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白薔薇の剣 ―最後の王女の物語― 作者:葵れい

<第2部>

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 第18章 竜の閂 -4-


  ◇

 目を覚ますと夜だった。
 ここ数日、そんな事が続いている。
 いつ眠ったかもわからなかった。
 だがマルコは覚えている。いつも、始まりはあの男。
 剃髪の男。彼は教会の者だと言った。最初に名乗っていた気がするが、覚えていない。枢機卿などという役職はもっと頭に入ってこない。
 あの人が部屋に現れる。2、3質問をされる。そしてその後、意識は混濁していく。
 夢を見るような感覚だった。その人が使う魔術だった。いつも男はそれを成す前に何度も何度も謝罪の言葉を述べていた。だがそれがマルコの頭へと達する前に、もう術は完成されていた。
 マルコの目の前に広がるのは無。そして、記憶の映像。
 過去に見た様々な景色。
 だがそれを見ているマルコは、その時の自分となる。それは過去の映像ではなく、現実に今起こっている事だった。
 1度見たはずの映像。世界。
 マルコはその中で、同じ場面で笑い、泣いた。喜び、悲しみ、跳ねた。
 でもその当時と決定的に違う事は。
 わかっていたから。
 夢でもあり、現実でもある世界。でも薄々とマルコはその世界に浸りながら気づいているのだ。これが幻であるという事を。
 ……それでも、その世界から覚めた後はわけがわからなくなる。一体どちらが、〝今〟なのか。
 今夜もそうだった。目覚めた、夜だと思った。だがここがどこなのか一瞬わからない。家か? よく遊びに行った友達の家か? テール爺の所か?
 そして最終的にたどり着く、ここが、名も知らぬ城である事に。
 気づいた瞬間の絶望は、言いようがない。
 ――ここは城。
 父さんも母さんもいない。村もない。何もない……。
 でも涙はこぼれなかった。
 度重なる絶望が彼の心を苛み、壊しかけていた。
 心の痛みが麻痺していく。
 だが体の痛みは逆に増していく。
 腕が痛い、足が痛い。全身が軋む。
 皮肉にも、その痛みだけが彼を現実につなぎとめていた。
「……」
 マルコは周りを見た。
 いつもならば部屋には誰かがいる。剃髪の男がいる時は人払いされていたが、他は常に監視の目があった。
 そして彼が目を覚ますと、一時縄を解かれ食事が与えられた。
 出された食事をマルコは、食べた。気分が悪くてまったく食欲がなくても。後で吐いてしまったとしても。
 それは前にデュランに言われたから。
 かつてここに来る最中、まったく食事を摂らなかったマルコにデュランは言ったのである。
 望みは絶つな。自分自身で、希望の糸を切るような事をするなと。
 今は走れずとも、いつか必ず走らなければならない時が来る。その日のために、与えられるというのならば何でも食べろと。生きよと言うのならば、何としてでも生きよと。
「……」
 だがマルコには正直、その日が来るとは思えない。自分が今何としてでも生きたいかと問われたら、違うと答えただろう。
 それでも言いつけを守っているのは、彼が恩人であったから。
 ここに来る途中、デュランはひどい傷を負った。
 その傷は、自分を庇って成された物であったから。
 ――デュラン様……。
 城に着てからまだ一度も会っていない。ただ安否だけは尋ねた。今は地下の牢獄にいるものの、治療をされ命に別状はないのだと。
 この暗い絶望の中、それだけが唯一安堵した瞬間だった。
 ――先生……。
 見せられた幻の中に、レトゥの姿も出てきた事があった。初めて会った頃の老人。彼は優しく微笑み、そして泣いていた。
 デュランの姿と師の涙を思い出し、初めて、マルコの目に涙が浮かんだ。
「まだ泣けるんだ……」
 思わず呟き苦笑した。
 僕はまだ、壊れていないのだろうか?
 自分が壊れていく感覚。きっとそう遠くない未来、自分は、自分ではなくなってしまうだろうと思った。ここ数日、そんな事を考え夜を過ごしていたけれども。
 こぼれた涙は、まるで泥水のようだった。砂が混ざって落ちていく。
 涙を拭う事も出来ない今、頬がこそばゆい。そこにまた少しだけ笑った。
 そして、落とした涙で目が蘇る。曇っていた視界がはっきりと映り出す。
 だから気づいた。
「あ」
 目の前に、ユリがある事に。
 正確にはユリの紋章。
 この紋章を抱く者達を、マルコは知っている。
 神聖騎士団。レトゥの元から彼をここまで連れ来た者達。彼らは一様にその背にユリの章を描いたマントを羽織っていた。
 そのユリこそが、教会の紋章。
 ……見知ったユリの章。それがすぐそこに横たわっている。背にした騎士と共に。
「――」
 マルコは驚き目を見張った。思わず体が揺れた。つながれていた椅子がそれに合わせて安定を失う。
 そのままマルコは椅子ごとその場に転がった。
 床に打った衝撃に、体が驚き悲鳴を上げたが。
 だがさらに驚くべき事が起こった。
 椅子にマルコの腕をつないでいた縄が、音もなく切れたのである。
 人が倒れている、そして縄が切れた。
 突然起こった2つの出来事に、マルコは混乱した。自分の腕と縄と、そして倒れた人の姿を何度も何度も見返した。
「何で、」
 縄は綺麗に2つになった。まるで刃物か何かで切られたかのように。
 しかしマルコはその時はそれどころではなかった。
 倒れた男を見て、死んでいるのだと思った。
 明るければもう少し違った見方が出来ていたかもしれない。だが、そこに血が流れていようがいまいが、マルコには関係なかった。
「……」
 彼は知らずと後退りしていた。足が震え出した。
 誰かに知らせなきゃ。……でも、誰に?
 もしこの状態を見られたら、一番に疑われるのは少年自身だ。
 そしたらどうなるのだろうか。騎士を殺したとして、あらぬ罪を着せられるのか? ――父と母がそうであったように。
 2人の笑顔が浮かんだ。それはたった先ほどまで見ていた笑顔。数日前よりもずっと鮮明に浮かんだ。
 震えが止まらなかった。
 そして、逃げなくてはと思った。
 動かない騎士を避けて戸口へと向かう。後ろ手にドアノブを、ゆっくりと回す。
 それからそっと外を覗いて見るが……誰もいなかった。
 恐る恐る部屋から出て見ても同じ。見える所に人はいない。
 ただそれも、視界は限られている。
 部屋の中も薄暗かったが、廊下はさらに闇が占めていた。もうすっかり夜になっている。
 長い廊下の先までは見通せない。
 どうしようかと一瞬マルコは迷った。やはり部屋にいるべきか?
 しかし……足は、自由を求めた。
 ここにいてはいけない。どちらにしても、この部屋から逃げなければ。
 少しでも遠くへ。
 ……この部屋に連れて来られる前に、1度は牢屋のような所にもいた。かと言って、どうやってここまでたどり着いたかは覚えていなかったが、ここが上の方だという事はわかっていた。
 とにかく階段を探そう。降りていけばきっとどこかにたどり着ける。
 足も手も震える。でもマルコは歯を食いしばり、1歩ずつ進んでいた。
 ――デュラン様が地下牢にいる。
 叶うならば助けたい。あの人はあの時自分を助けてくれたのだから。
 騎士たちの宿舎から抜け出る時、デュランは言った。ここにいるのがうんざりだから、抜け出すのに付き合ってくれないかと。
 でもあれは違う。本当はデュランは、自分を逃すためにあそこから離れようとした。
 そして凶刃に遭った。
 デュランはずっと、マルコの盾となっていた。闇から降り注がれる刃から、身を挺して守ってくれた。
 ――行かなきゃ。
 階段があった。足が、動き方を忘れてしまったかのようにぎこちない。思うように進まない。
 ――デュラン様を助けなきゃ……!
 どうすればいいかはわからない。だがその一念で、マルコは階段を下りて行った。
 不思議と、その道に兵士も騎士も現れる事はなかった。



 だがそんな都合のいい事がずっと続くわけがない。
 行けるだけ階段を降り、長い廊下をどこともわからず彷徨っている時、バタリと兵士に出会った。
 兵士とマルコ、どちらもがその出会いに固まったが、先に動く事ができたのはマルコの方だった。
 知らず、走り出した。
 マルコが走るなら、兵士も走り追いかけてくる。
 怒号が飛んでくる。子供が逃げたぞと、そんな声が聞こえてきた。
 背の低いマルコには窓から外は見渡せない。だがまだ地上ではない、もっと下を目指さなければいけない。
 だが目の前にまた別の兵士が現れた。
「捕らえよ!!」
 直前の回廊を左へ走り込む。階段はあった。だがその手前には3人の騎士の姿があった。
 後ろから追いかけてくる兵士の数も増えている。
 マルコは、一番手前の部屋へと逃げ込んだ。
 もう駄目かもしれないと、思った。
 その絶望に追い討ちをかけたのは、逃げ込んだその部屋にすでに兵士が2人いた事。
「あ、あ……」
「この部屋に逃げ込んだぞ!!」
「塔の上の子供が逃げた!!」
 足がクタリと、折れ曲がった。
 もう走れない。
 吐き気がする。頭痛がする。
 だがそれ以上に。
 影が自分を、覆い隠して行った。
 部屋にいた兵士が、マルコに向かってくる。
 抵抗はできそうになかった。呆然と、マルコはその姿を見上げていた。
「捕らえろ!!」
 そして。
「……へへへ」
 兵士は笑った。
 鎧兜をかぶっていたが、止め具がされていなかった。口元が露出していた。
「手間が省けたぜ」
 兵士の背後、部屋にいたもう一人の兵士が立ち上がった。
 その兵士は、マルコを追って部屋になだれ込んで来た面々に立ち向かい。
 ザラリと剣を、引き抜いた。
 それに一同は息を呑んだ。
「な、何だ貴様……」
「全員一歩退け」
 その声に、マルコは覚えがあった。
 鈴のように凛とした響きは、まるで刃物のように。
「それ以上近づく事、何人なんびとたりとも許さぬ」
 誇り高きその姿はまるで。孤高に咲く一輪の――白薔薇のように。



 鎧兜を脱ぎ捨てる。
 そこに現れるは金の糸。
 そして気高き一人の少女。
「オヴェリア様……」
 オヴェリア・リザ・ハーランド。
 彼女がそこに、立っていた。
 無論オヴェリアがそこにいるのならば。
「息が詰まって参ったぜ」
 床に兜を叩きつけたその男は、黒い髪をかきむしるように掻き上げた。
 マルコはその姿に言葉が出なかった。代わりにカーキッドがくしゃくしゃとマルコの髪を掻いた。
「元気にしてたか、坊主」
「カーキッドさん……」
 喉の奥が………熱い。何かがこみ上げてくる。
「どうしてここに……」
「説明は後だ」
 カーキッドもまた、部屋の入り口に立つ兵士達を振り返った。



「さてさて、どうする? 姫様よ?」
 カーキッドはニヤニヤ笑いながら、だが姫ではなく兵士達を眺め見た。
 オヴェリアはカーキッドには答えず、朗々と向かう兵士達に向かって言い放つ。
「マルコ・アールグレイは師の元へ返す。そこを退いてもらいたい」
 真っ向勝負だな、とカーキッドは苦笑を浮かべたが、兵士達は驚愕した。
「何者だ貴様ら……そんな事許されるわけがない」
「……ならばこのまま、この城の主の元へ案内せよ。枢機卿ドルターナ・ウィグルはいずこだ。直接話す」
 誰もが、目の前の少女に気圧されていた。
 常人ではない。明らかにまとう空気が違う。
 だが誰に思えようか? そこにいる少女が、国王の娘などと。
 兵士たちが次に取った行動は、この場で最も正常な判断だったと言える。
「全員捕らえろ!! 侵入者だ!!」
 カーキッドは溜め息を吐いたが、その顔はとても嬉しそうだった。
「だとさ。どうする? 姫様?」
「控えよ!!」
「いいんでないの? もう、真っ向勝負と行こうや」
 カーキッドも黒の剣を抜く。その剣はまるで飢えた子供のように金音を鳴かせた。
「正面突破あるのみ」
「出来れば無益な争いは避けたい」
「甘ぇよ」
 向こうが剣を向けて斬りかかってくるのだ。
「黙って斬られるなんざ、反吐へどが出る」
「……やむを得ないか」
 その言葉聞こえたか、カーキッドが走り出した。気づいた時にはもう、兵士が2人壁に叩きつけられた。
 圧倒的な振り速度。
 その場にいた騎士もが凍りつく。たった一刀で兵士が2人飛ばされるなど。
 だが次の瞬間にはもう、カーキッドは次の獲物を狙っている。
「重いッ!!」
 その一刀を僅差でどうにか騎士が受け止めたが、速さ以上の重さが、腕と足の骨に絶対的な衝撃を与える。
 距離を開けようと後ろに飛んだそこへ、白い影が舞い降りた。
 強面の男と美しい女を誰もが無意識に天秤にかけた。油断をした。
 だがそれに気づいた時にはもう。
 一閃する、光と闇の風。


 あっという間だった。
 マルコは瞬きすら忘れていた。
 唖然と、起こった事を一生懸命理解しようとしている間に。
 オヴェリアが、彼の元へと歩み来た。
 それでもまだマルコは、呆然としていた。
 彼が瞬きを思い出すより先に。グイと、オヴェリアがマルコの体を抱き寄せた。
 強く、強く。
 こんなに痛いほどに、誰かに抱きしめられた事はなかった。
 苦しい。やっと思い出す、瞬きどろこか……息の仕方も。
「あ……」
 涙が出た。
 思い出した。
 自分は生きている。まだ生きている。
 誰が決めた? もう自分は壊れるだけなどと。
 もう死ぬだけなのだと。
 誰が決めた? まだ――。
「無事で良かった……」
 オヴェリアは、温かかった。
 母のようだと思った。


 カーキッドが一服を終えるまで。
 マルコはその腕の中で、ひと時、泣いた。

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