある。
「左記の者、斑の狗の一味につき、手配中である。左記お尋ね者見つけし者、心当たりのある者は、即刻届けられたし。奇兵小一郎、水戸藩士鮎沢伊予乃介、茶屋娘香枝、同茶屋下男作蔵・・・・・・何れも生死不詳にて、憶えおかれたし。届出に対し生死は問わぬ」
紙は古び、野ざらしになり文字も薄れている。その札をまじまじと見ている者がいる。
身の丈ほどの鉄の棒をついた若い男だ。名は新居浜。自ら西国一の貧乏浪士を名乗る。大抵、脱藩者や浪士の類は貧乏で当たり前だが、刀くらいは持っている。否、持っていなければ話にならない。ところがこの男、刀すら持っていない。得物は先の尖った鉄の棒のみである。この棒一本で殺めた幕兵数十人に及ぶ。
無論、彼自身も賞金首であるが、そんなことには無頓着であるようだ。右も左も敵だらけの萩に来て、堂々と往来を歩いている。
一軒の酒屋に入った。客は幕兵だらけだ。酔いどれ共が一斉に彼を見る。彼は一見して浪士と判る姿。しかし新居浜は気にもせず、どっかと腰を下ろし店主に酒を注文する。店主がすすと寄って来て、小声で忠告する。
「いずこの浪士様か存じませぬが、危のう御座いますよ。早々に立ち去られたほうが」
新居浜も小声で答える。
「えっ、刀を持たぬ丸腰の者を幕兵は討つと申すのか? 恥知らずばかりじゃの。ともあれ一杯飲んだら出てゆく故、早く酒を持って来てくれ」
店主の運んできた冷酒を彼は一気に喉に流し込む。それで勘定かと思いきや、
「店主、もう一杯所望したい」再び店主が寄って来て、浪士様、約束が違います。一杯飲んだら帰られると先程申されました。と言う。
「うん、言った。確かに言ったが、あれはしらふの俺が言ったこと。今酒を注文しているのは『一杯飲んだ俺』だ。まあ、許せ。早く酒を持って来い」店主は店がむちゃくちゃに荒らされるのを覚悟した。既に幕兵たちは殺気立っている。
新居浜は二杯目を喉に流し込むと、傍らの棒を手に店内を見回した。ひぃ、ふぅ、みぃ、よ、幕兵の数は九人。狭い店内に狭い入り口。奥は厨房でその先は店の者の住居であるようだ。どう戦って、どう逃げようか。あの店主に怪我させちゃ気の毒だ。奥には家族おるやも知れぬ。
「さてと、」と、すっくとその長身を椅子から起こすと、兵等も一斉に椅子を倒し立ちあがった。一触即発。新居浜は間の抜けた声を装い言った。
「亭主、勘定」へい、へい、と奥から出てきた店主を制し、兵の一人が言った。
「待たれい、いずこの藩士か、藩名と名を名乗ってもらおうか?」
「勘定の後じゃまずいか?名乗れば食い逃げとなるは必定。もっともお主ら全員叩き殺せば、悠々と払えるか、あっ、そうか、そうだな」新居浜の人を喰った答えに全員激怒し抜刀した。その時である。新たな客が入ってきた。退路と考えていた入り口を塞がれ、新居浜は内心焦った。しかし。
入ってきた男達は、これも浪士であった。狐目の若い男が一人、壮年の男が一人、十五・六の少年が一人。いずれも店の入り口で、中の様子に驚いている。
「見たところ、十対一で丸腰の男を殺すつもりのようじゃ。萩の幕兵、聞きしに勝る勇ましさよの」狐目の男が言う。火に油を注ぐつもりらしい。店の主は観念した。もうこれで店はおしまいだ。
「陸、店の入り口を塞げ。退路を断て」少年に命じると、壮年の男と共に刀を抜いた。
なんだか知らぬが、面白そうな男だ。尖った鉄の棒を手に新居浜は思った。
「あんた、何もんな?俺の名は新居浜。あんたは」
「高杉東夷、それからこのオヤジは天谷」
「ふーん、まぁこれで、三対九になった。礼を言う」新居浜が言うと
「四対九だっ!」背後から少年が口を尖らせ言う。
「店の主が気の毒じゃから、なるたけ人だけ斬って、椅子とか机とか店の物は斬らないように」 店を気遣い新居浜はとぼけた注意点を述べる。「店主っ」と大声で呼び「皿くらい割ってもかまわぬか?」と聞くが、当人は既に裏から家族と逃げている。
さて、双方対峙してある。刀も抜いてある。なのに一向に斬りあいとならぬのは、なぜだ。新居浜はそれを己が所為とはまったく気付いていない。
「よし、始めよう、さあ、」と言うが敵は少々しらけ気味である。東夷が拳銃を新居浜に投げてよこした。
「お前の得物じゃこの狭い場所では不利だ。これを使え」そうは言われても、自慢じゃないが西国一の貧乏浪士、拳銃など触ったこともない。
「無茶を言うな。どうやって使うんだ?」陸と呼ばれた少年が寄って来て口早に説明する。これが激鉄、これを起して引き金を引くんだ。よし、解ったと、言われた通りにやってみた。轟音響き幕兵一人を撃ち抜いた。それが文字通り引き金となり、双方入り乱れての乱闘が始まった。新居浜は始めて撃った拳銃に感動し「でたん、凄い」といたく気に入った様子。敵に狙い定めたて続けに引き金を引くが、すぐさま「東夷、この銃、弾が一発しか入っておらん」と慌てて言う。再び陸が説明し、一度撃つ度に激鉄を引かねばならぬこと理解した。
「そうかっ」とたて続けに乱射し、やっぱり凄いと感心している。もっとも初めての事ゆえ、殆ど敵には当たっていない。全弾撃ち尽くすと懐にねじ込み、次々打ち下ろされる白刃を例の鉄の棒で受け、弾き返し、打ち倒し、倒れた敵を貫き串刺しにし、その屍を飛び越えて敵を突く。
東夷はといえば、椅子を投げつけ敵が払ったところを狙い腹に白刃突き立てる。そのままズバッと横に掻っ捌き、飛び出た内臓を引きちぎり敵に投げつけ、これまた怯んだところを喉掻っ捌きに懐に飛び込む。なんとまあ、惨い戦いぶりじゃ、鬼のようだと新居浜は感心した。その足元に今しがた東夷の斬った首がゴロンと転がってきた。昔、高杉晋作が、走る犬の首を無造作に切り落とし「凄い剣の腕」と呼ばれた、その逸話をチラリと思い出した。東夷は無言でその首振りかざし敵を威嚇するや、やおら投げつけ、「よし、逃げるぞ」と合図した。既に敵は気圧されて向かって来る者はいない。
四人は店から出て足早にそこを逃れた。先程東夷の振り回した首から迸った血で、全員、血に塗れている。通りを行く人々が悲鳴をあげる。
「うるそうて敵わん、川へ行って血を流そう」天谷が根をあげた。
隠れるのに丁度良い橋の下で、全員川の水で血を落とした。着物が濡れているのは仕方ない。
「怪我はないか」東夷が新居浜に聞く。
「大したことはない。二の腕を少しばかり斬られた」と腕を見せる。
「船に帰れば軍医がいる。ついて来るか」船? 軍医? 新居浜が訝しがっている。
天谷と陸が意味ありげにニヤニヤ笑う。天谷が、
「東夷、この男、暴れる場所を探しておると見た。俺は賛成じゃ」と言った。東夷は苦笑いを浮かべ、新居浜に言った。
「俺達は海賊『赤い筏』。船には軍医の他にもう一人仲間がおる。お前も仲間にならぬか。目的は討幕だ」新居浜は魂消た顔して答えた。
「ひぃ、ふぅ、みぃ、俺を入れて四人。たった四人で幕府を倒すつもりか?」
陸が口を尖らせ言う。「五人だ」新居浜の今の勘定では自分が入っていない。
「一人、値百騎の男が欲しい。つまり兵四百に値する」
「兵五百だ」再び、陸が口を尖らせ言う。東夷の勘定にも自分が入っていない。
「よしよし、お前は多めに見て値五十騎じゃ」天谷が笑いながらなだめる。
新居浜は考える。一人百騎は大げさにしても、今のこいつ等の戦いぶりを見たら、五人で百は相手にできるかもしれない。それにしたって凄いことだが、後にこの新居浜、わずか三人(しかも内一人は娘子)で数百の幕兵相手に民を護って戦おうとは、この時はまだ知る由もない。
「どうだ?」東夷が問う。
「是も否もない。こげな愉快なことはないじゃろう。では、改めて名乗る。俺の名は新居浜麻毘、自慢じゃないが西国一の貧乏浪士、生まれは福岡藩辺境の遠賀川沿い、小倉藩との国境。得物はこの尖った鉄の棒一本のみ。この棒を以って殺めた幕兵・・・・・・くそっ、数えとらん。数えときゃあよかった」名乗りあげが格好つかずに終わって悔しがる新居浜を笑いながら、それぞれ名乗った。
「俺は高杉東夷、父は晋作長州藩士毛利家恩古の臣、号東行」
「俺は東雲陸、東雲と書いてしののめと読むんだ」と、少年。
「俺は天谷虎之介、新居浜とやら、歓迎するぞ。それから一言忠告しておく。一番恐ろしいのは敵兵でもなく、我らが大将この東夷でもなく、軍医だ」
「?」
「とにかくその傷見せれば解る。さぁ、行くとしよう」
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