いつものように店の営業を終えたあと、道具屋のオヤジは、テレビを眺めながら、ビールを飲んでいた。
「うーーーみゅ……」
オヤジの表情は、けわしかった。
ひどく顔をしかめているところから察するに、飲んでいるビールが苦いのだろうか。
「バカな! いまさらビールが苦いくらいで、顔をしかめたりするものか!」
ひとりごと、だった。
道具屋のオヤジは、先程から、誰を話し相手にするわけでもなく、考えている内容をわざわざ声に出して、独り言を繰り返していた。
「そう……いまは亡き先代社長の意志を継ぎ、この小さな道具屋を切り盛りするようになって、はや15年。オレは、死にもの狂いで働いてきたつもりだ」
となりの台所では、道具屋の妻が夕飯の準備を進めている。夫が、酔った勢いで三文芝居のようなセリフを喋りはじめるのは、いつもの事なので、まったく相手にしていなかった。
「オレの仕事……薬草と毒消し草だけを、ひたすら冒険者たちに売るという退屈な日々。あ、いかんいかん。退屈などと思ってはいけない。たとえ、それが退屈な行為であったとしても、一流の道具屋たるもの、薬草と毒消し草を売る行為を、つまらないと思ってはいけないのだ!」
大声で演説をしはじめたヨッパライを尻目に、妻は味噌汁をこしらえていた。それは、売れ残りの「聖水」をダシ汁代わりにしたもので、具はネギと豆腐だった。
ちなみに、この「聖水」というアイテムは、いまいち用途がはっきりしない割には、決まって薬草や毒消し草よりも高価なアイテムなので、いつも売れ残ってしまうのだった。
「おい、そんな話はどうでもいい!」
オヤジが大声でわめいた。独り言である。
「それよりも、いまオレは、まさに人生の転機を迎えようとしているのだ!」
オヤジは、グラスに注がれていたビールを一気に飲み干すと、唐突に立ち上がり、胸を張ってみせる。
「人生の転機!――オレは、道具屋をやめて、コンビニのオーナーになる!」
8畳の茶の間に、大きな声が響きわたる。
「コンビニ経営とは、つまりフリャン……じゃなくって、フランチョオズ……あれ、うまく言えねえ…フランチャピプ――」
「――それを言うなら、フランチャイズでしょ」
すっかり酔いがまわってしまったオヤジにあきれ果てながら、道具屋の妻が、茶の間にあらわれた。酒の肴――「毒消し草とエリンギのバターしょうゆ炒め」を、運んできたところだった。
「ねえ、そのコンビニの話だけど……やっぱり、私は賛成できないわ。道具屋をたたんでコンビニ経営をはじめるなんて――もし、死んだお父さんが聞いたら、ぜったいに大反対すると思うもの……」
道具屋の妻のお父さん。つまり、先代社長のことである。
「けっ、先代の社長は、もう死にました……っていうか、じつを言うと、オレが毒を盛って殺したんだけどな! うまー!」
「えっ、なんですって!」
いきなりの爆弾発言に、妻は、持っていた料理皿を落としそうになった。
「あ、あなた。そ、そそそそそれは本当の事なの?」
いまにも泣き出しそうな顔で、妻が問いただす。
「ウソに決まってるだろ。にゃーおかしい」
オヤジが、なんら悪びれることなく即答した。これだからヨッパライは困る。
「……もう、おどかさないでよ」
「と、見せかけて」
「えっ!」
「やっぱり冗談でしたー。うまー」
「もう、やめてよ!」
たちの悪い酔っ払いに翻弄されて、妻は脱力したように畳に座りこんでみせる。
「とにかく、オレは、コンビニのオーナーになるぞ! 薬草や毒消し草だけじゃなくて、肉まんとか、おでんとか、弁当とか、週刊少年チャンピオンとか、いろいろなものを売るんだもんね!」
そう断言したかと思うと、オヤジは、物心のついていない中学生のごとき奇声を発しながら、せまい茶の間をぐるぐると駆け回りはじめた。
「で、でも、コンビニのフランチャイズ契約って、はじめに、まとまったお金が要るんでしょ?」
「契約するには、頭金として800万Gが必要だってさ!」
アヒャッ、と、オヤジが笑いながら答えた。
「そんな大金、どうやって工面するつもりなの? お父さんが残してくれた遺産と定期預金あわせても、その半分にも届かないのに……」
考えてもみれば、道具屋経営で得ることのできる利益など、たかが知れている。10Gの薬草をいくら売ったところで、十分な貯金ができるはずもなかった。
「金のことなら心配するな!」
「そんなこと言ったって……」
「まあ、聞け。わが妻にして、おっぱいの小さい女よ」
さりげない家庭内セクハラをしつつ、オヤジは、ちゃぶ台の下から、金属の塊を取り出した。ちなみに、このオヤジは、小さいおっぱいが好きな、いわゆる「微乳貧乳フェチ」だった。
「おい! おれの性的嗜好なんて関係ないだろ! それよりも、妻よ、聞くのだ。これは『オリハルコン』といって、売れば、グラム当たり数万ゴールドはくだらない代物だ。どうだ、驚いたか!」
そう言って、自信たっぷりに、オヤジは、オリハルコンの塊をちゃぶ台の上に置いてみせる。このオリハルコンの塊は、音楽用カセットテープほどの小さなものだが、もし売却すれば、数百万ゴールドの価値があった。もちろん本物である。
「で、でも、あなた。そんな貴重なもの、どこで手に入れてきたのよ。オリハルコンっていったら、伝説の金属って言われてるくらい、珍しいものなんでしょ?」
目の前に札束の山を積まれたかのごとく、妻は、震えた声をだしながら、オヤジの顔を心配そうに眺める。
「臆病なやつだなー。べつに盗んできたわけじゃないさ。ウヒャッ!」
まだまだ酔いの醒めていないオヤジが、ふざけながら、妻のほっぺを人差し指でツンツンしてみせる。
「じゃあ、ほうやって、ほんなほのほ……」
しまいには、ホッペをグリグリして遊びはじめた夫にかまわず、妻は問いただした。
「実はな……3日前にな、ある冒険者たちが売りに来たのだ。オヒョッ。こいつらが馬鹿な奴らでな、アヒャッ、この金属がオリハルコンだってこと知らないで持ってきたらしく、だから思いっきり買い叩いてやったというわけだ、にゃーおかしい、にゃーおかしい!――しかも、たったの20ゴールドでな! 俺って、商売うまー!」
そこまで言うと、オヤジは気が狂ってしまったかのように、大きな声で高笑いをし始めた。
「でも、でも、でもね、あなた。もし、その冒険者のお客さんが、この金属がオリハルコンだったって知ったら、絶対に取り返しにくると思うんだけど……」
妻が、虫の知らせとも言うべき悪寒を背筋に感じながら言った――そのとき。
「そのとおりだ」
オヤジと妻、2人だけしかいないはずの茶の間に、聞き覚えのない男の声が響いた。
「よくも騙してくれたな、道具屋のオヤジよ」
誰もいないはずの誰かに、突然、名指しされたオヤジは、高笑いから一転、笑顔を凍りつかせた。
「なに? 腹話術?」
いま自分の身の周りで起きている不可解な現象に戸惑いながら、オヤジは真顔で、妻にたずねる。
「わたしじゃない……」
妻も、表情をひきつらせてオヤジにこたえる。得体の知れない恐怖のあまり、そう答えるのが精一杯だった。
「ぼったくる相手を間違えたようだな」
姿の見えない声がそう告げたあと、とつぜん、妻は、鼻の先あたりに、かすかな風圧を感じた。
そのわずかな風圧を顔面に受けて、目を開けていられなくなった妻は、一度だけ「まばたき」をした。
まぶたを閉じて、ふたたび、まぶたをひらく。
「あ――」
妻が「まばたき」を終えると、オヤジの肩から上の部分が無くなっていた。無いどころか、肉色が鮮やかな見事な切断面からは、まるで噴水のように、幾筋もの赤黒い血潮が、うつくしい弧を描きながら噴き出していた。
「くだらないことを考えなければ、死なずに済んだものを」
いまだ姿の見えぬ声が、先ほどと何ら変わらない調子で、妻の耳まで届く。
「これは返してもらう」
声がそう告げたあと、妻の目の前に、はじめて姿を現したのは、一本の太い腕だった。頑丈そうな鎧の一部と、小手を装着しているのが見てとれた。
「本当に、バカな奴だ――」
その言葉を最後に、ちゃぶ台に置いてあったオリハルコンの塊をつかみ取ると、その太くたくましい五本の指は、妻の前から消えていった。
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