「あ、の……万里子さん。それは、本気でおっしゃっておられるのかしら?」
六月半ば、エコ・カーニバルの実行委員会が行われた。
幼稚園のPTA用会議室を使い、十数人の実行委員が集まる。その会議中、万里子が言葉に全員の動きが止まった。
「ええ、もちろんです。クラスごとの出し物として、わたしたちの担当は喫茶コーナーと食べ物のお店が一軒。全体のバランスを考えて、焼きそばがいいと思うんです。ここの担当を、うちの主人と北斗くんのパパにお願いしたいと思いまして……」
日本最大と言われるコンツェルンの総帥である藤原卓巳が、幼稚園のイベントで焼きそばを焼く――。
それだけでも驚きのニュースだ。加えてその相棒が、かつて最大のライバルと言われた美馬グループの生き残り……美馬藤臣となれば。
現在、藤臣は新しい会社を率い、貿易部門で真っ向から卓巳に勝負を挑んでいるという話。そんなふたりの息子が同じ幼稚園に通っているのだ。それは、園や周囲の大人も気を遣うというものだろう。
「で、でも……ご主人ならおいでくださるかもしれませんけれど……。焼きそばを焼いていただくというのは、どんなものでしょう」
「そうですわよね。それに……美馬さんのご主人は一度も園の行事においでではありませんし……」
そう言って視線を向けられたのは、一番端に座る愛実であった。
愛実はひとり娘をPTAの集まりに連れてきていた。
先代社長の妻である弥生の面倒は専門の介護士と付き添いの家政婦を雇っている。小さな子どものいる愛実ひとりでは、とても面倒はみられない。実際、家の管理と食事の世話だけで手一杯の状況だ。
だが、子どもの面倒をみてもらう人手までは……。
そんな愛実に、万里子は声を掛けてきた。
「愛実さん、ご主人に話していただけたかしら?」
「え……ええ、まあ」
「予定は大丈夫そう?」
「なんとかしてもらえると思います……」
愛実が小さな声でうつむいたまま答える。
すると、万里子は嬉しそうに声をあげ、
「そう、よかった! うちの人もどうにかしてくださるそうよ。ただ、今月末はどこも株主総会で忙しいみたいだから……準備はわたしたちでしなければ無理みたいね。喫茶コーナーのほうを皆さんにお任せして、わたしたちは焼きそばの準備をしましょう」
鉄板はどこそこからお借りして、買出しは何日に……と次々に決めていく。
周囲はあんぐりと口を開けたまま、万里子の指示にうなずくだけだった。
(嘘は言ってないけれど……でも、どうすればいいの?)
愛実は張り切って計画を進める万里子をみつめ、コソッとため息をついた。
もちろん、藤臣に話はしたのだ。愛実が実行委員を務める幼稚園の行事“エコ・カーニバル”が七月の第一土曜日に行われる、と。できれば、藤臣にも父兄として協力して欲しい。そうお願いした。
『今からだと難しいな。君だけだと不味いのか?』
愛実は返事に困りつつ、男手が必要だから、と理由をつける。
『そうか……出席できるように努力するが。無理なら代わりに尚樹を行かせよう。ヤツには休みを取らせるから。男手なら、私より若い尚樹のほうが役に立つだろう』
尚樹とは愛実の弟の名だった。
今年の春に大学を卒業し、将来は藤臣を補佐するべく秘書見習いとしてついて回っている。現状では、瀬崎の補佐というべきかもしれない。
愛実はそれ以上押すことができず、『無理を言ってごめんなさい』と引いたのだった。
あの様子だと、たぶん藤臣は来られないだろう。
尚樹が来て手伝ってくれたら、イベントそのものには迷惑を掛けずに済むが……。せっかく、万里子がお膳立てしてくれた計画は台無しになってしまう。
あの日以来、万里子は何かと理由をつけて愛実を誘ってくれる。
近所のママ友たちは、多くが藤原邸に招かれているという。スペースもさることながら、専門の保育士もいるので母親たちが安心して話に熱中していられるのだ。幼稚園より少人数で、万里子と仲の良い人たちばかり……。まずは彼女たちと愛実が打ち解けたら、そう気づかってくれているのがよくわかった。
(それなのに……断ってばかりで)
家政婦の手前、こういったPTAの集まりでもない限りそうそう家を空けることはできない。家政婦は愛実の言動を親戚に知らせている様子があった。それもまた、愛実にとって負担のひとつで……。
(でもママ友なんて、私がダメな母親だって思い知らされるだけだわ……きっと)
これまでの経験で愛実は自信を失っていた。
そんな彼女にとって、真ん中で輝く万里子は自信に満ち溢れ、眩しすぎたのである。
~*~*~*~*~
「じゃあ、大樹くんはちゃんと謝ったんですか?」
尋ねたのは宗の妻、雪音だ。
万里子は雪音とふたり、皐月が愛したサンルームでお茶を飲みながら、裏庭を走り回る子どもたちに目を細めていた。
雪音はもともと藤原邸の住み込みメイド。万里子が結婚してすぐの頃は、雪音が唯一の味方だったと言ってもいい。今は、同じ年代の子どもを抱えていることもあり、子育てについていろいろ相談しあう仲である。
だが雪音にすれば、子どもを保育園に預けてメイドに復帰したいらしい。それを夫のいい加減な家族計画のせいで、万里子の出産に合わせるように彼女も妊娠してしまい、果たせずにいた。
そんな雪音に万里子は、大樹と北斗の件を話して聞かせたのだった。
「ええ、そうよ。だって、わざとじゃなければ何もしても許される、なんて教えたくはないもの」
「それはまあ……。で、相手のお子さんは?」
北斗はかなり不満そうだった。でも泣きそうな母親、愛実の顔を見て……『絵をやぶってゴメン』と小さく言い、頭を下げた。
万里子はふたりを大げさなほど褒めたが……。
「結局、最初に北斗くんに酷いことを言った子は名乗りを上げなかったの。北斗くん自身がそのことを言おうとしないから、わたしが口を挟むわけにはいかないし」
「じゃあ、北斗くんのママにもそのことは?」
「言えなかったの。愛実さんはいろいろ悩んでいるみたいで……。そこに『北斗くんと仲良くするな』なんて、子どもに言った親がいるとは」
雪音なら、幼稚園や相手の親に怒鳴り込んで行くくらいするかもしれない。
でも、愛実は繊細そうだった。子育て以外にも悩みが多そうで。力になりたいと思うのだが、家庭の事情にまで首を突っ込むのはやり過ぎに違いない。
とりあえず大樹には、『悪口を言った子が自分から言うまで、待ってあげましょうね』そう言い聞かせた。
「でも“犯罪者一家だから仲良くするな”なんて、酷い親がいるもんですね」
雪音は不愉快そうに言う。
彼女自身がマスコミに書き立てられたことはないが、夫の宗はいろいろ厳しい目に遭ってきている。
「あの人の場合は自業自得の面もありますから……。でも、それで子どもを仲間はずれにされたら、私だったら怒りますよ!」
「そうね……わたしも許せないわ。もし、同じことが自分の身に起こったら。どうして、そんな想像ができないのかしら。わたしには、とても他人事とは思えない」
万里子の言葉に雪音は何度もうなずいた。
「それはたしかに。そういった連中なら、今度は藤原からも、手のひら返したように離れて行くと思います」
(親の力関係が子ども社会にまで及ぶなんて……)
中堅企業の社長令嬢としてのんびりした中で育った万里子だ。
楽しいはずの子育てやPTA活動が、予想外にも殺伐としたものであることを知り、上流階級も楽じゃない、とつくづく思うのであった。
御堂です。
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今年最後の更新となりました。
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