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白薔薇の剣 ―最後の王女の物語― 作者:葵れい

<第5部>

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 第59章 君よ、求める事なかれ -3-



 ――今ここで走り出す事の意味が、本当にわかっているのか?



 疾走する足よりも速く、白薔薇の剣が直線を迅る。
 直線は兵士の喉を貫き、鎧が乾いた音を立て崩れる。
 その瞬間を待っていた騎士の長剣が、頭上から堕ちてくる。
 烈火のごとく男の叫び声が、長剣の後ろにまるで航跡を描くように。
 眼下に振り仰ぐオヴェリアは、だが剣よりも早く視線を走らせ、兵士を蹴飛ばし弧を描くように長剣を受け止める。
 片手では受け止められない。
 だが、両手を塞げば次の騎士が胴体を狙い来る。
 片手を外せば、受け止めた剣が崩れ落ちるのはわかっている。だがそれでも剣を落として身を滑らせて。
 瞬間的に支えを失った騎士の首を、一直線に絶ち切る。
 兜と同時に飛散る鮮血に。
 構わず次の騎士は狙い討ってくる竜巻を伴うような剣を、白薔薇を盾にして受け止める。
 歯を食いしばって押し返す、押し返して、押し戻せ。
 目に宿る烈火を誰が見たか。
 騎士の剣はゆるぎなく。だがオヴェリアとて退かぬ。
 力勝負は不利だ。そんな事はうに気づいている。
 だが太刀打つ。
 オヴェリアの渾身の叫びが、辺りに、長剣を振り下ろす以上の波紋を呼び起こす。
 鎧の騎士が焦れて一歩下がった間髪の瞬間を、白薔薇が最速の猛進を駆けた。
 騎士の腕が、長剣ごと壁に突き刺さる。
 少女の白い衣も金の髪も、陶器の肌も赤く赤く染まるだろう。
 だがいとわず彼女は剣を構え、再び走る。
 なまじの兵士は声も出ぬ。
 騎士のみが道を塞ごうとする。
 剣を持つだけの少女、鎧も盾も 身を守るすべを何一つ持たないただの娘を。
 だが騎士達は取り囲み、迷う事なく絶たんとするのだ。
 その違和感は、誰にあらんや。
 その上で、彼女はその剣を受け止めて、壁を蹴って宙に跳んだ。
 半身が斜めに月を描くかのように、その目にのみ、青の光がほとばしる。
 眼光は線となり、そして同時に線を描いた白薔薇の剣と共に、2つの極論が両手持ちの腕に宿り。
 跳ぶよりも落ちるよりも、時よりも早く。
 神が人に与えしすべての時間と感覚を凌駕して。
 彼女の剣は、彼女と共に、誰一人としてその切っ先に指を走らせるより前に、時間軸の中から放り出される。
 地面に崩れたオヴェリアは、足よりも前に手の平で地面を蹴り飛ばしてそのまま走る。
 走る。
 疾走の先を、延々と風が導く。
 自分の呼吸の音だけが、今生きているという感覚。
 そしてその感覚の中、もう一度彼女は自分に問いかける。
 今ここで走る事の意味がわかっているのかと。
 なぜここにいるのか、――国を救いたかった。
 ハーランドを救いたかった。
 自分の命を差し出す事だけが、自分にできる唯一だと思った。
 そして……仲間を救いたかった。
 デュラン、マルコ、そしてカーキッド……。
 大事な仲間たち。ずっと傍にいてくれた仲間達。
 ずっと。
 こんな自分と共に、ずっと一緒にいてくれた人達。
 ……生きてほしかった。
 彼らに……生きてほしかった。
 守りたかった。
 何もかも、自分が大事だと思ったすべての者を。
 死を選ぶ事で守り切れるなら。
 ……それで、全部守れるというのならば…………。
(走るという事は)
 枢機卿の言葉が脳裏に打ち響く。
 すべての運命を転ずる事。
 ここで自分が生きる事を望めば、変わりにこの国が、仲間が――。
 足を、切り落とせ。
 腕を絶て。
 その窓から飛び降りろ。
 どうせ、走らねばならないというのなら。その衝動に耐えられないというのならば。
 ――カーキッド、
 もう、空に向かって駆けて行け。
 どちらを選ぶ?
 守るために自ら空を選ぶか。
 走るのか。
 ――走る道を選べば。
 角から無数の剣が付き出される。
 数本が服の一端を掠める。だが無意識に動いた白薔薇の剣の方が早かった。
 走る勢いが風に摩擦を起こし、摩擦が一瞬の火花を散らす。
 剣と剣がぶつかり合う事で起こった衝撃に、むしろオヴェリアの腕は反動を糧にしてもう一歩。
 未だ遅し。
 堕ちていくむくろは、最後の祈りを投じる。
 そは、誰に対する祈りか。
 オヴェリアの耳は拾いもせずに、次の音にのみ集中する。
 ――今、この地のどこかで、あの人が。
 黒の剣士――なぜ逃げなかった?
 なぜ追いかける?
 行けと言った、生きてと。
 なのに、なぜ……。
 私を、まだ。まだ、私を。
 どうして、私を。
 どうして……こんな私を。
(あなたは、)
 だから私はと、オヴェリアは剣を握り締める。
 ……今ここで走り出した事、これが、後の歴史にどれほどの杭を打つか知れない。
 二度と取り戻せない大罪となるかもしれない……この世界にとって一番の方法を手放して。
れ者ッ……」
 どこかでそんな呻き声が聞こえた。
「お前は国を葬る、歴史上最悪の王女となろうぞ」
 道の向こうに立っている、黒の衣を泳がせる剃髪の男。
「その愚行、歴として、我がこの世界の終末まで刻んでくれよう」
 ――このまま斬れ。
 腕が物を言う。
 カーキッド、とオヴェリアは呟いた。
 良い様に言った、聞こえの良い言い方をした――すべてを守るために命を投じようとしたなどと。
 本当は、嘘だ。
 逃げようとしただけだ。
 すべてから目を瞑って、顔を背けて、本当は。
 逃げようと。
 死に逃げようと。
 戦う事から……逃げたのだ。
 ――剣を。
 目を背けたのだ。
 国を抱える重圧から、たった一人で戦わなければならない事から。
 大事な仲間を守るとか、守られるとか、傷つけるとか、……解放させたいと願いながら。
 本当は、自分が運命から。
 ――一足飛びで、枢機卿の胴体を狙い、討つ。
 ……もう運命は、決まったのに。あの瞬間、自分自身で決めたのに。
 白薔薇の剣を手にするために、戦う道を選んだあの瞬間から。
 歯車は動き始めた。
 身を投じたのは自分自身。
 父のため。母のため。
 自分のため。
 ……この国を守ると。何度叫んで。
 何度走って、何度堪えて。
 何度目の投石が。
 何度目の陽光が。
 幾度の祈りと懺悔と。
 ……歩いてきた道のりと。
「――悪魔の剣の使い手めッッ!!!!!!!」
 仲間と出会い。
 共に笑い、泣きながら。
 どれけの試練と困難と。
 ……支えられ。
 本当は弱い、この私が。
 本当は愚かな、何もできないこの私が。
 ここまでの道のりを。
 ここまで――押し上げられて。
 1人では見る事などできなかったこの世界。
 見せて、くれたのは。
「―――――――――ッッッッ!!!!!!!!!!」
 ――斬る。
 ……私が。
 運命を前にして、逃げたのは。
 ……恐ろしくなったから。
 向かい来る運命と、本当の定めと。
 向かい合うだけの勇気を。
 ……仲間を信じる事が。
 ……民を信じる事が。
 皆を信じて戦う事に。
 ……怖気づいて閉ざそうとした………その路を。
 ――烈火よりも閃光よりも、稲妻よりも、神が人に下す歴史上すべての業を凌いだ、その瞬間投じたオヴェリアの剣を。
 遮ったのは、あまりにも細い長剣。
 見下ろされた、長い影。
 見上げるよりも早く、その剣が下から斜めに線を描いた。
 避けられたわけではなかった、偶然にも、その瞬間向かい風が吹いたというだけ。
 だが幸運は一度だけ。
 二手目は正面から突き出された。
 オヴェリアは剣を盾にしながら辛うじて避ける。
 だが、衝撃を流したはずの剣が、震えるほどに右に落ちた。
 何かを思うよりも早く、三手目の剣が迫る。
 否、彼女が見たのは腕だった。
 地獄より突き出されたような腕だ。身をよじろうとした彼女の喉を掴み。
 息が。
(喉が)
 潰される――。
「殺すなと言われているが」
 ――耳が覚えている。この声を知っている。
「やはり、簡単には死なぬか」
 歯を食いしばって、食いしばって。
「それとも、死ぬのが恐ろしいか?」
(この男、)
 ズファイの傍にいた――化け物の腹から這い出した折一度見まみえた。
 肉を削ぎ落したような面と、頭上から見下ろすような長身。
 闇、もしくは絶対的な影。
「さ、盃殿――」
 ――サカズキ。
 オヴェリアの喉を掴んだまま、男は一気にオヴェリアの胸に剣を一突きにせんとする。
 だがオヴェリアは盃の腕を掴んで反動でかわす。
 しかし完全に避ける事は出来なかった。脇腹を貫かれる。
 吐くような痛みが、絶叫よりも先に襲い掛かり。
 無情に引き抜かれる瞬間に地獄が追い打ちをかけてくる。
 無意識に吐いたのは、血か、それとも恐怖か。
「よく泣きもせず」
 だが、地面に転がるわけにもいかない。
 足の裏が、ここは堪えて地面を蹴り飛ばす。
「まだ走るか、小娘」
 血が流れ行く感触は。
 ……こぼれて行くのは、命だ。
 ああ、これが、血が流れる感触かとオヴェリは思う。
 今この瞬間、確かにオヴェリアの運命はこぼれ行く。
 走る足が、先ほどより風を呼び起こさない。
 背中に感じる殺伐とした感覚。
 鼻をまたぎ先に駆けて行くのは死。
(この男、)
 あの時も感じた。今再び感じる。
 ――背後から横一線に流れ込んできた気配に、オヴェリアは剣を構え直す。受け止める、弾き飛ばされる。
(抗えぬ)
 圧巻。
 細い剣はが頭上から振り下ろされる、いかずちのようだ。
 片膝で受け止めた瞬間に、前方から飛んできたのは脚。
 正面からの衝撃に、オヴェリアは問答無用で再び地面に叩きつけられる。
「道は2つ」
 立ち上がれない、まさか、とオヴェリアは愕然とする。
 体が動かぬ。
 目だけは辛うじて。だが見上げる事ができない。
 生きているのは耳だけ。
 だが拾い上げる現実は、
「このまま死ぬか、這い上がって死ぬか」
 滅びが。
 音を立てて。
 ……崩れていく、心の中にある何かが。
 ――望んでいたはずだ、死を。
 死んで、すべてを救うと。
 それが今目の前にある、ようやく。
 逃げ込もうとした場所。
 ……みっとも無く。
 これこそが、自ら望んだ姿。
 やっと。
 ――だけど。
 走る事の意味が、本当にわかっているか?
 走り出した瞬間に思った事は、何だ?
「……」
 崩れ落ちた自分の腕を。
 膝が動くなら、足は。
 視界はまだ消えてはいない。
 ――お前が求めた本当の色は。末路は。
「……、」
 今、どこかで戦っている者がいる。
「そうか」
 風が呼んでいる。オヴェリアと呼んでいる。
 まだ、呼んでいるから。
 答えるのだ。
 そのために、最期まで。
「宿命と」
 逃げてはならないと。
 ……風が言ったのだ。
 戦えと。
 もうとっくに決めていた、己の運命。
 己の道。己だけの道。
 誰に決められたわけでもない。
 仲間がくれた、今の自分。
 ならばこの先は、私が私の手で。
「神を怨め」
 誰かの運命を変えるほどに。
 誰かの根底を覆すほどに。
 今度は自分が、誰かを。
 ――不可能のどん底と、可能の頂点、境地の向こうの向こうの世界。
 空をも、突き破る。
 世界を変える。



 最後まで少女は剣を取り、疾風はやての剣を受け止める。
 持ち上げた腕が足に立てと強烈に命じて。
 立ち上がった足が全身に向かって叫ぶ。
 跳べ。
 両肩が弧を描いて、体幹をそのまま軸として。
 神がその瞬間を切り取るように時を止めた。
 オヴェリアと男の視線が重なった瞬間を。
 虚し、と呟いたのは誰か。
 動き出した時と。
 唸り声を上げた時が。
 ――猛然と切り開いた次の運命。



 オヴェリアの風が、男の体に斜めの線を刻み込む。
 だが同時にオヴェリアを襲った強剣は、今度こそ彼女を吹き飛ばし。
「……ッ」
 男は膝を付きながらも笑みを浮かべた。
 だがオヴェリアは。
 ……立ち上がろうともがきながら、手折るように崩れた。
「――見事」

 


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