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29章  迫るモノ
 前後左右、上下さえ認識出来ぬ中、誰かの顔がぼんやりと浮かび上がった気がした。
 紅い瞳だけがやたらと目立ち、自分に向かって何かを訴えかけているように感じる。
 頭では誰だか分かっているが、どうしてもその名が出て来ない。
 微かだが、身体が揺れているようにも感じる。
 次の瞬間、まるで紅い瞳に吸い込まれていくように、意識が深淵から浮上した。
 …
 ……
 ………
「うっ……?」
 まぶたを開けた気がするが、それでも変らぬ闇に一瞬混乱した。
 しかしその直後、自分をのぞき込む紅い瞳と、陶器のような白い肌が灯りに照らされて暗闇に浮かび上がった。
 それを認識し『自分は瞼を開けたのだ』と自覚が出来た。
 それでも身体をグイグイと揺すられる。
「おい」
「……」
 声を掛けると一旦は身体の揺れが止まったが、再び身体が揺れ始める。
「おい、もう起きてるよ。揺すらなくていい」
 そこまで言って、やっと身体を揺する手が止まった。
 ネイは上半身を起こすと、数回ゆっくりと頭を振る。
 身体のあちこちに鈍い痛みを感じた。
「おまえは無事だったのか?」
 そう言いながら自分の周辺に目をやった。
 どうやら砂の上に落ちたらしく、身体に多少の痛みがある程度で、その他の異変はとくに感じなかった。
 ネイが首筋を擦りながら周囲を見ると、ビエリが他の二人を起こしていた。
 周囲には、崩れた床の残骸が散らばって落ちている。
「ううん……」
 オツランとリーゼも目が覚めたらしく、二人もネイと同じように頭を振っていた。
 なんとか意識をハッキリとさせると、オツランがネイに笑いかける。
「どうやら無事みたいですね」
「ああ。この砂のおかげみたいだな」
 ネイが言うと、オツランとリーゼも足元を確認した。
「まるで落ちても大丈夫なように、わざわざ砂を敷き詰めてあるみたい……」
 リーゼの意見はもっともだった。
 砂は床に掘られた穴に詰め込まれているらしく、軽く踏み締めると簡単に足が砂に埋まっていく。
 そのことから、詰め込まれた砂はかなりの量だと推測することが出来た。
「どうやら上の仕掛けを考えたヤツは、さっきの落下で殺す気は無かったみたいだな」
「それでも、もし床の残骸の上に落ちていたらただじゃ済みませんでしたよ」
「日頃の行いが良い証拠だな」
 その台詞に、オツランが苦笑しながら頭をいて見せた。
「ドスル? ……コレカラ」
「『どする』って言ってもな……」
 落ちた先は一本道の通路になっていて、一方はすぐに壁が在り行き止まりとなっていた。
 もう一方は奥まで続いていそうだったが、暗闇でその先は全く見通すことが出来ない。
「……進むしかなさそうですね」
 オツランはそう言って落ちた燭台しょくだいを拾い、ビエリの持った燭台から火を移した。
 ランプの方は割れてしまい、すでに使い物になりそうにない。
 二つの燭台に火を灯すと、一方をネイに手渡す。
「仕方がないな……行くか」
 ネイはそう言って先頭に立ち、通路をゆっくりと進み始めた。
 
 
 
「なんだか不気味だわ……」
 オツランの肘に腕を回しながら、リーゼは恐々と左右の壁を交互に見た。
 壁には相変わらず壁画が描かれているが、心なしかその絵が陰湿なデザインになっている気がする。
 もっとも、その絵が何を意味するかは全く分からなかったが……。
 通路はかなりの距離が在り、結構な時間進んだ気がするが、視線の先には暗闇以外の物が今だに見えてこない。
「参りましたね。早く出口を見つけなければ……」
 オツランがネイの背に声をかけた。
 ネイはその言葉に応えなかったが、オツランと同じことを考えていた。
 なぜなら、ネイたちには飲み水が無かったからだ。
 地下は肌寒いとはいえ、いつまでも水分を取らずにいられるわけがない。
 地下に入るとき、『水も手許に持ってきておくべきだった』と自分の迂闊うかつさをネイは悔やんでいた。
 水が手に入らない土地など初めてで、正直に言えばそこまで考えが周らなかったのだ。
「っ! 前に何かあります!」
 ネイが物思いにふけっていると、オツランが背後で声を上げた。
 我に返り前方に灯りを向けると、オツランの言う通り右側の壁に何かが見える。
 警戒しながら近付いていくと、それは獣の頭を模した装飾だった。
 石で出来ているようで、大きさは人の頭ほどあり、これ見よがしに口を大きく開いている。
 ネイは口の中を灯りで照らして覗き込んでみた。
 口の奥に何か輪のような物が見える。
 それだけを確認して一歩下がると、オツランに向かい口の中を覗くように顎の先でうながした。
 それを見てオツランとリーゼも同じように口の中を覗き込む。
「……取っ手のようなものが見えますね。また何かの仕掛けでしょうかね?」
「たぶんな。問題は、その仕掛けが俺たちにとって有益なものかどうかだな」
「……」
 もちろん、そんな確率は非常に低いと分かっている。
 オツランは一度通路の先に目をやった。
 その先は相変わらずの闇で、永遠に終わりが無い気さえしてくる。
「やりましょう!」
 そのオツランの返答にネイは肩をすくめた。
「分かった。じゃあちょと離れてろ」
 オツランとリーゼが壁から離れると、もう一度装飾を確認する。
 表面に穴らしき物は見当たらなかった。
(どうやら、突然何かが飛び出してくる仕掛けではないようだな……)
 そして次に口の中をもう一度見る。
 あごが開閉する仕掛けもないようで、口の中にも穴らしき物は無かった。
 そこまで確認し、そっと右手を口の中に押し込んだ。
 指先が輪の形をした取っ手に触れると、撫でるように手を這わせてそれを掴む。
 かすかにジャラっと音がした。
 そこでネイは一度オツランを見ると、オツランは深く頷いた。
「いくぞ」
 ネイは一気に取っ手を引き、それと同時に身をかがめる。
 輪の形をした取っ手は鎖に繋がれており、ジャラジャラと音を上げながら口の中から飛び出した。
「……?」
 が、しかしそれだけだった。
 ネイは顔を背け、取っ手を握ったまま身を屈めていたが、何かが口の中から飛び出してくる気配も無い。
「……どういうことかしら?」
 オツランの背後に身を隠していたリーゼが、覗き込むように様子をうかがってきた。
「ナニモナイ?」
 リーゼたちのさらに後ろ、ルーナをかばうように立っていたビエリも覗き込む。
「ああ。どうやら何も起きないみたいだ―――今はな」
 その言葉で安堵したように、他の者たちもゆっくりとネイに近付いてきた。
「ドシタ?」
 ビエリがネイの異変に気付き、眉をひそめる。
 ネイはまだ取っ手を握ったまま身を屈めていた。
「……結構な力で鎖が『引かれる』んだよ。どうやら手を離すと戻る仕組みらしい」
「……」
 ネイは右手で握った取っ手を、左手で指差す。
「こいつが元に戻るのはまずい気がしないか?」
「……」
 ビエリたちは顔を見合わせた。
「デモ……ドスル?」
「そうよ。ずっとそうしてるわけにもいかないでしょ?」
「僕もそう思います。離してみてはどうでしょう?」
「……良いんだな?」
 三人が同時にゴクリと喉を鳴らし、小さく頷く。
「分かった……」
 ネイは言葉を言いきると同時に手を離した。
 その瞬間に鎖がジャラジャラと口の中に引き込まれていく。
 そして全てが元通り収まると、口の中でカチリと小さく音が鳴った。
 …
 ……
 ………
 身動きを取らずに周囲を警戒したが、これといって変化は何も起きなかった。
 緊張が解け、全員がホッと息をついたその時、ガタンと大きな音がどこかで鳴った。
「……」
 一同耳を澄ますと、ゴロ…ゴロ…と何か重い物がゆっくり転がる音が聞こえてくる。
 その音はネイたちが歩いて来た方向から聞こえてくるようだった。
 全員が一斉に音の方向に灯りを向けた。
「なっ!」
 そこで目にした物は、通路の幅と同じくらいある巨大な丸い岩だった。
 その岩が、ゆっくりと転がりながらネイたちに向かってきたのだ。
「こ、こんなデカい物、一体どこから現れやがったんだ!」
「そ、そんなことより先に進みましょう! あの勢いならどうせすぐに止まりますよ」
 しかし、オツランの楽観的な考えは、少し進んだだけでもろくも崩れ去った。
「あら? ここ……少し傾斜が付いてないかしら?」
 リーゼが言った通り、床に傾斜が付き始めた気がする。
「ビエリ、ルーナを抱えろっ! 走るぞっ!」
 ネイが叫ぶと、すぐさまビエリがルーナを片手で抱き上げた。
 それを合図に、全員が一斉に走り出す。
 床の傾斜は気のせいではなく、先に進むほどに角度が増していく。
 それに合わせ、後方から転がってくる岩の勢いも、その速度が増しているのが音だけではっきりと分かった。
「どうしてよ? どうしてこんなことに……」
 リーゼが走りながら無意味な疑問を口にした。
 しかし、その口調に少し前までの勝気さは無く、すでに半ベソ状態だ。
 そんなリーゼに声を掛けようと、振り返ったオツランの目が大きく見開く。
「イっ! うわあ、来ましたっ! もうすぐそこまで来ています!」
 その言葉でネイも振り返った。
 まず目に飛び込んだのは、泣きながら走るリーゼ。
 その後ろでルーナを抱えながら歯を食いしばって走るビエリ。
 そしてその更に後ろ―――微かに弾みながら勢い良く転がる岩だった。
「くそおぉ!」
 ネイも顎を上げて必死に走った。
 このままではどちらにせよ追いつかれ、岩の下敷きになるのは目に見えていた。
 そのときネイの目にあるものが飛び込んできた。
 最初は壁から壁へ、黒い絨毯が床に敷かれているのかと思ったが―――
「縦穴だ!」
 床にあったのは絨毯ではなく、大股で一歩分ほどの幅がある穴だった。
「一か八かだ! 飛び込むぞ!」
 ネイはそう言い終えるのとほぼ同時に、手を広げてその縦穴に身をおどらせた。
「えっ?」
 ネイが飛び込んだのを見てオツランが目を白黒させる。
 手を開いて勇ましく飛び込んだネイは、そのまま姿が見えなくなるはずだった……
 しかし現実は、胸から上が床から飛び出したままだ。
 縦穴はネイやオツランが思っていたよりもずっと浅かったのだ。
 すでに飛び込む勢いだったオツランは、そのまま頭を出しているネイに思い切りぶつかった。
 続いてリーゼもその勢いを止めることが出来ず、ぶつかり合って倒れ込む二人の上に崩れ落ちた。
 倒れていたネイとオツランがなんとか顔を上げると、今度はビエリの巨体が向かってくる。
 それを見た二人はリーゼを起こし、慌てて左右に分かれた。
 ビエリの入る場所を空けると、その直後にルーナを抱えた巨体が滑り込んでくる。
「頭を下げろぉ!」
 ネイが叫ぶと全員が頭を抱えて、出来る限り身を小さくする。
 その頭上に、ゴロゴロと地鳴りを上げながら岩が近付いてきた。
 縦穴の上に差し掛かり、角に当たってドゴンと大きな音が鳴ったときは、全員が頭を抱えながらビクリと肩を震わせた。
 しかし、岩は微かに浮いただけで、勢いを止めることなく転がり続ける。
「……」
 目を固く閉じながらそのままジッとしていると、地鳴りのような音が次第に遠のき、何かとぶつかり合う大きな音が上がって通路全体が震えた。
 その後は岩の転がる音も聞こえては来ない。隣の者の息遣いが聞こえるほどの静寂だ。
 それを耳で確認し、そっと瞼を上げると大きく安堵の息をついた。
「助かりましたね」
「助かるもなにも―――」
 ネイはそう言いながら、縦穴から身体を身軽に出した。
「落ちたときも思ったが、今回も本気で殺す気があったとは思えないな」
 言い終えるとしゃがみ込み、リーゼに向かって手を差し出す。
「どういうこと?」
 差し出されたネイの手を掴みながら、リーゼが眉間にシワを寄せた。
 ネイが上からリーゼを引き上げ、下からオツランが押し上げる。
「本気で殺す気ならこんな縦穴にげみちは作らないさ」
「でも、どちらにせよ死にかけたのは事実だわ」
 穴から出て服のほこりを払い落としながらリーゼは口を尖らせた。
 ネイに手を借り、穴から出て来たオツランも口を開く。
「僕も同感ですね。少なくともこの穴に飛び込むのが間に合わなければ、死んでいたのは確かです」
「……」
 釈然としないもの感じたが、ネイはそれ以上反論はしなかった。
 ルーナをビエリから受け取ると、最後は三人掛かりでビエリを引き上げる。
「ヨカッタ…デレタ」
 そう言って笑うビエリに、リーゼは白い目を向けていた。
「まあ、なんにせよ先に進むしかないんだ。さっき、あの大岩が何かにぶつかるような音がしたからな。もう少し行けばまた何かあるだろう」
「行き止まりじゃなければ良いけど……」
 不安そうにリーゼがネイを見るが、ネイは肩をすくめるだけで何も答えなかった。
「じゃあ行こうか」
 ネイがそう言うと、消えてしまっていた火を再び灯し、通路の奥へと歩を進める。
 
 
 
「そんな……」
 しばらく歩を進め、オツランが絶望的な声を上げた。
 岩は正面の壁にぶつかって真っ二つになり、周囲に砕けた破片を飛び散らせていた。
 しかし、目に付くのは『それだけ』だった……。
 横へ折れる道も無ければ、何かしらの仕掛けがありそうにも無い。
「行き止まり……」
 リーゼが呟きながらその場にへたり込む。
 ネイは険しい表情を作り、割れた岩の間を抜けて壁へと近付いた。
 それはただの岩壁のように見え、やはり仕掛けらしきものが在るようには見えない。
 それでも隅々まで観察をすると、ちょうど膝の位置くらいの場所に何かを見つけた。
 ネイはしゃがみ込んでその部分に目を凝らす。
「!」
 しゃがみ込み、壁に顔を付けるようにしているネイにビエリが声をかける。
「ナニカ……アッタカ?」
 そう訊かれてもネイはしばらくその姿勢を変えなかったが、振り返ったときには口許に笑みを浮かべていた。
「来てみろよ」
 ネイの表情で他の者にも期待の色が浮かび、壁際に慌てて走り寄る。
 ネイは一歩分横にズレると壁の一箇所を指差した。
「? ……あっ! 穴があるわ」
 リーゼがそれに気付くとネイは満足気に頷いて見せる。
 どうやら岩がぶつかり、崩れたのは岩の方だけではなかったようだ。
 壁の一部分―――膝の位置あたりの所が崩れ、わずかに穴が開いていた。
「覗いてみろ」
 そう言われてリーゼが顔を近づけると、その表情に歓喜の色が浮かぶ。
 次に覗いたオツランも同様だった。
「ナニガアル?」
「見れば分かるさ」
 ネイに言われ、ビエリも窮屈きゅうくつそうに身体を縮めて穴を覗き込んだ。
「ア……ハナ?」
 ビエリが言った通り、穴の向こう側には明かりに照らされ、無数の花が地面に咲いているのがはっきりと見えた。
「そう花だ。花が在るってことは、水が在るってことさ」
 その言葉でビエリが嬉しそうにネイを見上げた。
「その穴の部分は崩れそうだ。おまえのハンマーで叩き崩してくれ」
 ビエリは大きく頷くと立ち上がり、背負っていたハンマーを手に取った。
 それを見て、他の者は後ろに下がり距離を置いた。
「頼むぞ」
 ネイが腕を組みながら言うとビエリはもう一度頷き、ハンマーを頭上に大きく振り上げた。
 
 
 ネイたちはまだ知らない。
 壁の向こう側―――闇にうごめく影が在ったことを……
 
 
 
 つづく
 
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