第58話 『ジェスチャー』
『ファルに攻撃を加えて称狼引っぺがすぞ作戦』は見事失敗に終わった。楓と拓羅の二人の足には同じように青い痣ができている。貰っても全く嬉しくないような努力賞だ。
ファルに対する肉体攻撃は意味が無い事が分かった。しかし、かと言って精神攻撃のしようが無い。彼が何に弱いかなんて当然知らないのだ。
「どうすんだ。このまま素直に連れてかれるなんてそんなの嫌だからな」
「そう思うんなら自分も考えなさいよ」
楓の一言で拓羅は押し黙った。
しばらくして、口を開いたのは楓だった。
「こうなったら称狼に自力で逃げてもらうしかないかなぁ」
「自力で?どうやって?」
「あの位置からなら目潰しくらい軽く出来るはずでしょ」
「め……目潰し……拷問かよ」
拓羅は自分がされたわけでも無いのに目を押さえた。そしてそのまま電柱が差し迫っている事も知らず、ひたすら歩く。
その後の事は言うまでも無い。
「なーんであたしこんなバカと一緒に居るんだろ」
今更そんな疑問が頭をよぎった。幼馴染だから。又は母国が同じだから。はたまた一緒に日本に来たから。としか言いようが無い。
楓にバカにされているとも知らず、拓羅は電柱で激しくぶつけた自分の頭を撫でていた。
「でもさぁ楓、称狼にどうやって目潰ししろって言うんだ?近づいて言ったら何するか分かっちまうだろ?」
「こんな時のジェスチャーじゃん」
そう言うと、少し背伸びして拓羅に耳打ちした。
「……なるほど!」
手を叩くと、拓羅は早歩きでファルに近づく。そして背中に顔を付けている称狼の頭を軽く叩いた。
「……?」
称狼は顔を上げると、丁度自分の斜め下辺りで何やら訴えている兄を見た。身振り手振りで何かを伝えようとしている。
こんなに近くに居るのに声を出さないと言うことは、ファルに聞かれてはマズイ事なのだ、と感じとった称狼は一生懸命に拓羅を見た。
ファルを指差してから、指を二本、目に近づけたり遠のけたりしている。
時々本当に目に指を入れてしまい、押さえる事もあったが、彼が何を言いたいのかは称狼もすぐに分かった。
最終確認としてファルを指差す。拓羅は称狼の顔を見て何度も頷いた。
そして静かに離れ、時を待った。
数秒後、崩れているビルに挟まれた道で、痛々しい悲鳴が聞こえた。何故か二人分だったが。
称狼が走ってくるのを見て、楓と拓羅の二人は満足そうに笑った。しかし称狼は全く満足そうではなかった。逆に今にも泣きそうな顔をしている。
「突き指寸前だぞアニキ!!」
「あ?突き指?」
「そうだよ!目ぇ固いんだよアイツ!どんな訓練してるんだっつーの!」
第一関節で折れ曲がっている二本の指を見せて、叫んだ。
「まぁ今は逃げるのが先決だ。愚痴は後からいくらでも聞いてやる」
「そーそ。……あ、そいえばファング!」
楓の言葉に、三人同時に固まった。自分達が逃げ方法を考えるので精一杯だった頭はファングの方まで回らず、早い話が忘れていたと言うことだ。
「ファングどこ……?」
「知らねぇよ」
「俺も知らないですよ」
三人とも化石になった。この二千年後くらいにはどっかの教授が彼等を見つけて、新種の化石と騒ぎ出すかもしれない。
しかし、その心配は無くなった。一人の化石が石を割って二人の化石に言葉をぶつけたからだ。その言葉によって二人の石も砕かれた。
「どーすんの……?」
「どーしような……?」
「どーしますかね……?」
どれだけ元化石の知恵を絞っても脳味噌をフル回転させてもいい案は浮かばない。これでもかと言うほど浮かばない。脳まで化石になったとも考えられるほどだ。
案が浮かばなくてもここでジッとしているよりはマシと考えたのか、三人は走り出した。
未だに目を押さえてうずくまっているファルの横を通って、倒れたビルの列を見る。改めてファルの力の強さを知った。ここまでともなると恐怖を覚える。今まで握り潰されなかったのが奇跡のようだ。
こうもビルが全て壊されてしまっていては、まるで砂漠だ。右も左も分からない。前後左右、全てが同じ景色に見える。
そんな中で、三人は走った。どこにファングが居るのかなんて分からないが、とにかく動かない事には始まらない。
しばらく進むと、道に黒い焦げ跡のような物が付いていた。そこで思ったのは三人共同じだ。きっと、ファングはこの近くに居るのだろう。
もっと行くと、倒されたビルより酷い壊れ方をしたビルが三人を出迎えた。その壊れ方は尋常ではない。
一階の窓は全て割れ、壁にも大きな穴が開いている。中の鉄鋼数本で辛うじて立っているようだ。ダンプが突っ込んでもこうはならないだろう。そして道にまで大きな穴が開いていた。もはや生き物同士の闘いとは思えない。
「スゲェなこりゃ……」
拓羅がボソリと言った。
「下手な幽霊とかよりよっぽど怖いな」
隣で称狼も言う。しかし、それに反発する者が約一人。拓羅の隣の称狼のもう一つ隣に居る、この世で害虫と幽霊をもっとも嫌う女だ。この世界が害虫、又は幽霊に支配されたと聞かされれば、迷わず舌を噛んで死ぬ事を選ぶだろう。奴隷となれば生かされると言われようとも、やはり死ぬ事を選ぶくらい嫌っている女だ。
「幽霊居んの!?ヤダよ!!?」
『幽霊』や『害虫』の文字が出れば、最強的にくだらない下手糞な冗談でも本気にしてしまう。その冗談を信じる者が彼女ただ一人でも、死ぬまで信じ続けそうだ。
「何言ってんですか、物の例えですよ。ビビッちゃって凋婪さんらしくないなぁ」
「ビビビビビビビッってないけどさ!……って言うかこのあたしがビビる!?あり得ないね!」
楓は心配そうな顔をする称狼の目の前で腰に手を当てた。
「あ、幽霊」
称狼の後ろで拓羅が楓の後ろを指差す。瞬間的に、彼女は拓羅の後ろに隠れた。
アフリカで猛獣に襲われても出せないスピードだ。
「なんだよお前。やっぱビビッてんじゃ…」
後ろを向いた拓羅は一気に凍った。楓から放出される冷気が氷点下三十℃なのだから、今の格好で凍らないはずが無い。
「スゲェ〜!凋婪さん人間版のユキだぁ」
以前にも、ユキに同じような事を言った者が居た。そしてそれに同意する者が約二匹。
言う相手が違っても、やはり一人と一匹は同じ傾向にあるらしい。
凍ったままの拓羅を置いて、楓はズンズン先へ進んでいった。称狼も自分の兄に情け無用で楓を追い掛けた。
「……誰か…………俺を助けてくれ……」
氷の中で、拓羅の低い声が寂しくこだました。これはもう太陽の力で溶けるのを待つしか無いようだ。二人で走っていく楓と称狼を、拓羅は氷越しに見つめた。
「それにしてもスゲェ壊れてますね、ここのビル」
「ホンット。どんだけ力あるんだか」
半ば呆れ気味に楓が言った。走りながらだからか少し息が上がっている。
楓の隣で、急に称狼が声をあげた。
「あ!」
前を指差す。楓は一度称狼を見てから指の先を見た。
横たわる灰色の物体、ファングだ。後ろにはやはり大きく穴の開いたビルがある。
頭で考えるより先に、称狼は飛び出した。すぐにファングの横に来て体を揺すった。
「ファング!おい、起きろ!!起き…」
ファングの体に置いた手を見て、一瞬固まった。ついさっきまで肌色だった自分の手は真っ赤になっている。ファングの体からは血が流れ出ていた。
辛うじて意識はあるようだ。虚ろな目を称狼に向けた。
「…………称狼様………………?」
かすれた声だ。起きあがろうとするがすぐに倒れてしまう。
称狼はそんなファングの体の下に手を入れた。そのまま手を上に上げて、ファングを抱きかかえる。
そして歩き出した。称狼の腕の中で安心したのか、ファングは眠ってしまった。
「早いとこ戻りましょう。またいつファルが戻ってくるか分からない」
楓も頷き、今度はソラ捜しだ。ソラを捜すついでに、拓羅の氷も砕いた。 |