エコ・カーニバル当日――。
天気は快晴。園児ならびに関係者の、日頃の行いが良かったに違いない。
但し、藤原邸の上にだけ前夜から積乱雲がとどまり、一向に消え去る気配はなかったが……。
大広間とも呼ばれる食堂の中央に、テーブルがセットされていた。
白いテーブルクロスの上に焼きたてのパンが置かれ、それぞれの前にスープやスクランブルエッグ、サラダが並べられる。ドリンクはフレッシュジュースやミルクなど、希望に応じて様々だ。
「お母さん、僕と美月ちゃんは孝司おじさんと一緒に行くからね」
長男の結人がテーブルを挟み万里子に笑顔で言った。
すると、結人の左隣に座った大樹が不満の声を上げる。
「僕も! お兄ちゃんと美月ちゃんと一緒がいい!」
「大樹は、光希たちと一緒に来たほうがいいよ……」
「いやだよ! メイドと一緒だと、赤ちゃんみたいじゃないかっ!」
大樹はなんでも兄と同じにしたがる。そして、弟たちと同じに扱うと怒るのだ。
鷹揚な長男、大胆な次男に比べ、三男はとても繊細な性質だった。光希はチョウチョにも怖がり、遊園地で着ぐるみが近づくだけで大泣きする。体験入園のときも、園庭や遊戯室で走り回るより、図書室でずっと絵本を読んでいた。
それが、大樹には合わないらしい。
「結人は一緒に行きたくないの? 美月ちゃんもイヤ?」
万里子は長男と並んで座る美月にも声をかける。
「いいえ。美月は大樹くんが一緒でかまいません」
美月は天然パーマのふわふわの髪を揺らし、にっこりと笑って答えた。
この藤原美月は、結人と同じ歳で、息子たちにとってまたイトコにあたる。
美月の父親、藤原太一郎は卓巳の従弟。しかし、兄弟のいない卓巳にとって弟同然だ。太一郎の妻、奈那子は出産時の合併症が命取りとなり、闘病の末、美月が三歳のときに亡くなった。
今年の春、父親の太一郎が九州に転勤した。慣れない土地でふたり暮しは大変だろうと思い、美月を預かり、結人と同じ小学校に通わせている。太一郎は万里子の実家、千早物産に勤めていた。
「そうじゃなくて……。大地くんも一緒なんだ。たぶん、北斗くんも。だから……」
結人の言葉に大樹は口を尖らせる。
「ふたりと仲良くできるなら、孝司さんにお願いしてあげるわ。どう? ちゃんと約束できる?」
「……うん……えっと、はい」
大樹がうなずくのを見て、万里子は微笑んだ。
孝司も卓巳や太一郎の従弟になる。
一度は経営を学ぼうとしたが、どうやら性に合わなかったらしい。美大に入り直し、卒業後は美術の教師をしながら絵を描いている。学生時代は藤原家の援助を受けていたが、就職後は独立していた。
二十六歳の孝司は気ままな独身生活を楽しんでいる。
それでいて、子供たちのお絵かきにも付き合ってくれる、“優しいおじさん”だった。
「なんだ、父さんも幼稚園に行くのに。大樹は一緒に行かないのか?」
着替えて食堂に来たのは卓巳が最後だった。
深夜、万里子にベッドで拒絶され、卓巳は書斎のソファで眠った……いや、朝方まで悶々と悩み続けたというべきか。
子供たちは一斉に「おはようございます!」と声をあげる。
卓巳も「おはよう」と答えた。
「お父さん、家にいたんだね。お母さんと一緒じゃないから、帰ってないんだと思ってた」
結人の無邪気な声に、卓巳と万里子は複雑な表情だ。
「あ、ああ……書斎で仕事をしてたんだよ」
「ふーん」
卓巳が席に着くと、入れ替わるように万里子は立ち上がった。
「じゃあ、お母さんは先に行くわね。今日は忙しいから、後のことは千代子さんにお願いしてるから大丈夫よね?」
万里子の言葉に子供たちもメイドも「はい」と答える。
「幼稚園のこともそうだし……他にも色々、しなければならないことがたくさんあるの」
そう言うと、万里子はチラッと卓巳を見て、食堂から出て行ってしまう。
卓巳は背筋に冷たい汗が伝った。
昨夜、卓巳が帰宅したのは深夜一時を回っていた。
仕事はもっと早く終わったのだが、一旦、本社の社長室に戻ったため、遅くなったのである。そして、万里子になんと言って謝罪すべきか考えていた。
(子供を連れて行くなと言っただけで……別れるとか、出て行けとか、言ったわけじゃないんだ。そうだ、そんなつもりじゃなかった、と言って押し切ろう!)
実に情けない結論を出して、卓巳は帰宅するが……。
彼を玄関に出迎えたのは二代目執事の浮島だった。
三十を少し過ぎた彼は父親によく似ており、仕事熱心な男だった。感情が全く顔に出ず、子供たちは「浮島はロボットなんだよ」と真剣な顔で言っていたくらいだ。
『お帰りなさいませ、旦那様』
『万里子はどうした?』
『お部屋でございます。出迎えは任せるとおっしゃられて、お休みになられました』
結婚以来、万里子が卓巳を出迎えないのは、具合の悪いときだけだった。
卓巳はふいに心配になり、
『どこか、体の調子でも悪いのか?』
『いえ、そのようなことは聞いておりませんが……。旦那様、お着替えの手伝いはいかがいたしますか? わたくしでよろしければ』
『いや、いい。お前ももう寝なさい』
男に着替えを手伝ってもらうほど、卓巳は何もできないタイプではない。もともと、メイドにすら任せたことはなかった。万里子だから……色々世話を任せてきたのだ。
卓巳を私室の前まで送ると、浮島は『おやすみなさいませ』と下がって行った。
リビングには明かりが灯っていた。
卓巳はラフな服装に着替え、子供たち全員の寝顔を見てから、シャワーを浴びた。そして、夫婦の寝室に洗面所のドアからこっそりと入り込む。
(何も、こそこそする必要なんか……私に内緒で美馬に会いに行った万里子が悪いんだし……)
往生際が悪いと思いつつ、口の中で呟いた。
だが、もし万里子が本気で離婚を考えていたら……想像するだけで卓巳はひざがカタカタと笑いはじめる。
この大きな屋敷にたったひとりで取り残される恐怖が卓巳を襲った。
『万里子……寝てるのか? 具合が悪いなら、私が医者を呼んでこよう』
恐る恐る声をかけた卓巳に万里子の返事は……。
『随分、お早いお帰りですね』
『それは、本社に寄ったんだ。その……仕事が残っていて』
ひょっとして万里子は万里子で、卓巳を怒らせたと気にしていたのかもしれない。話し合いをするために帰りを待っていたのだとしたら? そう思うと、にわかに元気が出てくる。
『遅くなってすまない。美馬のことはもう気にしていないから……。お互いに意地を張り合うなんて、子供じみた真似はやめよう。――愛してるよ、万里子』
四人産んで少しはふくよかになった万里子のボディラインだが、まだまだ充分に魅力的だ。いや、卓巳にすれば、万里子以外に性的官能を覚えた女性などひとりもいない。
彼の人生から万里子を失えば、おそらく生涯、女性に触れることはないだろう。
卓巳はそんな思いを込めて、万里子に抱きついたが……。
『嘘ばっかり!』
『ど、どうしたんだ?』
『仕事だなんて……。宗さんから電話がありました。あなたが気にしていらっしゃったから、出て行かずに話し合ってください、って。会議は九時前には終わったそうじゃない!? すぐに戻られると思いますって。なのに……』
卓巳は舌打ちする。だが、宗を責められない。怖くて戻れなかった、家に電話をして万里子の帰宅を確認する勇気もなかった、など、判れと言うほうが無理だ。
『だから、なんだ? 私の仕事は……宗が知らないこともある。別に、浮気してきたわけじゃあるまいし……』
『浮気がしたいなら、してきたらいいじゃありませんか? 他の女性を妻にしたいなら、そうすればいいんだわ! あなたの望みどおり、娘を産んでくれる女性を……』
なんでここに娘の話が出るのか、卓巳にはさっぱりわからない。
だが、腕を振りほどかれ、『愛してる』の言葉を拒絶されて、卓巳の怒りも再燃した。
『わかった。美馬に倣って、もっと若い女性を探すとしよう』
卓巳の暴言に、万里子は背中を向けた。
彼はそのまま寝室と続きの間のリビングも出て、書斎に飛び込み、朝まで過ごしたのである。
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