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68章  勝ち誇る
 夕暮れの陽光が両開きの窓から廊下に差し込み、一面を朱色に染め上げる。
 廊下に面した一室。エインセ将軍の私室の扉が開かれ、一人の男が姿を見せた。
 その男を睨みつけるように、窓枠に腰を預けて腕を組んだ影が一つ。
 男は扉を閉めるとクルリと振り返り、目の前の人影に小さく肩を震わせた。
「なんだ、セティか……。驚かせるなよ」
 逆光になったセティに、眩しそうに目を細める。
「なんだ、じゃないわよ。ネイ、どうしてあんた一人なのよ。ビエリたちは?」
 セティが問い詰めるように睨みつけると、ネイは軽く両腕を開いて廊下を歩き出した。
 それを見てセティも窓枠から腰を浮かせ、すぐさま後を追って肩を並べる。
「ねえ、どうなってるの? 一人で逃げてきたの? ビエリたちはどうしたのよ? 無事なの?」
 矢つぎに飛び出す質問に、ネイは顔をしかめた。
「情報が漏れてたんだ」
「え?」
 セティは目を大きく開きながらまばたきを二度ほどして見せた。
「俺たちが潜入することを知ってやがった。領内に入った途端にヴァイセン兵に囲まれたんだ」
「……一体誰が?」
 眉間にシワを寄せながらセティが訊ねると、ネイは下唇を突き出し鼻を鳴らした。
「そんなこと知るかよ。だから、とりあえず俺だけ逃げ戻ったってわけさ。ルーとビエリを連れてたんじゃ振り切れないからな。かと言って、二人だけを残しておくわけにはいかないだろ」
「それでアティスが残ったわけ?」
「ヴァイセン領内なら、俺よりもアティスの方が詳しいからな……」
 言いながら階段を足早に下りると、立ち止まりかけたセティも慌ててその後を追う。
「将軍には何て?」
「情報が漏れていることを伝えて、犯人を必ず見つけ出すように怒鳴りつけてやったさ」
 ネイの憤慨した様子に、『怒鳴りつけた』というのが誇張ではないのが分かった。
「ふ〜ん……で、三人は無事なの?」
「アティスが一緒なら心配は無いだろうが、それでも急いだ方が良い」
「それで? あんたはどうするの?」
「準備が済めばすぐに戻るさ。アティス一人で二人を連れてるのはさすがにキツイだろ? それに、ラビも助けてやらなきゃいけない」
「あいつ、やっぱり捕まってたんだ……。それで準備って?」
 一階まで階段を下りきり、その問いに答えようとしたところでネイの足が止まる。
 表情には険しさが表れた。
 セティは怪訝そうにネイを見たが、その視線が前方にに注がれていることに気付き、その視線を追った。
 正面口の方向から、一人の男が二人に向かい歩いて来る。
 男も二人に気付き、口の端を上げて見せた。
 笑みを浮かべたその顔は、蛇を連想させる。
「よお。ヴァイセンから一人で逃げ帰ったんだってな」
「ファムート……」
 ファムートが近づき立ち止まると、ネイは無感情な視線を投げつける。
 ネイがファムートと顔を会わせるのは、この城に入城したとき以来だ。
「おいおい、そんな顔で見ないでくれよ。まさか俺が情報を漏らしたと疑ってやがるのか?」
 ネイが小さく鼻を鳴らすと、ファムートは肩をすくめた。
「俺もついさっき戻ったばかりだぜ? おまえがヴァイセンに行ってたのも、そこから逃げ帰ったのも今知ったところだ」
 ファムートはニタニタと薄笑いが浮かべた。
 その表情に得も言われる不快感を抱き、セティの頬が微かに動く。
「白々しい。ネイたちの情報を提供して将軍に取り入ったクセに! あんたが一番怪しい……」
 喰ってかかろうとするセティを、ネイは右手で制した。
 そしてファムートの格好を観察するように、視線を上下に移動させる。
 ファムートは片手に大きめ袋を持ち、薄茶色のフードを肩から掛けていた。
「旅行にでも行ってたのか?」
 ネイが皮肉的な笑みを見せると、ファムートはうつむいて低い笑い声を漏らした。
「ディアドとの国境まで行って、戦況を見物してきたのさ。世話になっている身としたら、何らかの形で恩義に報いないとな」
 ファムートのその言葉に、ネイは微かに顔を歪める。
「おまえが恩義だと? ……まいいさ。で、どうだったんだ?」
陥落おちるぜ。ディアドはあと一ヶ月も持てば良い方さ」
 そう言って笑うファムートの目に、邪まな光が揺れた。
 
 
 
 薄暗い部屋のランプに火が灯された。
 ルートリッジの住居兼研究室。二階に上り、書物をあさり始めたネイの背に、セティが怪訝そうに声をかける。
「ねえ、何を始める気?」
「いや、将軍の話では、準備が整うまでに二日くらい必要らしいからな……。その間に目を通しときたい書物があるんだ……」
 セティは椅子に腰掛けよとした動きを止め、目を見開いて数回瞬きをする。
「あんたが読書?」
「ああ……」
 ネイは背を向けたまま書物をあさり、気の無い返事を返す。
 その背に向かいセティは肩をすくめた。
「準備って?」
「ルーの証明書を用意してもらうんだ」
「証明書?」
「ああ。ルーは学者は学者でも、第ニ級の認可を受けた学者らしい」
 セティが感心したように口笛を鳴らす。
「そんな年には見えなかったけど大したものね。一体いくつなのよ?」
「それを本人に訊いたら、痺れ薬を塗った吹き矢で酷い目にあった」
 そう言ってネイは苦笑した。
 
 ――バルト大陸の学者は一級を最上位とし、五級までの階級に分かれる。
 二級以上の学者は大陸の財産とみなされ、各国が協力することを約束されていた。
 しかし、同時に学者は一国の利益に付随することを許されてはいなかった――
 
「その証明書をどうするの?」
「その証明書さえあれば、大手を振ってヴァイセン領内を移動出来るだろ。俺たちはその従者ってわけさ」
 当然のように言うネイに、セティは肩をすくめた。
「でも、証明書をそんな風に利用したら、ルーの身分も危ないんじゃない?」
「バレたらの話だ……。あった、これだ」
 ネイが目的の書物を取り上げ振って見せると、セティは緩くかぶりを振ってタメ息をついた。
 ネイはテーブルの上に書物を置き、表紙についたほこりを軽く吹き払う。
 舞い上がる埃にセティは顔をしかめて口許を押さえた。
「それは何?」
「出発前にルーが見つけてくれた物だ。ことが済んだらゆっくり目を通そうと思っていたんだが、二日間は何も出来ない状態だからな」
 ネイはテーブルの上の書物に視線を落とした。
 紅い表紙に書かれた文字は所々が剥げ落ち、ほんの数文字がなんとか読み取れる状態だった。
 その文字を読み取り、セティが呟くように口にする。
「始まり…のお……王?」
 たどたどしく読み取るセティに、ネイは満足げに頷く。
「始まりの王の歴史ってやつさ。この書物の中に『復活際』らしいことが書かれているそうだ」
 セティはその言葉を反芻すると、短く驚きの声を上げた。
 その顔を見てネイは口の端を上げる。
「復活際っていうのが何なのか、教えてもらおうじゃないか」
 ネイは紅い表紙に指をかけ、ゆっくりと開いた……。
 
 
 
 朱色の空を、暗幕が覆い始めた刻。
 長椅子に腰を下ろしたルーナの視線の先、少年が尻餅をついた。
 少年を、模造剣を片手にしたエウが厳しい表情で見下ろす。
「ダメだ、ダメだ。無暗に剣を振り上げたら、簡単に突きを入れられるぞ」
 エウに叱責され、少年は肩を落としてうつむいた。
「ほら、すぐに立ち上がらないと」
 続く叱責に、少年はノロノロその身を起こして構えを取る。
 エウは小さくタメ息を漏らすと、再び模造剣を構えた――が、その姿勢をすぐに解いた。
 そのことに気付き、少年も構えを解いてエウの視線を追った。
 二人に向かい、一組の男女が近づいて来る。
「よお、何やってるんだ?」
「ネイ君。エインセ将軍への報告は済んだのかい?」
 エウの問いにネイは小さく頭を傾けると、視線をルーナへと移した。
 ルーナわずかに首を捻り、紅い瞳をネイに向けていた。
「よお」
 軽く手を挙げて見せると、ルーナは何事も無かったかのように視線を正面に戻す。
 その態度にネイは片眉を上げ、右手を胸に添えた。
「な、なんだ? 気のせいか、恐ろしく疎外感を感じたぞ」
 たじろぐネイの後方、セティが笑いを噛み殺す。
「あんたが黙っていなくなったから怒ってるんじゃない?」
 ネイは振り返り、ニヤニヤと笑うセティに向かって両腕を開いて見せた。
 ネイはルーナに歩み寄り、隣にドカリと腰を下ろした。
「ああ…なんだ……その――」
 チラリとルーナの頭を見下ろすが、その頭は正面を向いたまま微動だにしない。
 ネイは一つ咳払いすると、いきなり少年に向かって人差し指を向けた。
 指された少年はビクリと震え、直立不動で身体を固める。
「そうだ、そのガキだ! そいつは何だ?」
 セティが吹き出し、エウも苦笑しながら肩をすくめた。
 ただ、少年だけがオロオロと視線を泳がせていた。
 
 
 
 セティの話に耳を傾けていたネイは小さく鼻を鳴らした。
「なるほどねえ……。ビエリみたいなガキだな。あいつとなら気が合うんじゃないか?」
 冷やかしを込めた笑みをセティに向けると、ネイの意に反してセティは冷やかな視線を返す。
 その予想外の反応に驚き、ネイは笑みを消して顎を引いた。
「まあ、あれだな。気持ちの問題だ。そういうヤツは勇気ってもんが足りない」
「……」
 自分に納得するように頷くネイの隣、セティは表情の無い顔を少年に向けた。
 少年は再び尻餅をつき、申し訳無さそうに上目遣いにエウを見上げている。
「しかし、エウも物好きなヤツだな」
 言いながらネイは腰を上げ、エウたちの元に歩み寄ると、地べたに座り込む少年を見下ろした。
 少年の恐々とした目がネイに向けられる。
 ネイはその目を見返し、タメ息をつくと緩くかぶりを振った。
「セティに聞いたぜ。明日、悪ガキ共とやり合うんだろ? 今さら剣術を教えたところで無駄なんじゃないか?」
 ネイの言葉に、少年はがっくりと頭を垂れる。
「ではどうしろと?」
 エウが不愉快そうにネイを見ると、ネイは微かに口の端を上げて見せた。
「要は、悪ガキ共を見返してやれば良いんだろ?」
「……それで?」
「だったら――」
 ネイは少年の前にしゃがみ込むと、土を軽く掴み少年の顔に向かい下から投げかけた。
 少年は小さな悲鳴を上げて顔を背けると、顔にかかった土を必死に払い除ける。
「一番威張ってるヤツの目を潰してやれ。あとはそいつだけを狙えば良い。群れてるガキは、リーダー格がヤラれると急にしおらしくなるもんだ」
 得意げに言うネイに、エウは苦笑した。
「ネイ君……。そんな姑息な手段で……」
 呆れるエウに、ネイは薄い笑みを向けた。
「姑息? 剣のお稽古じゃないんだぜ。それに、そんなことは普通にやって勝てるヤツの台詞だ」
 ネイがゆっくりと立ち上がると、互いにその目を見据える。
「例え今回は無理でも、正々堂々と立ち向かうことが次の自信に繋がるだろ?」
 エウが胸を張ると、ネイは鼻で小さく笑い飛ばした。
「次の自信だと? 笑わせるな。負けて自身が身に付くかよ」
 二人の対話に少年は力無くうな垂れた。
 どちらの言い分も、結局のところは『勝てない』ということを前提にしている。
「ネイ君。君は何か調べ物をしていたのだろ?」
 その言葉にネイは一瞬たじろぎ、不機嫌そうに下唇を突き出した。
 その様子を見て取り、エウは何かを察して勝ち誇ったように目を細めた。
「こんな所で時間を食ってないで、その調べ物とやらを済ませてきたらどうだい?」
 ネイが顔を歪め、遠巻きに様子を窺っていたセティが苦笑する。
「なんなら手伝っても良いよ。何せ私は盗賊と違い、教養というものも兼ね備えているからね」
 ネイは歯を噛み締め、澄ましたエウの顔を睨みつける。
 その視線を、エウは口許に笑みを浮かべながら受け止めた。
 しかし、そこでネイは何かを思いたったように、フと肩の力を抜いた。
 エウが怪訝そうにネイを見る。
「いやいや、そう言ってくれると助かる。ぜひともお願いしたい」
 ネイはエウに向かい、姿勢を正して深々と頭を下げた。
 その素直さに、エウは口許をわずかに引き攣らせた。
 
 
 
「エウ、これなんだよ」
 城の一室。ネイはテーブルの上に先ほどの書物そっと置いた。
 そして頭を下げながら、うやうやしくその書物をエウに向かい押し出す。
 ネイの素直さに不気味なものを感じ、書物を覗き込んだエウが表情を一変させた。
「どうした? 早く頼むよ」
 促され、エウは咳払いを一つすると、恐る々書物を開く。
 その書物の文字に目を通し、予感が的中した事実に表情を固める。
 それと同時に、ネイが急に素直になった理由を悟った。
「いや〜、エウが教養のある人間で良かったなあ……。なあ少年、君は良い師に出会ったぞ」
 ネイがわざとらしい笑顔を浮かべ、少年の肩を軽く叩いた。
 少年はどういう態度を示すべきか分からず、ただ小さく頭を下げる。
「さあ、エウ。頼むよ」
「……」
 嬉しそうに催促するネイを、エウは憎々しげに睨んだ。
「……よめん」
 苦しげにエウが呟くと、ネイは耳に手を当てて顔を突き出す。
「は? なんだって?」
「……読めないと言ったんだ」
 直後、ネイは思い切り吹きだし、少年の肩に腕を回してエウを指差した。
「やっぱりだ! こいつは俺が字を読めないと思って勝ち誇っていやがった!」
「くっ!」
 エウは悔しげに、もう一度書物に視線を落とした。
 そこには、現在では使われることのない古代文字が並んでいた。
 現在、この文字を解読出来るのは限られた学者のみだ。
「少年、見たか! これがコイツの本性だ! 偏見で人を見下しやがる浅はかな男だ!」
 ネイはさも愉快そうに、底意地の悪い笑みを浮かべる。
「そんなヤツに教わることなんてないぞ。俺に任せろ。俺の方が役立つことを教えられる」
「くっ! 自分だって読めなかったんだろ!」
 目を吊り上げ反論するエウに、ネイも目を吊り上げながら罵声を飛ばす。
 掴みかかりながら罵声を飛ばしあう二人を、少年はオロオロと交互に見た。
 そんな少年の肩にセティが手を置き、緩くかぶりを振った。
「どっちもどっちね。あんた、ああいう大人になっちゃダメよ」
 明日に控えた決闘。
 少年はいがみ合う二人を見て、がっくりと肩を落とした……
 
 
 
 つづく
 
 
 前回の話から、かなり日が空いてしまいました……。
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 最近、腰痛が酷く、座っていることがキツい……
 次回はなるべく早く、更新します。(1/10)


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