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白薔薇の剣 ―最後の王女の物語― 作者:葵れい

<第3部>

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 第34章 「私はお前が羨ましい」

 壊した橋を、急ごしらえで補修して。
 オヴェリアの文を持ったゼム・グリッド直下の騎士が、馬にてエンドリアを出たのは今朝。
 ――そして明朝にはオヴェリアたちも出発する。
 目指すのは文とは反対の方角。
 最後の地、ゴルディア。
 ……海を渡ったその先にある、この国の端の端。


  34


 体の感触を確かめる。
 ……充分である。
「誠に礼を言う」
 デュランは深く頭を下げた。
 医師は口の端だけで笑い、すぐに顔を背けた。
「無理は禁物ですぞ。完治しているわけではない、塗り薬もこまめに」
 城のお抱えの医師は、薬に長けた人物であった。そして何より回復の魔術を心得ていた。これは随分と助かった。
 おかげでデュランの傷はもちろん、マルコの怪我もこの僅か数日で随分良くなり、オヴェリアの傷も塞がっている。
「一番ひどかったのは、あなたです」
 そう言われ、デュランは苦笑するしかなかった。これまで積み重ねてきた傷の多さ、特にギル・ティモより受けた傷はまだ治りきっていない。
 傷に傷を重ねて。
「よくよく気を付けます」
 薬でも追いつかなかった。
 その上で彼は回復の術を使う。
 回復の術とはそもそも、神の技ではない。術者の体から、術を施す相手に少し力を分け与える。それによって、治りを突発的に促進させる術である。
 治しているのはデュランではなく自分自身。だが、力を分ける行為も健康体でなければ命取りになる。
 そして現状旅にそれができるのはデュランしかいない。
 そもそもデュランは回復魔術は得手ではなかった。炎を出すのとはまた違う、繊細な力と微妙なコツがいるのだ。だがそうも言ってられなくなった。回数を重ね、すんなりと術を掛けられるようになったのはごく最近の事だ。
(誠に、不思議)
 あれだけ不得手だったのに。
 誰かのためにと思うからか、切実な願いと状況があり、そんな場所ばかりに立ったせいか。
(皮肉だ)
 ――救護所には今日も多くの兵士がいる。最初より数は減った。少しでも動ける者は医師の反対をも押し切って動いている。
 自らの意志で。
 エンドリアのために……亡き主君のために。
 この領地はどうなるのだろうかとも思う。これから何がどう流転していくのか……。
 そう思って回廊を歩いていると、マルコに出会った。
「デュラン様」
「マルコか」
 少年は持っていた本をギュッと抱きしめた。
「救護所ですか?」
「ああ。お前の傷も良さそうだな」
「はい」
 この数日でマルコの顔が少し変わった。ドルターナの城へ連れ去られる時に見た頼りなさげな少年の顔ではない。
「その本は?」
 この数日、マルコは城にいた。
 カーキッドとデュランは崩れた城や城下の片づけのために力を貸した。オヴェリアは救護所に詰めて医師の手伝いをしていた。マルコもオヴェリアと共にいたが、それとは別に、彼は時間を見つけては厚い書物を手にしていた。
 問われマルコは少しバツ悪そうな顔をしたが。ちょっとしたため息と共に白状をした。本をデュランに差し出す。
「……これは」
「ジラルド様に断って、城内の書庫に入らせてもらったんです」
 魔術書だった。
「僕も、少し、勉強しようと思って」
 改めて、魔術という物を。
「……これ以上足手まといになりたくないんです」
 書をペラペラとめくり、やがてデュランは静かに笑った。
「何を言うか。そなた、自分が足手まといと思っているのか?」
 確かに少年はまだ幼い。魔術に関しても未熟だ。彼が今使っているのは天賦の才能。無論いずれそれだけでは立ち行かなくなる日が来る。
 しかし、マルコの存在は大きい。今回改めデュランは思った。
「学ぶ事は、良い事だ」
 そう言い、デュランは本を返した。出来るならばマルコにはもっと技を磨いてほしいと思う。
「デュラン様、」
 そしてマルコは本を受け取りながら、モジモジとデュランを見上げた。
「あの……僕に、魔術を、教えてください」
 デュランは少し驚いた。
「聖魔術か」
「はい」
「……難しい術だぞ」
 並大抵の事ではない。――ああそうだ、とデュランは思った。
 あの時もそうだった。聖魔術を身に着けたあの時も。必死だった。
 必死になる事。我が身のために、そして誰かのために。
 ……回復の魔術を使いこなせるようになった今と、何としてもと聖魔術を紐解いた自分。
 逼迫の中で生まれる、極限の集中力。
「……私でよければ、教授しよう」
「本当ですか!」
「ああ。ただし、一朝一夕で物にできる術ではないぞ」
「はいッ!!」
 いい返事だ。
 少年の目はキラキラしている。
 ああ、願わくば私も、師に技を仰ぎたかったよとデュランは思った。
 師は彼に術を教えなかった。その時間はついに訪れなかった。
(でも)
 とデュランは思った。
 師は、術以上の事を自分に教えようとしていたのだと。今ならばわかる。
 術、技、力……それを使うための心。そして体。
 力を宿す前に、磨かなければならないものが、培わなければならないものがあるのだ。
 でなければ、どんな強大な力を手に入れたとしても使いこなす事できない。手に余るだけだ。
 だが幼いデュランにはそんな事わからなかった。望んでも願っても何度言っても、術を教えてくれない師に腹を立てた事もあった。
(そんな時、いつも彼女が傍にいてくれたな)
 脳裏に過ったその笑顔に、デュランはふっと目を伏せ我知らず笑った。
 ……マルコと別れ、礼拝堂へ向かう。出立前に、祈りを捧げておきたかった。
 祈りなど無意味、神は答えてくれないではないか――昔彼自身が言った言葉だ。そんな自分が、今こうして祈りを捧げている事を不思議に思う。
 神どころか、悪魔に身を捧げてしまったような自分が。
 こんな皮肉はない。
 生きるために神職に就き、己の願望のために禁忌を犯した自分が。
 今は、なぜか祈りたい。
 ……無性に誰かのために。
(生涯)
 この矛盾した体で。矛盾した命で。
(笑うか?)
 脳裏で問う。幻のような彼女は、何も答えず微笑んでいた。答えぬ様は、まるで神と同じようだった。
 ――吹きさらしになった渡り廊下に来る。陽光が斜め掛けに世界を金色に染めている。
 夕の光だ。
 金色に染まった世界をしばし眺める。城の中庭がよく見える。男たちの声が響いてくる。
 焼け跡だろうが、日の光の前には等しく輝く。
 空を見上げようとして、ふと視界に入った物見の塔から、煙が流れたように見えた。
 何だろうかとデュランは目を止めたが、煙は見えなくなった。気のせいだったのだろうか。
 ふと思い立ち、デュランは物見の塔へと足を進めた。
 もし何もなかったとしてもそこからは街が一望できる。もう一度エンドリアの街を見下ろすのもいい。
 警護の兵士はいない。あの日1日で、エンドリアの兵団は致命的なほどの損害を負ってしまった。
(だがまだ、ジラルド殿が残っている)
 階段を上り、塔の展望に出た所で。あ、とデュランは思わず声を上げた。
「……お前、ここで何をしてる?」
 塔の上にいたのはカーキッドだった。
 足を組んで寝そべり、そのまま煙草を吹かしていた。
「姫様は?」
 鴉が鳴いている。デュランは振り仰がなかった。ただの鳥だ。
「姫様はどうした」
 もう一度問うと、カーキッドは面倒臭そうに起き上がった。
 タバコを1度吹かし、それから頭を掻く。
「おっさんと一緒だ」
 ジラルドの事である。
 デュランは少し怪訝な顔をした。それに気づいたカーキッドが、たまらず嫌そうな顔をした。
「出立前に、大事な話があるんだとさ」
 顔を背けたその男に、デュランは苦笑を浮かべた。
「着いてくるなとでも言われたか?」
「あん?」
「お前、ここで1人いじけていたのか」
 そんな事言われてカーキッドが黙っているわけがない。
「だっ、誰がだよッ!!」
「……図星か。そうかそうか」
 カーキッドが怒鳴ったが、デュランはニヤリと笑っただけ。カーキッドの横を通り抜け展望から街を見下ろした。
 無論、眼下も夕に染まる。
 赤に染まる。燃えるようだ。だがこの赤は、不吉な赤ではない。
 ただ、少し寂しさを覚える色。
 山間から除く太陽が、火の玉のように照っていた。
 日は沈む。それは太古より変わらない。
「明朝出発だ」
「船の準備はいいんだろうな?」
「ああ。昼に確認を取った。明朝出発、湾を渡って向こうまで運んでくれる」
 ――エンドリアから、海を渡って北の大地へ。
 そこはハーランドの領地。だが北の辺境、この数十年ほとんど人の手が入っていない。
「向こうの港が、人里としても最後になるだろう」
 そこも、町というよりは軍用地。北の地の監視のために派遣された兵の駐屯施設だ。
「ついにか」
 ついにだ。
 男は互いに背を向けあっていたが、同じ事を思った。
 光は影を生む。2人の男の顔にも、様々な陰影が生まれた。
 しばらく2人は沈黙に身を置いた。
 そしてその後に、最初に口を開いたのはデュランの方だった。
「……お前に、謝りたい事があった」
「あ?」
 カーキッドが息を吐くと、白い煙が流れ出た。
「この街に入る直前だ。私はお前に、……卑怯な物言いをした」
 鴉が空を渡っていく。2人には目もくれず、ただ街へと飛んでいく。
「まじない師の話だ。私も過去の話をしたゆえにお前も過去の話をせよと言わんばかりの聞き方をした。……すまん」
「覚えてねぇよ、そんなもん」
 カーキッドはタバコの火を地面で潰す。
「そんな事気にしてたのかよ」
「ああ。ずっと謝らねばと思っていた」
「お前、そんな細かい事気にしてたら禿げるぞ」
 ウケケと笑うカーキッドをデュランは振り返る。
「そうか」
「そうだ」
「……うむ」
 すまんな、もう一度デュランは言う。
 それを見て、カーキッドは少し眉をひそめる。
「気持ち悪ぃ」
「何だと」
「明日は雨だな」
「……海が荒れると困るな。オヴェリア様は船は初めてなんだろう?」
「ああ、そう言ってた。海も初めてだ」
 初めて見る大海原は、彼女にとってどんなものになるのか。
 思いを馳せ、やがてデュランは「先に戻る」とその場を立ち去ろうとした。
 だが、思いもかけず、
「おい」
 呼び止められるとは思っていなかった。
「何だ」
 振り返ったが、カーキッドは何も言わなかった。
 だがその顔は何か言いたそうに虚空を眺めている。
 デュランは問い直す代わりに首を回した。砂を噛むような嫌な音がした。
「……あのババァの事だ」
 ババァと聞き、それがまじない師の事であると思うまでに時間は掛からなかった。
「エンドリアにもいたな。……彼女か?」
「……ああ」
 人の失せた町でカーキッドに忠告を与え。
 そしてエンドリアにも姿を見せた。
 その時彼女は何も言わなかったが、その顔に湛えた笑みのような表情はデュランの目にも焼き付いていた。
「何者だ」
「さぁ。まじない師という事しか。前にも言ったが、会ったのも随分前だ」
 ただ、とカーキッドは続ける。
「昔、あのババァに……いや、あいつかどうかはわからんが……俺は昔、言われた事があるんだ」
 そう言ったカーキッドの表情は、彼らしからぬ、ここまでで初めて目にするようなものだった。
「お前は生涯、剣によって生き、剣によって生かされると」
「……」
「そして最後は……己が戦う本当の意味を知り、愛する女を守って死ぬんだってよ」
 ――告白。
 この場で、デュランただ1人に。
 デュランはしばし沈黙し、男を眺め見。
 やがて、呟いた。
「そうか」
「……ん」
「それは……羨ましいな」
「……あん?」
「その予言がもし真実となるならば。私はお前が羨ましい」
 カーキッドは目を見開きデュランを見た。
「羨ましい?」
「ああ。おそらく、この世のすべての男がお前を羨むであろうな」
 さらにカーキッドは驚く。デュランは苦笑をする。
「愛する女を守って死ねる、こんな幸せがあるか?」
「――」
「守れずに目の前で死なせる事に比べれば、どれだけお前は幸福か」
「……」
「深刻な顔をして、何の話かと思ったら。自慢話か」
「――な!? そんなんじゃねぇ」
「だったら何だ? 死が怖いか?」
「ちがっ……」
 ――カーキッドが何故強いか、デュランはわかった気がした。
「そうか……そんな予言をもらっては、お前、弱いわけにはいかんな」
 強くあらねばならない。
 愛する女を守るため――いいや、この男は違う言い方をするだろう。
「無様に死にたくないだけだ」
「生きている以上、死は誰もが持つ定めだ」
 気づいていないのかもしれない、とデュランは思った。
 カーキッドの思いは1つであろう。
「そうか……ならば頑張って腕を磨け。姫様のために」
「……何であいつが出てくるんだよ」
「違うのか? 姫様の事だろう?」
「知らねぇよ」
「ははは。本当にお前は羨ましい」
「るっせぇ」
 ――無様に見せたくないのは、死に際ではなく。本当は、その運命。
 運命に立ち向かうために。
 後悔をせぬように。
 強くあらねばならぬと。1人の女のために誓ったその思いが。
 男を強さに駆り立てて。
 戦場を走らせて。
 今、不器用に、ここに立たせている。
 ……だがカーキッドはまだ気づかぬだろう。その思いも、彼の内に眠る本当の強さにも。
「ならば、お前がしかと守りきるまで、私が見届けてやろう」
 デュランは笑った。
 カーキッドは真面目な顔をした。
「そうか」
「ああ」
「……ならばその時は、念仏の一つも唱えてくれや」
 カーキッドは立ち上がる。
「お前相手に祈りを唱えてもなぁ……いささか時間が無駄なだけのような気がするが」
「はは、言えてるな」
 ――誰もが持つ、滅びの定め。
 限られた時間の中で交差する、それぞれの道。
(あの日、何もかも亡くしたこの自分が)
 まともに人として生きる事すら捨てたこんな自分が。まさかこんな所でこのような、
(仲間を得るとは)
「ほれ、カーキッド。〝愛する者〟を迎えに行くぞ」
「だ、だッ」
「こんな所でいじけてる場合か。ほら、さっさとしろ」
「てめ……やっぱり言うんじゃなかった……」
「大丈夫。安心しろ。お前が道半ばで死んでも、後は私が姫様を守り抜く。生涯愛する事を誓おう。安心して成仏せよ」
「まだ死んでねぇ」




 エンドリア、最後の夜であった。

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