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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

世界にゾンビがあふれたけど、内輪もめで忙しかった話

作者:aokican
 暗闇の中、キーコキーコと、回し車を回す音がする。
 ハムスターのように回し車を回すのは、デグーという名の体長十数センチの小動物だ。
 外見がネズミにも似てるから、写真を見せると眉をひそめる人もいるけど、どちらかというとカピバラやチンチラのお仲間だ。
 尻尾はフサフサ。くりっとしたお目々が非常に可愛い。
 これがとてもよく懐き飼い主の顔を覚えるくらい利口――あ、私に気づいた。
 回し車から下りて、ケージを猛烈にガジガジしている。
 可愛い顔が、心持ち怒っているようにも見える。
 そりゃそうだろうな。
 この小動物に、現在の世界情勢が分かるとは思えないけど、そりゃストレスもたまるだろう。
「食べられるだけ、ありがたいと思ってよ」
 と、エサである牧草を入れるが、見向きもせずケージをかじっている。
 ガシガシガシとうるさい。換気や回し車の配置を考え、ケージにしたけど、やっぱアクリルの方が良かったかなーと、のんびり考える。

 しかしデグーは草食とはいえ、生き物はそれだけでは生きられない。
 浴び砂も変えてあげたいし、水も少々変色している。
 けど私は、自分自身の水浴びさえままならないのだ。
 髪は脂っぽくて触りたくないし、下着の感触もひどいひどい。
 デグーはまだケージをガジガジ。また『下』から抗議が来るかもしれない。
 出してあげるべきだろうか……。
 でもそれは出来ない。いなくならないでほしい。一人にしないでほしい。

 窓の外を見る。月がきれいだ。そして星も。
 街から電気が消えたので、夜空は澄んで見える。
 けど、その下には地獄が広がっている。

 窓から外を見る。
 今夜も多い。習慣で人数を測定する。
 一、二、三……三十くらい数えたところでストップ。
 先週より増えたな。
 月明かりを頼りにノートに顔を近づけ、書き込む。

 今夜もたくさんいる。昼間もいるけど、やっぱり夜の方が多い。
 頭を垂れ、臓器だの骨だの筋肉だの剥がれた皮膚だのをむき出しに、ズルズルと歩く、おぞましい何かの群れ。

 ゾンビ。

 私たちはそう呼んでいる。他に適当な形容の見当たらない物体だ。
 物。生きているか、分からない。

 …………

 …………

 思い出せば、始まりはあまりにもありふれていた。

 そのとき私は町内の集まりの買い出し係だった。
 ここは日本の華、東京のはずだけど、高齢化は都会でも進行している。
 若者はどうしたってコキ使われるのが、この手の集まりの定めだ。
 近場のショッピングモールに繰り出し、ブツブツ言いながら、両手にどっさり買い物袋を抱えていた。

 一緒に来てくれた友達がスマホを見ながら『謎の集団パニックが発生してるらしいよ』とニュースを教えてくれた。周囲の人も、緊張感なくそのニュースを話していた。
「へー、何かゾンビ映画みたいだね」
 と、普通に応えた。
 しかし、中には足早に出口に向かう人もいる。
 モールのアナウンスが『体調の悪いお客様は、お近くの係員まで……』といつもはあまりしないアナウンスをしていた。

 そしてエスカレーターがガクンと、突然止まった。

『え?』と思っていると、みるみるうちにモールの電気が消えていった。
 すぐに薄暗い非常灯がつくから、真っ暗闇ではない。

 でも周囲の人たちはざわざわした。
「何でアナウンスが無いんだろ」
「そりゃ、電気が止まってるからね」
 なるほどなるほど、とうなずき、どうせすぐ着くだろうと、そのままペットショップに入った。
 ついでなんで寄っていきたい。
「えー、そんなに買うの?」
 ペットの餌二つと、牧草の大袋を五つ取り出すと、友人が呆れていた。
「車までの辛抱だよ。安いときに買っとかないと」
 ショップの外で悲鳴が聞こえた気がした。この暗さで怪我人が出たんだろうか。
 レジに行ったけど、もちろんレジは止まってる。店員さんもいなかった。
「もらっちゃう?」と笑いながら友人。
「電気が戻ってから精算したとき、お金が合わないと困るでしょうが」
 と言い、小銭まできっちり置いてショップを出た。
 しかしすぐ立ち止まり、
「何か、悲鳴が上がってない?」と友人に聞くと、
「乱闘とか、この機に乗じて強盗とか?」と友人。
 どういう末期な世界だ。
「でもそういう悲鳴じゃないよね。まるで殺されてるみたいな悲鳴だし」
 それがいくつも聞こえるなんて。
「警備員、何やってんだか。後で大ニュースになるよ」
 このモールが閉鎖されると困るなとか、ぼんやり考える。
「電気の復旧で忙しいんじゃね?」
 と言い合う。それにしても人がいない。さっきまであんなにいたのに。
 階下を見ると、人が出口に殺到している。
 でもケンカっぽい光景も見えるけど……うーん、薄暗くてよく見えない。
「本当にゾンビ映画みたいだね」
 ポツリと呟くと、友人も黙る。
「そろそろ車に戻ろうか」
 非常灯の明かりを頼りに、点々と血のついた廊下を進む。
『きっと誰か転んだんだね』『お年寄りが多いからね』と会話を交わしながら。
 そのうちに駐車場に続く階段が見えた。
 ここは非常灯がついていない。無人だと心細い。
「あ、大丈夫。人がいる」と友人が言った。
 今日は混んでいて友人は三階、私は屋上に止めた。
 非常灯さえついていない駐車場には、何人かが動いているのが見えた。

「大丈夫?」
 なぜかそう聞いてしまった。

「んー。まあ車のだいたいの場所は覚えてるし」
「荷物、持ってるよ。暗いのに転ぶと危ないでしょ?」
 と友人の買い物袋を引っ張った。かなり強く。
「そう? ありがと」
 と昔から優しい友人は、私にミネラルウォーターだの、買い出しの食料だのどっさり入った買い物袋をくれた。
 エレベーターがないのにこれはきついなあ、と思う。
「じゃあ、後でね」
「うん。町内会館で」
 手を振って別れる。友人は暗い駐車場に消えた。
 暗闇に目をこらすが、友人の後ろ姿は闇の中に溶け、それきり見えなくなった。

 後で私は自分のこのときの行動を何度も思い出した。
『まだ何も分からなかったんだから、仕方なかった』と自分に言い訳をしながら。
 でも本当に何も分からなかったんだろうか。
 本当に善意だったのだろうか。
 分かっているのはその結果、多少、食料をつなぐことが出来たことだけだ。


 私はよいしょと荷物を抱え直し、屋上までの階段を必死に上がる。
 途中、血で滑りそうになったけど、どうにか昇った。
 そして屋上までたどり着いたとき、まぶしい夕日に迎えられ、ホッとした。
「…………」
 夕焼けの街だ。
 あちこちが炎上しているという『そのもの』な光景を見てしまったが。
「うわあ、映画みたい」
 と笑い、原発は大丈夫だろうかと真顔で考えたりした。
 車は入り口のすぐそばに停めていたから、後部トランクを開けて中に荷物を詰む。
 後部座席にも押し込み、やっと運転席に入る。
 ドアを閉めると同時に、何かがガンガンと私の車を叩いた。

 人間だ。かろうじて。

 顔の皮膚が半分くらいめくれ、口から異様なくらい舌を長く垂らしている。

 よく見ると片方の腕の肘が変な方向を向いていた。
 襲おうとしたんだろうか、それとも助けを求めているんだろうか。
 ガリガリとガラスを引っかくと血の跡がついた。
「あ、すみません。すぐどきますんで」
 ここ、悲鳴を上げるべきじゃね?と思いながらアクセルを押す。
 車が発進する。
 その人はしがみつこうとしたけど、肘が変な方向に向いているから上手くつかめず、置いていかれる。車の窓に線を引いたように赤い跡が残った。
 洗車に出さなきゃなーと、ぼんやり思う。
 ピーピーと警告ブザーがなり『あ、忘れてた』とシートベルトをつけた。

 そのまま下りる。途中、何度か倒れる人を轢いた気もする。
 モールの外に出たときは、まさしく映画の世界だった。
 人が人を襲い、絶叫が響く。車を見かけて『助けてー!』と走ってくる人もいたけど、こっちにたどり着く前に襲われて倒れる。
 こちらは『あ、すみません。荷物でいっぱいなんで』と聞こえるはずのない言い訳をボソボソとした。
 駐車場の端で友人を待った。いつもは、このあたりで待ち合わせて一緒に帰るのだ。
 十分ほど待ったけど友人は現れず、死んでるみたいな人がわらわらと寄ってくるだけだったので、あきらめて出発した。

 見捨てたわけじゃない、こんな状況だから先に帰っているだろうと、言い訳しながら。

 道路に出て、やっとテレビとラジオの存在を思い出し、つけてみる。
 ラジオからは雑音が流れるのみ。テレビをつけたけど、深夜みたいなテスト信号か、あとは無人の撮影所が映ってるだけだった。
 あれ。あのスタジオに血だらけで倒れてる人、人気俳優の××××さんじゃ……。
 あ。立ち上がった。うわー、グロ動画。頭が半分ないわ。
 これ、BPO案件じゃね? いやイメージ崩れすぎてファン離れするよね。浮気スクープの方がまだいいわ。
 そしてイケメン俳優は眼球のこぼれた凄まじい顔で、カメラの方に向かってくる。
 そして視聴者を襲う気では、という凄まじい形相のままカメラに飛びかかり――暗転。
 私の方がチャンネルを変えた。
 あれ。この局だけは放送してる。いや放送といっても一つの画面を移しているだけだ。

『・パニックにならず、屋内待機し救助を待って下さい
・屋外に傷病者を目にしても、決して助けに行かないで下さい
・自分の安全は自分で確保して下さい。救助は必ず来ます
・水と食料、医薬品は節約して使いましょう』

 なーんだ、災害と同じか。ホッとして肩を落とす。
 何というか、今の今まで映画みたいにパニックになって逃げ惑う方がいいんじゃーと思ってたんだけど、形の違う自然災害だと思えば対処法も分かる。
 待機してどうにか自力で生きていれば、助けが来るのか。
 これだけの事態だ。自衛隊もきっと動き始めているだろう。
 安心してテレビを消し、陽気な音楽をかけて道を進む。
 横転して炎上する車が見えた。
 半分焦げて縮んだ、どう見ても歩けないような人が、車から出てくる。
 ヨロヨロとこちらに向かってくる。
 はね飛ばした。あ、バンパーに多分傷がついた。私とバレるかな。
 でも非常時だし、どう見ても助からない状態だったから、仕方ないよねと、無理に考えた。
 でも家に食料の備蓄なんてあっただろうか。女の寂しい一人暮らしだ。
 非常時の備えなんて、とても……。

 あ。長丁場になりそうだからと、こっそり頼み込んでデグーを町内会館に移したんだった。

 ハンドルを切り替え、死にゆく街を進んだ。

 …………

 …………

 町内会館にたどり着く頃、夕方になっていた。 
 幸い会館周囲には死者っぽい人たちはそれほど集まっていなかった。
 そのせいか会館の守りは厳重だった。
 ガラスは全て塞がれ、侵入されそうな場所には土嚢どのうが積まれている。
 これは土木作業員のYさんと彼の元先輩のMさんの技術だろう。
 車を裏口近くに止め、ブレーキを鳴らすと気づいてもらえた。
 私はケガがないことを厳重に確認されてから、大歓迎で中に通された。
 大柄なYさんが『良かったね!』といつもの明るい顔で肩を叩いてくれた。
 でもまず二階に駆け上がり、デグーの無事を確かめた。
 良かった。和室の隅のケージにいる。名前を呼ぶと、嬉しそうに鳴き返してきた。
『ごめんね』と謝って、小さく切ったドライフルーツを上げた。

 下に戻ると、若い男の人がテキパキと指示を出している。
 次の選挙に出るのでは、と噂されてるT大卒、青年会会長のKさんだ。
 ショックで動けない中高年を尻目に水と食料の備蓄を確認し、手薄な箇所に土嚢を積ませていく。
 ただし万が一のとき逃げられるよう、裏口だけは開けておく。
 裏口のすぐ外には、私の車がキーを差したままなので、いざというとき逃げることも出来るというわけだ。
 皆がバタバタしている間に、私のデグーのことも早々にバレた。
『えー、ペットを連れて避難? なんて非常識』とこちらを睨む、うるさ型のご婦人Iさんに『すみません、水もほとんど飲みませんので』と頭を下げて許してもらった。

「そろそろ休みましょう!」

 とKさんの声がして、下に行く。もう外は夜だ。
 大きな和室に二十人ほどが集まっていた。友人の姿を探したけどいなかった。
 ランタンのようなものがいくつかあり、何と電気がついている。
「手回しの充電器があってね。最近は色々な防災グッズが出てるから」
 おりゃあああ、とハンドルを回すYさんに皆が笑った。

 そしてその後は缶詰を一人一個分けられた。
 私のはサバの水煮である。『DHA、EPA高配合!』とある。
「あ、それ。私のと取り替えてもらえます?
 認知症予防になるっていうから、なるべく魚を食べるようにしてるんです」
 七十代になっても元気でキビキビしているMさんに言われ、焼き鳥缶と取り替える。
 肉の方が好きだ。割り箸でゆっくり食べたけど、すぐ空になった。
 あー、ビールが欲しいな。でも、当分禁酒かとあきらめる。
 その後は一人一杯、紙コップでミネラルウォーターが配られた。

 皆、話すことが山ほどあるだろうに。
 自分の見た物、来ていない家族や親戚のこと、何より今、世界で何が起こっているか。
 でも空気を壊すようなことは誰も言わない。
 すると沈黙をぶち破るようにKさんが立ち上がる。
「皆さん、何よりいけないのはパニックになることです。
 秩序ある避難生活を送り、自衛隊の到着を待ちましょう!」
 別に誰もパニックになってないけど。
 でもそれで固くなっていた空気がややほぐれる。
「自衛隊もそろそろ出た頃ですかね」
「息子と連絡が取れたらいいんだけど、電話も完全につながらないし」
 私もスマホを見たが、ネットも電話もダメ。テレビもだ。
 さっきの局は、もう何も映っていない。

 そのとき、音がした。

 ドンドンと、裏口を叩く音。

 全員が沈黙する。確認に行かなければ。生存者かもしれない。
 でも開けるのが怖い。
 いやドアスコープがあるけど崩れた死体を間近で見たくない。
 互いが互いに、何かを頼むように視線の応酬をする。
 私はIさんに見られたがスッと視線をそらす。
「僕が見てきましょう。大丈夫。のぞき穴から確認するだけですから」
 Kさんが立ち上がり、ホッとした空気になる。
 同時に、罪悪感の混じった微妙な空気になった。
「Kさん。私も行きましょう」とYさんが申し出るが、
「いえ万が一ということがあります。何かあったら、手はず通り二階に逃げ、階段を塞いで立てこもるか、窓から逃げて下さい」
 そう言ってKさんが暗い廊下に出ていく。
 大きい和室には沈黙が続いた。
 外の音に耳をすませて気づいたが、土嚢どのうをがさがさと動かす音がする。
土嚢どのう、もっとちゃんと積んでやりゃ良かったな。
 もっと時間があれば良かったんだが……」とYさん。
「あの状況だから仕方ありませんよ」とMさんが慰める。
 やがてKさんが戻ってきて、皆安堵した。
 いつの間にか彼がリーダーということが暗黙の了解になっていた。

 ただ、若造がリーダーなのが気にくわない男性陣もいて、チッと舌打ちするのが聞こえたが。じゃあ自分らが率先して見に行けよ、と思う。

「ゾンビでしたが、心配ありません。裏口を破るほどの知能も力もないようです」
『…………』
 皆がまた沈黙する。あー、言っちゃった、みたいな空気だ。
「ゾンビ、なんですか?」と恐る恐る私は言う。
「他にないでしょうね。暴徒ではないし、凶暴化する感染症にしても、あきらかに亡くなっている状態で動くんですから」とKさん。
 せっかく自然災害と思おうとしていたのに、また映画の世界に逆戻りだ。
「ゾンビって映画知ってます?Mさん。私はこっそり観に行ったんですが」
「年寄り扱いしないで下さいよYさん。私はそのとき三十代ですよ。
 でも当時の世相ですから規制が厳しくて、子供に見せちゃならんと親たちが――」
「オイルショックにロッキード事件でしたっけ、私は子供でしたがあの頃の日本は――」
 あちらのグループは、呑気に七十年代回想に突入する。
「噛まれたら感染するんですかね」
「活動が止まる時刻はあるんでしょうか」
「他の生存者グループと連絡は」
 残りはようやく建設的な話し合いになったが、

「ゾンビを観察する必要がありますね」

 Kさんの一言で、また全員が黙り込む。
「二階に待機して、ゾンビを観察したり、自衛隊の救助や合図を発見する係です」
 誰があんな腐乱死体の群れを、好き好んで観察するというのだ。
「それじゃ僕が――」
 誰も手を上げないのでKさんが言いかけるが、
「いやKさんは、いざというときの指示を取ってもらいませんと」
 というMさんの言葉に、またも中年男性数名が舌打ち。
 かといって自分たちがやる気はないようだ。
 じゃあ誰がやる。さっきの裏口のように、また視線での押しつけあいだ。
 そのとき、上でガタガタ音がし、皆が『ビクッ』とする。
「落ち着いて下さい。パニックにならないで。ゾンビの音にしては小さすぎる」
 とKさんが皆をなだめる。
 この音は私だけにはなじみがあった。
「すみません。うちのペットがケージをかじる音だと思います……」
 するとまたも『ペット連れで避難?』という空気になり、非常識な若者こと私は冷たい視線を浴びる。
「あ、あの。草食なのでエサはありますし、水は私の物を分けますので……」
 身を縮こまらせながら言う。
「もちろん問題はないですよ。ただ、非常時なので、いざというときは動物より人間を優先してしまうことはご理解下さい」
 とKさん。リーダーの了承が取れてホッとする。
「は、はい。もちろんです!」
 するとIさんが、まだガタガタしてる二階を見上げ、
「きっと飼い主さんがいないから不安なんでしょうね」
 と、私をじーっと見る。
 もう流れは確定してしまった。Iさんは、ゴミ袋を開けて、ルールを守らない人を特定し、玄関前にぶちまけるくらいルールにうるさい。
 しかも旦那さんとお子さんが今ここにいなくて、さらに気が立っていると来る。
「え、ええ。ゾンビを観察しながら、二階にいようと思います」
 言ってしまった。

 はあ、こんなことならゾンビ映画らしく、ショッピングモールに隠れているんだった。

 …………

 …………

 そしてデグーのケージが置いている二階の和室の一室が、ゾンビ観察の前線基地になった。
 でもいざ観察を始めると、割に快適だった。
 一階にこもっている皆と違い、一人でゴロゴロ出来る。
 空が見られるし窓も開けられる。
 ……腐臭がもろにはいってきて、五分で閉めたが。

「大丈夫ですか? ゾンビはどうですか? ちょっと交代しましょうか?」

 とKさんが時々来てくれるのも、ちょっと胸の弾むことだった。
 い、いやKさん、ミス何とかの女子大生の彼女いるから。
 ただこういう閉鎖的状況で、リーダーシップを取る男性に多少惹かれるのは仕方が無いだろう。
 大丈夫大丈夫。『吊り橋の恋』でトチ狂ったりしない。
「ゾンビは増えてますけど、三日目以降の伸びは鈍いですね」
 と、Kさんが見やすいように数をグラフ化したものを見せる。
 最初は指数関数的に跳ね上がったゾンビの数だが、だんだんと増加率が鈍り、横ばいになっている。
「このまま横ばいになるか、ゆっくり減衰するかで対策も違ってくると思います」
「なるほど。こういう風に数値で見ると、安心出来ますね」
 Kさんの顔が近づいて、ドキドキする。
 選挙目当てと中年男性陣は陰口をたたいたり、Kさんの方策に反対案を出したりする。
 いつか泥棒が出たりこっそりくすねる奴が出るだろうから缶詰の保管場所は、鍵のある場所にすべきだとか。
 Kさんが泥棒するみたいな言いぐさで腹が立った。
 けど、Kさんはよくやっていると思う。
「あとは自衛隊の到着ですね。しかし、ここに気づいてもらえるかどうか……」
 うーん。言われてみればそうだ。
 町内会館とはいえ、救助が必要だとヘリコプターから気づいてもらえるだろうか。
「屋根に何か目印をつけるのはどうでしょう」
「それはいいですね。下で相談してみます」
 そう言って、Kさんはデグーのケージを見る。
 デグーは人懐こいものだけど、もちろん個体差があり、この子は私以外の人間に警戒心が強い。
 Kさんが入ってきてからは巣箱に潜り込んでいる。
「すみません……フンは袋にまとめて、ここを汚さないようにしてますので」
「いえ、こんな過酷な任務、ペットがいないと辛いでしょう。Iさんには僕から言っておきますので」
 観察は交代制だったはずなのに、いつの間にか私一人の業務になっていた。
『過酷』と認めてもらえてちょっと嬉しい。
 そしてまだ口うるさいのか、Iさん。
 Kさんが出て行くと、デグーが出てきて苛立たしげにケージをガジガジかじる。
 音が下に響けば、また迷惑をかけてしまう。
「かじり木も買っておくんだったな」
 ため息をつき、ペットのおやつを取りに行った。
 おやつをあげすぎてデグーが糖尿病にならないか心配だった。

 夕方になればゾンビも見えにくくなる。まだ観察出来ないこともないけど……。
「ご苦労様です、そろそろごはんにしましょう」
 Mさんが呼びに来て、今日の業務終了。
 下に行き、大きな和室で皆でご飯。
 ゾンビを見た後に食べ物なんて……と思えたのも最初の頃だけ。もう慣れた。
 缶詰は先々を考え一人一缶、あとはビタミンなんかの錠剤だ。
 足りる量ではないけど、日中、なるべく動かないようにしていればお腹もすかない。
 二十人ほどが黙々と食べる。非常時であれば誰も文句は――。
「ねえ。もっとちょうだい。これじゃ足りない!」
 子供ではない。今避難所にいる子供たちは割と行儀が良い。
 しっかりしたお母さんたちに、ちゃんと躾をされてるんだろう。
 駄々をこねたのは認知症の避難者の一人のGさんだ。
 元々、軽くボケてるが日常生活に問題は無い人だった。
 けど、この生活のストレスからか、一気に認知症が進んだらしい。
「おなかすいたー!」
 挙句に手足をバタバタさせ、他の人のを狙うから、皆が慌てて自分のものを確保した。
「すみません、すみません」
 とお嫁さんがひたすら頭を下げていた。
 五十代くらいの気の弱い人で、主婦グループには加わってないみたい。
「全く、しっかり管理してほしいわ」
 と、主婦グループリーダー格のIさんはプンプン。
「まあまあGさん。今は戦時中だから、お国のために我慢しましょうや」
 Mさんがなだめる。
 そのうちGさんも『兵隊さんのために頑張る』と言ってくれたため、ホッとした空気になった。
 しかしお嫁さんの方はげっそりしている。
 元々内気に加え、さらに周囲に気を遣いすぎて疲れたらしい。
 気晴らしに二階に呼んであげたいくらいだけど、Gさんまでついて来るのは困る。
 私は素知らぬふりをして片付けに加わり、その後は手動発電装置を回すグループに入って雑談した。

 そのうちGさんはまたわめき出し、お嫁さんが相手をする。
 でもMさんが根気強く、Gさんの話相手になっていた。
 KさんはYさんと自衛隊への合図について意見を交わしていた。
 今日も会館の外にはゾンビがうごめいている。
 でもだんだんと皆、自然にそれを無視するようになっていた。
 このまま自衛隊が来るまで頑張れたら……とやや楽観的な空気が漂っていた。

 …………

「あ、あの。義父ちちを見ませんでした?」

 夜明け前、Gさんのお嫁さんに起こされた。
 皆、眠りが浅いので次々に起き上がる。
「どうも勝手に布団から出てしまったようで」
 皆の顔に一気に警戒が走る。
 備蓄している水や食料、医薬品やトイレットペーパーのことがまず頭に浮かだんだろう。
 Gさんの名を呼びながら、保管場所に走って行く。
 お嫁さんは『すみません、すみません』となぜかIさんに謝っていた。
 私も二階に上がったが、デグーが私を見て『構って』とケージをかじっていただけ。
 二階の備蓄室にも、他の部屋にも、誰か来た気配はない。
 そしてふと夜明け前の、ゾンビだらけの街を見下ろし――目を見開く。
 Gさんが通りをフラフラ歩いていた。
 そんな彼にゾンビが一体、また一体と近づいていく。
 背を向けた。ドキドキする心臓を必死に抑えた。
 でも……ゾンビはのろい。
 今すぐ車に乗って向かえば、まだ間に合うかも……。

 Gさん。ボケる前は、町内会で色々お世話になった。
 亡くなったお婆さんを一途に慕い、つつましく老後を送る優しいお舅さんだったという。
 今すぐに、助けに出れば……。
「いましたか?」
 とKさんが入ってきた。
「あ……あ……あの……」
 私は口をパクパクさせ、窓の外を指す。
 Kさんは窓の外を見て――。
「裏口を開けたんですね。お気の毒ですが、もう無理ですね。裏口の施錠を徹底しましょう」
「…………」
 一瞬、私の中にあらゆる感情が錯綜し、
「ええ。本当に、残念です」
 と言った。それは私たちだけの秘密になった。

 一時間後、Kさんから発表は無かったけどGさんの運命は皆知っていた。
 Mさんが手を合わせ、お経を唱えていた。Iさんはせいせいした、という顔だ。
 私はお嫁さんを見た。負担が無くなり、さぞホッとしているだろうと。
「お義父とうさん……」
 泣いていた。Yさんが励ますように肩を叩くけど、泣き続けている。
 その瞬間に私の心に激しい痛みが走る。
 あのとき、外に助けに出て行っていたら……。
 視線を感じて顔を上げる。Kさんだ。
 その視線を感じても罪悪感は増すばかりだった。

 でもGさんの一件だけを引きずるのは無理だった。

 困ったことはそれだけで終わらなかったからだ。
「やっぱり数が合わないですね。誰かがこっそり食べてるんじゃ?」
 缶詰の在庫を数えながら、Yさんが言う。
 食べ盛りの子供を連れて避難してきた母二名が、サッと視線をそらした。
 やっぱり鍵をかけるべきだっただろう、と中年男性陣がKさんを責めている。他では、
「あなた、トイレットペーパーを使いすぎじゃない? 一人一日三十センチって決まってるでしょ?」とIさんがGさんのお嫁さんに怒鳴る声が聞こえる。
「で、でもおばあちゃんが時々間に合わなくて……」
 とボソボソ言っている。
 優しいお嫁さんは、他の高齢者のお世話をすることにしたようだ。
 そして彼女に世話を押しつけ、手伝いもせずIさんは責める。
 Kさんに訴えたいけど、すでに色んな争いの調停にかり出されている。
 鍵の件を中年男性陣に責められ、疲労の色を顔にたたえていた。
 MさんとYさんが彼らをなだめ、どうにかおさまったが、
「いえ、とても充実していますよ。復興の際にはこの経験が役に立つと思います」
 と、Kさんが二人に自信ありげに笑うのを見て、ドキッとする。
 いかんいかん。吊り橋の恋、吊り橋の恋。

 私は毎日二階でゾンビの数や動きに変化はないか、あるいは上空に自衛隊のヘリコプターが来ないか確認する。
 ラジオも周波を合わせて見るが、未だに放送はない。
 どうせかからないし、電力を使うとIさんに嫌味を言われるので、だんだんとかけなくなった。
 だんだんと観察もサボるようになってきた。

 ゾンビは昼間も活動しているが、夜ほどではないらしい。
 私が二階でゾンビが来ないか監視し、その間にYさんとMさんが土嚢の補強を出来る、という日も出てきた。けど、
「楽でいいわねえ。ペットと遊びながら、一人のんびり外を見るなんて」
 とIさんが主婦グループとコソコソ噂していたので、何かしなければと思った。
 そこで部屋を漁ると古いCD-Rの束が見えた。
 もちろん今は何の役にも立たないが――ちょっとひらめいた。

 ある昼間にそーっと屋根に上り、ガクブルしながら、出来るだけ多くのCDをテレビアンテナにつり下げた。
 風を受け、クルクル回ってキラキラしてる。これなら遠くから見えるだろう。
 しかし街には相変わらず生気がない。
 植物は元気で、蔦の葉が屋根から地面まで伸びている。まあこれくらいなら、このままにして大丈夫か。
 が、自己満足していると、下から怒鳴り声。
 土嚢の補強をしているMさんとYさんに見つかって、えらい叱られた……。
「若い娘がそんなことをしちゃいかん!」
「そういう危険な仕事は男がやるから!」
 いかん。二人にもトキめくかも。でも後でKさんにも褒められ、ちょっと誇らしくなった。
 もっともIさんの嫌味は変わらず『釣られてゾンビが増えるんじゃないの?』と言い立てたが、そんなこともなく、ゾンビの数は変わらない。
 そのうち誰も何も言わなくなった。

 そしてさらに日が経つ。自衛隊は未だに来ない。

「……新たに食料を確保する必要があります」

 ついにKさんが重々しく言う日が来た。


「観察結果によればゾンビは日中の動きが鈍く、また車の窓ガラスを割る力がないことも証明されています」
 皆が沈黙する。誰かが行かなくてはいけない。
「私が行きましょう。ずっと動かないで、身体がなまっていたし、もしかすると自衛隊の避難所にも行き着けるかもしれない」
 今度は押し付け合いにならず、Yさんが志願した。
 さらにYさんは、半ば強引に同行者も決めた。
 Kさんに何かと反対する中年男性陣だ。
 彼らは嫌がりつつも、女子供年寄りばかりの避難所で断ることも出来ず、渋々了承していた。
 そして裏口の私の車に乗って、行くことになった。
「あ、あの。私の家を見てきてもらえれば……」
 おずおずとIさんが言うと、『私も』『うちも』と何人も続く。
「ガソリンの残りも心配ですからな。でも努力はします」
 Yさんは適当にかわし、噛まれないように何重にも着込んだ姿で、緊張しながら他の男性陣と裏口から出た。Kさんは彼の手をしっかり握り、
「Yさん。お願いしますよ。でも、もし帰ったときあなた方が――」
「分かってますよ。見捨てて下さい。ゾンビになっても食料だけは持ち帰りますから」
 疲れた顔で冗談なのか本気なのか分からないことを言い、出て行った。


 結果を言えば、戻ってきたのはYさん一人だった。

 車に限界まで水と食料を積め、一人で運転し、戻ってきた。

「Yさん、お帰りなさい!」「ご苦労様でした!」
「本当にありがとう!」「あの、うちはどうでした!?」
 戻らなかった男性陣の存在には触れないようにして、皆が囲むが、
「…………」
 Yさんは蒼白な顔で、スッと皆をかわした。
 そして部屋の隅に一人で座り、ガタガタと震え出す。
「ちょっと僕が話してみます」
 異様な様子に、Kさんが皆を外に出させ、部屋に入っていった。

 当分の水と食料は確保出来た。
 けどYさんの心は戻らなかった。

 いったい街で何を見たのか。何が起きたのか。

 あの陽気で頼りがいのあるYさんは、もうどこにもいなかった。
 代わりに一日中、部屋の隅で震え、真夜中に絶叫して皆を起こすこともあった。
 だんだん、Yさんは皆に迷惑がられるようになっていった。
 あれだけ力仕事を押しつけたり頼ったりしていたのに、皆、話しかけなくなり、迷惑そうに避けるようになった。
 私は一度、二階で空を見ませんかと、Yさんを誘ってみたが『絶対に嫌だっ!!』と断られた。
 ゾンビを見るのが嫌だったらしい。私もそれきり話しかけるのをあきらめた。

 ただMさんだけは別で、マメに話しかけていた。
 何かと冗談を言い、行動をさせ、筋力が落ちないために、皆が自主的に始めた『体操の会』にも辛抱強く誘った。Yさんも少しずつ参加するようになっていった。
 そんな日が続けば、Yさんもいつかは元のYさんに戻ったかもしれない。

 けど。


「い、いたたた……」
 あるとき、Mさんが真っ青な顔でお腹を押さえていた。
「ど、どうしたんですか?」
 とさすがのYさんも心配そうだった。
「すみません。持病の再発みたいです……こんなときに、ご迷惑をおかけして……」
 Mさんは蒼白な顔でお腹を押さえ、激痛に耐えている。
 栄養不足の食事が続き、安定していた体調がまた悪くなったらしい。
 心配して集まってくる皆に、
「私のことは、お気になさらず……もう独り身で、やり残したことも……いたっ……」
「Mさん、何か薬は?」とYさん。
「家に戻れば……発作のときの頓服薬が……いえ、でもいいんです。
 少しお見苦しいでしょうが、どうかこのまま家族の元に逝かせて下さい。
 ……ゾンビだけは、嫌だ……」

 Mさんは高齢ながらYさんが心を閉ざした後、サブリーダーとして皆を支えていた。
 その柔和な人柄で、ケンカの仲裁に立つのが得意だったし、Gさんのお嫁さんのことも気遣って支えていた。
 激痛による絶叫が響く。聞いているだけで心が痛い。
 とても放っておけない。
 Yさんがかなり迷った後、『私が……』と言いかけたとき、

「僕がMさんを自宅まで連れて行きます」

 Kさんだった。
「でも……」と私は言いかけ、
「自宅に案内していただき、発作を抑える薬をその場で飲んでもらえれば間に合います。
 あなたはまだ死ぬような人じゃない。頑張りましょう」
 リーダーに力強く言われ、Mさんも涙ぐむ。
「はい……はい!」
 ああ言ったけど本当は死にたくなかったんだろう。
 MさんはKさんの手を取り、何度もうなずいていた。
 そしてKさんはMさんを車に乗せ、出発した。

 帰ってきたのはKさん一人だった。

「自宅まで行きましたが、間に合いませんでした……。
 代わりに備蓄してあった水と食料を、どうか皆にと託されました」

 皆、肩を落とし泣き出す人もいた。
 だが、ゾンビにならず自然に逝けたんだと慰めあった。
 Yさんは、特にむせび泣いていた。


 ……しかし一階グループのいさかいは、日を追うごとに増えていった。

 いくら待っても来ない自衛隊。
 増えこそすれ減る気配のないゾンビ。
 確実に無くなっていく水と食料。
 風呂もなく着替えも満足に無い不衛生な生活。
 理由はいくらでもある。
 けどMさんがいなくなったことが一番大きい気がした。
 手動の発電機も誰も回さなくなった。そんなものに回す体力なんてない。
 夜はロウソクか、暗闇で過ごす日も多くなった。

 Yさんも再び、引きこもりに戻ってしまった。
 Iさんはヒステリーみたいに、何かルール違反があると皆を咎める。
 苦しいときの神頼みというのか、何やら手を合わせブツブツと怪しい念仏を唱える人が増え、そちらの方がうるさいくらいだった。

 皆がゾンビを見たくないと二階に来ないのを良いことに、私はデグーを相手にし、一人で過ごした。
 幸い、牧草はまだまだある。
 デグーはケージだけの生活にも慣れてきたようで、たまに撫でると嬉しそうに目を細めてくれるのが癒やしだ。
 しかし私も争いと無縁でいられない。
『回し車を回す音がうるさい!』『ペットに水をやるな!』とIさんに何度か乗り込まれた。水は私のものを分けているのに。
 一部の人が『あのネズミ、食えるかな』と廊下でボソッとつぶやいてときは怖かった。
 幸い『ネズミだから病原菌の固まりだよ。止めときな』と他の人が言ってくれて助かったが。
 デグーはネズミじゃないけど。皮肉にも偏見に助けられた。

 そして日が経ち、食料がさらに減った。

 ある日、和室で夕飯を取った。現在の割り当ては缶詰半分。
 どう見ても足りず、子供が飢えに泣いていた。こんな光景を見るなんて……。
 もちろんビタミン剤もとっくに切れ、体力を温存しなければいけないから日中は皆動かない。
『餓死』という言葉が、常に頭のどこかに居座るようになった。

「きっと神様の罰なのよ……人間が進化しすぎたから、神様が罰を与えたんだ」
 Iさんがどこから出してきたのか、数珠を握りしめ、ブツブツ言っていた。
「そんなこと、ありませんよ。今、自衛隊がきっと――」
「そんなもの来ないじゃない! どのくらい経ったと思ってるのよ!!」 
 八つ当たりに怒鳴られた。

 しかし『神様の罰』というは私もちょっと思っていた。
 生命の基本である生殖活動をせず、ただひたすら他の個体を殺し、他は何もしない。
 まるで神様が、愚かな人類を減らすためのプログラムを組んだかのようだ。

「神様が罰を与えるなら、こんな回りくどい方法をとらずに洪水でも起こしてパパッと人類を滅ぼしますよ」

 Kさんがそう言ったのでハッとした。ヤバい。おかしな思想に走りかけてた。
 お礼を言いたい気分だったが、KさんはIさんをなだめていた。
「うるさいわね! あんたは私みたいに家族と離れてないから分からないのよ!!」
 Iさんも精神の消耗が激しいようだ。今までならKさんの言うことだけは聞いたのに。
 最近のIさんは、ずっと攻撃を誰かに向けている。
「Y! あんたも無能よね! あれだけ大口叩いて外に出て、皆見殺しにして自分だけ帰ってくるとかさ!! うちの様子も見てくれないし!!」
 ……ついに攻撃がYさんにまで行った。
 Yさんは老けた。大柄な身体がすっかりやせ細り、白髪がずいぶん増えた。
 以前の面影はカケラもない。普段は誰が話しかけても口を開かないのに。
 今、はっきりとYさんは怒った。

「あんたの家なら寄ったよ……ゾンビが三体、居間をうろうろしとった」

「――っ!!」

 Iさんが凍りついた。Iさんの家族は旦那一人に子供二人。
 この場の皆が知っている。
「そんな……デタラメ言って……」
「なら服装、言ったろか? 大きいゾンビの服は――――、小さいゾンビ二匹は――――」
「Yさん!」
 Kさんが止めるが手遅れだった。
 Iさんは顔面蒼白になる。そして。

「――――っ!!」

 耳をつんざく絶叫。
「Iさん、静かに! ゾンビが寄ってきます!!」
 奴らに聴覚があるか不明だが、少なくとも空気の振動には敏感なようで、特に大きな音には引き寄せられるようだ。
 Mさんが亡くなりYさんも外に出られず、今や土嚢の補強をする人もいない。
 ゾンビが集まって土嚢が崩され、窓を割られたら。
 男性のほとんどいないこの場所を、大量のゾンビに襲われたら――
「Iさん落ち着いて!」「静かに!」
 数人が慌ててIさんを抑えたが、Iさんは振り払って走り、叫び続ける。
 Yさんはうっすらと笑い、それを見ていた。
 それを見てゾッとする。悲惨な体験と、皆からの冷たい扱い。
 皆が見て見ぬ振りをするうちに、Yさんの心は壊れていたのだ。

「Iさん!」
 ついに錯乱して走り出したIさんを、Kさんが追っていく。
 私も追おうとしたが、その前に備蓄庫を見て気がついた。
「あ、あなたたち、何やってるの!!」
 子供たちだ。残り少ない備蓄の缶詰を片っ端から開けて、口に詰め込んでいる。
 私が怒鳴っても止める気配はない。
 親たちは? そばでボーッと見ている。鍵がその手からポトリと落ちた。
 この混乱に乗じて、子供に食べさせようとしているのだ。
「ちょっと! 止めて! 止めさせてっ!!」
 叫んだけど動かない。仕方ないので子供を無理に止めようとしたが、
「うるせえ、ババアっ!!」
 思い切り蹴られた。子供とは思えない強い力だ。
 いや、彼らはもう子供じゃない。生存のため必死になっている一人の人間だ。
 それは分かるが、このままでは缶詰が全部無くなってしまう。
「誰か来てっ! Kさん!!」
 こんなときMさんがいてくれたら。Yさんが前みたいだったら。
 避難所始まって以来の最悪の夜だった。

 …………

「Iさんはご自分で裏口を開け、ご自宅に戻られました」
 翌朝、皆を集めて、やつれた様子のKさんは言った。
 誰も反応しない。
「また缶詰の備蓄が十五個減りました。缶詰の配給は、今後一日一缶となります」
 不満の声が上がる。何とあの親子からだ。
「子供が飢えているんです、仕方ないでしょう!! 病気になったらどう責任を取るんです!!」
「自分たちだけ生き残ればいいんですか!? 未来ある子供たちに回すべきでしょう!」
 皆、何も言わない。こういうとき、主婦たちのリーダー格だったIさんがいれば、ビシッと叱りつけて黙らせたのに。
「もう少しだけ一緒に頑張りましょう。皆で生き残らないと……」
 仕方なく私がなだめるが、
「うるさいわね。結婚もしてない子供もいないあなたに何が分かるの! 非常時にペットなんか優雅に飼って!」
「そんな非常識だから嫁にも行けないんじゃない!」
 それは関係ないだろう。でも誰も止めない。
 助けを求めるようにKさんを見たが、
「あの、外の様子やゾンビの数にも変化はありません。
 出来れば今後、安全確保のため、あなたにも一階にいてほしいのですが」
 私は脱力し、和室を見た。
 残ったのはKさんと私、二組の親子計四人、騒動の最中、ついに動かなかったYさん。
 あとはGさんのお嫁さんと彼女が面倒を見ている高齢者三名。
 高齢者はいずれも、この避難生活で一気に心身が衰え、ほぼ要介護状態だ。
 二人は寝たきりだが、一人はGさんのように徘徊が出始め、お嫁さんはそのお世話で手一杯だ。
 確かに外の様子に変化はないし、食料の見張りも必要だ。
 全ての負担をKさんに押しつけるわけにもいかない。
「分かりました……」
 そう応えるしかなかった。

 その夜、徘徊のある高齢者の一人がいなくなっていた。
 裏口の施錠が外れていて、慌てて閉めた。
 Gさんのお嫁さんは負担が減り、ホッとした様子だった。

 …………

 そういうわけで、私は二階から下りてきた。
 ゾンビの数は、最後に数えた数から変化があっただろうか。
 少し気になったが、皆の目もあり、時々デグーにエサをやりに行き、慌てて下りてくるのが常だった。

 …………

 そしてさらに日数が経過した。
 食料を確保しにいく必要性は誰もが理解していた。
 でも誰も言い出さない。言えば自分がその役目を押しつけられると分かっていたからだ。
 車という強力な道具がありながら、裏口のすぐそばに放置されたままだった。

 私は今日もボーッとして天井を見ている。
 助けは来ず、水も食料も減り続ける。
 たまに思い出し、慌てて二階に行き、デグーに水と牧草をやる。
 もうエサはない。でもデグーは意外に元気だった。
 さすがに動きは弱々しくなったけど、私が行くと『ピルピル』と嬉しげに挨拶してくる。
 デグーは、元々アンデス高地の厳しい環境で生息していた。
 肉食獣や猛禽類など、天敵は多いのに、水もエサとなる草も少ない。
 野生下では寿命もかなり短いという。
 でも生きている。
 粗食に適応し、たくさんの子孫を残すことで種をつないできた。

 野生動物は愚痴を言わない。
 厳しいなら厳しいで適応し、細々と命をつなぐ。
 ゾンビに対し『神様の罰』とか勝手に解釈するのは人間だけだ。
 危機に陥ったら陥ったで、助けを待たず生き延びる方法を考えるべきでは?
 負担を一人に押しつけず皆でリスクを分け合い、支え合うべきだったのでは?
 ふとそんな思いが浮かぶ。
「はい、最後のね」
 自分で食べたいくらいのドライフルーツをつまみ、デグーにあげる。
 バッと奪い取り、貪るように食べていた。可愛いなあ。
 ちょっと微笑み、食べる様子を見ている。
 そして外がどうなったか気になった。
 今、ゾンビの数はどうなっているだろう。
 ん? 今、何か外に見えたような――。
 窓の外を見ようとすると、

「肉……肉が、あるじゃん……」

 後ろから声がして、ゾッとする。
 振り向くとYさんだ。やせた身体、こけた頬。
 その目は――正気では無い。
「それ、ちょうだい。食べるから」
「だ、ダメ、ダメです! 絶対ダメ!!」
 デグーをかばい、叫ぶ。私の動揺が伝わったのか、デグーがケージをかじり出す。
「ね、ネズミだから! 病原菌、あるから!」
「あってもいいよ。食べない方が死ぬもん」
 この人は、Yさんじゃない。飢餓と心の傷で壊れた人だ。
「ち、調理器具も、ないし……」
「生で食べる」
 生きたまま、頭からYさんにかじられるデグーを想像し、ゾッとした。
「止めて! 誰か来て下さい!」
 ケージに手を触れようとするYさんから逃れ、叫んだ。
 すると緩慢に階段を上がる音がし、Gさんのお嫁さんがやつれた顔を見せた。
 ホッとしたが、
「あの、静かにしてもらえます? おばあちゃんたち、やっと寝たばかりなんで」
「…………っ」
 お嫁さんの目からも正気が消えつつある。
 戦慄していると、
「あ! ダメ!」
 Yさんがケージを開ける。デグーを捕まえた。
 苦しがってキーキー叫ぶ声が聞こえる。
「いただきまーす」
 とヨダレを垂らし、口を開けた。
「止めてーっ!!」
 瞬間に、ドンッとYさんを突き飛ばす。
「逃げてっ!!」
 落ちたデグーを両手で捕まえ、ベランダから外に……。
 私の意図が伝わったかどうか、デグーは屋根の端に走り――見えなくなった。
 落ちた……?
 涙がこぼれ、止まらない。口の開いた牧草の袋が虚しく見える。
 あれだけ私を支えてくれたのに、最後は殺したようなものだ。
「おい……」
 後ろから声が聞こえ、ハッと状況を思い出す。
 Yさんだ。鬼のような形相をしている。
 胃に入る直前だった肉を目の前で奪われた餓鬼の。
「てめえ……俺の肉を……殺してやるっ!!」
 脅しでは無い。本気で私の首に手をかけようとした。
「畜生、どいつもこいつも! 俺だって、好きであいつらを置いてきたんじゃねえよ!!」
 ――え?
 でも首に手が触れそうになり、思わず避けた。
 震え上がった。本当に殺される!
 ふすまを蹴破り、バタバタと階下を駆け下りる。
「誰か! 誰か! 助けて下さい!!」
 和室に入ったが誰も反応しない。
 あのうつろなボーッとした顔で、こちらを見るだけだ。
「殺してやるーっ!!」
 後ろからYさんの声がする。
「Kさん! Kさん!!」
 私は泣きながら、一階を走った。
「こっち!!」
 Kさんがいた。来てくれた!!
「こっちに来て!!」
 私はその方向に走った。Kさんは見えない。
「Kさん!?」
 裏口前まで来た。え? 何で裏口、開いて――。
「こっち!!」
 突然、腕を引き寄せられた。脇にある通路にすっぽり入る。
「うおおおー!!」
 Yさんが裏口へ走ってくる。だが外の風景に一瞬、正気に返ったようで立ち止まる。
 そしてドンッと音がする。
 Kさんが廊下に出てYさんの背中を蹴り、外に転がした。
 そしてバタンと裏口を閉め、鍵をかける。

 一瞬遅れて正気に戻った後の――Yさんの謝罪と絶叫は多分二度と忘れることはない。

 Kさんが私を抱きしめずっと耳をふさいでくれていたけど、その手を通して哀願は聞こえつづけた。
 やがて声に引き寄せられゾンビたちが集まる。
 絶叫は悲鳴に変わる。ドンドンドンと裏口を叩く音。
 私はずっと泣いていた。
 Yさん。最初は頼もしかった。
 心が壊れたのも、元はといえば皆のためだ。
 あれだけゾンビを怖がっていた人なのに。

 そしてYさんが殺されている間、和室からは誰も来なかった。
 誰一人、裏口に様子を見に来なかった。

 やがて、静かになった。

「大丈夫、大丈夫」
 Kさんが背中を撫でてくれた。
 ひどい臭いだ。Kさんもずっとお風呂に入っていない。
 そしてやつれきった顔で私を見、
「ねえ……二人で逃げようか」
 と言った。私は汚れきった顔でぼんやりと聞いた。

「缶詰と水の倉庫の鍵は、僕が持っている。
 二人で全部車に詰めて、皆が寝ている間に出発しよう」

 思わずうなずきかけ――止まる。
 自分の口から出たのは冷たい声だった。

「そうやってここに見切りをつけ、一番若い女を連れて逃げるんですか?」

「…………」

「Kさん、今までもこうやって、いなくなってほしい人を裏口から追い出したり、捨ててきたりしましたよね?」
 裏口で助けを求めただろう生存者、認知症の高齢者たち、末期患者のMさん、パニックに陥ったIさん、そして――Yさん。
 邪魔者を消せば、思い通りになると思ったのだろう。
 でも実際には混迷を深めただけだった。
 人は単純に善と悪で分けられない。
「今は非常事態だ。役割を果たせない者にまで食べ物を分けていたら、皆餓死してしまう」
「皆、見えないだけでそれぞれの役割をこなしていました」
 Yさんも私のデグーを食べようとした許せない人だけど、抜けたら何かしら影響が出るだろう。
「あなたの方針に反対する男性の方たちも、Yさんを説得して置き去りにさせましたよね? それはここでは大きな損失でしたよ」
「…………」
 確証はなかった。でもKさんの沈黙が語っている。

 荷物を積めるだけ積ませ、最後に見捨てた。
 ゾンビに襲われ傷だらけになり、車にすがりついて頼むから連れて行ってくれと懇願する男性陣を蹴り飛ばして車を発進させた。そんな光景が見えるようだ。
 Yさんが壊れた原因は、彼らを置いてきた罪悪感にも起因するのだろう。

「……ちっ」

 Kさんが舌打ちする。あのときの中年男性陣のように。
「どいつもこいつも、人に何でもかんでも押しつけやがって!
 臭いキモオタ女だけど俺に惚れてるみたいだし、一応女だから連れて行ってやろうとしたら、正義面で探偵ごっこか!?
 じゃあてめえでやれよ! てめえ一人で、あの役立たずの連中をまとめろよ!!
 ぎゃあぎゃあうるさいガキや親をなだめて、痴呆のジジババの相手をして、自分からは何もしない役立たずを働かせろよ!!
 選挙のとき票になると思って頑張ってりゃこれか!! もう俺は下りたからな!! てめえら全員ゾンビに食われて死ね!!」
 絶叫が町内会館に響く。
「もう知るか!! 俺はここから逃げる!! 俺だけでも生き延びてやる!!」
 バタバタと走り、何度も往復して全ての水と缶詰を持ってくる。
 止めるべきなんだろう。皆を呼んでKさんを正気に戻すべきなんだろう。
 でも私は泣いていた。自分で勝手に作った幻想が壊れたことに、ただ泣いていた。
 そして怒鳴り声が聞こえていただろうに、誰も来ない。
 Kさんがバッグに残り全ての缶詰と水を詰め、裏口に手をかける。
「ま、待って……まだ、ゾンビがいるかも……」
 保身のため引き留めようとしたのか、それともほのかな恋心さえ抱いた人を案じて言ったのか、自分でも分からない。
「車まですぐそこだし。あいつらは食うだけ食ったら散るんだよ!!
 それにこんなキ×××の巣、もう一秒だっていたくねえ!!」
 Kさんが吐き捨てる。
 私もその一人か。彼に本音を聞かされ、こんな状況だがショックだった。

 そして扉を開け――絶叫。
「何で……何で、まだ、いる……の……?」
 最初に襲いかかったのはYさんに見えた。次に襲いかかったのはMさんだろうか。Gさん、Iさん、中年男性陣……噛まれたKさんが血まみれでこちらに来ようとして。
 私はそっと裏口の戸を閉め、鍵をかけた。
 そして悲鳴が完全に聞こえなくなるまで、目を閉じ、涙を流していた。

 …………

 会館を隅から隅まで探したが、水の一滴も無かった。
「朝まで待って下さい。ゾンビがいなくなれば水や缶詰が回収出来ると思います」
 残った人たちに言ったが、
「ゾンビの触ったものとか、食べたくないし」
 子供の一人がポツリとつぶやいた。
 かつては缶詰泥棒する元気があったけど、今は貧困国の飢餓児童のようだ。
 お腹だけがやたら出て目がギョロギョロしている。足も細すぎ、走る元気もないだろう。
 Gさんのお嫁さんは高齢者の布団を前に、ただ座っていた。
 排泄物の悪臭が漂うが、もうトイレットペーパーもおむつもない。
 そう。ずっとずっと意識しないようにしてきたが、一階和室は凄まじい。
 平素なら嘔吐するくらいの悪臭が漂い、畳は半分ほど腐っていて、その上をよく分からない虫がウヨウヨうごめいている。
 大きなハエがぶんぶん飛んでいるけど、顔に止まってもはらう元気もない。
 皆、土気色の顔、生きているのに死んでいるみたいだ。
「中身は汚染されていないはずです。血液に触れないよう中を出して、皆で分ければ――」
「そこまでして、生きたくないわよ!!」
 母の一人が吐き捨てる。もう数えるほどしか生存者がいないのに、私を見る目には敵意しかない。
 いや中核と言えるKさんを失い、私に憎しみをぶつけるしか無いんだろう。
『あなたをゾンビにしないから、大丈夫だから……』と、別の母親は我が子を抱きしめブツブツ言っていた。その子はさっきからピクリとも動かず、ゴボウのような腕がだらんと下がっていた。

 誰も慰められない、まとめられない。私には何も出来ない。

 でもKさんがまだいたら……今度は、子供を裏口から放り出したかも知れない。
 最悪の事態だけは防げたではないか。
 何とかそう思って、立ち上がる。
 和室を出る前に振り向いた。
 お嫁さんは、自分が高齢者の仲間入りをしたような顔でぼんやりしたままだ。
 母子たちも。

 二階に上がり、デグーのケージを見る。
 デグーの飲み水が残っていた。
 むしり取り、ガブガブと飲んだ。ほんの少しだけ、身体が生き返る。
 一息ついて、街を見る。

「…………」

 飢えでとうとう幻覚が見え出したか。
 淡い霧が街全体をぼんやりと覆っている気がする。
 光もちらちら見える。
 まるで天国からの迎えのように。
「…………」
 窓枠に手をかける。
 まるで骨と皮だけのように筋張ってしまった身体。
 猛烈な悪臭を放つ身体と、腐って溶ける寸前の衣服。
 今の私なら、二階から飛び降りても死ねそうだ。
 でなければKさんがすぐに殺しに来てくれる。
 いや、もうすでにゾンビになったも同然か。

 行こう、見殺しにした私も罪人だ。

 皆と天国へ。

 そのときカタッと音がする。

「……っ!!」

 ペットのいなくなったデグーのケージだ。
 回し車が空回っている。
 涙があふれる。
 世界の死を知りもせず、私が来るたび嬉しそうにしていたデグー。

「死にたく……ない……」

 身を折って泣いた。もう女とも言えないくらい、やせこけた身体で泣き続けた。

「……?」

 いつの間にか寝ていたらしい。
 まだ夜は明けていないようだ。
 ん? 今、何か――。
 外を見ようとしたが、その前に階下に違和感を抱いた。

 何か様子がおかしい。

 そっと、そっと下に下りる。

「――っ!!」

 一階の残りの生存者は、全員、息が無かった。

 その代わりに壁や天井にまで血が飛び散っていた。
 畳には血のついた包丁が一つ転がっている。
 無理心中なのか、納得しての集団自殺なのか分からない。
 どのみち誰も逃げる力は無かった。
 でも追及するより私の喉から出た言葉は、

「何で、私だけ置いていくんですか……!!」

 連れて行ってほしかった。
 私は最後まであなたたちにとって、仲間ではなかったのか。
 傍観するだけの卑怯者だったのか。
 天国に旅立った人たちを前に、私は泣き続けた。
「……っ!!」
 そのとき土嚢が崩される音がした。
「あ……ああ……」
 窓が割られる。窓が開き――何かが入ってくる。
 とっさに二階に逃げることを考える。
 ダメだ。階段を塞ぐ体力なんて残っていない。
 嫌……ゾンビに、食われたくない……。
 血のついた包丁が目に入る。

 今すぐに首を切れば、あんな見苦しい死体にならずに……すむ……!

 重い音は近づいてくる。もうすぐここに来る。
 首に触れた切っ先がブルブル震える。
 一瞬だ。たった一瞬で。今すぐに……今、すぐ……。

「何とかゾンビを倒して車に乗る。出来るだけ、遠くに逃げる」

 自分の口から、そんな言葉が出る。

 でも、もう決めてしまった。

 死にたくない。なら、生きるしか無い。

 包丁を構え直す。やるんだ……生きる……私は生きる!!

 そして和室のふすまがゆっくりと開く。
 私は歯を食いしばり、全力で包丁を振りかぶり――。

「待って。敵ではありません!! 武器を下ろして下さい」

 言葉を失う。

「生きていますか、大丈夫ですか!?」

「え……?」

 かけられた言葉が信じられず、包丁を落とす。血のついた包丁が床にはねた。
 そーっと大きな人が入ってきた。
 自衛隊っぽいなーと思った。ガスマスクと防弾チョッキ。銃火器でガチガチに武装している。
 こちらの正気を計りかねているのか、警戒している様子だった。
「あ……えと、自衛隊、の、人ですか……?」
 私が応えるやいなや、その人は通信機っぽいものを取り、やや興奮した口調で、
「こちら×××××! 生存者一名、発見しました!!」
 そして、
「もう安心です。活動停止ガスを街中に散布しました」
 と倒れそうな私を支えた。そこで私はハッと和室の状況に気づき、
「えと、この人たち無理心中で、私、二階にいて……」
「分かってます。あなたには血はついていません。よく頑張りましたね」
 ずっと誰かに言って欲しかった言葉に涙があふれる。
「ありがとう……あ、ありがとうございます……! でも何で今頃……」
「テロ集団の開発した寄生虫の脳支配により、この惨状になりました。
 ですが各国が非常事態の中、協力し合い、寄生虫及び宿主の活動停止ガスを開発。
 最近になってやっと量産化に成功し、救助に向かうことが出来たのです」
 何だ……やっぱり神様でも何でもなかったんじゃない。
 なるほど、さっきの霧は幻覚では無く活動停止ガスだったのか。
「でも、さっきガスをまいて、何ですぐここに来れたんですか?」
「アンテナに釣られたCDを観測していたので、ここには生存者がいるのではと、以前から思われていたのです。
 通信機器が復旧してからはラジオでメッセージを流したり、光によるモールス信号を送るようにしていたのですが……」
 努力が報われて良かった。けどタイミングが最悪すぎる。
 どうも私が一階に下りるようになってから、助けの合図が発信されだしたらしい。
 もっと早く気づけば、いやあきらめずにいたら……。
 いや後悔は無意味だ。
『あのときああすれば』『こうしていれば』なんて、後から偉そうに評論する言葉だ。

 そのとき選び、もう結果は出てしまった。
 私は生きている。たった一人で罪を背負って。ずっと孤独に。

「……?」

 そのとき鳴き声がした。
「ネズミ?」
 自衛隊の人が顔を上げる。
「……っ!! 私のペットです……!」
 私のデグーだ。生きていた。
 まだ私のことを覚えていたみたいだ。まっすぐ私のところに駆けてくる。
 抱き上げて、涙を流して頬ずりする。
 デグーはピルピル鳴いて挨拶してくる。
 あごの下を撫でると、うっとりと目を細めて頭をすり寄せてくれた。
「ありがとう……ごめんね……」
 自衛隊の人がいたわるように背中を撫でてくれる。
 外からは、装甲車が街を走る音がした。
 ヘリコプターのプロペラ音もする。

 デグーをケージに入れてもらい、外の救護の車に向かう。

「大丈夫。一人で歩けます」

 顔を上げると夜明けの空が輝いている。

 私は、生きていく。

 生きてやる。


 遠くに、電気の明かりが見えた。

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