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42章  ルーナの存在
 輪郭のぼやけた蒼い月が夜空に浮かぶ深夜、月の明かりを頼りにネイは聖都を駆け抜けた。
 不思議な気分だった。
 例えるなら、子供の頃に冒険と称し見知らぬ森に足を踏み入れた気分だ。
 何かが在るという期待と不安。緊張と高揚。
 しばらく感じることが出来なかった感覚に、その胸が確かに高鳴っていた。
 この街にすでにアサシンが潜んでいるのは確かで、そういった者たちに『非戦闘地区』などという概念があるのかは分からなかったが、そういった危険を差し引いても好奇心が勝った。
 セティが持ってきた情報の中にあった『復活際』と言われるもの。
 一部の信徒ちの間でまことしやかに囁かれる噂話だったが、それは十分にネイを刺激した。
 概要はこうだ。
 
 大陸を統一した『始まりの王』は神の声を聞いたという。
 それは約千年の後、神が地上に舞い降りるというものだった。
 そしてその舞い降りるために必要なものが、神が降りるための肉体――けがれを知らぬ乙女の身体だという。
 そう、始まりの王が信仰した神とは男神ではなく女神だった。
 そして『始まりの王』から約千年たった現在。その女神を降ろすための肉体はすでに存在し、『聖女』として教団が保護していると言うのだ。
 
 それだけでも充分に興味を引いたが、何よりも引きつけられたのが女神の髪だ。
 教団本部に飾られている絵画によれば、女神の髪は美しい銀色をしているという。 
 
 
 
「本気? 今動くのは危険過ぎるわ」
「私もそう思いますね。アサシンが潜んでいるならもう少し様子を見るべきです」

 宿の部屋。アシムとセティが反対する中、ネイは淡々と身支度を始めた。
「ネイ!」
 返事をしないネイにアシムが厳しい口調で声をかける。
 その声にネイは一度手を止めて、ため息をつくと頭をポリポリと掻いた。
「危険なのは分かってるさ。だが、そこまで追って来る理由が分からなきゃ手の打ちようがない。それに……」
 そこでネイは一度ルーナを見た。
 ルーナは椅子に腰を掛けたまま、ややうつむいてジッとしている。
「追って来るにしても変だ。ヴァイセンの兵を動かすほどルーナに固執するのに、手配書の類は一切出回らない。どうしても捕まえたいが他者に知られたくもない――そんな感じだろ? だったらその知られたくない理由を掴めばこっちに有利だ」
 ネイはそう言って再び身支度を始めた。
 二人はそんなネイの様子に同時にため息を吐いた。
「だからって教団本部に乗り込むなんて……そもそも復活際っていうのもまだハッキリしたわけじゃないし……何よりその『聖女』がルーナとは限らないでしょ?」
 セティがそう言うと、今度はネイが大きくため息を吐いてセティに向き直る。
「そう考えれば辻褄が合うんだよ。捕まえたいが知られたくないって言うのも納得が出来る。千年に一度の祭りだぜ? それには『穢れ無き乙女』が必要なんだろ? それが盗賊に連れ去られたとなったら、穢れ無きっていう部分にケチが付く。千年に一度の祭りも台無しさ」
 ネイはそこで間を置いてセティとアシムを交互に見る。
 しかし二人は何も言葉を発せずにいた。
「しかも女神様も銀髪らしいじゃないか。銀髪なんてそうそういない。少なくとも俺は初めて見たぜ。どうだ? 聖女にピッタリだろ? それならルーナに固執する理由も分かる。それでも疑う余地があるか?」
 そう問いても二人は何も言えずにただ黙っていた。
 そんな二人を見て反論は無いと確認し、ネイは再び準備を進めた。
「……だから確かめてやるのさ。本当に聖女ってヤツが『今も』教団にちゃんと居るかどうかを」
「でも、その聖女が普段から教団本部に居るとは限らないでしょ?」
「その時はその時さ。何かしらの情報は得られるだろ?」
 ネイがそう言って笑顔を向けると、二人はため息を吐くだけだった。
 
 
 
「あれか……」
 ネイは目標を視界に捉えると、歩調を緩めてフードを目深に被り直した。
 長く続く石段の上、微かに建物の屋根にあたる部分だけが見えている。
 ただセティの話ではそれはあくまでも教会で、本部はさらその奥に在るとのことだが、下から見上げる状態では本部を確認することは出来なかった。
 石段に目をやると信者であろう人が、深夜だというのにまばらではあるが階段を行き交っているのが見える。
「こんな夜中まで熱心なことだ」
 ネイは半ば呆れ気味に口の中で呟いた。
 しかし深夜でもこうして信者が教会を訪れているというのは、ネイにとっては幸運だった。
 それならば深夜に教会に近付いても怪しまれることはない。
 ネイは短く息を吐き出すと、顔を伏せながら階段へと歩を進めた。
 階段まで近付くとちょうど上から降りて来た老女に軽く頭を下げられ、ネイも慌てて頭を下げる。
「どうもやりにくいな」
 ネイは老女の背を苦笑いを浮かべながら見送ると、気を取り直して階段を登り始めた。
 下から見ても長い階段に思えたが、実際に登って見るとそれよりもさらに長く感じる。
 時折すれ違う信者には老いた者も多く、そんな者がこの長い階段をわざわざ登ってまで何がしたいのか、ネイにとっては理解の外だった。
 やっと階段を登り切ると敷石が真っ直ぐに教会へと伸びており、その左右に手入れの行き届いた芝生と植え込みが彩りを与えていた。
 少し外れた場所には噴水まで造られており、その噴水から流れる水が清潔さを演出する。
 そしてその光景を蜀台の蝋燭ろうそくが優しく照らし、不思議に心が落ち着く雰囲気をかもし出す。
 ネイも一瞬心を奪われ、その景色に魅入ってしまった。
 静かで穏やかな光景……それは殺伐とした罪人国ベルシアとは真逆に位置する光景だ。
 ネイはしばしその光景を眺めていると、自らを戒めるように一度咳払いをして頭を小さく振った。
(何をしているんだ俺は。見物に来たわけじゃないだろ!)
 胸中で自分を叱責し、目の前に見える教会へと向かった。
 
 
 
 教会の扉を開け、中に入ると重々しい空気を感じた。
 静寂の中、蝋燭の明かりで山吹色に照らされた部屋には他にも数人の信者が来ており、部屋の奥の壇上に立つ大きな女性の石像に向かい、膝を突いて祈りを奉げていた。
 その様子を見てネイもフードを頭から外した。他の信者も全員がそうしていたからだ。
 自分一人がフードを被っていては目立ってしまうし、手配書が出回っていない以上、顔を知る者がいるとは思えなかった。
 左右を横目で見ながらゆっくりと奥へと進み、他の者と同じように膝を突いて顔を伏せる。
 しかし顔を伏せながらもその視線は周囲に走らせていた。
 この教会からさらに本部へと続く扉がある。そのことには確信があった。
 奥に本部があるということはそこに法皇がいるはずで、その者がわざわざこの教会の外を迂回して出入りするとは考え難かった。
 ここは教会であると同時に、本部の『窓口』でもあるはずだ。
 しかし左右にはいくつかの扉があり、どれが奥へ通ずる路なのか、はたまた全てが違うのかは判断が出来なかった。
 その時、石像の後ろにある真紅の垂れ幕が揺れ、壇上の右横から肩に白い布を掛けた黒い祭服の若者が現れた。
 それと同時にひざまずいていた信者がその姿勢のまま小さく頭を下げる。
 どうやら燭台の蝋燭を交換しに来たらしく、作業が一通り済むと信者たちに向かい小さく頭を下げ、再び真紅の垂れ幕の奥に姿を消した。
 その直後にネイは立ち上がり、司祭が姿を消した場所に小走りに近付く。
 真紅の垂れ幕には切れ目が入っており、そこに指先を入れてそっと奥を覗いた。
 奥に続く通路が、左右に並ぶ蝋燭の明かりに照らされて真っ直ぐに伸びている。
 チラリと信者の方に目を向けるが、ネイの行動を気にしている者はいなかった。
 皆、自分の祈りに集中している。
 それを確認し、ネイは垂れ幕の奥へとその身をすべり込ませた。
 
 
 
 通路を進むと左側に扉がくつも並ぶのが見える。
 ちょうど教会の中央。石像の真後ろにあたる位置だ。
 その扉の隙間からは明かりが漏れ、微かに人の話し声が聞こえてくる。
 ネイは音も無く扉に近付き、鍵穴から中の様子を覗き見る。
 どうやら宿舎らしく、先ほど現れた若者と同じ格好をした者が数人で何かを語らいでいた。
 ネイはそっと扉から身体を離し、そのまま通路の奥へと歩を進めた。
 通路はネイが予想していたよりも長く、その間にいくつかあった左側の扉を通り越した。
 そのまま進むと正面に鉄製の扉が見えてくる。
 ネイはその扉に向かって歩く速度を上げた。
 しかし、扉の取っ手を掴もうとしたとき、ネイの盗賊としてのカンが危険を知らせた。
 咄嗟に近くにあった扉を開け、その中に身を飛び込む。
 どうやら入った部屋は物置として使用されていたらしく、掃除道具や庭の手入れに使う道具などの雑貨が置かれていた。
 音を上げぬようにそっと扉を閉めながら、扉に頭を近づけて耳を澄ます。
 ギギっとやや重みのある音と共に、複数の人の足音と声が聞こえてきた。
 嫌が上にも鼓動が早くなる。
 しかし、その人の気配はネイに気付く事無く扉の前を通過していった。
 胸を撫で下ろし息を大きく吐き出すと、充分な間を置いて再び通路に出て、素早く鉄製の扉を開けた。
 鉄の擦れ合う音が先ほどよりも大きいような気がしてしまう。
 しかしその音に気付く者はいない。いや、仮に聞こえていたとしても、普段から聞き慣れた音のため、さして気に止めることは無いのかもしれない。
 ネイは部屋から誰も出て来ないのを確認し、開いた扉を通り抜けた。
 
 
 
 鉄製の扉を通り抜け、出た場所は中庭だった。
 正面。中庭の中央に大きな噴水がある。
 噴水の中心には白い女性の石像が飾られ、手にした瓶から水を出していた。
 その噴水を挟んでちょうど対角の位置に短い石段があり、その先には立派な装飾の扉が見える。
 そして肝心の建物は、その扉の豪華さに見合うほどの大きさと優雅さを持っていた。
 教会と同じ真っ白の壁が、威厳と清らかさを現しているかのようだった。
 ネイは鉄製の取っ手を後ろ手に握ったまま、周囲を見渡した。
 向かいの扉までは結構な距離があり、隠れる場所もない。
 正面の建物にいる人間が、仮に窓から中庭を見下ろしたなら、ネイの姿は丸見えになるだろう。 
 しかしネイは意を決すると、身を低くして向かいの扉に向かって走った。
 ちょうど半分の距離を移動し、噴水に差し掛かったとき、正面に見える扉が微かに動いたのが見えた。
「っ!」
 心臓が口から飛び出しそうになり、慌てて立ち止まるが身を隠せる場所はない。
 そして正面の扉が開いた。
 
 
 
 ガチャガチャと音を立てながら、数人の白い鎧を着込んだ者たちが歩いて来る。
 その中でも、特に先頭を歩く者の装備は目を引いた。
 他の者と同じ様に白い鎧だが、その鎧には金の装飾に真紅のマントと、明らかに他の者と一線を駕していた。
 少しクセのある柔らかそうな金髪に端整な顔立ち。深緑の瞳はジッと正面を見据えている。
 後方に顔を向けることなく、後に続く者たちに何かを話掛けている。
 そしてそのままネイの目の前までやって来た。
「……を怠るな……すぐに見つけ出せ」
 そんな台詞をかすかに聞き取ることが出来た。
 しかし聞き取れたのはそこまでで、集団はそのままネイの前を通過し、ネイが出てきた教会への扉を開けて姿を消した。
 その集団の姿が見えなくなると、ネイはそっと立ち上がって『石像から』離れた。
 上から降り注ぐ水を再びその身に浴び、ズブ濡れになりながら水の壁を越える。
 バシャバシャと小さく音を立てながら噴水からその身を出すと、全身がすっかり水に濡れてしまっていた。
「まいったな……」
 一度自分の身体を見下ろしてため息を吐くと、集団が消えた扉に目を向けた。
『見つけ出せ』という台詞が気になった。
 自分のことだろうか?という疑問が頭をよぎる。
 それとも自分以外にも誰かが侵入しているのか?
 そんなことに一瞬気を取られたが、すぐに気持ちを切り替えた。
「こんな所でいつまでもグズグズしてちゃマズいな」
 敢えて口に出してそう言い、自嘲気味に笑うと再び扉へと歩き出す。
 そうして扉の前に立ち、その扉をそっと開いた……。
 
 
 
 つづく
 
 
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