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55章  水と油
 街路灯の明かりがその役割を充分に果たす時刻。一際賑わう建物にネイは入った。
 涼風亭。ここ、ソエールで外来者用の宿だ。
 外来者用の宿だけあり、賑わっているといってもどこか落ち着いた雰囲気がある。
 ネイは、自分が涼風亭を出たときと変わらぬ席に、アシムたちがまだ腰を据えているのを確認し、人を避けながらその席に近づいた。
 アシムとセティもネイたちが戻ってきたことに気付き、顔を向けて軽く手を上げてくる。
 アシムたちの元まで来ると、ネイは一番手前の椅子を引きながらテーブルに視線を落とした。
 空き皿の片付けられたテーブルに、今度は空になったカップが三つ置いてある。
「……ドングリはもう来たのか?」
 それにアシムが無言で頷いた。
 ネイは鼻を鳴らし、引いた椅子にルーナを座らせると、空いている席に自らも腰を下ろして腕を組んだ。
「で、なんだって?」
 ネイが訊くと、その問いにセティが答える。
 四日後の夕刻、街の教会前で待て。
「四日後か……思ったよりも時間が掛かるな」
 ネイは不満そうに呟くと、周囲を見渡して落ち着く間もなく再び席を立った。
 席を立ったネイはカウンターに行き、宿の人間に何かを話しかけるとそこをすぐに離れる。
 すると今度は宿の壁に貼ってあった物を外し、それを持ってアシムたちの元に戻って来た。
「なんです?」
 アシムが怪訝そうに訊くと、ネイは壁から外した物をテーブルに広げた。
「この地方の地図を借りてきた」
「なるほど、地図ですか」
 宿にはよくこういった地方地図が貼ってある。
「四日後ってことは、だいたい片道二日の場所だな……」
 独り言のように呟き、広げた地図に視線を落とす。
「そうすると二箇所か……」
「馬を使って三箇所ね」
「三箇所?」
 地図を見ることの出来ないアシムは首を傾げた。
「ああ。その時間で、行き来が可能な街は三箇所だ」
「では、ラビの雇い主はその三箇所のどれかに?」
「だろうな。その他の街は四日だとちょっと遠すぎる」
 そう言うとネイは顎に手を当て、地図を見下ろしながらしばし思考する。
 セティとアシムはこの国に土地鑑がないため、ネイが何らかの答えを出すのを黙って待つことにした。
 そうしてネイが自分の考えをまとめると、地図上に在る一つの街を指差して数回叩く。
「おそらくこの街だ」
 そこは三箇所のうち、最も離れた場所に記されている街だった。
「なぜ?」
 セティも地図に視線を落としながらその理由を訊ねた。
「ドングリは教会の枢機卿ってヤツを調べてたって言ったろ。ということは、何らかの不自然な点がその人物にあったってことだ。だが、枢機卿といえば教会で第二位の地位らしいじゃないか。一介の信者にそんな人間の行動が分かるわけがない。ある程度教会に顔が利く人間じゃなきゃ無理だ」
 そこでアシムが同意するように頷く。
「逆に言えば、顔が利くからこそドングリを雇っている。そして、人を雇えるってことは……」
「金銭的にも優れてるってことよね」
 ネイは頷いて肯定した。
「そこまでは分かりますが、それでなぜ場所の特定を?」
「まず二つの街は、俺の記憶と変わらないならそれほど大きくない街だ。たしかに領主のような金持ちもいるが、そんな人間はごくわずかだ。それだとすぐに誰だか特定されちまう。もしそうならドングリはあそこまで俺たちに情報を提供しないさ」
「で、その街は違うの?」
「ああ。かなり大きな街だ。フォンテーヌでは二番目に大きい。そして、金を持て余しているヤツも大勢いる。なにせ高貴な方々の住まう地だからな」
 ネイが皮肉めいた笑みを浮かべると、セティは顔をしかめて舌を出した。
「貴族って人種ね」
 ネイは頷くと、セティに顔を向けた。
「セティ。三日で相手を絞り込めるか?」
 そう言われると、セティは唇を突き出しながら頭を掻く。
「三日……難しいわね」
「ギルドの情報網とやらを使えばどうですか?」
 横からアシムが口をはさむが、セティはタメ息混じりに首を振った。
「それは無理ね。フォンティーヌの盗賊は独自の形態を持っていて、大陸で唯一ギルドの手が及ばない国なの」
「そうですか……」
 それでもネイがジッとセティを見ると、セティは大きくタメ息をついて肩を落とした。
「分かったわよ。やってみるわよ。でもあまり期待しないでよね」
 ネイがその返事に満足そうに頷くと、セティは軽く息を吐き出して腰を上げた。
「話が済んだなら先に部屋に行ってるわ。お湯浴びるけど、あんたも来る?」
 セティがルーナを誘うと、ルーナもユピを抱えたまま無言で立ち上がる。
「じゃあ、俺はまたちょっと出て来る。アシム、おまえも付き合え」
「今からですか?」
「ああ。ちょっと路銀を稼いで来るんだよ」
「路銀を?」
 首を捻るアシムに、ネイは微笑を浮かべた。
 
 
 
「一体どこへ?」
 涼風亭を出てアシムがまず発した言葉がそれだ。
 ネイはそれには答えず、黙ってついて来いというような手振りを見せて先を歩いた。
 アシムは不満な表情を見せるが、諦めたように肩をすくめると黙ってネイに従った。
 そのアシムの表情が、広場に差し掛かったところで一瞬険しくなる。
「ネイ……」
 背後からアシムが小声で呼びかけるが、ネイは背を向けたまま右手でそれを制した。
 二人はそのまま広場を通り抜けると、東に伸びる通りへ入る。
 つい先刻、薬屋がいた通りだ。しかし、今はその薬屋の姿はない。
 ネイはそれを気にする風でもなく、その通りを真っ直ぐに先へと進んでいく。
 そうして歩を進めると、路は北に向かいカーブを描き始め、それに合わせるように緩やかな上り坂になっていく。
 その頃になると周囲の景色も少しばかり変化を見せ始めた。
 立ち並ぶ建物が、先へ進むほどに豪華になっていくのだ。しかし、その変化にもちろんアシムは気付かない。
「ネイ。一体どこに向かっているんです」
 たまらずアシムが声をかける。
「……この地域は、この街でも裕福なヤツらが住める地域なんだよ」
 ネイがそう答えると、アシムが不意に足を止めた。
 それに気付いてネイも立ち止まり振り返る。
「まさか……。路銀を稼ぐというのは、良からぬ方法ではないでしょうね?」
 わずかに語気を強めながら、アシムが憮然とした表情を向けてくる。
「ハハハ……そのまさかだ」
 とぼけた笑い声の後に短く言い放つと、アシムはくるりときびすを返した。
 その肩をネイが慌てて掴む。
「お、おい、待てよ! おまえも少しは手伝え」
「お断りします」
 振り返ったアシムは眉間にシワを寄せ、汚い物にでも触れられたかのような表情で掴まれた肩に顔を向けた。
「そんな顔をするな。金がなきゃ困るだろ?」
「だからって人様のものをぬす……ムグムグ」
 ネイは慌ててアシムの口を塞ぎ、キョロキョロと周囲を見回す。
「バカっ! 道端で大声出すな」
 そう小声で言い、アシムの口からそっと手を放した。
「そんなことの片棒を私に担がせようとするとは……情けない」
 アシムはさもガッカリしたように肩を落とし、緩く首を左右に振って見せる。
 その行動で今度はネイが目を吊り上げた。
「いいか良く聞け。そんなことを言うがな、おまえの腹に入った食い物も、おまえが寝たベッドも、おまえが言う『情けない行為』のおかげで得られた物なんだぞ!」
 人差し指をアシムの鼻先に立てながら、小声で怒鳴りつける。
 アシムはネイの台詞で驚いたように両眉を上げたが、すぐに眉間にしわを寄せる。
「なるほど……だから食べ物もベッドも、どこか悪臭がしたんですね」
「くっ! おまえ……さんざん食っておいて!」
 そこからはもう子供のケンカだ。
 路の真ん中でポカポカと叩き合い、襟元を掴んで互いに罵倒し始める。ただし、周囲には聞こえない程度の小声で。
 そのとき、ネイたちが歩いて来た方向から小さな声が上がった。
「あの……」
 二人は掴み合ったまま声がした方に顔を向けた。
 アシムは意外そうな顔をし、ネイは舌打ちをする。そして互いに不機嫌そうに襟元を掴んだ手を放した。
「またアンタかよ……」
 ネイがその人物に向けて吐き捨てると、アシムは少し驚いたようにネイに顔を向けた。
「お知り合いですか?」
「そんなんじゃないさ。人違いだって言っているに聞かないんだ」
 ネイが冷たい視線をその人物――アンと名乗った女性に向けると、アンは俯いて視線を泳がせた。
 その様子を感じ取り、アシムが優しく微笑んで見せる。
「あなたでしたか……宿からずっと着いて来ていたでしょ?」
 優しく声をかけると、アンは弾かれたように顔を上げ、慌てて両手を左右に振った。
「あ、いえ、後をけたとかじゃないんです。たまたま出て来るのを見かけて……」
 苦しい言いワケに語尾が聞き取れないほど小さくなる。
 そして、そのまま俯くと右手に何かを握り締め、そっとネイに歩み寄ってきた。
「これ……」
 目の前まで来ると右手をオズオズと差し出してくる。
「……なんだこれは?」
 ネイは一度差し出された手に視線を落とし、アンを鋭く睨みつけた。
「お金に困ってたみたいだから……。今はこれしか持ち合わせがないけど……」
 その言葉にネイは低く笑って再び相手を睨みつける。
「あんた、良いところのお嬢さんだろ? 格好を見れば分かるぜ。もしかして俺をバカにしてるのか?」
「ち、ちが……」
「目障りだから消えろよ」
 その鋭い一言にアンは口をつぐんだ。
 その様子を鼻を鳴らして見下ろすと、ネイはアシムを睨んだ。
「嫌なら無理強いはしない。先に宿に戻ってろ」
 そう言ってネイは二人に背を向けると、闇路を走り去り姿を消した。
 アシムはタメ息を吐いて首を振ると、そっとアンの元に歩み寄り、その肩に優しく手を置く。
 少し肩が震えているのが分かる。
「一体どういうことなんです。もし良かった詳しく事情を聞かせてもらえませんか?」
 そう言われ、アンは力無くアシムに顔を向けると、その瞳は真っ赤に潤んでいた。
 
 
 
 涼風亭、三階の一室。
「じゃあ、あたしが部屋を出たら鍵を閉めて大人しくしてるのよ。あと、ちゃんと髪を拭くように」
 セティが前屈みになり言って聞かせると、無言のルーナに代わりユピが短く鳴いて返事をする。
 そんなユピを見てセティは小さく笑った。
「いい、ネイたちが来るまで絶対に鍵を外しちゃだめよ。それと……」
 セティは視線を上下させてルーナの格好を見る。肩から紐で吊るした太股丈の肌着姿だ。
 そして窓際に吊るされたルーナの黒い服を顎先で指し示す。
「服が乾いたらすぐ着なさい。服を着る前にネイたちを部屋に入れちゃダメよ」
 そう言ってルーナの額を指先で軽くつつき、セティは足音も立てずに部屋を出て行った。
 足音すら立てないのは、気持ちが仕事に切り替わった証だ。
 セティが部屋を出ると、ルーナは言われたとおりに鍵を掛けてベッドに腰を下ろし、これまた言われたとおりに濡れた髪を柔らかな布で拭き始める。
 その背後。ルーナの服が干されているさらに奥。そこにある両開きの窓にうっすらと人影が浮かんだ。
 セティが部屋を出るのを待ち構えていたようなタイミング。
 その気配にユピが気付き、窓の方に身体を向けて首を傾げる。
 窓の外。人影はそっと窓に手を伸ばした……。
 
 
 
 つづく
 
 
 10月19〜23日の間、PC版から投票をクリックしてくれた4名の方、大変ありがとうございます!
 他作品と比べ、人気のない私の作品ではこの人数は快挙です!感謝感激、感無量です!
 
 話が進んでも投票をクリックしてくれる方がいるということは、ここまでの話を受け入れてくれた人間が確かにいるということで……涙。
 
 今回のことを励みに、次回もがんばります!(10/24)


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