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白薔薇の剣 ―最後の王女の物語― 作者:葵れい

<第5部>

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 第59章 君よ、求める事なかれ -5-

 駆けて行く背中が言った。
 たった一言、死にたいと。
 アズハにはそう見えた。その声が聞こえた。
「化け物め」
 盃の伝令が現れ小さく呻いた。アズハは一瞥もくれなかった。
 化け物ではない。あれは鬼だ。
 否……違う。
 鬼でもない。あれは、
「親父殿からの命だ、合流はルアン」
 ルアン――その場所にアズハは思わず目を見開く。
 ルアン大聖堂、そこは枢機卿がオヴェリアに告げた場所。ズファイが待つと言っていた場所。
 ならば、オヴェリアは。
「後は連中の仕事だ。我らの用は済んだ」
「……」
「立て、アズハ」
 ――ならば、オヴェリアは盃が。
 殺しはしない……ルアン大聖堂という言葉が物語っている。最終局面は、それでもやはりズファイの目の前。
 ……撤退の命令が届いたのか、刺客達が徐々に退いている。
 代わりに、騎士と魔術師団が後ろから間合いを詰めていく。
 だが、男は戦っている。
 たった一人だ。
 彼の周りに仲間はいない。
 背中を預ける者はない。共に戦う者もいない。
 周りすべて、全方向から注がれる目は、すべて敵意。
 憎しみと怒り、単純に注がれるすべての脅威、殺意、……一つとして彼を肯定する物がない中で。
 でも男は戦っている。
 黒い剣はボロボロだ。幾多の打ち合いにより切れ味を失い、刃はこぼれ光を失いかけている。
 それでも男は戦い続ける。
 何のために――オヴェリアを救うために。
 ただ一念。
 ――たとえこの身が滅んでも。
 この命を引き換えにしても。
 たった一人を守りたい。
 たった一人を救いたい。
 ……男は背中で叫んでいる。
 残りの命を全部、あの女のために使って。
 そして、死にたいと。
 ……生きる事を望まぬ剣。
 それは、諸刃の剣である。
 だから男は今、限りなく自由だ。
 そして、その剣は同時に、いつも以上に彼の身を傷つけて行く。
 男は剣を突き出した――守りの剣は捨てている。
 魔術師が放った術をまともに受ける――逃げる事をやめている。
 睨んだ先に、撤退の文字はない――前に進む事だけが唯一。
 後ろに道はない。
 突き進む。
 そのためだけに足は、腕は動いて行く。
 ――刃こぼれした剣が、男の姿そのもの。
「アズハ行くぞ」
 フラリとアズハは立ち上がった。
 地面に転がる自分の剣を拾い上げ、もう一度男を見た。
 カーキッド・J・ソウル。異国で鬼神と呼ばれた男。
 背を向ける。……これが今生の別れとなろう。
 オヴェリアはもういない。恐らく既に、盃と共にここを発ち。
「……」
 いない女を探し続けて、男は彷徨うのだろう。
 剣はやがて砕け散る。
 その時男はどうするのか。
 それでも戦うのだろうか。
 最期の最期の瞬間まで、泥のようになりながらも。
 ……あらん限りの絶望の中で。
 男は最期に何を想うのか?
「……」
 オヴェリアはもういない。
 男はここで死ぬ。
 そして彼女も間もなく、異国の地で果てる。
 それが終焉。
 ……最後の王女が刻んだ、物語の終わりの場所になろう。
「……」
 拾い上げた剣を収めぬまま、アズハはその場に立ち尽くした。
 歩かぬ彼女に伝令の男は焦れて舌を打った。
「歩け。親父殿の命令だ」
「……」
「その手では、どうせもうまともな剣は振れまいが」
「……」
「敗れたお前の処断も、親父殿が下す。来い、アズハ」
 ――嗚呼と、鳴くように呟いた。
 次の瞬間、伝令の男は何を思っただろうか。
 ――誰が敗れた? アズハは心の中で呟いた。
 伝令は、喉を裂かれていた。自分が死んだ瞬間もわからなかっただろう。
 倒れても、ガラス玉では空は見えない。
 アズハはゆっくりと歩き出す。
 向かう先は黒の剣士。
 その手前には、騎士がたむろしている。
 邪魔だ、と言った彼女の声はあまりにも小さすぎて、誰の耳にも届かない。
 鎧の継ぎ目から一突きされて、騎士は崩れ落ちた。
 不死身の兵士ではないのだな、とアズハは感情なく見下ろす。
 ならばまだ幸い。
 ――誰もが心を逃している。炎に色を求めている。
 既成の色がそこにある。
 炎の中にある、赤でも青でもない部分。熱だけを帯びた透明な場所。
 そこに、真空が宿る。
 遠い昔、アズハは思った事がある。生まれ変わるならば炎になりたいと。
 巨大な炎でなくていい。色も持たず透明な熱を宿す、そんな、見えない炎になりたいと。
 ――跳ぶように走った。
 狙いは黒の剣士。カーキッド・J・ソウル。
 カーキッドが振り返る。2人の視線が重なった。
 だがその間には遮るように騎士の身体がある。
 邪魔だ、とアズハは斬って行く。
 邪魔だ、全部邪魔だ。
 カーキッドに比べれば、どんなものも易い。
 強風に体制がぐらつく。だが間合いは半歩で立て直す。
 魔術師団が邪魔をする。
 アズハはそちらに向かって駆け出した。
 魔術など、易い。
 未だ自分の足より速く術を唱えた者を知らない。
 黙れ、と口を塞ぐ。そのまま絶ち切る。
 その間に他の者が術を完成させて解き放つ。
 だが、炎など怖くない。
 風など怖くない。
 雷も落ちてみろ。
 この世界に、怖いものがあろうか。
 ――光、以外に。
 全部斬る。
 邪魔は許さない。
 左手は力が入らない。だが右手は生きている。
 速度は生きている。
 何より、心が。鼓動が。
 目を閉ざし続けていても、ずっと、魂は脈打っている。




 身を削るような戦いだった。
 アズハは手当たり次第に辺りにいた者を斬った。
 気づけば、身に覚えのないような傷がたくさんできた。
 返り血に赤に染まったアズハとカーキッド、2人だけになるまでに、時間はかからなかった。
「……」
 風がやんだ。
 俄かに炎は、優しく立ち上がる。
 天を突くように伸びた礼拝堂の塔の上まで、煙が逃げるように立ち上って行く。
「……」
 アズハは何も言わずに男に剣を向けた。
 最後の一刀が振れるのか、己に問うた。
 どうしてももう一度剣を交えたかった。
 この男は光に沿う闇。光がなくては生きていけない。
 ――自分と同じように。
 膨れ上がった闇は、何を願って泣くのだろう。
 ――いつか、透明なほどの炎の中で。
「……ルアン」
「――」
「ルアン大聖堂」
 眠りたい。
 ……あの日から思い描く夢。
「ズファイの元に」
「……」
 カーキッドは何も答えなかった。
 アズハと同様、構えた剣を収めはしなかった。
 ただ、
「……そうか」
 やがて消えるようにそう言って、黒い剣を下ろした。
 アズハはじっと男を見た。
 もう一刀。
 どうか、もう一刀だけ。
 そう願うのに。男は背を向ける。
 最後には一瞥もなかった。だが、アズハにはわかった。
 カーキッドが持つ最後の一刀は、今この瞬間ではない。
 ――オヴェリアのために振るう、最後の剣。
 ここは、崩れる場所ではないと。
 男は歩き行く。その背中を見ながらアズハは一つだけ瞬きをした。
 自分に残された、最後の一刀は?
 どこで振るう? どこで、
 ――命を燃やす場所はどこだ?
「……」
 ああ、そうかとアズハは剣を下ろす。
 もう一度会いたい。
 ……あの光……あの熱に。
 私ももう一度、あの女に会いたいのだと。



 赤い石を握り締め、カーキッドは歩き出す。
 その背に続く影一つあり。
 ……2人が目指すのは、一つの光。
 迫る夜の闇は静かに2つの影を染めて行く。
 2人が去り行く後に残る紅蓮の世界。
 先に終焉を迎えるよ、世界は彼らにそう告げて、名残少なくその背を見送る。





 ◇ ◇ ◇


「馬鹿が……」
 デュランは呟いた。
「これは……」
 マルコは口に手を当てる。
「動くなと、言うたのに」
 ガリオスに戻った彼らが見たのは、赤に染まった世界。
 聖サンクトゥマリア総主教庁は、今まさに音を立てて崩れ落ちんとしていた。
「馬鹿者が……ッ!!」
 木霊にならなかったデュランの言葉は、煙が吸い上げて空へと還す。



 
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