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12章  心の傷痕
 柔らかな陽の光がベールのように森に差し込み始める。
 鳥たちが謳いだし、一日の始りを告げている。
「いてッ! もうちょっと丁寧に扱え!」
 顔を歪めたネイが不満の声を漏らした。
「自分が悪いのですよ。言う通りの行動をしないからです」
 その台詞に他の男たちも腕を組みながら一斉に頷く。
「おまえたちが『獣』なんて紛らわしい言い方しないで、『人間だ』ってことを初めから言えば良かったんだよ」
 ネイが抗議すると、アシムは緩く頭を振ってタメ息を漏らす。
「人間だって動物ですよ?」
 アシムの屁理屈に、ネイは鼻の頭にシワを寄せて何かを吐き出すような仕草をした。
 ことが済んでから気付いたが、川岸を転がり回ったことでネイの体中には擦り傷が出来ていた。
 見かねたアシムが荷物から薬草を取り出し、それを傷口に塗ってくれている。
 そしてその横では……
「まったく……デカい図体してなんて気の小さいヤツだ」
「ウウゥ……」
 ネイが呆れ顔で言うと、獣と呼ばれた者は正座をしたままその巨躯を限界まで小さくした。
 薬草を塗り終えたネイが横に立つと、ビクリと身体を震わせてさらに身を小さくする。
 その様子にネイはタメ息をついた。
「で、おまえの名前は?」
「ウゥ…オレ…ナマエ…ビエリ……」
 うな垂れながら、聞き取れないほどの声量でボソボソと答える。
「ビエリ?名前はビエリっていうのか?」
 ネイが怒鳴るように訊き直すと、ビエリは一度身体を震わせて小さく頷いた。
 身体が大きいだけに余計に情けなく見える。
「ではビエリ。なぜあなたはこの森に?」
 アシムがビエリの前に膝を突き、ネイとは打って変わって穏やかな口調で問いかける。
「ニゲテ…キタ……」
「逃げてきた?何からです?」
 ビエリの言葉にアシムの表情が弱冠険しいものとなった。
「ヒト…カラ……」
「ひと?人からですか?」
 再びビエリは小さく頷く。
 ビエリの言葉が理解出来ず、一同は顔を見合わせてタメ息と同時に首を傾げた。
「オレ…イジメル…ミンナ……」
 凶悪そうな傷だらけの顔。
 そして大きな身体。だがそれに反して気は小さい。
 その本性を知られれば、反動でイジめられるのも分かる気がする。
 うな垂れて目を合わせずに答えるビエリに、ネイも多少哀れむ気持ちを持った。
「なぜそんな格好を?」
 アシムはそんなビエリに優しく問いかけを続ける。
「シンデタ…モリデ…カワトッテ…キタ……」
「森で死んでいた獣の皮を剥いだんですか?なぜそんなことを?」
「コノスガタ…ダレモチカヅカナイ……」
「確かにその姿なら誰も近づかないかもな」
 ネイも苦笑して肩をすくめた。
「ではなぜ森で人を襲ったんです?」
 追求はしているが、アシムの口調は決して責めている口調ではなかった。
 あくまで穏やかに、子供に問いかけるようだ。
「イジメル…オモッタ……オレ…コワクテ……」
「そうですか……」
 おそらく偶然に集落に近づき、その姿を見られてしまったのだろう。
 怯えるビエリの姿から、嘘偽りがあるようにはとても思えなかった。
 だからこそ、アシムたちもビエリの処遇を決めかねる。
 アシムは立ち上がると、ビエリから離れた場所に仲間を集め、今後について話し合う。
 ネイがビエリを見下ろすと、ビエリは不安そうな眼差しでアシムたちの方をチラチラと視線を送る。
 しかし、ネイの視線に気付くと再び慌てて顔を下に向けた。
「おい、そんなにビクビクするな。なにも取って喰おうってわけじゃないんだ……たぶん」
 最後の台詞に身を震わせ、ビエリは青ざめながら眼を強く瞑る。
(一体こいつはどれだけ酷い目にあったんだ……)
 顔に刻まれたいくつもの傷痕。その顔を見てネイの頭にそんな疑問が浮かんだ。
 外見で忌み嫌われる……そんな経験がネイにもあった。
 昔、まだ幼い頃、その褐色の肌のせいで偏見を持たれたことが幾度となくあった。
 罪人ばかりが集まるベルシアではれがなかったが……。
 そんな昔のことを思い出したとき、無意識に右目尻の下にある傷を触っていた。
「ビエリ」
 アシムが呼ぶ声で我に返り、ネイは慌てて手を下ろした。
「貴方はこれから我々の集落までおいでなさい。ジュカという方に相談をします」
 ビエリは眼を瞑ってうな垂れたままだ。
 その怯えを感じ取ったアシムは微笑むと、そっとビエリの肩に手を置いた。
 ビクリとビエリの身体が大きく震える。
「安心しなさい。ジュカ様ならあなたを悪いようにはしません」
 その言葉にビエリは恐る々に顔を上げたが、表情には困惑の色が浮かんでいた。
 
 
 
「おい! なんでビエリが良くて俺はダメなんだ」
 理不尽な対応差に抗議の声を上げるが、そんな抗議も全く意味をなさない。
「ビエリにはすでに集落の場所を知られていますから」
 繋いだ馬の場所まで戻ると、ネイは予定通り手首を縛られて目隠しをされた。
 来たときと同じ状態だ。
 それでもネイは何か文句を言いかけたが、アシムの短い掛け声と共にその言葉を飲み込んだ。
「バ、バカ野郎! 走り出すときは声をかけろって言っただろ!」
 
 
 
 アシムたち一向が集落の門をくぐったのは、晩の食事の用意を集落の者たちがしているときだった。
 まず子供たちがアシムたち一向に気付いて駆け寄った。
 続いて女、そして男たちも集まりだす。
 一向の無事を皆が喜び、暖かく迎え入れる。
 その光景をジュカは樹の上にある部屋から見下ろしていた。
「ホエッホエッ、どうやら皆無事に戻ったようじゃぞ」
 窓際から部屋の奥へと声を投げかけた。
「……」
 ルーナはベッドに腰を降ろし、ジュカの声には反応した様子はない。
「ホエッホエッ、相変わらずヤツは不機嫌な顔をしておるわ」
 ジュカの視線の先、ネイがアシムに目隠しと縄を解かれているところだった。
「ネイも無事だったようじゃぞ」
 もう一度ルーナに声を投げかけた。
「……」
 ルーナは無言で立ち上がり、窓際まで来てジュカの横に立つと、同じように外を見下ろした。
 ネイがアシムに何か怒鳴り散らしている。
 見下ろすルーナの横顔を見て、ジュカはもう一声を出して笑った。
 
 
 
「ジュカ様、ただいま戻りました」
 集まっていた集落の人間が左右に分かれ、その間から杖を突きながら歩いてきたジュカに、アシムが挨拶をして頭を下げた。
 それと同時に他の男たちも頭を下げる。
「キッ!」
「ユピ?」
 ユピは短い鳴き声を上げるとジュカの後ろから駆け寄ってきて、そのままアシムの肩によじ登り頬擦りをする。
「ただいま、ユピ」
 アシムがユピの頭を優しく撫でると、ユピは嬉しそうに鳴き声を数回発した。
「ご苦労じゃったな。無事でなによりじゃ。で、獣はどうした?」
「はい。実は……」
 アシムはことの顛末てんまつをジュカに説明をし始める。
 ジュカは話の途中に数度頷くだけで、特に驚いた様子もなくただ黙って耳を傾けていた。
「うむ……大体のことは分かった。しかし、肝心のビエリはどこじゃ?」
 その質問には別の者が答える。
「あの身体では一緒に馬には乗れませんからね。ですから後から来るように言ったんです」
 その言葉を継いでアシムが続ける。
「それに、私たちが連れて来るのではなく、ビエリには自分の意思でここまで来て欲しかったんです。彼にとってはここまで入ってくるだけでも大変な勇気だと思いますが、だからこそ尚のことそうするべきだと」 
「……うむ、そうじゃな。踏み込む勇気が必要じゃろう。が、勇気の出し方は誰にも教えられん」
「はい……」
「それとネイ……」
 いきなり名を呼ばれ、ネイの背筋がわずかに伸びた。
「おまえもご苦労じゃった」
「約束だぞ。これでアイツを預かってくれるんだろうな」
「もちろんじゃ。ルーナは上におるぞ。顔を見せてくるか?」
 ジュカの勧めにネイは逡巡したが、結局は首を横に振った。
「……いや、遠慮しとくよ。どうせどんな反応かは分かってるんだ」
「そうか?」
 ネイの辞退にジュカは残念そうに首を揺らした。
「さぁ、ジュカ様。話は後にして食事にしましょう。アシムたちも腹が減っただろ?」
 集落の男のその声で、皆が元気よく食事の支度を再開した。
 
 
 
 集落の者が全員で大きな焚き火を囲い、食事を取ってしばらく立ったころ、集落の門の近くにいた数人が何かに気付き騒ぎだした。
 その騒ぎは波紋のように他の者たちにもすぐに広がり始める。
 泣き出す子供までいる始末だ。
「静かにせんか!」
 ジュカの一括で一瞬にして皆が動きを止め、口をつぐんだ。
「騒ぐでない……皆座るんじゃ」
 静かにそう言うと、立ち上がっていた者たちがしずしずと座り始めた。
 しかし、視線は集落の門へと集中している。
 そこには筋肉質で大きな体をした男が立っていた。
 ジュカの隣に座るアシムが耳打ちをする。
「ジュカ様。彼がビエリです」
 門の処に立ったビエリは、中に入ってくるでもなく、うな垂れながら突っ立ている。
 その体には動物の毛皮ではなく、ボロボロになった布の服を着ていた。
 毛皮のときよりも露出が多い分、その身体の屈強さと、顔に刻まれた無数の傷痕が余計に目立っている。
 毛皮を脱いだ頭には毛が一本も無い。
 黒目が小さいのか目つきが鋭く見え、眼の下が黒ずんでいる。
 どこからどう見ても立派な犯罪者の顔立ちだ。
「……」
 集落の中は時が止まったように静まり返り、母親に抱きついた子供がイヤイヤをするようにビエリから顔を背ける。
 大人たちも身を固め、わずかに顔を逸らしていた。
 そんな戸惑いの中―――
「……プッ! アハハハハ!」
 突然沈黙を破って笑いだした者がいた。
 皆の視線がビエリから外れ、その声の主に向く。
 ネイだ。
 ネイが腹を抱え、笑いながら体を激しく前後に揺らしていた。
 必死に笑いを噛み殺しながら立ち上がると、ネイはそのままビエリに近付いて行った。
 そしてビエリの前に立つと、顔を見上げて再び吹き出した。
 身体を『くの字』に曲げながら、ビエリの肩を激しく何回も叩く。
「ハハハ……おまえ……勘弁……してくれよ」
 ネイが思い切り笑いながら必死に声を絞り出す。
「アウウ……」
 ビエリは下を向いたまま視線を泳がせ、その姿を見てネイがさらに笑った。
「おまえ……こうやって見ると……本当に凶悪な顔してるな。ベルシアにもそうはいないぜ」
 笑いを堪えながらそう言うと、ビエリは申し訳なさそうに、それでいて照れたように毛の無い頭を擦る。
 集落の者が唖然として二人を見ている中、ネイはもう一度ビエリの肩を叩きながら声を上げて笑った。
「他の者も、ビエリが恐ろしい存在ではないと分かったでしょうね」
 アシムがそう小声でジュカに耳打ちをして微笑んだ。
「わざと……ですかね?」
 その問いにジュカも微笑みながら首を左右に振った。
「さあの……」
 皆の視線の先、ビエリは俯きながら不器用な笑みを浮かべる。
 ネイは腹を抱えてまだ笑っていた……
 
 
 
 つづく
 
 
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