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白薔薇の剣 ―最後の王女の物語― 作者:葵れい

<第4部>

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 第46章 群青 -3-

 時として運命は、残酷な形で道を紡ぐ。
「あんな事がなければ……あの剣さえ、持つ事なければ姉上はッ……」
 呪縛か、とグレンは思った。目の前にいる男に絡みついているのは深い深い呪縛。
 そして同時に彼は、男の姿に自分の姿をも重ねる。
 ――道はどこから始まった? 運命はどこから回り始めた?
 何が元凶で、何が宿命なのか。
 もうわからない。……すべてを辿ろうとするには、遠くまで来すぎてしまった。
「白薔薇の剣、あんな物に選ばれたがゆえに姉上は」
 グレンの剣は、支給の剣よりやや細い。幾多の剣と出会い、共に戦いながらたどり着いた、彼の手に最もなじんだのがこの形状。
 刀身を横に据えれば一本の直線となる。光を浴びれば、光線が貫くように一文字を描く。
 その光は腕に至り、体の中心、全身、そして瞳に宿る。
 そして今その目には様々な光景が断片的に過っていた。
「姉は剣など持った事もなかったのだぞ? 何故だ、何故、剣に触れる事ができたというだけでその責を負わねばならない? 白薔薇の騎士とはなんだ? 何故あの姉上が戦場に立たなければならなかった? グレン殿、白薔薇の剣とは何だ? 何故姉上が」
「……」
「そんなもの、ヴァロックが一人で背負えばよかっただけの事だ。何故姉上を巻き込む必要があった? あいつだけの問題だ。剣に選ばれた? 選ばれなかった? ……この国はおかしい。おかしい」
 ――何故ですか、義兄上!!
 聞こえてくる、少年の叫び声。
 否、もうあの時分アイザックは少年ではなかった。幼子だと割り切れるような歳ではない。分別もついている、まして彼はカーネルの後継ぎだ。
 しかし内に潜む激情が彼を駆り立てた。あの時アイザックは、グレンに掴みかかった。義兄上、義兄上と叫んで。
 そしてグレンは、その腕に抵抗する事ができなかった。
 答えられなかった、少年が問うてくる疑問の、何一つに対して。
「そして果ては、ヴァロックに殺された」
「違う」
 グレンは首を横に振った。
「それは、違う。リルカ様は胸の病で亡くなられた。何度も申したはずだ。ウィル様は関係ない」
「〝持病の胸の病〟」
 ――膨れ上がっていく。炎が委縮している。
「姉上が胸を患い始めたのは、ハーランドに嫁いでからだ」
「――」
「姉上はヴァロックに殺された」
「違うと申している」
「ヴァロック・ウィル・ハーランド……この国の在り方、」
 そして、
「白薔薇の剣」
「――」
「呪われたこの国のすべてによって、姉上は、姉上は」
「アイザック、」
「――全部壊してやる」
 嗚呼、とグレンは息を吐いた。
「姉上を奪ったもの全部、姉上を壊したもの全部。姉上を存在を許さなかったものすべて。運命も宿命も何もかも、この世における万物の定理」
 その顔は、
「今度は俺が、この手で」
 まるで悪魔のようだと、グレンは思った。
「無の境地へ」
 ――本当の悪魔は、絶望と破滅を、無表情で説く。
 これは本当にアイザック・レン・カーネルだろうか? 
(どちらにせよ)
 もう野放しにはできない。
 本当はもっと早くにやらなければならなかったのだ。幾度もその機会はあったのに。
 しかし、動けなかった理由は。
 ――義兄上。
「ウィル様の仇、取らせてもらう」
 剣を構える。
 それをアイザックは黙って見ている。
 激情も何もない無表情。
 目の奥にある闇。
 一瞬グレンは思った。幾多の戦い、戦場も駆けた。奪った命の数は覚えていない。この国で最強とまで呼ばれた剣士が。
 ――ゾクリと。
 脚は正直に、恐怖を感じたが。
 走り出した。
 茫然としていれば残像も捉えられぬ。速さとはこういうものである。
 だがアイザックを前にこの速さは、まだ足りないのだ。
 完全にその目はグレンを捉えて。
 渾身の一刀を、深く受け止める。
 剣が震えた。その震えは、相棒の囁きのようだった。
 恐らくその囁きと同じ事をグレンは感じた。接近の内で見たアイザックの顔。
(誰だ、)
 無表情。
 さっきまでの醜い程の怒りの表情もない。
 くぐもって、表情はないのに。
 しかし、目の奥の方で笑っているように見える。
 何が? その笑みは本当にアイザックの物なのか?
 確実に首を跳ねるために放った横の一閃。
 それをアイザックは剣ではなく身をよじって避けた。
 グレンの背中に悪寒が走った。
 ――視界の隅に、アイザックの腕が過った。
「何故」
 不意に誰が言った?
「助けてくれななかった?」
 意識を取られる。剣速が落ちた。
「姉上を、ヴァロックから」
 攻めはグレンが一方的。
 アイザックの剣はまだ、受けるだけしか、
「姉上は、待ってたのに」
「黙れ」
 ――求める事と、叶う事。
「姉上が愛していたのは、あなただったのに」
「違う」
 脚が、踏み込みを躊躇ためらった。
 たった一瞬の、無意識の反応だった。
 そういうものが時として命を左右する事はわかっていたのに。
 剣が甘い、速さも角度も中途半端に。でも止められない――放たれたその一閃を。
 アイザックは受け止めて。
 その上で弾いて。
 反動を利用して。
 左足が鳴くように強く前に出たかと思うと。
 風のような閃光。
 アイザックの剣が放った鈍い光が目に届くより早く。
 ――間に合わない。
 受けたのは半分だけ。もう半分は、胴に入った。
 鎧を身にまとっている。それは体に入る場所ではない。
 なのに。
 あ、と思った瞬間にはもう、グレンの身体は宙を舞っていた。
 鎧が砕けたのが感触で分かった。
 こみ上げてくる何かにむせれば、そのまま血が噴き出た。
 地面に叩きつけられ、衝動と痛みを抑えて自分の身体を見ると。
 何だこれは? 完全に鎧が。
 そして視線を戻すとアイザックの剣――否、剣じゃない。彼は剣を持っていない。
 剣だと思った光は、彼の腕から放たれた物。
 右腕。
「あなたは姉を救ってくれなかった……ヴァロックと一緒になって、戦場へ連れ出した。奴と同罪だ」
 ――視界の隅で何かの気配を感じた。
 瓦礫と炎に隠れて様子を伺っている。ハーランドの兵士だ。
 アイザックの背後にサイラスの姿を見たその瞬間。
「駄目だ、サイラス」
 グレンの呟きと。
「かかれ」
 サイラスの声は同時だった。
 いつの間にか取り囲んでいた何人もの兵士が、一斉にアイザック目がけて斬りかかった。
 雄叫びが伸し掛かる。幾重もの槍と剣が一人の男目がけて突き出されるが。
 ――全部に貫かれた上で。
 無表情だった男が、笑った。
 それを見た兵士の何人かが剣を腕から離した。
 だが最後、サイラスが、アイザックの首を跳ねた。
 巨漢の男が放つ剣だ。本来ならば首は完全に跳ね飛ぶ。しかし皮一枚残った。
 張り付いた笑顔が。
 二度と瞬かないはずの目が。
 ――曲線を描いてさらに笑って。
 血も吹かない。
 跳ね上がった首が、ゆっくりと元に戻っていく。
 兵士たちが悲鳴を上げた。
 その場に固まり動けなくなった者から。
 ――剣に貫かれたままのアイザックが、そっと手を差し出し、その頭を撫ぜた。
 途端に、兵士の頭は砕け散った。
 これは本当に現実なのかと疑いたくなるような光景。
 アイザックの顔には慈愛にも似た笑みが張り付いている。
 一人ずつ、撫ぜて行く。
 そしてそこから弾け飛ぶ。
 こんな死を、グレンは知らない。
「逃げろ」
 人間の所業じゃない。
 ――薬じゃない、とグレンの中で警笛が鳴る。
 せんに蔓延する人の心に作用する薬……そんな物ではない。今目の前の現実は。
 魔術。
 これが、暗黒魔術か。
「カーネル」
 一層の雄叫びがその場に響いた。サイラスだ。
 首を跳ねるか、胴体を跳ねるか、その剣が巨大な線を描いて目の前の悪魔へ吸い込まれていく。
「サイラスッ」
 右手が受け止めた。サイラスの剣を。
 簡単に握った。そして手の中で砕いた。
 ポロポロと風に乗るほどの細かい粒子になって。
「おやすみ」
 グレンが手を伸ばしたその時にはもう。
 サイラスの腹に、悪魔は拳を叩き入れていた。
 サイラスの最期の顔は、驚愕。
 次には、もう、表情も残らない。形も全部。
 サイラスであった物は。
 木端微塵に。
「――」
 グレンの感情も、一緒に、散った。
「この程度か」
 アイザックの呟きは、耳に届かなかった。
「人を捨てたのか、アイザック」
 その問いにアイザックは微かに不愉快そうに眉を寄せた。
「人を超えたのです」
 起き上がろうとするグレンの意思に反して、体が悲鳴を上げる。衝撃は内臓まで届いたかもしれない、だがまだ腕に力は入る。
 波打たぬ湖畔、風のない静けさの森、朝日が昇る前に見せる空の沈黙――どうでもいい。
 脚がまだ体を支える。
 剣を握る指があるなら、まっすぐ向ける。
 ここが最後の場所かと、グレンは一度目を閉じた。
 瞼の裏は、赤かった。
 そして、熱かった。
 炎じゃない、感情が。こみ上げてくるものが、体全体が、指の先、髪の1本1本、こぼれる息も全部、何もかもが。
 グレンの鼓動を伴って。
 今、逃げるように解き放たれていく。
「――」
 地面を蹴れば、そこに震動が伴う。
 細身の剣が残像を残してただ光る。
 ――昨夜ゆうべは何をしていただろう? 嗚呼、そうだ姫様を想って。
 感じ入るような衝突音。剣と剣がぶつかり合う。
 残響はどこに行く?
 ――サイラスすまぬ。
 連撃に連撃、ここまでの最速で打ち込み、だが全部止められている。
 せめて一矢と願う想いが。
 一層駆り立て、速さを増していく。
 遠く遠くどこまでも、その速さはいつしかすべてを越えて。
 神が許したかと、グレンは思った。今をもってして体が動き、剣が舞い、
 ――ウィル様。
 この瞬間、宿るのは一つの境地だけ。
 アイザックを討つ。
 胸を貫け、眼光を貫け、存在そのものを、
 この瞬間のために、自分は剣を持ち続けてきたのかと、グレンは思った。
 死に際のこの瞬間、この時のためだけに。
 往生際悪く、剣を捨てなかったのか。
 半歩譲り、後ろに引き下げた剣を、
 力を溜めて溜めて。
 目に宿す、渾身の光。
 次の一手が最後になる。
 ここまで生きたすべての人生。
 すべての想い、すべての意志を。
 叩き、込める。
 そこには静寂などない。
 燃やせと、誰かが願った、
 唸るような一太刀だった。
「――――ッ!!!!!」
 受けた剣が、瞬間砕けた。
 アイザックの顔に驚愕が過る。
 そのまま顔面を両断せんと踏み込んだが。
 腹に受けた衝撃に、体が吹き飛ぶ。
 サイラスの最期が脳裏に浮かぶ。だがグレンは再び、地に叩きつけられた。
 もう痛みは通り越している。
 今度はもう、立ち上がろうとしても体が動かない。
(嗚呼)
 これが最後か、うっすら開けていた目を閉じると。
 瞼の裏は、群青だった。
 空よりも青い世界。
 昔誰かに聞いた事がある。人が最後に見るのは群青だと。
 そこにあるのは光でもなければ闇でもない。ただただ、広がるその色が。
「ハーランドの英傑、グレン・スコール」
 満たして、終わらせていく。
「この場にて眠れ」
 涙してもいいだろうかと、グレンは思った。
(姫)
 誰を呼んだのか、自分でもわからない。
 ただ、どちらだったとしても、グレンにとっては同じに思えた。
 同じ魂。
 まっすぐで、純粋な。
「逝ね」
 この色と同じような瞳の。



「グレン――ッ!!!」



 剣は殺戮の道具。決して、美しい音を奏でる物ではない。
 しかし、次の瞬間響いた音は確かに美しかった。
 引き戻されるようにグレンは薄目を開けた。
 背が見えた。
 自分を庇う、その背は小さい。
 だが確固たる意志と。
 ――その魂が。
「叔父上――――」
「オヴェリア……」
 グレンは瞬きをした。
 瞼の裏にあの群青は、もう、どこにもなかった。


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