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白薔薇の剣 ―最後の王女の物語― 作者:葵れい

<第1部>

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 第5章 鈴打ち鳴りて、閉眼の錠 -5-


  ◇

「見ろ、ご対面だ」
 軒を連ねる屋根の上に、闇に溶けるかのように2つの黒い影がある。
 その影の一つは言葉を話す。遠く伸びない声なれど、その音は確かに密かな笑いを含んでいた。
 その声は男。彼が見下ろすその先には、獣と思しき塊とそれを取り囲む兵士の姿。
 そしてその兵の中に混じり、剣を抜き放ったのは。
「いかように戦うか」
 オヴェリア・リザ・ハーランド。
 現ハーランド王国において、〝白薔薇の騎士〟の称号を持つ者。
「……」
 一切言葉を紡がぬもう一つの影は動きもせず。ただそこに忽然とあるのみ。
 だが注ぐ視線の先にあるのは、やはり同じ光景。
「お前が来るなど、珍しい」
「……」
「伝令は承知」
 影は何も話さない。だがその存在だけで知れる事がある。
「我も少し、見くびっていた。次は必ず仕留める」
 ゆえに、そなたは手を出すな。
 言外にそれを滲ませ、男はほくそ笑んだ。
 無言の影は何も答えなかった。
 ただ。
 じっと、眼下の白き剣士を見つめ続けていた。



 獣は高く咆哮を上げた。
 それに呼応するかのように、腕を振り上げる。
 振り上げた先、腕の背後には、星が1点夜空にあった。
 明らかに1等星の輝き。だがその星の名まではオヴェリアにはわからない。
 そしてその星を愛でる暇などは。
 ――振り下ろされる腕は、存外、早かった。
 サッとオヴェリアとカーキッドはその場から飛び退った。
 彼らを通り越して腕は、地面に振り下ろされる。
 ズドーンという音を立てて、それは地表に亀裂を生み出す。カーキッドはヒュゥと口笛を吹いた。
 兵士達が一斉に斬りかかった。
 それを緩慢な動きで獣は振り返るが。
 その動きほど、腕は緩くはない。
 地面から引き戻された腕は水平線を描きグンっと半弧を描く。
 その速度、想像できなかった者が数名、体を二つ折りにされて飛ばされる。
 闇夜の空を無作為に。ゴキリという嫌な音と共に飛んでいく。
 そんな仲間の姿に奮起した数名の兵士が挑むが。
 剣が、立たない。
 その獣の腕は存外長く、伸びる。
 うまくその間から剣を伸ばせた者がいても。
「グッ!!」
「剣が利かない!?」
 いやあれは、とカーキッドは思う。
(体毛のせい)
 鋼鉄の身などありはしないが、恐らく体を覆っている体毛が。
「意外と、」
 硬く、並みの刃では届かない様子。
「面白くなりそうじゃねぇか?」
 カーキッドはニヤリと笑って剣を構えた。
 地面を蹴るように飛ぶと、まっすぐ獣に向かって斬りかかる。
 まずは足を一薙ぎ。だが感触はやはり強張っている。多少は斬れたが、獣は揺るがない。カーキッドへ向けて腕を振り上げる。
 それを笑いながら避け、今度は右から斜めに一閃。
 感触は鈍いが、だが確かに入った。血も飛ぶ。
 しかし獣はやはり動じない。よろける事もなく、まるでカーキッドの真似でもするかのように、両手を組んでそのまま斜めに打ち下ろした。
 一瞬カーキッドの目が驚愕に染まるが、そこで捕まる男ではない。パッと避ける。
 だがその彼に向けて、剣に見立てた腕を尚も左から右へと振り回す。
 カーキッドは避けていく。だが腕が長すぎる。周りにいた数人の兵士が巻き添えをくい、吹き飛ばされていった。
 直撃受けたら、ただじゃすまねぇなと思いながらも、カーキッドの顔は喜色満面である。
 遊ぶように後ろへジャンプしてかわしていく。獣は足音を打ち鳴らし、地響き立てて追いすがった。
 ゴァァッァァァァァ
 悲鳴とも怒声とも歓喜ともつかない、謎の雄たけびが、空に向かって響いていく。
「カーキッド、遊ぶな!!」
 叱咤し、真空から舞うは白薔薇の剣。
 両腕で渾身、オヴェリアは右の脇腹を狙った。臓器の一つがそこにあるはず。
(うまく入れば)
 これ一撃で悶絶。
 剣の腹で叩いたが、手ごたえはゼロ。
 いやむしろマイナス。
 思った以上に弾力ある胴体に弾き返された剣が、宙に浮く。
 そこを縫うように、背後を振り返ってもいない獣の腕が、オヴェリア目掛けて振り回された。
 咄嗟彼女は剣を立て、それを受け止めようとしたが。
「よけろ!!!」
 刹那の言葉に体が反応する。地面を転がって逃げた。
 唇を切った。口の中に錆のような味が広がる。だが構っている暇はない。
 オヴェリアを振り向いた獣は、地面に転がる獲物を見つけ、狙いをつけると。
 空を飛んだ。
 その動きはまるで、鼠を襲う猫がごとく。
 オヴェリアは地面を転がり必死に逃げるが。
 逃げた先に、手が伸びる。
 5つの指と、長い爪。
 それはまるで、5本の槍が同時に突き出されるのと同じ。
 立ち上がるにも転がるにも、間に合わない。
 一瞬、オヴェリアの脳裏に悪寒が走った。
 だが、瞬間、その腕が止まった。
「オヴェリア様!!」
 矢。
 デュランが放った矢が、獣の左目に直撃していた。
「てめぇの相手はこの俺だ!!」
 カーキッドの黒き剣が一閃、その身に入る。
 血飛沫が飛んだ。
 ――だが。
 獣は何事も起こっていないかのごとくそこに立ち。
 不思議そうに、自分の左目に突き刺さった矢を抜いた。
 体液が飛び散った。しかし獣は首を傾げ、少しだけ唸っただけだった。
「こいつ、痛覚がないのかよ!?」
 オヴェリアの元へと駆け寄ったカーキッドが呟く。
「オヴェリア様、ご無事で?」
 脇に、デュランも走り寄る。オヴェリアは乱れた息で「助かりました」と礼を言った。
「さぁどうする」
「……」
「もう、行くしかないな」
 斬っても斬っても倒れない。
 この後この獣を止めるために取れる道はただ一つ。
 ――命そのものを止める事。
「オヴェリア、いいな?」
「……」
 問われるが、オヴェリアは迷っていた。
「いいな?」
 念押し。もう一度問われ、
「デュラン様」
 彼女ももう一度尋ねる。
「自我は」
「わかりません」
「それがあったとして、何がどう変わるってんだ?」
 夜空に向かって獣が吠えた。そして固まる3人の元へ猛然と畳み掛けた。
 さっと3人飛び散るが、その間に、斬りかかった他の兵士が頭を捕まれ振り回された。
 それにぶち当たり転がる者、跳ね飛ばされる者。
「もう、あの怪力は人間じゃねぇ」
「でもっ」
 人間です、とオヴェリアは叫んだ。
「この方は、レイザランの領主」
「獣だッ!! 割り切れッ!!」
 今ここだけでも何人死んだと思ってんだ!?
 カーキッドは剣を立てる。斬り込む。肩口目掛けて。
 一刀。普通ならそぎ落とされたであろう腕は、半分でとどめている。それにカーキッドは自身の剣に珍しく舌を打った。
「心臓狙うぞ!!?」
「しかし、もし自我が少しでも残っているというのなら、」
「話になんねぇッ!!!」
 カーキッドの剣が光る。
 黒塗りの剣とその瞳が次に狙うは喉元。
 胴体と頭の繋ぎ目掛けて、駆け走る。
 長身の彼の身の丈でも、そこは頭上。真上。
 一度右へと身をくねらせ、腕が飛び来るのを避けてから。
 正面、
 柄と切っ先、両手で持ちすえたそれを喉目掛けて突き上げ。
 ――ようとした刹那。
 横から飛んできた切っ先の気配に、カーキッドは咄嗟身を反転させた。
 獣の腕も戻ってくる。
 瞬間、剣で受け止めたが、相手は怪力。
 カーキッドでも、吹っ飛ばされる。
「カーキッドッ!!!」
 オヴェリアが叫ぶ。そのまま建物に打ち付けられそうになった刹那、デュランが懐から護符を取り出し投げ放った。
 魔術の類か、一瞬だけ建物はグニャリと曲がり。飛んできたカーキッドの身を受け止めるように弾んだ。
「……痛てて」
「カーキッド、」
 駆け寄ってきたオヴェリアを邪険に払いのけ、カーキッドはすぐに立ち上がる。そして視線を感じてそちらを見た。
 建物の脇から現れたのは。
「……ランドルフ、だっけか」
 その男、重い足取りで。
 鎧を打ち鳴らせ、現れる。



 トクンと心臓がなる。
 「鈴のようね」とかつて言われたその音は。
 彼女のためにある。
 ……彼女のため、のみにある。



「何だ、今の」
 言いながら、ニヤリとカーキッドは笑った。「あともうちょっとでこいつを殺せたのに」
――咄嗟の瞬間、剣が一振り飛んできた。
「やめてもらおう」
「あん?」
「斬らないでくれと言ったはずだ」
 ハハハとカーキッドは、大声を上げて笑った。
「お前、目、見えてるか?」
「……」
「闇を理由に見えないとか抜かすなよ?」
 この現状。
 ここまでの数分の間にも。どれだけの事が起こったのか。
 転がるのは、無数の兵士。
 息がある者もいる。動けず呻いている者もいる。
 そしてもう二度と起き上がれぬ者も。人形のように転がったその有様を見てなお、
「殺られてんのは、てめぇの身内だぞ!?」
「……」
「領主だとか、自我があるとかないとか。そんなもん言い出したら」
 ここに倒れた者達は、何のために死んだ?
 それを言い出すというのなら。
「てめぇは黙ってこいつに殺されても、文句は言わねぇってのか!?」
「……」
「やだね俺は」
 もがきもせず、抗いもせずに死を受け入れるなんざ。
 口実をでっち上げて、戦いもしないなんて。
「だが、この方はカイル様だ」
「うるっせぇ!!」
「テリシャ様のただ一人の婿君なんだッ!!」
「――」
「テリシャ様が、生涯を誓った、ただ一人のお方なんだッ……」
 ランドルフ、剣を構える。向けるは傭兵カーキッド。
 斬撃、高く虚空に響き。
 夜の空気に火花を散らす。
「テリシャ様はこの方に仕えるとッ、この方に生涯を託すと、」
 ――ランドルフ
 彼の脳裏に、一つ、声が響く。
 ――父上が勝手に決めたあの方、最初はあまり好きになれなかったけれども。
 ガキン、ガキンと金属音はよどみなく鳴り。
 それはさながら、



 ――私、あの方の事、好きになれそうな気がする。



 生涯誓って、愛すると。
 貴方だけを愛すると。
 ……貴方が誓った相手を、自分も生涯、お守りすると。
 貴方のために。それだけのために。



 刀の音。
 甲高く。
 まるでそれは。
 少し無骨な、鈴の音。



「ゴォオオオオオオオオ」
 咆哮に、2人はハッとし距離を開けた。
 その間に腕は振り下ろされる。地響きが起きる。
 だがランドルフは剣を止めない。狂ったようにカーキッド目掛けて振りかざす。
 さすがその太刀は早く重い。カーキッドがもう一度見(まみ)えたいと思っていただけの事はある。
 だが、同時に獣を相手するのは彼であっても難儀。
 ニヤリと笑ったが、その首筋に汗が光った。
「退いてくれ、カーキッド」
「てめぇが退け」
 その2人を見、オヴェリアはどうしたらいいのかわからず立ち尽くしていた。
 その折である。馬車がきたのは。
 馬車に記されていた家紋はスズラン。そこから飛び出すように出てきたのは、スズランの姫君。
「テリシャ様、ここはッ」
 驚き、その姫の元へと走ったオヴェリアに。
「オヴェリア様ッ」
 彼女はその肩を掴み、もがくように叫んだ。
「お願い、いたします……」
「――」
「あの方を……カイル様を」
 斬って、と。
 悶えるように、涙を流しながら。
 姫君は、泣いて彼女に懇願をした。
 それにオヴェリアは一層、戸惑った顔を見せたが。
「オヴェリア様、」
 デュランが言った。
「自我はあるかもしれん、ないかもしれん」
「……デュラン様」
「ですがもう、戻れぬ」
「……」
「見てごらんなさい、あの獣を」
 言われ、見れば。
 それは涙を流していた。
 牙を剥き、唸り声を上げ、腕を振り回しながら。
 涙を流し。
 ……世界を映す事ができるただ一つの目で。東の空を見ていた。
 きっとそれは待ち望んでいる。
 もうじき現れる、太陽の光を。
 夜明けを。
 ……ずっと地下に閉じ込められて、もはや、見る事できなかった光を。
 最後にその目に。
「あなたのその剣で」
 聖母・サンクトゥマリアの剣。
 この剣を握る事。
 この剣に選ばれた事。
 それは、
 ――オヴェリアは剣を持ち直した。
 持たねばならぬ、覚悟がある。
 ――瞳を上げた。その目は、薄ら潤んでいた。
 決めなければならない、覚悟がある。
 ――走り出す。獣目掛けて。
 たとえ目を背けたくなる光景、足がすくむような現実を前にしても。
 ――いいやそれは、人。
「カイル殿、」
 道に涙が弾け飛ぼうとも。
 揺るぎなきよう、走れ。ひた走れ。
 怯むな。
「オヴェリア・リザ・ハーランド、参る」
 心、前へ。
 負けるな、何より、己自身に。
 ――オヴェリアの体が宙を舞う。
 その姿、一輪の花。
 花が吹雪くがごとく、風に舞い上がったその体は。
「―――ッッッッ!!!!」
 横一線。獣の喉を、断ち切った。
「あ」
 唖然とするランドルフを蹴飛ばし。
 最後の悪あがきをしようとするその体の心の臓目掛けてカーキッドが剣を。
「馬鹿が」
 突き立てた。



 カイル・グルドゥア・ラーク。
 (よわい)33。
 コトンと、最後から2番目の鼓動が打ち鳴る。その折、東の空から太陽は解き放たれた。
 そしてコトンと、響かれた最後の鼓動で見た者は。
 馬車と、その側に膝を付いた姫の姿。
 カイルは笑った。
 そのまま、その身地面にドォと倒れ伏し。
 これにて、
 ――閉眼の錠。



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