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番外編
番外編「秘書の休日(中編)」
「今日は……もう帰るの?」
 雪音の呟きが聞こえた。
 ふと気づくと、宗は万里子のことを考えていたようだ。これではまるで、自分に暗示を掛けてしまいかねない。宗は軽く頭を振り、雪音のほうを見た。

「用は済んだみたいだ。このまま帰っても静香は何も言わないだろうな」
 宗に雪音の質問の意味は判っていた。わざと答えたのだが、横を向いて黙り込む雪音を見ていると、酷く自分が意地悪に思えてくる。
「社長の書斎を借りて仕事をして行くさ。九時頃に引き上げる。朝は……七時前には社長を迎えに来てもいい」
 雪音の眼鏡に隠された瞳が急に明るくなった。
「でも、九時だと卓巳様と万里子様がお帰りなんじゃ……」
 今日の休日出勤は卓巳の命令ではない。宗が藤原邸にいることで、卓巳が怪しむのではないか、と言ってるのだ。
「なんとでも言い訳するさ。だが、時間が有り過ぎるな。この上で昼寝して行ってもいいかな? 最近休みが少なくてね。疲れ気味なんだ」
 それは彼の本音だ。年末年始の二週間、社長不在なのである。卓巳は社長に就任してから、一度も長期休暇は取っていない。ロンドンではレセプションを兼ねたニューイヤーパーティが企画されているが、それ以外は全てハネムーンなのだ。
 準備のために宗はきりきり舞いをしており、その上、年末年始は休みなしである。

「いいわ。鍵を開けるから。ああ……そのゴミはこっちの袋に入れてよ。私が始末しておくから」
 宗は、ようやく使用済みの避妊具を手放せ、ホッとした。
「なんだったら、添い寝してくれてもいいけどね」
 軽くウインクすると、宗は雪音の目線に高さを合わせ、身を屈めた。雪音は万里子と同じ背丈であった。日本人女性のほぼ平均だろう。
 だが、バストを中心に万里子より細い。ついつい、その辺りに宗の視線も彷徨った。

「ちょっと疲れてるんじゃなかったの? それに、たった今したばっかりなんでしょ?」
「お嬢様を満足させただけさ」
「自分だって満足したんじゃない!」
 ゴミ袋を突き出し、雪音は宗に言い放つ。
「ま……それはそうなんだけど、ね」
 宗は困ったように頭を掻いた。
 雪音は鍵の束から一本抜き出し、宗に押し付ける。
「上がって右側を使って。出るときは鍵を忘れないでよ。じゃ……九時にいつもの場所で」
「……りょーかい」
 わざと間延びした声で宗は答え、雪音に敬礼して螺旋階段を昇っていくのだった。


~*~*~*~*~


 住み込みの使用人に決められた門限は十時だ。それ以降の外出は禁止されている。無論、理由があり、家人の許可が取れれば別だ。
 一番手っ取り早いのが、誰かの付き添いで外出する、というものであった。これだと大っぴらに夜間の外出が可能だ。もう一つは、誰かの車に同乗して、無許可で外出するというもの。バレさえしなければ報告もしなくて済む。だが、バレたら大きな問題になるのは間違いない。
 ここまで管理が厳しくなったのには理由がある。
 先代社長・高徳が亡くなる前後、一人の使用人が、ごたついた邸内から美術品や高価な調度品を多数持ち出したのだ。使用人はそれを質屋に売り払い、盗難事件が発覚したのである。

 雪音は、尚子・和子一家とは対立関係にあった。
 卓巳の味方をしたことに後悔はない。だが、雪音には、深夜に外出したい事情があった。卓巳は真面目で公平な人物だ。だが、融通を利かせるということは苦手なタイプである。
 せっかく勝ち得た雇用主の信頼を、こんなことで損なうのはイヤだ。雪音はしばらく黙っていたが……。どうしても表に行きたい――そう思い詰め、敷地内の車道を正門に向かって歩いていた時、彼女の前を宗の車が通ったのだった。
 今から半年前のことである。
 

 宗らしいと言えばらしいだろう。だが、年齢の割に実用性のまるでない、赤のRX-7が彼の愛車であった。
 ロータリーエンジンを積んだ金食い虫のスポーツカーなど、道楽以外の何物でもない。
 しかも、乗り心地はお世辞にも良いとは言えず……。
「何が楽しくて、いい歳してこんな車に乗ってるの?」
 雪音が聞きたくなる気持ちも判る。なんと年間維持費が雪音の年収を上回るのだ。都内を走るのに、どう考えても意味のない車であった。

「普通の女の子は、『キャーカッコイイ!』って言ってくれるんだけどね」
 いつもの場所――藤原邸のエントランスから正門までの、ちょうど中間地点が待ち合わせ場所だ。監視カメラの死角であった。そこで雪音を拾い、正門を抜ける。常駐の警備員が軽く会釈し、ノーチェックで社長秘書を通過させたのだった。

「それはごめんなさいね。フツーじゃなくて」
 確かに普通ではない。夜遊びに行くのに相変わらずのノーメイクだ。一つに縛った髪は解いているが、いつもの黒ぶち眼鏡でジーンズにセーター。上からはアメリカンカジュアルなダウンコートを羽織っているだけである。
 月に一~二回、こうして宗が脱出を手助けしていた。これまでで十回程度であろうか。
 行き先は決まって横浜だ。雪音の地元だという。
 中華街から埠頭に向かってしばらく行った場所で、宗は彼女を降ろす。すると、道から少し入った木造アパートに雪音は向かうのだ。宗が見届けるのはそこまでだった。

 
「男だよね。君が逢いに行ってるのは」
「……」
「いや、詮索する気はないよ。だからどう、って訳じゃないんだけど」

 半年前は、宗にも横浜市内に住む女性との付き合いがあった。
 そんなついでもあり、雪音の送迎を引き受けたのだ。もちろん、あわよくば、と想像しないでもなかったが……。雪音には、ハッキリと断わられたのである。
 宗が万里子の身辺調査や仕事に忙殺されている間に、横浜の女は一方的に別れを告げ、宗を追い払った。去る者は追わずの主義なので、宗には“ついで”がなくなってしまう。
 それでもなぜか雪音に付き合っている。

 本人に詮索するまでもなく、雪音の身辺は調査済みであった。
 彼女が高校中退であることは履歴書通りで特に問題はない。問題があるのは、雪音より一つ年上の交際相手のほうだった。
 宗の調査によると、相手の男は暴力事件等で補導歴があり、複数の校則違反で高校を退学になった。高校で出会い、交際中だった雪音は男の後を追って自主退学。その後、雪音は家出同然に親元を離れ、二年間同棲している。
 だが、男は借金を返すために、雪音を風俗で働かそうとした。それを拒否し、雪音は自力で逃げ出したのだ。男から隠れる意味もあり、住み込みのメイドを始めたらしい。
 卓巳なら「馬鹿な女の典型」と言うであろう。
 その証拠に、一年ほど前から、雪音は休みのたびに男のアパートを訪れている。報告書には、男の泣き落としでりを戻した、と書かれてあった。
 雪音曰く、男は真面目に働き始めたという。ただ……風俗店の呼び込みに“真面目”をつけて良いのか悩ましい所であろう。

「昼間は寝るから、仕事で居ない夜に来て欲しいらしくて……。でも、邸勤めで夜中に出歩くのは難しくて」
 休日だけじゃ不満なのか? と尋ねた宗に、雪音の返事がこれであった。
 
「普通は逆じゃないか? 家に居る昼間に会おうって言うんじゃないの?」
「全く居ないって訳じゃないから……。それに寝てる時じゃ掃除とか出来ないし」
「なあ、雪音くん。本当に、彼はその仕事で食えてるわけ?」
「……」

 ――賭けてもいい。相手の男は働いてはいないだろう。宗は心で思ったが口にはしなかった。雪音がはっきりと言った訳ではない。だが、彼女の様子から給料のほとんどを貢いでいるのが判る。
 最初、そんな雪音に危険を感じた。男のために罪を犯す女は少なくない。雪音ほどしっかりした女性が、と誰もが思うだろう。だが、彼女のようなタイプが一番、馬鹿な男に引っ掛かりやすいことを宗は知っている。


「朝は六時にここに来るから。電話はしないよ。この間掛けた時、彼氏が怒ってたろ?」

 六時を十分回っても雪音は出て来ず、宗は携帯を鳴らしたのだ。すると男が出て、
『んだ、てめぇ!? 雪音、お前浮気してんのか!? おい、俺の女に手ぇ出したら殺すぞ!』
 そんな風に凄まれた。
 太一郎などと同じで、口や態度に出す人間は然程さほど恐ろしくはない。だが、電話の向こうで必死に言い訳をする雪音の声に切ないものを感じ……宗は電話を切ったのだった。

「判ってる。もう、遅れないから……宗さんは“横浜の彼女”の家に行くんでしょ?」
「まあね。どうして?」
「他の女の匂いをさせたまんまで、よく怒らないね?」
「君の?」
「静香の!」
「ああ。まあ、回数が減ったら怒るだろうね」
 宗はしらっと答えた。「じゃ」と短く言い、雪音は車を降りる。

 いつもなら、少し思案して、じきに車を走らせるのだ。だが今夜は、五分ほど同じ場所にいた。特に意味はなく、雪音の消えた方角をジッと見つめる。
 やがて、深いため息と共に車のエンジンを掛けようとしたその時、雪音が駆け戻って来たのだった。

 
  
御堂です。アレ?……何か、真面目な話になってきました(汗)
明日、後編です。
引き続き、ご覧下さいませm(__)m
拍手&メッセージお待ちしております。


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