107章 牢獄の華
軋む音を上げ、重く開いた鉄の扉。蝋燭の灯かりに照らされ、剥き出しの岩壁に二つの影が揺れる。
小さな人影からうー、うー、と震えた呻き声が漏れ出す。
「気持ち悪い声を出すなよ。そんなに恐いならレイルズたちと一緒にいれば良かったんだ」
ランプを手にしたネイがジロリと睨むと、リムピッドは怯える目でネイを見上げた。
「レイルズたちと一緒にいても女の囚人しかいないなら、あたしたちの仲間は絶対にいないもん」
そう言いながら唇を尖らせるが、いかんせんその語気は弱々しい。
ネイの手にしたランプの中で短い蝋燭がチリチリと灯かりを放つ。その蝋燭は、同じ長さに切り揃えた二本のうちの一本だ。もう一本はレイルズたちが持っている。
蝋燭が燃え尽きる前に、今開けた扉の前で落ち合う――そういう取り決めが成されていた。
「ねえ、ランプを返してよ。それ、あたしのなんだから」
「だったらおまえが先を歩くのか?」
ネイが白い目を向けると、リムピッドは眉と口許を歪めた。
灯かりが届く範囲はごくごく限られている。その先が完全な闇となっている状態で先頭を歩く気にはとてもなれなかったが――
「いいよ。貸してよ!」
ネイの手許からランプを強引に奪うと肩を怒ら、フンと鼻を鳴らしてズンズンと歩を進めた。しかし、その勢いも数歩進んだところで唐突に終わりを告げる。
踏み締めるべき大地が突然に消え去り、宙に踏み出してしまったような感覚。予期せぬ事態にリムピッドの身体は一切の抵抗を見せず、成す術もなく前方へと傾いていく。
落ちる――頭で理解するより先に身体が反応し、首筋がゾワリと粟立ち臓器が浮くような感覚にとらわれる。
傾いたリムピッドに向かって咄嗟に伸ばされたネイの右手。その手が落ちる寸前だったリムピッドの襟を鷲掴みにし、喉が一瞬締めつけられた。
足場がわずかに崩れ、そこから無数の石が転がり落ちる。落ちた石は岩場にぶつかる音を響かせながら、下へ下へとどこまでも落ちていった。
二人は固まったように動きを止め、落ちていく石の音が耳に届かなくなると安堵の息をつく。
「おいおい、気を付けてくれよ」
ネイはリムピッドを引き寄せると、注意深く周囲に目を配った。
ちょっとしたホールほどの大きさはある開けた場所。ただし、床に該当する部分は存在しない。通路は真下に落ちる大きな穴へと繋がっていたのだ。
「凄い。どれだけ深いんだろう……」
足許を覗き込みながらリムピッドがゴクリと喉を鳴らす。
つま先のすぐ前で大きく口を開けた虚空は、覗き込むと吸い込まれるような錯覚さえ受ける。
「相当な深さだな。――それよりあそこを見てみろよ」
ネイが指差すとその方向にリムピッドはランプを翳した。
ランプの灯かりに照らされ、陰影のついた岩壁に道のような物が浮かび上がる。
どうやら岩壁を削り出して造られた物らしく、壁沿いに螺旋を描きながら穴の中へと伸びていた。
「ま、まさか、あそこをを通るの?」
決して幅があるとは言えない道に、リムピッドが表情を強張らせる。
「嫌ならここで待ってろよ」
ネイはランプを取り上げると、リムピッドを置き去りにして岩壁に造られた道へ向かった。
「ちょ、ちょっと待ってよお。行くのは嫌だけど、ここで待ってるのはもっと嫌だよ」
泣き出しそうな声を上げ、縋りつくようにネイの後を追う。
底なしとも思える穴。その中を探るため、二人は慎重に岩壁の道を下り始めた。
幾つかの牢獄を覗いて回ったが、思ったような成果が上がらずレイルズの表情は次第に険しさを増していった。
レイルズたちはまず監獄の最も奥まで走り抜けると、そこから出口に向かって一つひとつの牢獄を調べ始めた。
女の囚人たちはレイルズたちの姿を目に留めると、口汚く罵る者、救いを乞う者と様々だったが、二人はその全てを無視した。
例え騒がれようが男の囚人に比べればその数も少なく、採掘場までは距離があるため大した問題ではない。囚人たちもそれが分かっているのか、レイルズたちの姿が見えなくなれば諦めたように口を噤んだ――
幾つの牢獄を覗いたのか考えるのことさえ面倒となった頃、再び枝分かれした路に入り最も通路に近い牢獄の前に立つと、これまで聞いたものとは異質の言葉を発した囚人がいた。
「レイ!」
その声は驚きのあまり裏返ってはいたが、確かにレイルズの名を呼んだ。
レイルズは鉄格子に近づくと、蝋燭の灯かりで照らしながら中の様子を窺った。
牢獄にはこれまでと変わらず二段ベッドが二台あり、そのうちの一台、一段目のベッドに腰掛けていた囚人が顔を向けていた。ソバカスのある若い女。その顔には見覚えがある。
囚人の一人が声を上げたことにより、他のベッドに横になっていた三人もレイルズたちの存在に気付き、三人同時にベッドから飛び降りた。
「あんたの知り合いかい?」
囚人の一人がレイルズの名を呼んだ人物に訊ね、訝しげな眼差しをレイルズたちに向けてくる。
「ええ。あたしたちの娼婦館の使用人よ」
「使用人? たかが使用人がここまで忍び込めたのかい?」
三人の囚人の目に警戒の色が浮く。しかし、レイルズの名を呼んだ人物はそんなことは気に留めずに鉄格子に歩み寄った。
「ホーリィ、無事で良かった。酷いことはされなかったか?」
レイルズが訊くと、ホーリィと呼ばれた女は、ソバカスのある顔にぎこちない笑みを浮かべて小さく頷いた。
「君たち二人を助けに来た。――ユア様はどこに?」
レイルズのその問いにホーリィの表情が曇る。
「ユアは一緒じゃないわ。別の場所に連れて行かれたの」
「別の場所?」
「ええ、子供たちと一緒に」
「子供たちとは?」
「あたしたちと一緒に捕まった反乱組織の子たちよ。その子たちを兵士が痛めつけようとして、止めに入ったユアもレジスタンスの一味だと疑いをかけられたの」
ホーリィの話にレイルズは顔を伏せ、落胆の気配を漂わせながらかぶりを振った。
「それで、その場所とはどこだ?」
「分からないわ……」
ホーリィは消え入りそうな声で答えると申し訳なさげに目を逸らした。
「そうか。――とにかく君をここから出す。ユア様を一緒に探そう」
「ここから出してくれるのかい!」
ホーリィの背後で聞き耳を立てていた囚人が、声を潜めながらも笑顔を見せる。
「君たちを救うつもりはないが、結果的には救うことになる。ただし、それには一つだけ条件がある」
レイルズが囚人たちに顔を巡らせると、三人の囚人は顔を見合わせてから力強く頷いた。
「条件てのはなんだい?」
「ここから出れるようにはしよう。だが、脱出するのはしばらく待って欲しい。まず我々が脱出を試みる。その際には騒ぎが起こるだろう。君たちはその状況になってから脱出を始めて欲しい」
レイルズの提示した条件に三人は絶句した。
「ふ、ふざけるんじゃないよっ! 騒ぎが起こってからじゃ遅いじゃないか」
一人が進み出てレイルズを鋭く睨みつける。その剣幕にホーリィの顔が蒼ざめる。
「君たち三人だけではどちらにせよ脱出は不可能だろう。それならば騒ぎに便乗するほうがまだ可能性がある。もちろん君たちにも断る権利はあるが、その場合は申し訳ないがしばらく眠っていてもらうことになる」
レイルズの静かな威圧。その気配を察し、三人は困惑しながら顔を寄せ合いヒソヒソと耳打ちを始めた。
話し合いはそれほどの時間を要せずにまとまったようで、三人が神妙な面持ちで頷き合う。
「分かった、いいだろう。その代わり、あたしたちは騒ぎが起きたらすぐに脱出を始めるよ」
「我々の後なら自由にするといい。――ではホーリィ、少し離れていてくれ」
レイルズの指示に従いホーリィが鉄格子から離れると、レイルズはビエリに目配せをした。それを待っていたビエリは鉄格子に歩み寄り、左右の手で一本ずつ格子を握り締める。
「ちょ、ちょっとあんた、ここから出すっていうのはもしかして……。それはいくら何でも無茶だよ」
ビエリが何をしようというのかを察して囚人が言うと、レイルズは手を翳してそれを制した。
次の瞬間、ビエリは腰を落として大きく息を吸い込み、頭か腕まで血管を浮きがらせた。
「グウウウ」
ギリギリと歯を噛み締め、腹の底から低い唸り声を搾り出す。
次の瞬間、牢獄の四人は目を疑った。ビエリが顎を徐々に上げながら両腕を開いていくと、細いとは言い難い鉄格子が徐々に左右に広がっていくのだ。
五人の視線を一身に浴びながらビエリが一度だけ短く吠えると、鉄格子は湾曲を描いて人ひとりが通れるだけの広がりを見せる。
ビエリは仕事を終えると手を離し、今だ血管の浮いた肩を上下させて息を荒げた。
「ホーリィ、出るんだ」
レイルズが声をかけると、半ば放心状態となっていたホーリィがカクカクと首を縦に振る。
牢獄に残った三人は、息を荒げているビエリに呆然とした目を向けたままだった。
「約束を守ってもらうぞ」
レイルズが念を押すと、三人はゆっくりと顔を向けて口を半開きにさせたままでコクリと頷いた。その直後、隣の牢獄から罵声が上がる。
鉄格子の軋む音を聞きつけて隣の囚人たちも目を覚ましたのだ。
「急ごう。ホーリィ、私について来てくれ」
そう言ってレイルズが小走りに駆け出すと、ホーリィとビエリがその後を追う。
レイルズは二人がついて来るのをチラリ確認し、そのまま手にした蝋燭に視線を落とした。蝋燭の長さは充分に残っている。
二人を引き連れ元の通路に差し掛かったとき、レイルズの耳が何者かの足音を拾った。当然ながら背後からついて来る二人のものではない。足音は採掘場の方向から聞こえて来る。
「止まるんだ」
通路への角で足を止め、背後の二人に向かって視線を送る。
「テイコクヘイ?」
恐るおそるビエリが訊くと、レイルズは人差し指を唇に当てながら静かに頷いた。
牢獄に残してきた三人の囚人以外に、外を自由に出歩ける囚人がいるわけがない。かと言ってネイたちでもない。ネイが不用意に足音を立てながら『歩いて来る』とは思えなかった。
足音からして相手は一人。採掘場の騒ぎを鎮圧した兵氏が戻ってきたわけでもなそうだ――そう判断すると、レイルズは迷いを見せずに次の行動へと移った。
「相手は一人だ。どこにいたのかは分からないが、兵士が一人残っていたのかもしれない――」
レイルズの言葉に二人が怯えた表情を見せる。
「私が相手をする。二人はここから動かないでくれ」
その指示に二人が無言のまま頷いて応えると、レイルズは蝋燭をビエリに預けてそっと通路に身を出した。
まだ多少距離はあったが、相手もレイルズの存在に気付いて足を止める。
「やっぱり侵入者がいやがったか。牢獄の前で囚人のネエちゃんと話し込んでたらよ、とーって怪しげな人影を見かけちまってな」
男はレイルズに向かって声をかけてきた。その声色に焦った様子はなく、侵入者であるレイルズを前にしても落ち着き払っていた。
再び歩を進める男。燭台の灯かりに照らされた男は、ビエリほどの巨躯の持ち主だった。
首の後ろを通した槍のような武器を両肩で担ぎ、そこに両腕を掛けるように乗せている。警戒すらしていないような無防備な体勢だ。
レイルズは向かって来る男にわずかに首を傾げた。男の無防備さもさることながら、その装備が目を引く。
動物の毛皮と金の装飾を施した真紅の鎧――その派手な装備は帝国兵の物には見えなかった。
「帝国兵、か?」
「残念ながらちょいと違うな。俺は傭兵だ」
「傭兵だと?」
男は口許に薄い笑みを浮かべたまま、顎を引くように首を縦に振った。
「オズマ――それがおまえを捕らえる男の名前だ。今から記憶がブッ飛ぶような痛え目に合うだろうが、忘れねえようにしっかり頭に叩き込んでおけよ」
オズマは自分のこめかみを指先で叩き、口の端を上げてニヤリと笑った。
「見ろよ。扉があるぜ」
ネイがランプを翳して先を照らす。
後に続いたリムピッドは首を伸ばすようにしながら前方を窺った。
壁沿いに出来た道の途中、岩壁に取り付けられた扉が見える。
螺旋状の道は扉の前を通り過ぎてまだ先まで続いているようではあったが、穴を下り始めてやっと目にすることができた変化だ。
「あそこにネイの知り合いがいるのかな?」
「どうだろうな。行けば分かるさ」
そう言ってネイはさらに歩を進めて扉の前に立つと、わずかに顔を離すようにして扉に目を這わせた。
どうやら監獄の通路に繋がる扉と同じ造りのようであった。唯一違う点は、覗き窓が取っ手の付いた鉄板で塞がれている点だ。
ネイは一度耳を近づけて中の様子を探ろうとしたが、これといった音は聞こえて来ない。
顔を離すと一度鼻を鳴らし、覗き窓の取っ手を掴むと一呼吸間を置いて力を込めた。
鉄と鉄が擦れ合う不快な音を上げながら鉄板が横へとずれていく。すると、姿を見せた覗き窓から仄かな灯かりが漏れ出した。そのことにわずかに驚いたが、すぐに気を取り直して覗き窓から中の様子を窺う。
そこでネイはさらに以外なものを目にした――
「なっ! ガキだ……。ガキがいるぞ」
扉の向こう側、十数人はいるであろう子供たちが一箇所に固まり、ネイに視線を向けて来る。その目はどれも怯えているように見えた。
「子供! 本当に? ちょっと見せて」
リムピッドがネイの隣で飛び跳ねながら中を覗き込もうとするが、ネイはそれに応えなかった。言葉を失っていたのだ。
ネイの目にしたものは子供たちだけではなかった。子供たちを守るように立ち上がり、一歩進み出た女がいたのだ。
襟首あたりで切り揃えられた黒髪が艶やかに輝き、同じように切り揃えられた前髪は眼の力を強調しているようだった。
扉越しでも伝わってくる凛とした空気を纏い、真っ直ぐに向けてくる眼差しは不思議とネイの心を落ち着かなくさせた。
女の姿を目にし、思わず口をつく言葉。
「ユア……」
――ユア様は特別な方だ。目にすれば必ずその人だと分かる。
そう言ったレイルズの声が、耳の奥で甦っていた……
つづく
ええ、今回の後書きは一部の人に向けての後書きになってしまいます。
『ユア』という名前、勝手に拝借した挙句にイジりました。
逆から読むと……そんな感じです。
もし気に障るようなことがあれば全力でお詫び申し上げます。
ホーリィは……はっきり言って適当です。(08/07/12)
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