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59章  許せぬ行為
「ファムートォォ!」
 アシムの腹の底から湧き出したような咆哮。それと同時に木の幹から地面へと着地した。
 その動きは荒々しく、普段の冷静さは感じられない。
 静寂の気配は嵐の気配に。荒立つ海へと変貌を遂げたかのように、アシムの激情が前面に押し出されていた。
「アシム! 待て!」
 ネイはアシムの声を聞き、アシムが見える壁際まで来て制止しようとしたが、すでにそれは不可能だった。
 ネイは舌打ちをすると、街の方角から向かってくる男に視線を移した。
 短く逆立てた茶色の髪、左右に開き気味の眼、大きめの口には薄い笑みが浮かんでいた。
 男は間違いなくズラタンの館で見た人物、ファムートだ。
 アシムは教会の表口方向に走りながら、背にした矢筒から矢を引き抜いた。
 フードを被った人物も、壁の陰からアシムが向かって来るのを察し、腰に差した剣へと右手を伸ばした。
 アシムが教会の表口に飛び出したと同時に、滑り込むように膝を突いた。
「くっ!」
 ネイはアシムが飛び出すよりわずかに早く、剣を抜こうとしていた目の前の相手に飛び掛り一緒に倒れ込んだ。
 その直後、ヒュンと風を切る音がネイの耳に飛び込んで来る。
 ネイは倒れ込みながら、反射的にファムートへと目をやった。
 ファムートはアシムの出現に素早く反応すると、横に飛び退いて矢を避けると同時に背から何かを引き抜いた。
 クロスボウだ。背に隠していたクロスボウを飛び退きながら構えると、その矢先がアシムへと向く。
 そして、ファームトは倒れ込む直前にクロスボウの引き鉄を引いた。
 再び風を切る音が鳴る。
 放たれたクロスボウの矢は、立ち上がったアシムの胸部を的確に捉えていた。
 しかし、アシムも半身の体勢になりクロスボウの矢を躱した――と、その場にいた誰もが思った。だが次の瞬間、我が目を疑うこととなる。
 アシムはクロスボウの矢が横を通過するとき、その矢を右手で『掴み取った』のだ。
 そして掴み取った矢を反転させるとそれをそのまま己の矢とし、弓弦ゆみづるにかけて矢を引いた。
「化物が!」
 ファームトはアシムの行動を見てそう吐き捨てながら、膝を突いて矢をセットしようとする。
 しかし、アシムが矢を放つ方が遥かに早い。
「くそっ!」
 再び放たれた矢はファムートの肩を掠める。
 放った矢がクロスボウの物だっため、アシムの狙いがわずかに逸れたのだ。
 しかし、アシムその後も続け様に矢を放ち、ファムートが矢をセットする余裕を与えなかった。
 ファムートは襲い掛かる矢を転がりながら避け、教会の陰に飛び込んだ。
「くっ!」
 今度は仕留めそこなったアシムの表情が悔しさに歪む。
「一体どうなってんだ!」
 矢が止まった機を見て、頭を抱えながら伏せていたラビが叫び声を上げた。
「彼等は知り合いではなかったのか!」
 ネイの下に倒れ込んでいるフードの人物も、ネイを見上げながら声を上げた。
 ネイは身体を起こしてフードの人物から離れると、アシムに目をやった。
 アシムは、再び教会の裏手に回り込もうとしている。
「知り合いは知り合いでも、茶を飲む仲じゃないってことだ!」
 ネイはフードの男に吐き捨てると、アシムの後を追って走った。
 
 
 
「ヒャッハッハ! いきなり大した挨拶だな、アシム! 失礼にも程があるぞ!」
 アシムが身を隠した教会西側の壁。その反対側、東側の壁に身を隠しながら、ファムートが甲高い笑い声を上げる。
「アシム! やめろ!」
 教会の表口から走ってきたネイが声をかけた同時に、アシムは木に素早く駆け登った。
 そして、そこから教会の屋根へと飛び移る。
 教会の屋根に登ったアシムは東側に向かい走り出すと、何のためらいもなく横向きに宙返りをして屋根からおどり出た。
「甘いぜ!」
 下にいたファムートもクロスボウを向けて待ち構えていた。
 頭上に向かい狙いを定めるファムート。宙で逆さの状態になり弓を構えるアシム。
 二人の矢が同時に放たれ、二つの風を切る音が交差する。
 …
 ……
 ………
「ぐっ!」
 膝を突いたのはファムートだった。
 アシムの矢はファムートの左太股に刺さり、ファムートの矢はアシムの頬を掠めていった。
 動きを止めていた者と、動き止めなかった者の差が出た。
 アシムは空中で身をひるがえすと、膝のクッションを利かせて地面に着地し、ファムートに向かって再び弓を構えた。
 一瞬の静寂。アシムの怒りと、ファムートの不自然な余裕が絡み合う。
「……悔いろとは言わない。ただ逝きなさい」
 静かに処刑の宣告を告げたアシムを、ファムートは薄ら笑いを浮かべて見上げていた。
「よせ、アシム!」
 そのとき、ネイと他の二人が表口の方向から回りこんで来た。
「……」
 ネイの呼びかけも、アシムの弓を下げさせることは出来ない。顔を向けようとすらしない。
「落ち着け、アシム。コイツは……この人はエインセ将軍だ」
 ネイは息を荒げてそう言いながら、背後に立つフードの人物を親指で指し示した。
 フードの人物の目が一瞬大きく開かれ、ラビは小さく口笛を吹いた。
「どういう経緯か知らないが、ファムートそいつは将軍の客人らしい」
 そう言ってネイはチラリとファムートに視線を移す。
「そいつをれば、オマエも俺もただでは済まない……」
 ネイが呼吸を整えながらゆっくりと語りかけると、膝を突いていたファムートが俯いて低い笑い声を発した。
「オマエのお仲間の方が、良く状況を理解しているじゃないか」
 ファムートはそう言うと顔を上げ、甲高い笑い声を上げながら自分の眉間を指差した。
「ヒャッハッハ! アシム、矢を放ってみろよ。そうすりゃオマエたちはこの国でもお尋ね者だ! 金の力で地位を手に入れたズラタンとはワケが違うぜ。なんせ一国の将軍に弓を引くことになるんだからな」
 眼を一杯に開き、そう叫ぶと再び高い笑い声を上げる。
 そのいびつな笑い声に、アシムの表情が歪んだ。
 その直後、押し殺されていたアシムの殺気が急速に顔を出した。それと同時にアシムの全神経が完全にファムートへと向く。
 しかし、その隙をネイは見逃さなかった。
「っ!」
 弓弦にかけらた指が放される直前、ネイは地面を蹴りアシムの腰へと飛びついた。
 アシムはネイと共に倒れ込み、放たれた矢はファムートの右側へ逸れて地面に突き刺さる。
「なっ! 離しなさい、ネイ!」
 アシムは身悶えするが、ネイは何とかアシムを取り押さえようとする。
「ドングリ! 何か縛る物を貸せ!」
「誰がドングリだ!」
 ラビは怒鳴り返し、オロオロと周囲を見回すがそれらしき物は目につかない。
 すると、フードの人物が口許に巻いていた布を外し、それを使って素早くアシムを後ろ手に縛りつけた。
「離しなさい、ネイ!」
 アシムは地面にうつ伏せになり、悔しげに顔を歪ませながら叫んだ。
 ファムートはアシムの様子を見ながら薄い笑みを浮かべると、ゆっくりと立ち上がり太股に刺さった矢を引き抜く。
 そしてそれを投げ捨てると、クロスボウに矢をセットしてアシムへと歩み寄った。
「ヒャッハッハ! 残念だったなあ、アシム。あと少し……あともう少しだったのにな」
 そう言いながら、左手の親指と人差し指で輪を作って見せる。
 アシムはうつ伏せに押さえ付けられながら、歯を噛み締めてファムートを見上げるようにしていた。
 ファームートは笑みを消して一度鼻を鳴らすと、クロスボウをアシムの顔に向けて構える。
「止めないか」
 フードの人物の重く静かな声がそれを制した。
 ファームトは一呼吸間を置き、再び薄い笑みを浮かべるとクロスボウを上へと向ける。
「見逃してやるよ、アシム。俺に感謝しな」
 屈辱的な言葉。ファムートの甲高い笑い声が、日の暮れた教会に響いた。
 
 
 
理由わけは後で聞く。下がっていろ」
 フードの人物がファムートに言うと、ファムートは肩をすくめてアシムから距離を取った。
 それを見届け、フードの人物はネイたちに振り返ると、フードを外してその顔を晒す。
 充分に陽に焼けた浅黒い肌。やや四角張った彫りの深い顔。その顔には経験を物語る深いシワが幾本も刻まれている。
 そして、短く刈られた頭髪。意志の強さを示すような太く真っ直ぐな眉。鼻下から顎にかけ綺麗に整えられた髭……それら全ては白一色だった。
「良いのかよ、素顔を晒しちまって」
 アシムの右に立つネイがそう言うと、モスグリーンの瞳が真っ直ぐにネイを捉える。
「どうやら、君はすでに分かっていたようだからな……」
 エインセ将軍は口許に笑みを作って見せるが、その目は決して笑ってはいない。
 そして次にその視線はアシムの左へと向けられる。
 ラビだ。ラビはその視線を受けると、慌てたように手を左右に振った。
「お、俺が教えたわけじゃないですよ」
 ラビが慌てて弁解をすると、エインセ将軍は小さく笑った。
「分かっている。どうやら我々はギルドの人間を過小評価していたようだ」
 その言葉を聞いてネイは一度鼻を鳴らした。
 エインセ将軍は、ネイとラビに押さえられたアシムに視線を向けると、眉間に深いシワを作った。
 明らかにアシムの処遇に困っているのが分かる。
「残念ながら私はファムートと君の事情は知らない。だが如何なる事情があれ、私が客人として迎え入れてる人間を強襲したのは事実だ……」
 アシムに向けられた言葉に、ネイがゴクリと唾を飲み込んだ。
「しかし、それは私と知らずに働いた行為として目を瞑ってもいい。ただし――」
 そこでエインセ将軍の視線は再びネイへと戻った。
「君たちが我々に協力するというのなら……の話だ」
「協力? それは交渉か? それとも脅迫か?」
 エインセ将軍の視線に気圧されぬように、ネイが口許だけ笑って見せるとエインセ将軍は目を細めた。
「それは好きなように取ってくれて構わない。どういう受け取り方をしようが、選択肢が増えるわけではないからな」
 ネイはエインセ将軍を睨みつけるが、エインセ将軍は眉一つ動かすことはない。
「先に言っておくが、もし俺たちに何かあれば仲間が聖都に駆け込むことになってるぜ」
 その言葉を聞き、エインセ将軍がラビに顔を向けるとラビは深く頷いた。
「こいつ等の仲間は、少なくともあと一人はいます」
「なるほど。それでどうするというのだ?」
「あんたの行動を教会本部に報告するのさ」
 エインセ将軍の顔から笑みが消える。そして、それを見計らいネイは薄い笑みを浮かべた。
「枢機卿を探らせていたことを言っているのか? だったら好きにすればいい。彼は雇っているだけであって、私の部下というわけではないのだよ」
 ラビへの絶対の信用か、自分自身への揺ぎない自負か、仮にラビが捕らわれたとしても、二人の繋がりはどうとでも出来るという自信に溢れている。
「フフ、それだけだと良いがな。あんた、やっぱり俺たちを舐めすぎだぜ」
「……」 
「もちろん、こっちは将軍殿を脅すなんて大それたことを考えているわけじゃない。ただ、こっちの要求も多少は飲んでもらいたいだけだ。それが正しい交渉ってやつだろ?」
「……どういう望みだ?」
 ネイは内心安堵の息をつく。今の台詞で、エインセ将軍が自分たちを図りかねているという確信が持てた。
 やはり名前を言い当てられたのが効いている。そう思い、胸の内でセティに感謝した。
「とりあえずアンタたちは一度消えてくれ。こんな状況になっちゃあ、まともな話合いなんて出来ないだろ?」
 そう言ってネイは一度チラリとファムートを見る。
「その間に君たちが逃げ出さないという保証は?」
「信用してもらうしかないな。だが、信用するしかない部分があるのはお互い様だろ?」
「……」
 わずかな間、二人は互いに腹の底を覗き合うように無言で相手の目を見据えた。
 その緊迫した空気を打破したのは教会の扉が開く音だった。
 騒ぎを聞きつけつけてか、先日顔を合わせた司祭が不信げに外に出てくる。
 ネイたちの存在に気付くと、後ろ手に縛られたアシムに視線をやったのが分かった。
 その状況を訝しげに窺っていたが、すぐに見覚えのある顔だと気付きわずかに表情を緩ませる。
「貴方たちは先日の……。一体何の騒ぎです?」
 そう問いかけてくる司祭から、エインセ将軍は顔を背けて小さく鼻で笑った。
「良いだろう。では深夜、日が変わる刻に再びこの場所で相見あいまみえよう」
 小声で発せられたその言葉にネイは小さく頷いた。
「そのときはお互い一人で来ることにして欲しい。もう顔が知れた者同士、何の問題もないだろ?」
 今度はエインセ将軍が頷き、フードを被りきびすを返した。
 エインセ将軍が街に戻るのを見て、アシムを押さえていたラビが続き、ファムートもその後を追った。
 アシムは去り行くファムートの名を叫び、ファムートはただ肩越しに笑みを返しただけだった……。
 
 
 
 ネイは何も問題の無いことを告げて司祭を追い払うと、アシムの手首に巻かれた布を解きにかかった。
「オマエらしくないぞ」
 静かな口調でたしなめるように言う。
 縄が解かれて両手が自由になると、アシムは傍らに置かれた弓と矢筒を掴み取り、すぐにファムートの後を追おうとした。
 しかし、ネイがアシムの肩を掴みそれを止めた。
「止めておけよ。エインセ将軍はこの国で最も多くの兵士を動かすことが出来る人物だ。そんなヤツがこの街まで何の兵力も無しにノコノコと出向くと思うか? あのファムートってヤツに近づく前に捕らわれて終わりさ」
「っ!」
 アシムは悔しさに顔を歪ませ振り返ると、拳を握り締めながらうな垂れた。
 しかし、何かを思いついたようにすぐに顔を跳ね上げる。
「いけません……いけませんよ、ネイ。ファムートを迎え入れている者と手を組むなんて」
 眉間にシワを寄せて真剣に訴えかけるが、ネイは何も答えず無言のままアシムを見つめる。
「約束してください。彼等とは関係を持たないと」
「……アシム。今は安全な場所が必要だ」
 ネイが目を逸らさず静かに答えると、アシムは顔を背けて表情に苦痛の色を滲ませた。
「いけません。それだけは、それだけは受け入れられない」
「……」
 顔を背けたアシムを見つめるネイの顔は、凍りついたように無表情だった。
 何も言わないネイに、アシムは顔を背けたまま言葉を続ける。
「私が貴方と共に『森』を出たのは、ただ貴方に協力するためだと思いましたか?」
 ネイはその問いに何も答えず、ただ首だけを左右に振った。
 そんなはずは無いとネイにも分かっていた。
「貴方に協力するというのは、規律を破るための言い訳です」
「規律?」
「そうです。それを破るための理由が欲しかったんですよ」
 アシムは背けた顔をネイに向ける。
「私の部族は復讐を固く禁ずる。だから復讐のためではなく、貴方に協力するために森を出るのだという言い訳を、自分自身と部族に対してしていただけです」
「……」
 ネイが何も言わずにいると、アシムは一度自虐的な笑みを浮かべて大きく息を吐き出した。
「本当は、初めからあの男を捜すために……あの男を殺すために森を出たがっていたんですよ。そのためのちょうど良い理由が転がり込んで来たんです」
「……」
「あの男は私の妹を……その命を、私の目の前で奪ったんです」
 アシムの意識が過去へと飛ぶ。忘れえぬ悪夢の始まりの日へと……
 
 
 
 つづく
 
 
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