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いちるの望み

 長椅子に倒れ込むようなだらしのない姿で座り込み、見上げればガラス製の豪華なシャンデリア。

「つまらない」

 ヘルミオーネは口の中でポツリとつぶやく。

 もし、エウロスの元へ行けるのなら、例え徒歩でもすぐに駆けつけるのに、それ以外のことは、何もしたくない。

 どうしたらいいのだろうか。エウロスは待っていてくれるのかも知れないのに。

 その思いはグルグル回りながら日を追うごとに大きくなって、口から出るのはため息ばかり。しかもどんどん大きくなっていく。そのうちにあのシャンデリアを揺らしてしまうのではないか、と考えてしまうほど。

「ヘルミオーネ、入るわよ?」

 フゥっ、今日一日だけでも数えきれない溜息を吐いたところで、ドアの外で母の声を聞いたヘルミオーネは急いで起きあがった。乱れた髪を手で直して、床に無造作に投げてあった刺繍を拾って、母を待つ。

「どうなさったの?お母さま」

 ここでおかしいと思われては、テラクロへ行ける日がまた遠くなってしまう。

「あなたにね、お届けものが来たのよ」

 にこやかな母の笑顔と共に、大きなバラの花束が運び込まれてきた。

 それを見たとたんにヘルミオーネの顔が曇った。

 この夏の盛りにバラを調達できる人など、自分の想い人ではありえない。

「すごいでしょう?もう、このあたりのバラは散ってしまったというのに、見事だわ」

 母は、バラの花束に添えてあったカードをヘルミオーネに手渡した。

 予想通りと言うべきか、贈り主はラコニア。

「こんなに熱心だなんて、よほどあなたを思ってくださっているのね」

 侍女に花をいけるように指示をしながら、母は笑う。

 母の優しい笑みを見るのは嬉しい。でも、好きでもない人に花を貰うのは心が重い。

 ヘルミオーネは下唇を噛んだ。あのまま自然消滅するかと思っていたというのに、母の顔を曇らせることなく、ラコニアを断るにはどうしたらいいのだろう。

 どうすれば……ヘルミオーネは無言のままバラを見つめた。

 すると、金や銀をあしらわれた豪華な花瓶に飾られても決して見劣りすることのない大輪のバラを少女のように頬を染めて眺めていた母が振り返った。

「どうしたの?浮かない顔して」

 母は、薔薇から離れてヘルミオーネが座る長椅子の横に座ると、そっと、娘の手を握った。

「大丈夫よ。初めての恋に不安はつきものだわ。私もあなたのお父様と出会った時はそうだったけれど、お任せすればいいのよ?」

 舞踏会で知り合って、デートをして、それは母の描く理想の恋なのだろう。母は、自分の若い頃にヘルミオーネを重ね、そして心配をしている。

「…でも」

 しかも、ヘルミオーネの恋の相手は母が望むような貴族ではない。貴族以外の人に恋をすることを母が望んではいないことぐらいはわかる。

 分かるからこそ、言えない。

「ラコニアは、宮廷内でも紳士だと評判だわ。それに身分も申し分ないし。あなたが不安に思うことなどないのよ?」

 母の口からいとも簡単にスルリと「身分」という言葉が出てきて、ヘルミオーネの心がズシリと重くなる。

「…そうではなくて。私…お母さま」

 告げなくては。好きな人はラコニアではないと。しかし、その言葉は母をいつまでも少女のようにたおやかな母を傷つけるだろう。

 でも、自分の気持ちに嘘を吐きたくない。ヘルミオーネは唇を開いたが、その唇は微かに震えていた。

 それを見た母の顔色がパッと赤くなった。

「まぁ…!いつまでも子供だと思っていたというのに、震えるほどの恋をしているだなんて。私はあなたの味方よ。いいわ、今度の舞踏会では飛び切り美しく着飾って、もっとラコニアを夢中にさせましょう」

 違う、そうではなくて、お母さまは勘違いをしている。ヘルミオーネがそう言う前に、母は、娘の手をギュッと握ってから椅子から立ち上ってしまった。

 その後を追うようにヘルミオーネも椅子から立ち上る。

「お母さま、私、違うの」

 しかし、母は、ドアの前で笑みを見せただけて、取り合おうとはしない。

「いいのよ、恥ずかしがることはないわ。私に任せておきなさい。さぁ、新しい生地を選ばなくては。きっと新しい柄が入っていてよ」

 当の本人であるヘルミオーネを残し、母は、弾む声と笑みを残して部屋から出て行ってしまった。

 閉まるドアと共にヘルミオーネはその場にヘナヘナと座り込んだ。

 母は意地悪を言っているのではない。ただ、母の認識の中で貴族以外の男性が娘の結婚相手には入らないだけだ。別に母がおかしいのではない。貴族の感覚とはそんなものだ。

 そんなことはヘルミオーネでも判り切っている。おかしいのは自分の方だと。しかし、言わなくては。好きな相手はラコニアではないと。あの人以外に心を揺さぶる人はいないのだと。母は驚くだろが、きっと、応援してくれるだろう。それは、確信というより、ヘルミオーネの希望に近かった。

 ところが、その次の日、ある知らせがエレア家に入った。

 なんと、一昨年に結婚したヘルミオーネの兄夫婦のところに子供が出来たというのだ。

 もし男の子ならエレア家の跡継ぎが出来たと喜ぶ両親の手前、ヘルミオーネは益々エウロスとのことを言い出し憎くなってしまった。

 あれこれ悩む暇などないのに、時ばかりが過ぎていく。新しいドレスは大急ぎで仕立てられ、母は孫の次はヘルミオーネの結婚だと勢い込む。そして、父はそれがエレア家の繁栄に繋がると喜びを見せる。

 両親の気持ちは分かっても、だからといってエウロスを忘れることは出来ない。

 しかも、確かにエウロスは好きだと言ってくれたが、結婚となると違うのかも知れない。こんな状況を知ったら、なんと思うだろう。うんざりするかもしれない。

 ヘルミオーネの焦る気持ちはどんどん大きくなっていく。

「何とかここを抜け出せないかしら?」

 就寝前にエウリュナに髪をといてもらいながら、ヘルミオーネは鏡越しにエウリュナに強い視線を向けた。

 何とかエウロスに逢って、話がしたかった。

「そう言われましても、旦那様は馬を別の場所に移しておしまいになりましたし、馬車も旦那様のお許しがないと…」

「寄合馬車でもいいわ。駅馬車っていうのがあるのでしょう?なんとかならないの?」

 裕福ではない人々は行先が同じ馬車に乗り合って旅をすると聞いている。それを使えば何とかいけるのではないだろうか。

 しかし、エウリュナはヘルミオーネの視線に首を振った。

「あのようなもの、女性だけで乗るのは危ないですよ。王のお蔭で前ほどではありませんが、それでも危ないことに違いはありませんから」

 ヘルミオーネの脳裏にエレア家の繁栄だと喜ぶ父の姿が浮かぶ。確かに何かあれば、ヘルミオーネ一人の責任では済まない。

「…でも…」

 そういったきり、ヘルミオーネの目に涙が溢れ出した。

 こうしている間にもエウロスは自分のことなど忘れてしまうかも知れない。ただ、逢いたいと思っているだけなのに、どうしてこんなに重いのだろう。こんなもの欲しいと思った事などないのに。

 逢いたいだけなのに、逢って、抱きしめて欲しいだけなのに。

「…お嬢様…」

 溢れる涙を止めようともせず、流し続けるヘルミオーネを見たエウリュナは、ブラシを置くと、その足元で膝を床につけた。

「私が何とかしましょう」

「…え?」

 ヘルミオーネの赤い目がエウリュナに動く。

「…でも…」

 馬はないといったのはエウリュナだ。しかも女の旅は危ないといったのも。

「お嬢様をお連れするのは叶いませんが、何とか手紙だけでもエウロス様へ届くようにしましょう。母に頼めば、何とかなるかもしれません」

 エウリュナもヘルミオーネもエウロスがどこに住んでいるのかも知らない。しかし、確かにラケイナに頼めば何とかなるかも知れない。

 ヘルミオーネの脳裏にいちるの光が差した。

「ありがとう、エウリュナ」

 涙に濡れた顔でヘルミオーネは微笑むと、エウリュナの懐の中へ倒れ込んでいったのだった。

  

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