戦いを受け継ぐ者達
SF奇兵隊
其の二 伝法(ならず者)赤い筏
千鶴は、奇兵刀と銃を前に放心していた。既に小一郎はいない。あの時、混乱のなかで生き別れた。けれど、小一郎の奇兵刀と銃を一丁づつ、香枝は大事に持っていた。遺されたそれらの物をこっそり持ち出して見つめ、ただ座っていた。幅広の真直ぐな刃、きっちりと麻縄を巻きつけた丸い握り。黒く染まっているのは血の跡か。そして銃。手に取るとずしりと重く、激鉄に指をかけても幼く小さな彼女の指は食い込むばかりでびくりともしない。
傍らに誰か来て優しく語りかけてきた。小一郎の奇兵刀を手に取る・・・・・・。
「私は千鶴・・・・・・」
数年後・・・・・・。
この男にとって、ぶん殴るとぶち殺すは同じ意味だ。たいした差はない。できればぶち殺したほうが気分が良いが、この男とて相手を心得ている。幕兵を、衆人監視のこの往来でぶち殺した日には、隊にまで迷惑が及ぼう。故に、ぶん殴るほうを選んだのは、この男なりに賢明な選択だ。だが、何を道具にぶん殴るかは俺の自由だ、と彼は思った。路のすみに手ごろな角材が見えた。が、既にその場は黒山の人だかりで、ふたりの幕兵と、恐れを知らず幕兵に喧嘩を吹っかけた少年を取り巻いている。とてもそこまで得物を取りにいける状態ではない。
「貴様は浪士の類かっ」
「しょんべん臭いガキが、いきがりおって浪士気取りか」
「先ほどの非礼を謝れば許してやる」
「さあ、謝れ」
幕兵のほうは、二人がかりで、こんな元服もまだのような小僧と喧嘩するなど恥じだと思っている。脅して小僧が謝れば面目は保てる。
が、少年は別に浪士気取りではない。海援隊という部隊に所属している。元服も済んである。幼名は東一と言った。元服後は東夷と名乗っている。そしてもうひとつ。謝るような男ではない。海援隊では、狂犬東夷と呼ばれている。
その狂犬が吼えた。とても人語ではない。吼えた時には殴りかかっていた。
拳が幕兵の顔面を打った。鼻血が飛沫あたりに散る。
「小僧っ!! もう許さんっ!!」もう一方の幕兵が抜刀しようと刀に手をかけた時には、跳躍しその幕兵の頭をつかみ横っ面に膝蹴りを食らわせていた。着地すると、即座に体を回転させ後ろまわし蹴り。鼻血を流した幕兵の顔面をさらにぶち砕く。
さて、その様子を通りに面した料亭の二階から見物していた海援隊諸士。やれやれ、というか、またか、といった表情である。
この中では一番頭にあたる陸奥宗光が傍らの侍に言った。
「おい、天谷。すまんがおんし止めてきちゃれ」もう、うんざりだ。と言わんばかり。
「任せい」言った時には既に飛び出していた壮年の男。陸奥は何やらいやな予感がした。
さて、通りでは既に幕兵が抜刀している。抜き身の白刃がぎらりと光る。そこへ、先ほどの天谷が人垣押し分け飛び込んできた。こちらも既に抜刀してある。
「馬鹿たれっ!! 東夷っ!! 何をしちょるか。敵は刀を抜いておるぞ。貴様もはよう抜かんかっ!!」
階上で陸奥が頭を抱えた。
「俺も行くっ」と元気良い声で東雲陸と言う少年も階下へ降りて行った。
一方、東夷は、敵の白刃ものともせず、ひらりとかわすや、敵後頭部にひじ討ち。軽い脳震盪を起こし痺れたようだ。つんのめったその身の腹を蹴り上げた。幕兵が転がった。いま一人が、天谷と剣を交えている。
「ジジィ、変わっちゃれ」東夷が声をかけても天谷は応じない。ジジィとは何事じゃ、とかえす。
そこへ飛び出してきた東雲陸は東夷よりも三つ下。十三歳である。役者の女形がやれそうなきれいな顔の少年である。元気いっぱいに飛び出すと、ふらふらと頭をふりながら立ちあがってきた脳震盪の幕兵を、刀の峰で思いきりぶった。
天谷と剣を交える幕兵をちらりと見た東夷、にやっと笑うと、素早く動き、背後から足を払った。不意をつかれて幕兵は転がった。そのみぞおちに、膝蹴りを食らわせ、顎を踏み砕いた。
既に二人の幕兵は悶絶し地に這いつくばり立つことも叶わぬ様子。
陸が東夷を見て嬉しそうに言う。
「こっちの奴は俺がやっつけたンだ」
東夷はふん、と鼻で答える。素っ気無い。陸は相手のそんな態度には慣れている。
「東夷が危ない時は、いつでも加勢してやる」意気揚揚と言う。
天谷は東夷をつかまえ説教をするつもりだったが、どうにも分が悪い。東夷が終いまで抜刀しなかったからである。これでは彼が喧嘩を煽ったことになる。近いが。
天谷はその身に維新の動乱が染みついているような男。その顔に刻まれた皺は、無数の名だたる動乱の歴史とも言える。が、生まれついてのその性分が変わる事はない。分別というものが、いくつになっても持てない親父だ。喧嘩になれば一番に飛び出して行く。
そして、東夷。狐目、ざんぎり頭、顔立ちは父に似ているが、背は高い。今日は着物を着ているが、着物を着るとつんつるてんになる。普段は洋装か水夫の服を着ている。ズボンを穿き。そちらのほうがよく似合う。が、外見がどう変わろうと、中身は狂犬。東夷が岡に上がる、東夷が喧嘩するは、ほぼ同義語である。喧嘩の相手は常に幕兵。喧嘩で済まないことも多い。今日はこれで終わったが、殺し合いになることもある。殺しあうとなればその判断は速い。躊躇うことなく刀を抜き、引き金を引く。
「どうやら、加勢が来たようだ」天谷の声にふりむけば、新たに十数人の幕兵が人垣を押し分けこちらに向かって来ている。
「逃げるぞ」三人バラバラと逃げ出した。海援隊とは判っていない。料亭の連中に難が及ぶことはない。
「ここが下関でよかったね」陸が言った。何故なら、幕府の勢力下にある街で騒ぎを起せば、とても逃げおおせるものではない。
「とにかく、いったん散るぞ」落ち合う先はいつもの旅篭だ。
さて、その旅篭に、苦虫を噛み潰したような顔で陸奥がいた。手に一通の書状を持っている。
東夷は不遜な態度であぐらをかいている。天谷が仏頂面で腕組みをしておる。遅れて入ってきた陸は、その場の冷ややかな空気に怖気づいた。
片目眇めて陸を見た陸奥は、そろったなと憤懣やるかたない口調で呟いた。
厳かに此度の喧嘩の沙汰を言い渡した。
「高杉東夷、天谷虎之助、東雲陸、以上三名、三日間船底の営倉行きだ」軽すぎる。解せぬ、といった表情の天谷と陸。東夷は他人事のように聞いている。軽すぎるとは、当の陸奥自身が一番感じている。が、彼等の下関逗留はあと三日。それ以後は東夷を自由にせねばならぬ理由がある。それが、今、彼が手にしている書状である。
「海援隊は喧嘩ご法度だ。東夷。貴様については、京にいる竜馬兄ぃに俺は何度も相談した」その返事が来た。これだ。と、書状を畳のうえに放り出した。
「そこにはこうある。東夷、海援隊より除名のこと。なお、彼について行く者があれば、これは止めぬこと。四隻ある蒸気船のうち、乙斗丸を東夷に与えること」
これには仏頂面の東夷も目を丸くした。乙斗丸は一番小さいがアームストロング砲も一門ついている軍艦だ。
どういうつもりだ・・・・・・?訊ねる目を向けると「わしが聞きたいわ」と陸奥。至極、機嫌が悪い。当然か。天谷、陸の顔を見れば目を輝かせ興奮状態だ。
ついて来るンだろうなぁ、こいつら。
三日後、晴れ晴れとした表情で営倉から出てきた天谷、陸、そして無愛想な東夷。
「これから、どうするンだ?」隊士が聞く。船をもらっても海運業などしなければ軍資金は入らない。石炭も買えない。
東夷は他人事のように答える。
「知らん」お天道様に聞いてくれだ。船を降りた。思った通り、天谷と陸が大きな荷物を抱えあとをついて来る。その後ろに意外な人間を見つけた。洋装でボストンバッグを引きずりながらあとをついて来るのは、船医の桜井頌江である。
「ちょっと待て」東夷は踵をかえした。桜井の正面に立つ。相手は何か問題でもあるのか、といった涼しげな顔。海風が桜井の前髪を撫でていく。
「あー、いや、勿論お前がいてくれると心強いが、・・・何故じゃ。理由を聞いてよいか?」
桜井は何をわかりきったことを、といった顔で答えた。
「面白そうだから」他に何の理由がいる?
東夷、天谷、陸の顔色が蒼ざめた。
同様の理由で付いてきた者が、もう一人。奇兵隊を抜けてきた外松。人相は極悪人だが、やさしい男だ。子猫を飼っている。
乙斗丸の水夫たちは戦々恐々だった。東夷の行状は知らぬわけがない。天谷の親父もいるという。こいつ等がまっとうな航海などするわけがないのだ。まず、普通の海運業で地道に、ということはあり得ない。思いつくのは、海賊。幕府の舟ばかり襲う海賊。石炭も食糧も金も、そうやって調達するに違いない。
東夷は貰った船の前に立った。かもめが舞い飛んでいる。これからどうする。奴はどういうつもりで、俺にこれをくれた? 少なくとも、今乗りこんで行った人間、四人と猫一匹、そしてクルーの命は俺の責任となる。それをやってみせろと言うのか。それとも、幼少時、この内戦は長引くぞ、おまんが長じてカタをつけろと、口癖のように聞かされた、カタをつけろと言っているのか。討幕せい、と。
俺を突き動かすこの衝動はどす黒い。俺には公平な考え方など出来ない。俺がカタをつけるべきではない。空を仰いだ。
お天道様に聞いてくれ。
同時に舟の名前が決まった。
オテント丸。
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