蘇生
晴蔵の昔の小屋は無人だった。どころか、もう何年も人の入った形跡がない。
違った……。千鶴は肩を落としたが、すぐさま唇かみ締めきびすを返した。
今来た山道をくだる。風が強い。木々がざわめいている。気づけば曇天重く夜空に立ち込めている。嵐になる。
ふと、見覚えのある山々の風景に足を止めた。見覚えがあっても不思議ではない。晴蔵の昔の小屋には何度も来たことがある。が、しかし、今彼女の足を止めさせたのはその頃の記憶ではない。心の奥底のもっと古い記憶が、鮮明に蘇ったのだ。
目の前に雑草に覆われた道がある。そうだ。雑草に覆われているけれど、これは道だ。小さな集落に通じている。何故、わたしは知っている?
彼女はその道の奥へ進み、やがて廃村に出た。朽ち果てた家々が並んでいる。集落の中心に小さな広場……。導かれるように、広場の真ん中にある墓標へと歩んでいった。何年も野ざらしになり、もう薄れ消えかけている墓標の文字を読む。
落雷。背後に落ちた。
瞬間。すべての記憶が蘇った。
単一だった彼女のなかに、色々な感情が入ってきた。盲た人の目が突然開いたように、鮮やかな色彩が流れ込んできた。鮮やかな心の色と、単一ではない複雑な感情。自分の内部で踊り狂うそれらの声を制御できなかった。
「あ……あ……」どんな感情も声にはならなかった。
大粒の雨が、ポツリポツリと降りはじめ、やがて叩きつけるような土砂降りとなった。言葉にならない声を発しながら、雨に打たれるにまかせ、じっとうずくまり動けなかった。蘇った記憶を細部に渡るまでなぞっていった。
たづ……。
姉さん。
やだ。やだよ。反対のほうへ逃げないで……一緒に……。
ごめん……、ごめんよ。忘れてて……。
多津、許して……。
何も、できなかった……。助けてあげれなかった……。
許して……。
墓標が語りかけてきた。千鶴はじっと耳をそばだてて聞いた。
立ち上がった。
焦点がずれ、二重に見えていた世界が、いまやはっきりとひとつの心で見えた。
土砂降りの雨のなか、凛々しく立つ少女。もう、昔の彼女ではない。迷いも逡巡もあるひとりの少女だ。だが、その決意は固い。民を救う。ひとりでも多くの命を救う。姉の墓標と約束した。
「多津。助けてもらったこの命、決して無駄にしないから」
鎖帷子の頭巾をかぶった。踝を廻すと、ふりかえらず駆けた。
「凄い、土砂降りだな」外松が言った。
「ええ。ですがトンネルの中は快適ですよ」案内役の益田が言う。
さあ、ここです。と、山中の土手の藪をかき分けた先に穴があった。
「ここからお入りください」
一瞬、まじまじと益田の顔を見る外松。が、抗議すべきことはでないと思い直し、その、ウサギの穴のような入り口へ身を滑り込ませた。
なるほど、狭いのは入り口だけで、中は立って歩けるくらいに掘りぬいてある。支柱もしっかり立ててあるから落盤の心配もなさそうだ。
そのトンネルの中を、ぐるぐるぐるぐる連れまわされ、右も左もわからなくなった頃に山形に会えた。
そこはドーム状の天井で、四方に通路が延びている部屋。松明をかざした横に、山県は座っていた。
「おう、お前は確か、隊を抜け海援隊に行った奴だな。牙の腕が良かったから憶えておる」山県のほうから声をかけられた。
外松は礼を言い、今では赤い筏という浪士隊にいること語った。山県は知っていた。
「東行殿の子息が頭であろう。幼名は東一じゃったな。数度会うたことがある。で、今回は何用だ?」
「奇兵隊、今後の策をお聞かせ願いたい」
その問いに、山県は意味ありげな笑みを浮かべた。
「奇兵隊の策か? それとも、連合諸藩のか?」
面食らって言葉が出ない外松に山県は続けた。
「望むなら、お前らも雑ぜてやろうか」
「早速帰って、海援隊にも教えてやるが良い」
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