東夷
夢の中で東一は船上にいた。祖父が彼の体にロープを結び付けている。ロープの先は船尾に目立たぬよう結わえられている。奴らが去るまで決して上がって来るでないぞ。祖父はそう言い含めると東一を海に投げ下ろした。波間から見上げると近づいてきた一艘の船から、バラバラと武装した男達が乗り込むのが見えた。聞こえてくる罵声と悲鳴。夢の中で東一は思う。またあの夢だ。この後どうなるか、彼は細部に至るまでよく知っている。塩辛い海の味まで口の中に蘇る。
船が去った後、彼はロープを手繰り甲板に戻った。累々たる屍の山。血で洗い流された甲板。そこに母がいた。幽鬼の如き表情で、その目はこの世を見据えていない。胸に刀傷があり血がドクドクと流れ出ている。母上っ、東一は小さく叫び駆け寄ろうとしたが臆して足が動かない。声に気付き、母は、居ずまいをただし座しこう言った。それは彼のよく知る優しい母の声ではなく、まるで冥界の声のように聞こえた。
「東一よ、・・・母は穢れました。もはや・・・・・・。憎むべき敵は幕軍・・・・・・東一・・・・・・生き延びよ。・・・・・・そして討て。憎むべきは幕軍・・・・・・そして忘れるでない。そなたの父は高杉晋作。長州藩士。忘れるな。そなたの父の名は高杉晋作。母の名はマサ。・・・・・・生き延びよ。そして必ずやこの恨みを・・・・・・・」短刀を手に取った。
「既にこの船には一滴の水も食料も無い。・・・東一よ。・・・・・・この母を糧に生き延びよ」
母上、止めて。そう叫ぼうとするが声がでない。母は短刀を深々と己が腹に突き立てると、苦悶の悲鳴を押し殺し、こぶしを腹の中にいれ己が肝臓を取り出した。握り締めた肉片を東一の方へ差し出すや、絶命した。
長い時間が過ぎた。東一はじっと蹲ったままだった。暑い夏の日差しが船上を焼いていた。一日が過ぎた。例えようもない飢えと渇きが彼を襲ったが、母の遺言に従うことは出来なかった。何もかもが恐ろしかった。母も。
むせかえるような血の匂いの中で二日目。彼の心に憎しみの炎が芽吹いた。それはどす黒く彼を覆い、彼そのものとなった。憎むべきは幕軍。念仏のようにその言葉を繰り返した。
そして三日目、「生き延びる」そう心に決めた。必ず生き延びて幕府を倒す。彼は立ち上がった・・・・・・。
目が覚めた。ひどい寝汗だ。またあの夢を見た。東夷は起き上がり宿屋の窓を開けた。まだ夜半だ。寝静まる瓦屋根が闇の中沈んでいる。
糞畜生。忘れることなどできない。忘れることができない以上、俺は怨念に突き動かされる。俺を襲うこの衝動は怨念だ。瞋恚の火だ。怨敵討つまで妄念はない。
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