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白薔薇の剣 ―最後の王女の物語― 作者:葵れい

<第2部>

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 第17章 反流の嚆矢 -1-

  17



 息をする事が苦しいと思った。
 ここは圧倒的に空気が足りない。
 テントの中にいるのはデュランとガブリエルただ2人。先ほどまでいた騎士たちも席を外した。
 ランタンが2人の男に淡い光を与え、そして同時に影も与えている。
「ガブリエル殿」
 宿営用のテントは広く、天井も高かった。特に2人がいるここは眠るためだけの設備ではない。事実、この連日騎士たちはここに集まり何らかの議論を尽くしていた。
 だがデュランがここに入ったのはこれが初めて。同時に、彼とこうして2人で落ち着いて話すのも初めてであった。
 会談の申し出は何度もしたが、ガブリエルがそれを拒否し続けていたのである。
「デュラン・フランシス殿、まずは非礼を詫びる。中々時間が取れず申し訳ない」
 騎士の目に嘘はないとデュランは思った。
「いえ。お忙しい所時間を作っていただき誠にありがとうございます」
 この2日の間に何かがあった、彼はそう見ていた。
 レトゥの元を発ち最初の夕刻を迎えるまで、一向は北を目指した。その時はまだ向かう先に予想がついた。ガリオス山の麓にある、聖サンクトゥマリア大教会の総主教庁だ。
 だが夜営の陣を張る直前に、道は急に西へとそれた。そこからは一路、一度も北を向かう事なく西へ向けて走り続けている。
 しかも色々と不可解な点は多い。遅すぎるのだ。
 馬であるにもかかわらず、行程は思ったほど伸びていない。例え休憩を挟んだとしても、本来ならばもっと進んでいてもおかしくない。
 だがそれ以前に、目的地がわからない。
「単刀直入にお聞きする。我らはどこに向かっているのか?」
 この数日思い続けていた問いをデュランはぶつけた。簡単に返答はされないだろうと踏んでいたが、意外にもガブリエルはすぐに答えた。
「ここより少し先にあるザルツヘヴン」
「ザルツヘヴン?」
「そこにあるドルターナ卿の城に、マルコ・アールグレイを連れて参れとの伝令を受けた次第」
 一瞬ガブリエルの眉間にしわが寄ったが、瞬く間に消えた。「明日には着けるでしょう」と付け足し、彼は息を吐いた。
 伝令を受けたのは急に西へと折れた昨日の夕刻か――デュランは内心唸った。
 ドルターナ・ウィグル。現在聖サンクトゥマリア大教会においてただ1人枢機卿の座につく男である。
 性格は温厚、柔和。教会内でも、彼こそまさしく聖人君子との評判は高い。微笑みを絶やさない彼が怒る様など想像できないと言われるくらいだ。
 ただ彼がその笑みを消し、嘆き悲しむ所をデュランは見た事がある。西の賢者ラッセル・ファーネリアが亡くなった時である。
 その訃報を聞いたドルターナはひどく嘆き、全教会に追悼の鐘を鳴らすように指示を出した。弟子であるデュランにも悔みの言葉を掛けた。どのような言葉であったかは覚えていないが、その顔だけは鮮明に覚えている、彼は泣いていたのだ。
 以来、デュランの中でもドルターナに対する評価は低くない物としてここまできた。
 だからこそ、解せない事がある。
「ガブリエル殿……今一度お聞きしいたい。マルコ・アールグレイの連行をドルターナ卿が命じたというのは誠の事か?」
 目的地が彼の城だというのならば答えは明白だった。しかしデュランは問わずにはいられなかった。
「ああ、事実だ」
 ガブリエルは、マルコが名乗り出る直前にこう言った。マルコを捕らえるためならば、枢機卿は方法を問わないとまで言ったのだと。
「何ゆえマルコか? 確かにマルコの両親は咎人として処断を受けた。だがそれでもう終わったはず。彼らは罰せられた。これ以上幼子を捕らえて何とするつもりか?」
 ビル・アールグレイとアンナ・アールグレイが処刑されたのは3年前。その頃マルコはまだ10にも満たない。たとえ2人の研究の一端を見ていたとしても、何ができたというのか。
「それは私にはわからない。だが枢機卿がマルコ・アールグレイを詮議にかけると申された。私は受けた命令を遂行するのみ」
「あの子は何も知らぬ」
「それを判断するのは、我々ではない」
 何を言っても騎士の目は揺るがない。
 しばらくデュランは、ガブリエルの青い瞳を見つめた。だが結局先に折れたのはデュランの方だった。
 神父の様子に何か思ったか、それとも幼子の姿が目に過ぎったか。ガブリエルの顔に複雑な色が灯った。
「ただ……当初は、捕らえて後に総主教庁への帰参、そこでの聴取と聞いていた。しかし突然のザルツヘブンへの変更。隊内にも動揺はある」
 デュランがこの数日、どれだけ彼と話す時間を求めたか。だがずっと彼は他の騎士に囲まれ、夜になれば長々と密談をしていた。その空気は確かに異様だった。
 そしてガブリエルは続ける。
「まして伝令が………」
「ガブリエル殿?」
「……いや、なんでもない」
 ガブリエルは一つ瞬きをした。目が開くと再び、何事もなかったように曇りのない表情へと戻る。
「ともかく、進路はザルツヘブン。それ以外にはない」
 もう2、3聞きたい事はあったが、ここまでか、とデュランは諦める。とにかく進路はわかった。
 テントを出ると一瞬、空気がスッと和らいだよう気がしたが、やはり息苦しさは変わらなかった。
 夜風は冷たい。一度呼吸を整えるようにデュランはそっと胸に手を当てた。
 万年雪とも言われるガリオスの総主教庁に比べれば夏同然の気候であったが、今夜は無性に身に染みるようだった。
 ガブリエルのテントを出るとすぐに焚き火があり、それを囲むように幾つかテントが張られている。無論今入っていた物よりは小ぶりだが、野宿に比べれば雲泥の差であった。
 デュランもその中の1つに場所を与えられた。騎士と一緒であったが、これに関しては突然の同行にも関わらず配慮をもらったと感謝している。
 自身の事はともかくとして、問題はマルコである。
 マルコのテントは、騎士が寝泊りする場所から一歩離れた所にある一層小ぶりの物であった。
 問題は、そこに常に監視がついていた事である。
「ご苦労様」
「これはデュラン様」
 名目は警備。だが逃亡を恐れているのは明白だった。
「マルコと話がしたい。少し良いだろうか?」
 監視の騎士は一瞬黙ったが、すぐに「どうぞ」と促した。デュランのマルコへの面会は、ガブリエルがすでに許可を下している。
 ただし1度に15分程度。移動中はその域ではない。
「御免、私だ。入るぞ」
 それでも、デュランが顔を覗かせると少年は僅かながらも目を輝かせた。
「デュラン様」
「遅くなってすまん。退屈していただろう?」
 この旅に至るまで、デュランはマルコとほとんど話した事がなかった。カーキッドの薬を調合する時にマルコが手伝うと言った、あれくらいのものである。
 だがこの2日で2人の関係は変わった。マルコにとっても、話が出来るのはデュランだけとなったゆえに。
 だが完全に心を許しているというわけでない事を、デュランは気づいていた。
 そんな彼にデュランは精一杯微笑んだ。彼を愛した師の代わりに。
「食事は? ちゃんと食べたか?」
 毎回デュランが最初に聞くのはそれだった。マルコは浅く頷いた。
 デュランは少し安堵する。当初マルコは出される物に一切口を付けなかったのである。
 そのため、ガブリエルはデュランにマルコと話す事を許した。最初は明らかにデュランが近づく事を騎士たちは避けていたが、死なれるよりはいいと考えたものである。
「あまり美味くはなかったろう。あれは北の方でよく食べられる塩漬け肉の料理だ。正直私は好かん」
 マルコは無言でデュランを見ている。
 テントの外で騎士が聞き耳を立てている。だが怯えるような素振りは見せたくない。マルコは敏感に感情の動きを察知する。
 だからデュランは正直に話した。
「今、団長のガブリエル殿と話をしてきた。明日には目的地へ到着するとの事だ」
「目的地?」
「ああ。ザルツヘブンにある城へ向かうらしい」
 その城は枢機卿の城だとガブリエルは言っていた。確かに、現枢機卿はハーランドの出身だ。
 元々枢機卿の職に就いていたのは2人。もう一人は、隣国バジリスタに近しい家柄の者が就いていた。
 枢機卿はハーランドとバジリスタから1人ずつ就く。それは長年教会で暗黙に守られ続けてきた慣習の1つであった。
 理由は幾つかあるが、ひとえに、教会が独立組織であり続けるためであった。
 どこの国にも属さない永世中立の宗教組織。その根源は数百年前の大戦に至る。
 大陸規模で起こった争い。それを鎮めたサントゥマリアという名の女性。彼女を崇めできたのが今の教会という組織だ。
 発足以来、教会は大陸で勢力を拡大し、今では他に並ぶもののない唯一無二の教団となり、サンクトゥマリアを絶対神として崇めている。
 どれほど組織が巨大になろうとも、教会はどこにも属さない。しかし大陸にはハーランドやバジリスタのように強大な国もある。組織の立場を守るために永世中立の協定を結んだ際、その2つの国の者を要職につける条件で、不可侵の約束を取り付けたのだ。
 無論そんな事は公にはされていない。
 逆にハーランドとバジリスタからすれば、教会が宗教の名を借りて暴走する事のを抑えるため。そして威光を得る事が出来るという意味で、双方の利害が一致した上で、枢機卿という役職は存在しているのである。
 簡単に言えば、人質であり間者。
 ……そうして代々、両国から敬虔な信者が教会へ下り、枢機卿として母国と教会とのパイプの役を担ってきた。
 そしてドルターナが枢機卿になって5年。
バジリスタ側の枢機卿が亡くなって2年経つが、以来後任は空白のままである。
「城に着けば何か尋ねられるだろうが……出来る限り守る」
 そのために来たのだからな、とデュランは笑って見せた。だがマルコの表情は石のように変わらなかった。
 無口な少年はランタンを眺めた。虫がそれにたかっていたが、視線は別の彼方を見ているようだった。
「父と母の事、でしょうか」
 声はかすれていた。水を持ってきてやればよかったとデュランは思った。
「うむ」
「父さんと母さんは……」
 何か言いかけ、マルコは押し黙る。
「ビル殿とアンナ殿の事は、私も話には聞いていた」
 代わりに口を開いたデュランの言葉にマルコの顔がこわばったが、構わず続けた。
「ビル殿は、類い稀なき才能を持つ研究者。アンナ殿もそうだ」
「……」
「ビル・アールグレイが残した成果は計り知れない。多くの研究が教会に息づいているよ。薬草の分布や生態、動物の研究。彼の研究のおかげがあったからこそ、今は常識となった事もある。彼は素晴らしい研究者だった。探求者と言ってもいいかもしれない。未知への探求者だ」
 デュランを見たマルコの瞳は、今までと違う色を灯していた。
「アンナ・アールグレイは元々は魔術師だった。お前も知っているだろう。レトゥ殿の一番弟子だ。とてつもない事だよ。レトゥ殿にはその頃幾人かの弟子がいたけれども、簡単に弟子になれるというわけでもなかった。しかも彼が本当にその才能を認めていたのはアンナ殿だけだとも言われている。それだけに、彼女が魔術を捨ててまでビルとの手伝いをすると言い出した時は大喧嘩になったそうだよ。教会内では〝水戦争〟呼ばれている」
「〝水戦争〟?」
「ああ。レトゥ殿が昔、水の賢者と呼ばれていたのは知っているか? 弟子のアンナ殿も水の魔術に秀でた術者だったそうだ。2人の言い争いの日、その地方では記録的な豪雨に見舞われた。まぁ、偶然だろうがな」
「……」
「私が知っているビル・アールグレイとアンナ・アールグレイは、尊敬に値する者たちだ」
 その研究成果と才能は、本当は世に謳われてもいいほどの物。彼らの名は偉人として名を残ってもおかしくなかったのだ。
 だが現実はそれを許さなかった。彼らは世に、最大級の罪を犯した者として知らされ、その名は貶められた。
 確かに、本当に蟲を作ったというのならば、それは仕方がない事。
 しかも罪状の根本にあるのは、蟲を生み出して人に害を与えようとしていた、という物だ。
 ――何のために?
 デュランの知る限り、ビルとアンナはそういう人物ではない。会った事はない、だが……2人は研究に身を投じていた、それはひとえに、人のために役立ちたいと考えていたからだと思われた。現実に、彼らが見つけた薬草によって不治の病から救われたという者が何人もいるのだ。
 ――何かがおかしい。
 最初に2人の事を聞いた時に感じた違和感。その後に起こったあまりにも素早い教会の対処。時間と共にその違和感をデュランは忘れかけていたが、今改めて考えてもおかしい。引っかかる。
「……2人は素晴らしい人物だった」
 浮かんだ思いを瞬き一つで心の底に押し込める。今のマルコに、これ以上余計な不安を増やしたくなかった。
「お前の水の才能は……母譲りだったのだな」
「……」
「オヴェリア様とカーキッドに聞いた。お前は素晴らしい水の才能を持っていると。ジブソフィラの炎を消して回ったのもお前だったと」
 町に燃え移った火を1人で消す、それは並大抵の事ではない。普通の魔術師なら力を使い果たして動けなくなっていてもおかしくない。その上彼は、カスミソウ畑の炎も消しているのだ。
「水は難しい。それを使うには努力以上のものが必要だと言われる。持って生まれた相性に特に左右される要素だ。残念ながら私はどれだけ訓練をしても伸びなかった」
 鍛錬では補い切れない、それは天賦の才能が成し得る技。
 デュランの言葉に少年は俯き、
「……同じ事を先生にも言われました。水の才能があると」
 少年にとって、レトゥがどのような存在か……デュランにはわかるような気がした。親を亡くした少年にとって、レトゥは、師以上の――親同然なのだろう。
「戻る頃にはレトゥ殿の傷も治っている。お前も元気な様子で戻らねばな」
 少年は答えなかった。だがその目が輝いた。デュランはその光を見て大きく頷いた。
 レトゥを思い描くデュランの脳裏に、否が応にも1人の少女の姿が浮かぶ。
 ――オヴェリア殿はあの後どうされたか……。
 別れはあまりにも唐突であった。だが言うべき事は言い置いた。何があっても先へ進めと。
 彼女には背負っているものがある。その荷は、少女が1人で背負うにはあまりにも酷な物であるが。
 ――頼むぞ、カーキッド
 北へ行け。進め。行くべき道は他にはない、今はそれしかないのだ。
「また、会えるでしょうか」
 マルコが言った。それにデュランは、
「また、会えるさ」
 と答えた。
 デュランは遠く虚空を眺めた。
 そして不安そうに自分を見るマルコに、もう一度優しく笑みを浮かべて見せた。



「時間だ」
 騎士が声を掛けたのは、面会の規定時間を倍ほど過ぎた頃だった。
 時間が回っていたのはわかっていた。だが騎士の声に苛立ちのような物はなかった。やはり騎士の中にも、子供をこのような形で連れて行く事に疑問を感じている者はいる様子。
「そろそろ行く。ゆっくり眠れ」
 デュランは微笑み、腰を上げた。
「いつもありがとうございます、デュラン様」
「気にするな」
 改めてもう一度、念を押すようにデュランは今後の動きを話した。西へ向かう、明日には着く。その後の事は何があっても自分が守る、だから今は力を蓄えておくようにと。
「ガリオスの総主教庁に行くよりは随分近い。良かったと思うべきだろう」
 その時ふと、マルコは思い出したように呟いた。
「そう言えば、デュラン様。カラスも手紙を運ぶのですね」
 腰を上げかけていたデュランの動きが、ピタリと止まった。
「……何?」
「え?」
 デュランの気配が一瞬にして変わる。
「今……何と言った?」
 言ってはいけない事を言ったのだとマルコは慌てた。それほどに、振り返ったデュランの形相は一転していた。
「あの……昨日、兵士の人たちが話しているのを聞いて……」
 言ってはいけなかった――否、真実は逆である。
 この一言があったからこそ、
「昨日、黒いカラスが手紙をくくりつけて飛んできたんだって」
「鴉……」
「それで……手紙を取った途端、そのカラスは燃えて消えたんだって」
 反流する事となる、一矢の鏑矢こうし



「時間は守っていただかねば困ります」
 テントの外で騎士に軽く小言を言われたが、デュランは「すまん」とだけ言って足早にその場を去った。
 喉が渇いた。だが水を飲もうという気になれなかった。
 ただ心臓の早鐘が痛いほどだった。
 デュランはたむろする騎士たちの姿を捉え。
 最後に、闇に向かってポツリと一言漏らした。
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