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番外編―仲良きことは美しきかな
(16)味方

「美月ちゃん! 美月ちゃん! 美月ちゃーん!」
 園内に入るなり、ひとりの少女に向かって突進していく次男坊の姿に聡は失笑を禁じえない。

(アイツほどの天真爛漫さがあれば……人生は楽しいかもしれない)

 誰に似たのか、真は本当に明るくタフな子供だった。怒られたり喧嘩したりして、泣き出すこともあったが、三十分ほどで復活する。成績はどうにか平均点で、入学当初は気にしていたみたいだが、今は体育の時間が一番楽しそうだ。
 一方、夏海は顔見知りの先生や母親たちと挨拶をしている。こうなると女性は亭主の存在を忘れて、話し込んでしまうのが常だった。
 
「おはようございます、一条のおじさま」
 聡が夏海のかなり後方に立っていると、真に連れられ藤原美月が前までやってきた。
 紺色のセーラーカラーのワンピースを着た可憐な少女が、優雅に頭を下げる。入学式のときは遠目に見ただけだった。聡の大学の後輩、藤原卓巳の従弟の娘だという。入学生代表の挨拶をするくらいだから成績はトップ、しかも、六歳に思えないほど大人びている。三歳のころに母親を亡くしたというから、そのせいかもしれない。
 
(それにしても……真もえらく高嶺の花を)

 感心半分、残りは呆れつつ、
「おはよう。今日は、お父さんは一緒じゃないのかな?」
「パパはお仕事で九州にいるんです。今日は孝司おじさまと一緒です」
「それはすまなかったね。でも、藤原くんの家は賑やかだから寂しさは紛れるかな」 
 聡は膝を折り、視線の高さを美月に合わせて謝った。
「はい。それに真くんもいるから、寂しくないです」
 美月はにっこりと笑う。
 真は大好きな美月に頼りにされ、ウレシそうに浮かれているが……。

(女の子はこういうものなのか? どっちにしても真の手に負える子じゃなさそうだな)

 少しだけ、息子を不憫に思う聡だった。

 真が他の同級生たちと園庭に走っていくと、取り残された感のある聡の腕に、華奢な腕が巻きついた。
「今日はお兄ちゃんがいないから、お父さんと一緒にいてあげるね」
 十歳の桜が聡の腕にぶら下がっている。
「それはどうもありがとう。あーあ、小さいころは、お兄ちゃんよりパパが好きって言ってくれたのになぁ」
 残念そうに言うと、
「でも、お父さんの一番はあたしじゃないでしょ?」
「どうしてそう思うんだ?」
「だって、お父さんの一番はお母さんだもん」
 それには聡も苦笑いだ。
「それに、お父さんもさっき、美月ちゃんに見惚れてたし……お母さんに言いつけようかな~」
「カンベンしてくれ。でも桜のほうが美人だよ」
「ホントに?」
「ああ、母さんの次にな」
 聡の言葉に桜はちょっとふくれて、「やっぱりお兄ちゃんのほうがいい!」そう叫んだのだった。


~*~*~*~*~


「え……っと、私、遊戯室の喫茶コーナーに入ってますので……」
 愛実は気を遣ってそんなことを口にする。
 どうやら、万里子と卓巳の間に漂う、微妙な空気を読んだらしい。

「いいのよ、愛実さん。ちょっと様子を見に来ただけだから……。この人も、わたしより若い愛実さんと一緒のほうが楽しいみたいだし」

 言わなくてもいいことをついつい言ってしまう。
 卓巳の朴念仁で不器用なところに惚れたのは事実だが、モノには限度がある。結婚して八年経っても同じままでは、さすがの万里子も嫌味のひとつくらい言いたくなるだろう。

 そしてそれは、卓巳も同じらしく……。

「美馬が来ているかどうか気になって見に来ただけだろう? ご覧のとおり、美馬は来ていない。残念だったな」
「ええ、本当に」

 万里子が澄まして答えると、卓巳は思いっきり無視して鉄板に向き直った。
 
「……申し訳ありません」
 
 静かな声でぽつりと答えたのは愛実だった。
 彼女は今にも泣きそうな顔でエプロンの前を握り締めうつむいている。

「あ、いえ、そういう意味じゃないのよ。まだまだこれからだし、お仕事が終わったら、きっと駆けつけて……」
「いえ、私……本当は北斗のこと、話してないんです。先代の不祥事が原因で、園のお友だちに仲間はずれにされてるって。聞いたらきっと、どんなに大変でも、無理をして来てくれると思うから……」
「無理?」

 愛実の言葉に万里子はドキンとした。
 その無理を、万里子はお願いしてしまった気がする……。

「主人は幼稚園の行事とか、本当は出たい人なんです。自分が小さいころ、何もしてもらえなかったから。網走では本当に熱心でした。そんなとき、美馬の本社で事件が起こって……変わった名前だから、すぐに私たちも色々言われ始めて……」
 だから、無理をしてまで藤臣に幼稚園行事に来て欲しくはなかった。愛実ひとりの力でどうにかしたかった、と言う。
「結局……何もできないくせに。せっかく、万里子さんが計画して下さって、藤原さんまでこうして来てくださったのに。主人は多分、来られないと思います。絶対に来て欲しいって言わなかったから……。代わりに、秘書の見習いで入っている私の弟を寄越すと言ってました。本当にごめんなさい」

 
 万里子は卓巳の顔が見れず、うつむいていた。
 きっと、『ほら見たことか、余計なことをして』そんな顔をしているはずだ。
 
 だが、本当に余計なことだったのだろうか。藤臣は何も知らないまま、愛実や子供たちが傷つくことを望んでいるだろうか?
 もし自分なら……。万里子がそう考えたとき、卓巳が口を開いた。

「それは違う」
「え?」
 きっぱり言い切る卓巳に、万里子と愛実は疑問の声を上げた。
「妻や子供のためにやることは“無理”とは言わない。むしろ、言われないほうが寂しいというものだ」
「でも……藤原さんのようにたくさんの部下もいませんし、大きな会社でもないので。今は、色々大変なときだと言いますし……」
 卓巳は軽く首を振り、
「できるか、できないか、じゃない。やるか、やらないか、だ。もちろん、頑張ってもダメなときはある。どうしても時間の都合がつかないときも。でも最初から“無理だろう”と思われるのは心外だ」
「……それは……」

 愛実は言葉に詰まった。
 卓巳の言い方はまるで、藤臣が来られないのは彼のせいではなく、彼を気遣った愛実のせい、と言っているようなものだ。
 愛実の大きな瞳が瞬く間に、決壊寸前のダムのようになる。

「待って、卓巳さん。それは、夫婦それぞれなんだから、決め付けなくても」

 卓巳は万里子を庇ってくれているのかもしれない。でも、この場に愛実を助けてくれる夫はいないのだ。
 万里子は自分がズルをしているようで、居た堪れない気持ちになった。

「決め付けているわけじゃない。私も親には恵まれていない。美馬より短い期間ではあったが、施設で暮らしたこともある。だから、わかるんだ。自分を頼ってくれる誰かの存在がどれほどありがたいか。誰かを守る力が、自分の存在価値になるんだ」

 卓巳の言葉が真実なら、愛実は藤臣の存在を否定してしまったことになる。
 愛実もそう思ったのか、
「やっぱり……私が全然ダメだから……藤くんに迷惑ばっかりかけてるから」
 手で顔を覆い、泣き崩れそうになった、そのとき、
「いや、他のことはともかく、女心には私の倍も敏いヤツのことだ――」

 卓巳は言葉を区切り、万里子と愛実の後方に視線を向け、ニヤリと笑う。


「――なんで愛実が泣いてるんだ! 説明しろ、藤原!」

 息を切らせて駆けつけてきたのは、美馬藤臣だった。   

 
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