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48章  先客
 一階、北回廊。その一室でネイは息を潜めた。
 慌しい足音が南回廊の方へと向かって行くのが分かる。
 ネイは呼吸を整えながら割れた窓ガラスに目をやった。
 教会の人間がアサシンに気を取られているのは良いが、いつまでもここに長居をするのは好ましくない。
 割れたガラスを見て、まだ内部に侵入者がいるといつ気付かれるか分かったものではない。
 それに、これから教会内の警戒が増すのは火を見るより明らかだ。時間が経てば経つほど脱出が困難になる。
 ある程度人の声が遠のくと、ネイは痛む身体に鞭打ってヨロヨロと立ち上がり、室内を物色し始めた。
 どうやら誰かが自室として使用しているらしく、クローゼットが目につく。
 そのクローゼットを開けると、体良く黒い祭服が数着掛けてあった。
 ネイはそれを頭から被り、白い布を見よう見真似で肩から掛けて垂らした。
 そして呼吸を一度大きく吸い込み、扉を開けて何食わぬ顔で部屋を出た。
 
 
 
 回廊では、ランプを手にして騒いでいる者と何度かすれ違った。
 すれ違い様に声を掛けてくる者もいたが、薄暗いということもあり、格別ネイを疑う者はいなかった。
 そのまま南回廊まで行って教団本部を出ようとしたが、西回廊と南回廊の角で思わず足が止まる。
 南回廊にある外への出入り口。現在は扉が開け放たれていたが、そこに白い鎧の者たちが検問さながらに立っていたのだ。
 ネイはすぐに何事も無いかのように歩き出し、その前を顔を伏せがちに通過する。そしてその際にチラリと横目で様子を窺った。
 ネイが思っていたよりも教会の行動は早かったが、どうやらまだ内部の人間を警戒している様子はない。
 外からの侵入に備えて出入り口を固めたといった感じだ。
 しかし、どちらにせよネイにとってはありがたくない話なのは確かだった。
 こんな状況でノコノコと外に出てようとすれば、どんな格好の人間でも間違いなく疑われる。
 ネイはそのまま立ち止まらずに南回廊を真っ直ぐ抜け、東回廊の角を曲がると一番手前の部屋へとそっと身を入れた。
 そこでギクリとする。目の前に人の影があったのだ。
 部屋に入る際、明かりと人の気配には注意したはずだった。
 しかし、現実に部屋の中に人がいた。そして相手も驚いたように身体を震わせたのが分かった。
 
 
 
 ネイは考えるよりも先に、その人物の口を左手で押さえに掛かる。
 そこでさらに驚くことが起こった。
 まるで鏡のように、相手もネイと全く同じ行動を取ったのだ。
 互いの口を左手で押さえ合いながら、目を見開き二人の動きが一瞬止まる。
 次の瞬間――
『ぐぇ』
 両者の声が重なった。同時に鳩尾みぞおちを殴り合い、揃って床に膝を突く。
 呼吸が止まり互いに苦しむが、無理に動かした右肩が痛みを感じた分、ネイの方が分が悪かった。
「おまえ……教会の人間じゃ……ないな」
 空気を必死に吸い込みながらネイがそう言うと、相手も顔を歪めながら睨みつけてくる。
「それは……こっちの……台詞だ」
 互い膝を突き、顔を突き合わせて睨み合うと、同時に何かに気付いたように目を見開いた。
『おまえか!』
 再び声が重なる。
 いちいち行動が重なることに、互いに嫌悪を感じて眉間にシワを寄せた。
 どちらが先に口を開くか様子を窺い合うと、相手が先に口を開いた。
「……おまえ、さっき上から落ちてきたヤツだな」
「……」
 ネイはそれには答えず、逆に相手に問いただす。
「司教たちが話てたぞ……しばらく前から侵入しているヤツっていうのはお前のことだろ?」
「……」
 今度は相手が答えない。
 そして互いに殴られた腹部を押さえながら立ち上がり、相手を品定めするように視線を上下させる。
 その人物は面長の顔に、栗色の髪を目の上で真っ直ぐに切り揃えた髪型をしていた。
 菱形のような目と、口角の下がった口許が底意地悪そうに見える。
「同業者か……」
 ネイの様子を窺っていた男が不機嫌そうに呟く。
 しかし同業者の気配を感じ、幾分か安心したようにも見えた。
 それはネイにとっても同じだった。
 盗みを生業とするものは、基本的に互いの仕事に干渉はしない。
「お前たちが騒ぎを起こしたせいで仕事が続けられなくなったじゃねえか! ドジ踏みやがって!」
 ネイに向かい歯を見せながら言ってくる表情が、なんと言えない憎らしさを感じさせる。
「けっ……ドングリみたいな髪型しやがって」
 そのネイの挑発に男は目を吊り上げた。
「な、なんだと! これは教会の人間らしく……」
 そこで男は慌てて口をつぐんだ。部屋の外で人の声が聞こえたからだ。
 その声が通り過ぎると、男は再びネイを睨みつける。
 そこでネイに一つの考えが浮かんだ。
「……おい、おまえが誰なのかは知らないが、同業者ならここから出るのに協力しないか?」
「なに?」
「この状況じゃ、お前もいつまでも教会ここに居るわけにはいかないだろ?」
「……」
 ネイの提案に男は戸惑いを見せた。
 それは当然だ。相手の力量のほどが分からなければ、足を引っ張る存在になりかねない。
 それでも即答出来ずにいるは、現在の状況では一人で抜け出すのは困難であると分かっているからだ。
「……まず名を名乗りな。決めるのはそれからだ」
 疑いの眼差しを向けてくるが、話に食いついたことにネイはニヤリと笑った。
「俺は鷹の目ホーク・アイだ」
「ほーくあい? ……盗賊ギルドのホークアイか!」
 男は目を丸くするが、ネイもネイで驚いた。
 名を知られているのは意外だったが、しかしそれは同時に好都合でもある。
 盗賊ギルドだと分かれば実力のほどは保証されるからだ。
 もちろん現在はその盗賊ギルドにも追われる身だったが、そんなことは今は関係ない。
 重要なのは、自分の実力を証明することだ。
「ふ〜ん……お前がホークアイねぇ……それにしては、こんな騒ぎを作って随分なヘマをしたもんだな」
 男は疑わしそうな視線で、覗き込むようにネイの顔を観察する。
 ネイは反論はしなかった。今は目の前の人物の協力が欲しい。
「確かに褐色の肌だな……まぁ良い。一応信じてやるよ。俺は兎の耳ラビット・イヤーだ。まあ、『ラビ』でいい」
 男が名乗ったことで同意したと受け取り、ネイは満足そうに笑みを浮かべた。
「よし。じゃあ早いとこ行こうぜ」
 ネイがそう言うと、ラビは意外そうな表情を浮かべる。
「なんだ? 何かアテがあるのか?」
「そんなモノは無いよ。でもお前はしばらく前から居たんだろ? だったら、もちろん別の脱出ルートも確保してあるんだろう?」
 当たり前のように言ったネイに、ラビは呆れた表情を見せた。
 
 
 
 慎重に、音を上げないように二人は食器棚を動かした。
「それか?」
「ああ。というわけで、お前は見張りを頼むぜ。少々音が出る」
 そう言ってラビは懐から小型のヤスリを取り出し、顔の前で左右に振って見せた。
 二人は一階、西回廊の調理部屋にいた。
 その部屋の一角。床に空いた人が一人通れそうな四角の穴。ラビが言うにはそこは下水溝と繋がっているらしく、鉄製の柵で仕切られていた。
「じゃあ誰か来たら教えてくれ」
 しゃがみこんで作業に取り掛かるラビを、ネイは眉を寄せながら見下ろすと、諦めたように出入り口に近付き外の気配に気を配った。
 ラビがヤスリで削る音が大きく聞こえ、一瞬ヒヤリとする。
 調理室には扉が無く、音が外に漏れやすい。
 唯一の利点は、穴の場所が死角になっていて外からは見えないということだけだ。
「なあ、お前と一緒に落ちてきたヤツらは連れじゃないのか?」
 ラビが作業を進めながら、顔も向けずに声を掛けた。
「連れ? よしてくれよ」
 ネイが短く答えると、それ以上ラビは何も聞いてはこなかった。
 そしてラビは結構な時間を擁し、作業を一通り終えることが出来た。
 その間、調理室の前を三度ほど人が通り、その都度作業を中断して息を飲んだ。
 もちろん気付かれた様子は無いようだったが、その度に心臓が縮む思いだ。
(やっぱり仕事は下準備が一番大事だな)
 そう思い、無計画に侵入した自分の行動に苦笑いを浮かべる。
 そんなネイを見て、ラビが身体半分を穴に入れながら小声で怒鳴りつけてくる。
「なに一人で笑ってんだ! 着いて来るなら早くしろ! それと動かした棚は戻して来い」
 そう言ってさっさと頭を引っ込めるラビに、ネイは肩をすくめた。
 
 
 
「ウサギって言うよりはネズミだな……」
 ネイがラビの後方で呟くと、その声を聞いてラビが足を止めて振り返る。
「なんだ? 文句があるなら着いて来なくいいんだぜ?」
 ラビの不満の声に、ネイは軽く両手を上げて見せた。
 ラビはその様子を見て不機嫌そうに鼻を鳴らし、前に向き直って再び歩き出す。
 下水溝はかなりの大きさで、すね程度までの深さがある水が常に流れている。
 多少臭いはあるが、それでもネイが思っていたよりはずっと『まとも』だった。
 足元を見ていたネイの様子を見て、ラビが歩きながら声を掛ける。
「なんでも近くの河から水を汲み上げて流しているんだそうだ。だから高台にあってもこれだけの水が流せるらしいぜ。教団ご自慢の仕掛けらしい」
「なるほどな……」
 ネイは教団本部に入る前に見た噴水を思い出した。その噴水も止め処なく水が流れていた。
 ラビは感心した様子のネイを横目でジッと見据えると、再び前を向いて背を向けたまま声を掛けてくる。
「ところでお前、盗み目的で侵入したわけじゃないんだろ?」
「……なんでだ?」
「だってそうだろ? ギルドの人間が盗み目的で入るのに、何の下調べもしないで来るかよ。そんなんで盗みに入るのは素人か余程のバカだ」
「確かにバカだな……」
 ネイは改めて、自分の無謀な行動に自嘲気味な笑みを浮かべる。
「なぁ、一つ教えろよ。お前が騒ぎを起こしてくれたせいで、仕事に支障が出たんだからそれくらい良いだろ?」
 そう言ったラビの声には不機嫌さが表れていた。
「……なんだ?」
「お前は何を探っていたんだ?」
 そのラビの工夫の無い聞き方に、ネイは思わず吹き出した。
「はは、ずいぶんストレートな聞き方だな」 
「同業者同士が腹を探り合ってもらちが開かないだろ?」
 ラビは初めから見張りをやらせるために協力したのではなく、自分の目的を知るために協力したのだろうとネイは思った。
 警戒する反面、前を歩く男に妙な親近感も覚える。
「俺は復活際ってやつについて知りたかったんだ」
 そこでラビは再び振り返り、片目だけを器用に見開いた。
「復活際? そんな祭りのために忍び込んだのか? お前は熱心な信者かよ」
 ネイは小さく笑いながら首を振った。
「……そんわけなわいな。で、何か分かったのか?」
 そこでもう一度ネイが首を振ると、ラビは鼻で笑い飛ばして再び前を向いた。
「無理だぜ。復活際っていうのは、名前は知っていてもその内容はほとんどの人間が知らない。どうしても知りたいなら教皇か枢機卿にでも聞くんだな」
「枢機卿……」
「ああ。教会のナンバー2だ。そんなことも知らないのか?」
 そうこうしてる内に暗闇の中、先の方に半円の光が見えてくる。
 どうやら出口が見えたようだった。
 近づくと出口には鉄の格子が取り付けられていたが、そのうちの二本をラビは上下させてあっさりと外した。
 どうやら予め細工をしておいたらしい。
 それを外し終え、ラビが振り返りながら得意気な表情をネイに見せた直後、バシャリと大きな音を上げ、出口の先に何かが落ちた。
 二人とも驚いて目を凝らすが、薄暗い中で何かは分からない。
 ただ、音の感じからしてかなりの大きさのようではあった。
 二人は互いに顔を見合わせて首を捻った。
 すると、再び大きな音を上げて何かが投げ込まれる音がする。
 今度は見えた。それは人のように見えた。
 二人は音を立てないように注意を払い、上から見えないギリギリの場所まで近付くと、まだ乱れる水面のあたりを覗き込んだ。
「ひっ!」
 そこでラビが思わず悲鳴を漏らして慌てて口を塞ぐ。
 二人が目にしたもの。それは確かに『人』だった。
 衣類を一糸纏わぬ裸体の男だ。だが二体の身体にはどちらも首から先が無かった。
 鋭利な何かで切り取られたような切り口。そして――
「っ!」
 ネイの目に止まったのは、二体のうちの一体。その左太腿の刺し傷だった。
 強烈な警告音が鳴り響き、全身に鳥肌が立った。
 とてつもなく危険なヤツが上にいると、ネイの全身がそれを感じ取る。
 次の瞬間――
「うわあぁ!」
 ラビが声を上げ、『それ』は二人の前に姿を現した。
 まるで現実味が無いように黒いフードをなびかせ、水辺にしなやかに舞降りると、頭を伏せた状態で立っている。
 ネイはチラリと二つの遺体に目を向けた。
「……こいつ等は俺を襲ったアサシンだろ? お前がったのか?」
「……」
 ネイが睨みつけながら問いただすが、相手は何も答えない。
 答える代わりに、無言のまま黒いフードの中から何かを前に突き出す。
 麻の袋だ。その袋の形から、何か丸みを帯びたモノが二つ入っているのが分かる。
 そして伏せていた顔をネイたちに向けた。
「くっ!」
 その顔を見てネイの鼓動が速度を増す。
 ネイたちに向けた顔には、白い仮面が着けられていた。
 ただ、先の二人のアサシンと違うのは、その仮面の口……口角が下がっているのではなく、わずかに上がっている。
 その口の形で、無機質な白い顔が不気味に微笑を浮かべているように見えた。
「ななな、なんだよコイツは!」
 ラビが怯えたような声をネイに向ける。
 そしてネイは一度ゴクリと喉を鳴らして言った。
亡霊ファントム……」
 
 
 
 つづく
 
 
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