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4章   面影の背に
 ガラニスタにある酒場の喧騒。
 しかし、その一角にあるテーブルでは、周囲の喧騒とは異質の空気が漂っていた。
 まるでそこだけが凍りついているかのような緊張感を漂わせる。
 目の前の男の真意を見抜こうと、ネイは視線を外さず睨みつけるように見据えた。
 だが、ミューラーはその視線を笑顔で軽く受け流していた。
 どれほどの時間そうしていたか、ミューラーが椅子の背もたれに体重を預けて沈黙を破った。
「この国に何か御用ですか?」
 変わらず笑顔を作りながらネイに問いかけた。
「……」
 しかしネイは沈黙を守りそれには答えなかった。
「困りましたね……私の立場的には盗賊ギルドの人間をどうしたものか」
 顎の下に手を置き、大袈裟に悩む仕草を見せる。
「じゃあ酒でも飲みながら、明日の天気の話でもするか?」
 ネイは口の端を上げて皮肉を返したが、背中には相変わらず冷たい汗が伝う。
 そんなネイにミューラーは高笑いをした。
「私兵団の人間とギルドの人間が天気の話かい?」
 ミューラーはさも愉快そうに細い目をさらに細めて笑った。
 
 ――この国モントリーブは、豊富な資源と財力によって成り上がった商人の国だ。
 それゆえ王家は存在せず、財力を持つ商人こそが国を支配する。
 よって国の正規の軍なども存在せず、商人連中が街単位で兵士を雇い私兵団を形成する。
 しかし、私兵団とは言っても所詮は金で雇われた傭兵たちだ。
 実際モントリーブの人間に盗賊よりもタチが悪いと言われていた時期もある。
 ただしそれもこのミューラーが入団する以前の話だ……
 実際の腕前はよくは知られてはいない。
 しかし、荒くれ者の傭兵たちを立派な私兵団に生まれ変わらせてしまうのだから、その存在は団員のみならず、盗賊の類の者たちからしても畏怖の対象だった――
 
「街中にいたのはあんたの部下か?」
 ネイのその問いにミューラーは静かに頷いて応えた。
「あんたはこの街の私兵団じゃないだろ?」
 そう。ミューラーはこんな国境付近の私兵ではなく、本来は中心都市の私兵だ。
「残念ながらこの街……いえ、モントリーブ全域を受け持つことになってしまいましてね」
 ネイの問いにこめかみを掻きながら、照れたような表情を作って答える。
(この男がモントリーブ全域を? 厄介極まりないな)
 しかし、そんな胸中の心配も、この場を上手く切り抜けられなければ意味がない。
 そんなネイの考えを知ってか知らずか、相変わらずミューラーはその顔に笑顔を浮かべている。
「ところでネイ君……キミはこのまま店を出て、そのままベルシアに帰る気はありませんか?」
 ミューラーがゆっくりとさとすような口調で語りかけた。
「そいつは残念だが、もう少し観光を楽しみたいんでね」
 ネイは両手を軽く開き、肩をすくめて見せる。
「そうですか……じゃあ一つ忠告です」
 そう言った直後、笑顔を浮かべていたミューラーの眉間に深いシワが刻まれた。
「この国でおかしな真似をするのはおよしなさい。少なくとも今はダメです」
 そう言いながらミューラーがゆっくりと立ち上がる。
 その動きに合わせ、ネイの手も自然に腰のナイフに伸びた。
 ミューラーはネイの動きを見ると、首を左右に振りながら深くタメ息をついた。
「今この国でおかしな真似をすれば、捕らえるだけでは済まなくなります」
 ゆっくりと、しかしハッキリと言うと、その顔に再び微笑みが戻る。
「……それは脅しか?」
「いいえ、忠告です」
 ミューラーはそれだけ言うと、ネイの肩を二度ほど軽く叩き出口に向かった。
 ミューラーがテーブルを離れると、ネイは肩の力を抜き大きく息を吐き出す。
「相変わらず恐いオッさんだ」
 緊張が解けると同時に、ミューラーの言葉を小さく口の中で反芻する。
「『今は』だと?」
 やはりこの国で何かが起きている。
 ミューラーが店を出たのを確認すると、多少間を置いた後にネイも情報を集めるために席を立つ。
 店を出る間際、ウエイトレス娘が申し訳なさそうにネイを見ていたのに気付くと、ネイは娘にチップをやった。
 
 
 
「さぁ? 知らないわ」
 女が化粧を直しながらそう返事をする。
「そうか……」
 やはりこの女も大した情報を知りはしなかった。
 ネイは酒場の店主に私兵団の連中が多い理由をそれとなく訊いたが、店主も詳しい事情は知らなかった。
 そこでネイは次に、客を取ろうとしていた女に接触した。
 街のことはその街の娼婦に聞け。
 情報収集の基本中の基本だ。
 しかし、女から聞いた話は酒場の店主と大差はなかった。
 兵士の数が増えたのはここ数日だ。という程度のことだった。
 それでも全く収穫がなかったかと言えばそうでもない。
 女の話では、兵士たち自身もなぜこんな国境付近の街に多くの兵が配属されたか分からないらしい。
『言えない』のではなく『知らない』
 この差は大きい。
 要は下の者にも言えないほどの何かがあると言うことだ。
「フフフ……」
 ネイが考え込んでいると女が唐突に低く笑い出した。
「なんだ?」
「ちょとおかしかっただけよ」
「なに?」
「だってそのミューラーって人、よっぽど男にモテるのねえ」
 女が笑い声を噛み殺しながら言った。
「……どういうことだ?」
「だってその人のことを訊くのはあなたで二人目よ。それもここ数日の間で」
「っ! 俺の他にも誰かが訊いたのか?」
「ええ。確か兵士が増え始めるちょっと前くらいに」
「なんて聞かれたんだ?」
「なんてって……ミューラーはこの街に来ているかって」
「で?」
「知らないって言ったわ。だってミューラーなんて人、あなたに聞くまでどんな人かも知らなかったんだから」
「……で、そいつはどんなやつだった?」
「どんなやつ?」
 女はそう言うと、小首を傾げながら顎に人差し指を当てた。
 その仕草をすれば記憶を辿れると思っているのか、ネイには全く理解が出来なかった。
「たしか長い黒髪でえ……そうそう、左腕に大きな火傷の痕があったわ! 手首から肩にかけてぐらいの大きなやつ」
「っ! 左腕に大きな火傷?」
 ネイが訊き返すと余程自信があるのか、女は力強く頷いて見せた。
「まさか……」
「あっ! それと、確か背中にふくろうの刺青が彫ってあったわね!」
「っ!」
 女はネイの驚きをよそに、自分自身に言い聞かせるように腕組みをして数度頷いた。
 それを聞いたネイの顔が強張る。
 思いもかけない話に、口を利くことが出来ない。
「ん?どうしたの? 顔色が悪いわよ?」
 女がネイの異変に気付き、怪訝そうに顔を覗き込んだ。
 しかし女の声はネイの耳には届かなかった。
 左腕の火傷――ネイの脳裏にある人物の面影が浮かぶ。
「そんな……まさか……」
 
 面影は、運命を連れて現れる……
 
 
 
 つづく
 
 


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