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白薔薇の剣 ―最後の王女の物語― 作者:葵れい

<第5部>

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 第59章 君よ、求める事なかれ -2-


 ――……なぜ。



「黒の剣士……、状況は」
「兵団では太刀打ちできません、騎士団と、魔術師団を向かわせています」
「クッ……」
 枢機卿がオヴェリアに視線を走らせる。
「参るぞ」
 一層足早に。
 オヴェリアはその背に従う。
 白い衣が翻る。
 追うように眺めるのは、斜め下にある回廊の模様。
 直線がやがてねじ曲がり、壁から降りた線と交わる。
 せめてユリでも描かれていればよいものを。
 ……ただし、それを、誰が見ようというのか?
 廊下を風が吹き抜ける。
 夜に向かい、冷たさを増した風の中に。
「……」
 オヴェリアは歩を止めた。
 ――何を見た? 何を感じた?
 その瞬間、彼女は目を閉じる。
「……行けと」
 呟いた言葉は風では流しきれない。
 枢機卿が振り返る。
 その目に浮かんだ色をオヴェリアは見ていない。
「……行ってと……」
 ――もう、求めるなと。
「急げッ、歩を止めるな」
「……」
「オヴェリア、聞こえぬのか」
「……」
 まだ目を閉じている。
 背後のアズハがそっと剣を抜く。
 でも、まだだ。
 まだオヴェリアは決めていない。
「……なんで」
 決意の瞬間を討つ――アズハは剣をゆっくりと構える。
「どうして……」
 黒い剣士。
 風がまた鳴く。
 泣いている。
 聞こえてくる。
 伝わってくる。
 繋がっている。
 忘れられない温もり。
 忘れられない声。
 過ごした日々。
 誓った約束。
 ……絆とか、そんな言葉では易い。
 風が。
 ……呼んでいる。
 オヴェリア、オヴェリアと。
 叫んでいる。
「……」
 オヴェリアは笑った。
 消えるような笑みだった。
 悲しい口の傾きが。
 儚く散りゆくように消えて行く。
 吹いた風が彼女の背中を押して、髪を吹き上げる。
 表情が隠れたその刹那。
 アズハが動いた。背中から閃光の一撃を絶ち入れた。
 響いた音は、鐘より強く。
 空気を貫き、風に伝える。
「……」
 オヴェリアが剣を抜いていた。完全に光を受け止める、白い剣。
 アズハの目に、剣よりも輝く何かが宿った。
「王女、オヴェリア――」
「ドルターナ」
 剣を受け止めたまま少女は答える。
「……風が呼ぶのです」
「何を」
「……呼ぶのです」
「……」
「……私の名を、ずっと」
 ずっと。
「……あの人が呼んでいる……」
 目の端を涙が伝う。
「貴様ッ……、反故にするつもりかッ、ハーランドをッ」
「……」
「国を救うために身を差し出すと――約束をッ」
「……」
「剣を振るう意味がわかるか、お前は自ら、国を道連れにする事になるぞ」
「……」
 オヴェリアの目は、彼女の背中は。
「道連れなどにはせぬ」
 炎が立っている。
 ――交差していたアズハの剣が消える。次の瞬間下段に潜り込んでいる。
 横薙ぎの一閃を、オヴェリアは兵士に体当たりしながら避ける。
「殺せッ!!」
 枢機卿の怒号が散る。
 オヴェリアは剣を握り直す。
 アズハは一足飛びの距離を一瞬にして無にする。
 受け止めながら一歩踏み込む。
 疾風がアズハの頭上を掠めながら、次の瞬間は下から斜めに突きあがる。
 2度目の交差、2人は視線を合わせる。
 オヴェリアとアズハ、2人の少女。
 兵士たちが駆けてくる。アズハがにわかに舌を打った。
 視界の端、後退りしていた枢機卿が、部下を伴い背を向けた。
「オヴェリアを殺せッ!!! 今ここで殺すのだッ!!!」
 呪いの言葉を喚き散らして。
 だがオヴェリアの顔はなぜか清々しい程に。
 ここ数日見てきた少女の顔ではない。
 いいや、むしろとアズハは思う。
 ――これこそ、良く知る女。
 無謀なほどにまっすぐに。
 厚顔を絵に描いたような。
 だがこれ以上ないほど真っ白で。
 純朴で。
 ……忌々しい程の。
 穢れなき魂。
「……」
 知らず、アズハの口の端が傾いている。
 だが一瞬の事だ。
 すぐに追手を翻す。
 オヴェリアの剣は、徐々に速度を上げて行く。
 忘れていた感覚。忘れていた想い。
 一つ一つを取り戻すように。
 アズハに向かって打ち込んでいく。……正眼からまっすぐ、さらに速度を増して剣を滑らせて。
 幾重に幾重に幾重にも。常人には到達できないこの空域。
 空はここにあり、ここから彼女は剣を振るかのように。
 アズハ以外に、その剣を捕らえる事はできない。周りの兵士は茫然とその様を見る。
 ――やがて、騎士が辿り着くまで。
 まだ枢機卿の声が聞こえる。殺せ殺せと、忌まわしく。
 ここに彼女の墓標を叩きつけろと、運命そのものに克明に訴えかけるように。
 死ね、死んでしまえと。
「――」
 オヴェリアは一歩距離を取って剣を構える。
 乱れる息よりも、頬を伝う物を乱雑にぬぐい捨てる。
 そんな彼女に向かい、数人の騎士が走り込んでくる。
 打ち合いに火花が必至。アズハとは異なる、剣から受ける圧力。
 重い、渾身の剣。
 そしてそれを打つ者達の表情は、無。
 アズハの剣にも気配はない。だがそれとはまた別種の。
 オヴェリアの背中を悪寒が走る。
 感じた事がある――こんな、不気味な気配。
 騎士と剣を交差すれば、自然に、オヴェリアの体は後ろへと押される形になる。
 それを弾き飛ばした瞬間、どこからきたかわからぬ衝撃にオヴェリアの体は壁に向かって叩きつけられた。
 若干血を吐く。だが座り込んでいる場合ではない。
 廊下を、彼女は走り出す。
 走りながら唱える言葉はただ一つ。たった一人の名前。
 カーキッド、と。
 彼もどこかで戦っている。今この瞬間、オヴェリアを取り戻すために死に物狂いで戦っている。
 行けと言ったのに。構わず行ってと。
 もう、忘れてと。
 この国の事も、竜の事も。
 旅をした事も……出会った事も。
 すべてをなかった事に――忘れて、生きてと。
 自分の事など忘れてと。
 ……何度願っただろう。
 そして、何度オヴェリアは、同じように、自らも。
 忘れようと願い続けた。
 自分にはこの国しかない。
 この国にはもう、自分しかいない。
 父がいなければ、自分がやるしかない。自分がこの身に代えてでも、この国を守らなければならない。
 たった一人残った自分に何ができるのかと、ずっと考えてきた。
 そしてこれが答えなのだと思った。――この命で国が救えるならば。
 そのために、生まれてきたというのならば。
 ……生きた証は。
 歩いた証は。
 戦ってきた意味は。
 ……泣いた、意味も。
 強くなりたいと思った事。
 認められたいと思った過去。
 誰かに支えられるのではなく、守られるのでもなく。
 自分の力で立って、歩いて。
 ……誇りを。
 生き方を。
 ――――教えてくれたのは。
 どんなに忘れようとしても最後に辿り着く……なぜ、なぜ、と問い続けても。
 忘れられない人がいる。
 忘れられない時間がある。
 忘れたくない想いがあって。
 ……彼方から。
 呼んでいる声が。
「カーキッド……」
 私なんかのために。
 どうして私なんかのために……。
 後ろからの気配にオヴェリアは身をよじった。
 アズハの短剣である。
 騎士はまだ向こう。やはり彼女だけが、オヴェリアの足に確実についてくる。
 打ち合いは必至か。
 否、オヴェリアの背後からも駆けてくる気配。このまま行けば完全に挟まれる。
 決断までに時間がない。アズハが一歩踏み込んでくる。
 返す剣で、オヴェリアはアズハを押し返そうとするが、体制が悪かった。押し切れない。
 その代わり、交差した剣を中心として、2人の目が今一度重なる。
 何度か打ち合ってきた。だがこれほど間近でに、互いの目を見た事はない。
 碧の目と、黒い目。
 その瞬間、オヴェリアの脳裏に奇妙な閃光が飛び散った。
 考えている暇はないように思えた。オヴェリアは一歩間合いを開け、懐に手を入れる。
 だがその間にもアズハは剣を差し向ける。
 辛くも受け止めた剣は、だが遅れた反応によって、腕を切っ先が掠めとる。
 何度目かの交差。至近距離にまた、アズハがいる。
「アズハ」
 アズハは、一瞬、呼ばれた事すら気づかぬように。
「お願いが、あります」
 俄かに目が見開かれる。
「カーキッドに渡して」
 そうしてオヴェリアが手からこぼれさせたのは赤い石。
 ルビーのペンダント。
 アズハは石を見ない。ただ、驚愕でオヴェリアを見つめる。
 一瞬オヴェリアは眼光を強くして、やがて渾身の力でアズハを押し返した。
 思いもかけずアズハの体制が崩れた。
 だがそれを見もせず、オヴェリアは追ってくる騎士に向かって走り出した。
 その背からは炎を湧き立つようだった。
 あの炎だ、とアズハは思った。
 追いかけようとした。すぐさま立ち上がってあの背中を追って。
 だが、手をついた場所に石があった。
「――」
 無意識だった。石を握り締め、アズハは立ち上がった。
 追いかける。
 ……どこかそれは、すがるようにも。
「アズハ」
 不意にオヴェリアとアズハの間に立ちふさがったのは伝令の男。
「親父殿の命令だ。黒の剣士を討て」
 なぜだ、オヴェリアはそこにいる。
 追いかけたい、追いかけて。
「王女オヴェリアは、親父殿が獲る」
「――」
「お前は黒の剣士だ。急げ」
 なぜ。
 オヴェリアが、行ってしまう。
 ――師が。
 この世でたった1人、抗う事ができないと思う者がオヴェリアを討ち取ると。
 いやだ、とアズハは思った。
 オヴェリアは自分がこの手で――いや、それよりも。
 あの背が。
 あの横顔が。
 あの空気を。
「……」
 あの炎を。
「……」
 ……………だが、絶対なのだ。命令は絶対。
 追いかけたい背中は、遠くなる。
「急げッ!!」
「……」
 クッと息を漏らし、アズハは背を向け走り出した。
 何かを願った。
 それは言葉というより感情の塊だった。
 ……苦しい苦しいと叫ぶ、花のような感情だった。




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