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白薔薇の剣 ―最後の王女の物語― 作者:葵れい

<第1部>

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 第7章 鴉の躯 -2-


  ◇

「ありがとうございました」
「いえいえ。いかがでしたか?」
「大変気持ち良かったです」
 オヴェリアは正直に感想を述べた。
 すると下働きの女性はにこやかに微笑んだ。司祭と同じ笑顔だと思った。
(母上と同じくらいかしら……)
 恰幅のいい体格は、母ローゼン・リルカ・ハーランドとは比べようもなかったけれども。それでもオヴェリアは、何となくこの女性に母を感じた。
「きれいな髪ね。女性の身で旅なんて、すごいわねぇ」
 風呂の世話をしてくれた彼女は、ついでにとオヴェリアの髪をとかしてくれた。
「剣なんて、お風呂場まで持ってこなくてもいいのに」
 驚きの混じった表情で彼女は、風呂の片隅に立てかけてあった白薔薇の剣を眺めている。
「白い薔薇の剣なんて。とてもきれいね」
「旅の共が、いつ何事があってもいいように、どこに行くにも持って歩けと言うものですから」
 彼女は白薔薇の剣の事は知らないようだった。それにオヴェリアは安堵した。
「ああ、あの男の人? 見たわよ。男前じゃないの。あの人はあなたの良い人なの?」
 良い人とは? オヴェリアは小首を傾げた。
 すると女性は豪快に笑って、「恋人なのかしら?」と言った。
 オヴェリアは真っ赤になって、首を横に振った。
「違います!」
「あらそぉ? ははは」
 カーキッドが恋人なんて。
「違います」
 もう一度全力でそう言ったが、女性はただただ笑うばかりだった。
 ――彼女は簡単な夜着用のローブまで用意してくれた。サイズは少し大きかったが、心地の良い素材だった。丁寧に礼を言いその場を後にした。
「おやすみなさい。良い夢をね」
「おやすみなさい」
 ……旅をしてきた。
 見知らぬ土地、見知らぬ街。
 だが何よりも、人と話をする事。
(言葉が通じる)
 当然の事だけれども。
城以外で誰かと話す。声をかければ誰もが答えてくれる。笑えば皆、笑い返してくれる。
 ……そんな事が。
 オヴェリアの心を揺さぶる、春のような暖かな風となる。
「……」
 部屋への帰り道、オヴェリアは途中、窓から外を見た。
 夜空。星が(またた)いている。ここからでは月は見えない。
 硝子に映る自分の顔を見、彼女はふと自分の髪に触れた。人にとかしてもらったのは随分久しぶりだ。
 こうして解き放っている事も最近では少ない。いつも編み込んで頭にグルリと巻きつけている。
「……」
 ――あなたの恋人?
 そんな時ふと、彼女の脳裏に先ほどの女性の言葉が蘇った。
「違います」
 虚空に向かって彼女は、また赤面して否定する。
(恋人か……)
 想い人……。彼女は夜空を見つめた。
(フォルスト)
 この地へ来る事になるとは。
(アイザック叔父様……)
「……」
 オヴェリアは苦笑した。そしてまた歩き出した。
 廊下は所々にランプが灯されている。だが、暗い事に代わりはない。
(ソフィア様はお元気かしら)
 アイザック・レン・カーネルの正妻、ソフィア。
きれいな方だったと、オヴェリアは思った。
 ――それ以上に、思う事は何もない。
 ただ、彼女の胸を淡く苦い物が過ぎるのは、ただただひとえに。
「……」
 彼女は歌を口ずさんだ。サンクトゥマリアの子守唄だ。
 ――それが、初恋だったがゆえに。



 ふと。行く先に彼女は赤い布を見た。
 扉に掛けられたその布は、暗い廊下にもよく映えていた。
「……」
 そこは懺悔の部屋だと、カーキッドは言っていた。
 何となく近寄り、そっとドアノブに手を掛けると、鍵は掛かっていなかった。
 覗き込むとそこは小さな部屋。窓も何もない、椅子が一つあるだけの場所だった。
 そっと入る。ふと見れば、壁面には小さな穴が幾つか開いていた。
(懺悔、か……)
 ――罪を告白する所さ。
「……私は、」
 ポツリと口にする。
 告解。
 するべき事が彼女には、ある。
 犯した罪。
「人を斬りました」
 胸を苛む、重い重い楔。
「私は人を斬りました……1人2人ではありません」
 夜な夜な見る悪夢。うなされる光景。
 夢の中でも剣を握り、繰り返し、誰かを斬る。
「そうしなければ私が死んでいた。……でもそれは本当に正しかったのか……」
 きっとカーキッドは気づいている。オヴェリアはわかっていた。
 うなされている事。でも彼は何も言わない。
 ……それが答えだから。
「獣化した人……もう戻れる可能性が薄いからと……でも本当にそれは正しかったのか。他に方法は……」
 答えは自分で見つけ出すしかないと。
 己の心の傷は、自分でしか癒せない。
 心の問題を解決できるのは、自分自身だけなのだと。
「村人を襲った盗賊たちだってそう。殺されたから、殺した……でも人に、人を裁く権利などあるのか。誰においても、命を裁く権利など」
 ――カーキッドはないのですか? 神に懺悔したいような事が。
「私がしてきた事は、」
 正しいのか、間違っているのか。
 ――あったとしても、神には(ゆる)しは請わんよ。
「……」
 ――じゃあ、誰に?
 ――ははは
 ああ、とオヴェリアは思った。
 あの時カーキッドは無言でこう言ったんだ。
 自分自身に、と。
 きっと、彼ならば。あの剣士ならば。
 貫き通す、信念と。
 揺るぎのない太刀筋が。
 ……例えそこに、後悔の念が生まれる事あろうとも。あの男は神には懺悔しない。
 きっと、己自身に請う。
 だって。
(自分を赦せるのは)
 自分だけだから、と。
「……」
 オヴェリアははたと黙り、しばらくして息を吐いた。
「神様」
 誰も答えない、静寂の空間。
 オヴェリアはそっと、目を開け言った。「いいえ、神様」
「ごめんなさい……ごめんなさい」
 オヴェリアは首を横に振りながら、その言葉を繰り返し言った。
「道は、己で決めます」
 迷う事は多いけれども。困難も多いけれども。
 直面する選択はいつも、簡単でも単純でもないけれども。
 出した答えが100%正しいと思える事はない、きっとそれはこれから先もずっとずっと。
 だけど。
「神様」
 ――見ていてくださいますか?
 赦しは請えない。きっとそれが答えだから。
 神は何もしない。赦す事も赦さぬ事も。
 ならばせめて。
「見ていてください」
 目を背けず。
 この先、私がどれほどの罪にまみれて行こうとも。
 どうぞ神よ、私を赦さなくてもいいから。
 見ていてください。
この鼓動が止まる、その瞬間まで。
 幾多の罪に、汚れてしまっても。
「神様、私を」
 生きていくから。
 死ぬその瞬間まで、迷いながら。
 生きていくから。
 見ていてくれる人がいるならば、私は、とオヴェリアは思った。
(強くなるから)
 負けないから。
 必ず。
 前を向いて、進んでいくから――。

  ◇ 

「あの馬鹿、どこ行きやがった」
 カーキッドは、明らかに苛立った様子で辺りをキョロキョロと見回した。
 風呂へ行くと言って部屋を出て行ったのはいいが、オヴェリアの帰りがあまりに遅く。
(心配したわけじゃねぇ)
 誰にともなくそう言い訳をし、風呂場まで行ったが、そこにいた女性はカーキッドをニヤニヤ顔で見つめ「お連れの方はもう部屋に戻られましたよ」。
 戻ってねぇから探してんだ! 出かかった言葉は、何とか寸前で飲み込んだ。
「……俺は、お守りじぇねぇつってんだろうが!」
 言いながらも懸命に探すカーキッド。
(嫌な予感がする)
 理屈ではない。彼が磨きぬいた第六感。
(どうもこの街は、きな臭ぇ)
 角を曲がると床板がキィと音を立てた。カーキッドはそれに何となく舌打ちをした。
 そしてその前方に。赤い布の掛かった扉が見えてきた。
 そう言えば、とカーキッドは思い出す。あの部屋は何かと、オヴェリアに聞かれたな。
 ひょっとして……と思い、扉を開ける。
 中は狭く暗い。そして誰もいなかった。
「どこ行きやがった」
 ため息混じりにもう一度、そう呟いた時。
「あの方なら、礼拝堂の方に行かれましたよ」
 ギクリ、とカーキッドは振り返った。
 すると、赤い布の掛かった扉の横の壁がスルリと開いた。
 そしてそこから出てきたのは。
「……テメ」
「やぁ、どうも」
 デュラン・フランシス。その男であった。

  ◇

「何でここにお前がいるんだ」
 扉は閉じると、また壁になる。
 よくよく見れば取っ手もあるが一見にはわからぬ。
そこは告解部屋に隣接する部屋。司祭が懺悔を聞くための場所であった。
「いや、何となく。そこで考え事をしてたらね、隣の部屋に姫様が入ってくるものだから。私も少々驚きましたよ」
 苦笑しながら眉尻を掻く神父に、カーキッドは吠えた。「そうじゃねぇ!」
「何でテメェが、この教会にいるんだ!」
「質問の意味がわかりませんな。教会ゆえに、です」
 私がどこに属するか、あなた、理解できてますか? デュランは垂れ目の瞳に少々の呆れをにじませた。
カーキッドは一瞬「斬ろう」と思ったが、何とかこらえた。
「……お前、赤ん坊どうした? レイザランで、赤ん坊の術を解くつってただろうが」
 出発は自分たちの方が早かった。なのになぜもう、ここにいるのか?
 するとデュランは「そうそう」と壁に背をもたれさせた。
「赤ん坊の術払いはどうにか終わりました。……難儀はしましたがね。今は赤子の部屋と屋敷と町、3重に結界を張ってあります。少しはもつでしょう」
 窓の外は闇。たとえ今鴉が飛んでいても、見る事はできない。
「それから取り急ぎやってきて、本日到着した次第。それにしてもあなた方は? 今日の夕刻ここに見えられましたな? ……まさかカーキッド、主らは森の道を通ったのでは?」
「……他に道があったのか」
 デュランは苦笑した。「それはまた」
「随分な遠回りを。最短でレイザランからフォルストへは、ゆっくり歩いても2日あれば着けるのに」
 カーキッドは歯をギリと噛み締めた。
「なら最初に教えとけ!」
「聞かれなかったし。それにお前、知った様子でズンズン歩いて行ったじゃないか?」
「……」
 カーキッドは少し固まった。その様子にデュランは吹き出したいのを必死にこらえた。まだ命が惜しかった。
「森の方から来たならば、途中、何の噂も聞かずにきたって事か?」
「噂?」
「ああ、この街の」
 良からぬ噂。
「何だそりゃ」
 風に窓がガタガタと揺れた。
「まぁ、色々。とりあえず……フォルストには近寄らない方がいいと皆さんおっしゃいましたな」
「何?」
「私が聞いた話では、」
 風が止めば、2人の声以外無音。その静寂の中、
「フォルストに行くのなら、夜、建物の外には決して出てはいけない。それは、」
 デュランが最後の一言を告げたのと、悲鳴が聞こえたのは、ほぼ同時だった。
屍人(しかばねびと)が、彷徨(さまよ)っているから」
「――――!!」
 ダンダンダンダン
 ドンドンドンドン
 何だこの音は!?
「何が始まった!?」
 音は、
「礼拝堂からです!!」
 カーキッドとデゥランは目を見合わせた。
「待て待て、オヴェリアはどこに行ったって?」
 返答はあらず。まして不要。2人駆け出す。
「こっちです!!」
 デュランが先を行き、カーキッドに道を示す。
 廊下を走り、少し大きめの扉を蹴破るように抜けると。
 ――目に飛び込んでくる、淡い、赤・黄・青の光。
 月の光が魅せる、ステンドグラスの仄かな輝き。
 そしてその真下に。
「オヴェリア!!」
「カーキッド?」
 彼女は呆然と立っていた。
 その姿は白いローブ姿。髪は解き放たれている。近寄ると淡く、石鹸の軽やかな匂いがした。
 良い匂いだ。カーキッドの心臓が少し跳ねた。だがそれを振り払うように頭を横に振ると、彼はすべての念を押し殺す。
「何事だ」
「わかりません」
「オヴェリア様、ご無沙汰でございます」
 顔を背けたカーキッドに対して、デュランは、
「デュラン様? なぜあなた様がここに? テリシャ様の御子は、」
 彼女の質問を笑顔で受け流し、まずは手の甲に口付けた。
「良い香りだ」
「え」
「お美しい」
「……あ、ありがとう」
「オヴェリア、顔隠せ!! もう一回風呂に入りなおせ!!」
 オヴェリアは嫌そうな顔をしたが、確かに、湯上りの彼女はランプの明かりだけのこの場所でも、頬をピンクに染めていつもと違う意味で美しかった。
 うなじに張り付く髪とローブから覗く肌がさらに色気を出していたが、彼女が知る由もない。
 デュランの熱っぽい目とカーキッドの怒りをあらわにした目に、彼女は一瞬たじろいだが。
 ドンドンドンと繰り返される音と、
「た、たすけてくれ!! 開けてくれ!!」
 分厚い扉の向こうから聞こえてきたその声に、ハッと我を取り戻す。
「扉をっ! 誰かが、」
 慌て2人にそう叫んだオヴェリアに。
「なりませぬ!」
 そう告げたのは。
「扉は開けてはなりませぬ!!
 息を切らし走ってきた、司祭であった。
「司祭様、」
「開けてはなりません!」
 オヴェリアは戸惑った。「しかし!」
「誰かが助けを、」
「駄目です、開けたら」
 司祭は必死に言った。汗が首筋で光っていた。
「開けたら……開ける事はできません」
「何ゆえ!?」
 そう言う間も、助けを求める声は止まない。
「鍵を早く!!」
「なりません!!」
「それは、」
 司祭とオヴェリアの間に、デュランが入った。
屍人(しかばねびと)、ですかな?」
「――」
「しかばね……?」
「ここに来る途中、立ち寄った村で聞きました。フォルストは夜になると屍人がうろつき、人を見つけては食らいつくのだと」
「――ッ!!」
 では、助けを求めているのは、
「扉を開けなさい!!」
 オヴェリアはいよいよ叫んだ。「これは命令です!!」
「し、しかしそれでは、」
「救いを求める者を拒む事はせぬ、ではなかったのですか!!」
「――ッ」
 オヴェリアは剣を構えた。「カーキッド、扉をッ!!」
 カーキッドはニヤリと笑った。
「司祭殿、鍵を」
 デュランがやや呆れた様子で司祭から鍵を受け取る。
「屍人は全員斬ります」
 一歩たりともこの教会に、入れはしません。
「扉を――ッ!!!」
 ギィィィ……。
 開け放たれるは、漆黒の、世界へ。

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