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白薔薇の剣 ―最後の王女の物語― 作者:葵れい

<第1部>

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 第9章 さらば、愛しき人よ -1-


 世の中のすべての事象、すべての事柄が、望む形となる事はあり得ない。
『オヴェリア、覚えておきなさい』
 叔父の手は大きかった。
『この世には、どうする事もできない物がある』
 そして温かかった。
『定めというものが確かにあるという事を』
『叔父上』
『……だが、意味がない事は何一つない』
 望む形とはならない。だがそこも、必ず意味は存在する。
 万事、築かれていくすべての形。
 刻まれ行く想い。
 そして。
 ぬくもりにも、それが最後に必ず失われていく事にも。
 すべてが意味を持つ。
『忘れるな、オヴェリア』
 今は辛くとも、悲しくとも、苦しくとも。
『必ずいつか、すべての事が意味を持つ』
 それはお前を導き、(はぐく)む光となって。
 道を。示すから。
『お前の母の死も……いつかきっと、』
 きっと。
 その宿命は。
 お前を照らす、光となるから。



 ……叔父、アイザック・レン・カーネル。
 その手のぬくもりと、優しい笑顔を。
 オヴェリアは生涯、忘れない。


  9

 城内は静まり返っていた。
 燃え狂う轟音は一切、内部では消え果ている。
 その沈黙はむしろ、見事なほど。
 だが壁の隙間から外を垣間見れば。確かに炎は揺らめいている。
 それなのに音はもちろん、熱気すら。まったく感じられないこの状態。カーキッドは、「ひゅー」と口笛を吹いた。
「魔術ってぇのは、すごいもんだな」
 それにデュランは首を横に振って答える。
「こんなもの、」
 デュランは炎を見、ボソリと呟くように言った。
「魔術でもありえない」
 オヴェリアは炎を見ず、ただただ前を望んだ。
 ……3人は、ひた歩いた。
 走るわけではなく、ためらうわけでもなく。
 だがまっすぐ。
 何かに導かれるように、歩き続けた。
「……兵士の1人もいやしねぇ」
 物騒だなと、カーキッドは笑った。
 だが彼が、いつ何時どこから襲われてもいいように神経を研ぎ澄ませている事を、オヴェリアはしっかりと感じ取っていた。
 それは彼女自身も同じだから。
 だから、ただ歩いているだけでも、汗が流れ落ちる。これほど熱気が殺されているというのnい。
(消えた兵士)
 そして消えた街の人々。
 問うてもわからぬ。だが本能ではわかってる。
 何かが、あったのだ。この城で。そして街で。
 そしてそれは……誰かのねじ曲がった意思によって。
「……」
 磨きぬかれた回廊は、炎の揺らめきが反射する。音は消えているのに光は届いている。
 赤い光。黄色い光。紺の残光。
 だが一番見たい道の先の先は、闇が邪魔して見えてこない。
 ……やがて、1枚の大きな扉が3人の行く手を塞ぐ。カーキッドが躊躇いなく開けると、またその先には道が続いていた。
 だが今度は本当に、外界のすべてが遮断された道。
 燭台に灯されたランプが、奥へ奥へと誘っている。
(まるで招かれているよう)
 延々たる奥へ。見えない誰かの手によって。
「今の扉の絵」
 カーキッドはオヴェリアの隣に立ち、少し背中を掻いた。
「不気味な絵だな」
「……鴉?」
「ああ」
 扉には巨大な鴉が翼をたなびかせるような姿が描かれていた。
 彼がそう言うのも無理ない。炎となった鴉に襲い掛かられてから、時間はまだ経っていない。
「鴉はカーネル家の紋章なのです」
「紋章? ああ……あれか? レイザランの領主はスズランだったな」
「ええ。我がハーランド家が薔薇であるように、カーネル家の紋章は鴉」
「確か紋章を持つ家柄の中で生き物を扱っている所は、大変珍しいのでしたな」
 デュランも話題に乗る。オヴェリアはコクリと頷き、2人を見た。
「ドルティラ家の蝶、フォグラー家の麒麟、リスティッタ家の虎……大概の家が花や植物を紋章としている中、生き物を扱っているのは指折り数える程度」
「その1つがここで、しかも鴉ってか。へぇ、何とも趣味のいい事で」
 鼻で笑ったカーキッドに対し、デュランは意外そうに目を見開いた。
「カーキッド、知らぬのかお主。鴉は元々神の使いだぞ?」
「あん?」
「神話の多くで、鴉は白い翼と美しい声を持つ神の使いとして描かれている。天界に住まう高貴なる生き物と称されているのだ」
 白い鴉。それはカーネルの紋章でもある。
 誇らしげに語るデュランと、舌を打つカーキッド。2人の姿を見て、オヴェリアは少し笑ってしまった。
 そして同時に思った。2人は気を使ってくれているのだと。
 ――目の辺りにしてきた現実は、もう、ギリギリの状況。
 赤ん坊の呪いと領主の獣人化に始まり、宰相ドーマの名を頼りにこの地にたどり着けば、屍人が徘徊している。
 城に潜入したデュランは瀕死の状態に陥り。
 炎上した街から人の気配は一切消え失せていた。城の兵士さえも。
 そしてその根底たる原因は、ドーマが招いたという魔術師と。領主、アイザック・レン・カーネル。
 そしてそのアイザックは、オヴェリアの叔父にあたる。
「馬鹿野郎。俺だってそれくらい知ってらぁ」
 導かれるように続くこの道の先に、待ち受けるもの。
 否が応でも浮かび上がる嫌な汗と。
 早さを増す鼓動。
(2人は)
 自分を気を遣ってくれている。
 ここは敵の居城。いつものカーキッドなら、「声を立てるな、敵に居場所を知られる」とでも言いそうなのに。
 わざと声を立てて、わざと歩調も息が整う程度の速さで。
(私の事を思って)
 今2人は、振舞っている。
 ……その想いにオヴェリアは。少し胸がジワリとした。
 だから。
「けれども鴉は、」
 私がこの言葉を紡ぐべきだろうと。彼女自身が、次の言葉を続けた。
「元々白き翼を持っていた鴉は、……最終的には神を裏切り、その罰として白い翼と美しい声を奪われ地に墜とされたと。神話では語られています」
「……」
「……」
「昔叔父上が、そう言っていました」
 カツ、カツと。
 3人の足音が、先んじて闇の中へと駆けていく。
「カーネル卿ですか?」
「はい」
「……姫にとってアイザック殿は……どのような方ですか?」
 デュランは、穏やかな口調でそう聞いた。オヴェリアは少し微笑み答えた。
「兄のような方です」
「……」
「よく遊んでくれました。ハーランドにもよくいらっしゃって。……母とも仲良くて」
「……」
「優しくて、強くて、何でも知ってて、意地悪な所もあるけれども、でも頼りになって」
「……」
「母が亡くなった後も……気遣ってくださいました」
 ――オヴェリアの母ローゼン・リルカ・ハーランドが急逝したのは8年前。
 あれから。
「最後に会われたのは?」
「6年前の、叔父上の結婚式です」
 オヴェリアの言葉に、カーキッドは「へぇ?」と眉をしかめた。
「そりゃ随分とご無沙汰だな。王族貴族ってのは、そんなに会う機会がないもんか?」
「……」
 いいえ、とオヴェリアは思った。
 そうなのだ。
 年に一度の拝顔の儀、まして王への定期の謁見、臨時の徴集、議会など様々あるのだ。
 アイザックは家督を継いでこのフォルストの領主になった。ハーランドへは来ているのだ。
(でも)
 6年間、会えなかった。
「……」
 それは、オヴェリアも心のどこかで薄々と感じていた事だった。
 結婚したあの日から。アイザックはまるで、オヴェリアと会う事を避けているのではないかと。
 わざと、会わぬように。
 この6年、会いたいと願うオヴェリアに対して、何度入れ違いがあったか。
 その中には明らかに不自然なものも確かにあった。
 残されていたのは。簡単な文と言伝(ことづて)のみ。
(避けられていた?)
 なぜ?
(叔父様……)
 黙りこんでしまったオヴェリアに、デュランは少し声を落として言った。
「何にせよ、この先にアイザック卿がいらっしゃる」
「……ええ」
「姫様、」
 よろしいのですか?
 デュランは立ち止まり、無言で問う。
 この先に待ち受けるのは試練。
 そしてオヴェリアは決断を下さなければならない。
 何と戦い、何に向かい剣を放ち。
 何を見る事になるのか。
「ええ、わかっています」
 オヴェリアは答えた。
「わかっております」
「……」
「でも、じかに」
 現状を取り巻く様々な布石。
 だがオヴェリアがまだ実際に直面していない1つの現実。
 それが、
「直接お会いしたい」
 アイザックに直接会う事。会って言葉を交わす事。
「レイザランの件、そしてこの街の事。……直接、問い正します」
 そう言い、オヴェリアはまっすぐにデュランを見た。
 その眼光にデュランは少し驚きの表情を浮かべたが、すぐに小さく頷いた。
「あなた様の御身は、我が命に代えてもお守りいたします」
「この道の先には何がある?」
 2人のやり取りの間に入るように、カーキッドが問うた。
「城はややこしい」
「私にもわからぬが。恐らくは謁見の間」
「……か、やはり」
 見えたきた。あの扉の向こう。
 少し複雑な顔をしたオヴェリアの横を抜けながら。カーキッドは彼女を振り返る事なく言った。
「オヴェリア」
「え?」
「俺はお前のお守りじゃないからな」
「……」
「自分の身は自分で守れ」
 驚くデュランを他所に。オヴェリアは答える。
「わかっています」
「おう」
「私もあなたのお守りではありませんので」
「……あん?」
「私も、私の事でいっぱいなので。あなたの事までは守れません」
 カーキッドはここで初めて姫を振り返った。
 合う、目と目。
 そしてカーキッドは満足そうに笑った。
「上等だ」
 その笑顔を見て、オヴェリアも笑みがこぼれた。
 すっと、心の中が軽くなるような感じがした。
 デュランはそんな二人を、少し呆れたような様子で眺める。
 オヴェリアは1度深く瞬きをした。
 そして。
 その扉に向かって歩き出す。
 扉に描かれているのは白い鴉。
 神話では神の使いとして描かれているその動物。
 ギィ……
 重々しく鳴ったその音は。
 けれども黒い鴉の鳴き声よりは澄んだ音に聞こえた。
 ――そして。
 開いた扉の向こう、まず目に入ってきたのは瑠璃色の絨毯。
 そこに描かれているのは花のような模様と。数羽の鴉。
 そしてその向こうには玉座があるが。今は誰も座してはいない。
 ただし。
 その前に、ただ一人たたずむ者がいる。
 黒いローブは背を向けており、誰なのかはわからない。オヴェリアは剣を抜いた。
「我が名はオヴェリア・リザ・ハーランド。フォルスト領主、アイザック・レン・カーネルに会いに参った」
「……」
 黒いローブは振り返らない。オヴェリアはにじりと目を細め続ける。
「カーネル卿はいずこか」
 デュランが腕を構える。その手には、急ごしらえで作った護符があった。
「答えよ。カーネル卿はどこにいる! そしてそなたは、」
 何者だ? そう問おうとした刹那。
 黒いローブは3人を振り返った。
 フードはかぶっていない。ゆえに、振り向けばその顔はオヴェリアたちにも見て取れる。
「ドーマ宰相……?」
 右目に黒き眼帯をされていたが、その顔は、先日牢獄で別れたあの宰相の面相そのものだった。
「クーン様、ご無事で」
 オヴェリアは安堵の表情を浮かべ、ドーマの元へ寄ろうとしたが。
「お待ちください姫様」
 すぐにデュランがそれを制する。
「失礼ながら。本当にクーン・ドーマ殿か!?」
「……」
 ドーマは答えなかった。表情すら変えなかった。
 いや……むしろその顔には。表情と呼べるものは何も浮かんでいなかった。
「私は、ドーマ殿が胸を貫かれる所を見た」
「……」
「あの状況で生きていられるわけがない」
 デュランの頬を汗が流れる。
 ここに至りカーキッドがようやく、ニヤリと笑いながら剣を抜いた。
「なら、行ってみるか?」
 言うなり。カーキッドは駆け出した。
 あまりに突然の事だったので、オヴェリアですら動いた瞬間は見えなかった。
 ただ気づいた時には。カーキッドが剣を上からドーマ目掛けて振り下ろし。
 それをドーマが、ローブの奥から取り出した剣で受け止めた所だった。
 キィィン
 鋭い音が鳴る。
 交差した刀、すぐさまカーキッドは向きを変え、グルリと体を回転させて背中から斬り込みを入れる。
 それをドーマは背後に飛んで避けたが。
 カーキッドの剣を、常人が簡単に避けられるわけもない。
 ドシュッと腹が真一文字に、黒い剣によって引き裂かれた。
 普通ならこれで倒れるか、少なくとも痛みに膝を打ってもよさそうなものを。
 だがドーマは何事もなかったようにその場に佇み、平然と剣をぶら下げていた。
 やはりその顔に表情はなかった。
「クーン様ッ」
 愕然とするオヴェリアの横をすり抜け、デュランもまた走り出した。
 彼は口早に呪文を詠唱すると、手にしていた護符を投げつけた。
 だがそれをドーマは難なく避け、逆にデュランに向かって駆け出す。
「!」
 ドーマの横からの一閃は、剣先に黒い炎が見えた気がした。デュランは地面に転がってそれを避けた。
 そこからもし追撃があったれば、デュランは避け切れなかったかもしれない。彼は体術がそれほど得手ではない。
 だがしかしドーマが次に向かったのは。
 呆然と立ちすくむ、姫君。
「オヴェリアッ!!」
 慌てカーキッドも駆け出すが。
 ドーマが剣を振りかざす。オヴェリアはハッとしたが、反応が遅い。胴体はがら空きだ。
 そこをドーマが剣を、叩き入れた。
 鎖の帷子が切っ先は弾いたが、衝撃までは吸収できない。オヴェリアはたまらずその場によろめいた。
 そこへドーマが、今度は彼女の喉元へと剣を突きつける。
「……動くな」
 オヴェリアの目の前に、ドーマの顔があった。
「オヴェリア・リザ・ハーランド。石を出せ」
「……」
「さもなくば、殺す」
 ――クーン・ドーマ。
 幼き頃からよく知る、叔父の側近。
 アイザックの隣でいつも微笑んでいた小柄で丸い男が。
 今、オヴェリアに剣を向けている。
 殺すと言っている。
《本当に大きく、お美しくなられましたな》
 牢獄で微かに涙を浮かべてそう言っていたその時から、また少し、やつれた面差しで。
「オヴェリア!!」
「オヴェリア様!!」
 2人が駆け寄るのを、気配だけで感じて。
 オヴェリアはドーマと目を合わせたまま、小さく手でそれを制した。
「石を出せ」
「クーン様」
「早く!」
 間近で見るドーマの顔は。……やつれている、いや違う。
 それ以上だ。
 まるで朽ちているようだ。
 オヴェリアはこんな肌を見た事がある。一昨日の夜、フォルストの教会にいた折に斬った屍人と。
 同じ、肌。
 ――オヴェリアの目から涙がこぼれた。
「クーン様……」
 カーキッドに斬られたはずの胴体からは、もう、血すら出ていない。
 鼻をつくこの臭い。少し前のオヴェリアにはこれが何の臭いかわからなかっただろうが。今ならはっきりとわかる。
 死臭だ。
「あなたがそれで休まるならば」
「……」
 オヴェリアは懐に手を入れる。
「この石で、クーン様が開放されるのならば」
 オヴェリアは微笑んだ。
「さぁ、」
 そして石を、ドーマの前に差し出した。
+注意+
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