――おや?
ああ、すまない。
余りにも退屈だったものだから、ついつい寝てしまった。
どうしたのかね? 道にでも迷ったかい?
それとも、まさかとは思うが……、くだらないお伽噺でも聞きに来たのかな?
ほう、これはこれは。
とんだもの好きが居たものだね。
ああ、すまない。別に馬鹿にした訳じゃあないのだよ。
さぁて、お喋りはこのくらいで、そろそろ始めようか?
――――ああ、そうだ。警告を忘れていた。
現実主義者、夢想家、遊び心の無い者。
君たちには不快感を与えるかもしれないね。
嫌なら、立ち去りたまえよ。別に引きとめはしないさ。
――――君たちの観測する【僕】にとっては、そのほうが楽ではあるのだしね。
はぁ。――それでは始めるかね。
「ここ、かね」
「はい。ムッシュ・カージュ」
ここは古びたビルの屋上。そこに、このお話の主人公、[カージュ・オ・ルヴォワール]は助手の[ミシェル・ジェネス・コール]と共に訪れていた。
「ふむ。その割には、誰も居ないね?」
「はい。ムッシュ・カージュ。この事件は自殺と言うことで解決しましたから」
「……おや? では何故、私はここに居るのだ?」
「はい。ムッシュ・カージュ。それはこの事件が自殺ではないからです」
ミシェルはそう言って無表情に頷いた。
その言葉を聞きカージュは溜め息をつきながらも屋上の検分を始めた。そのために来たのだから面倒でもやるしかない。
「ミシェル。時間がもったいない。事件の概要を話したまえ」
屋上の隅を一見ぶらぶら歩いているだけのカージュにミシェルは口を開き、事件の概要を話し始めた。簡潔に。
「事件が起きたのは一昨日の夜のことです」
屋上の外縁には格子状の安全柵。さび付いてはいるが強度は十分だ。ただ、見た目は最悪だが。
「警邏中の二人の警官がこの下を通りがかった時、丁度上から人が落ちてきたそうです」
ビルの東西にはこのビルより少し小さい程度のアパートと、解体間近のビル。飛び移ろうと思えば出来ないでもないが、成功する確率よりも失敗する確率の方が大きそうだ。あるいは、この安全柵がなければ五分五分くらいなのだが。
「落下人は女性。このビルに務めていたそうです」
ビルの高さは五階。屋上を含めれば六階程度か。運が悪ければ十分に生存できる高さだ。
「警官の一人が慌てて屋上に上がったそうですが、そこには誰も居なかったそうです」
「ミシェル。屋上の鍵は常に開いているのかな?」
「いいえ。ムッシュ・カージュ。屋上の鍵は常に閉めてあります。鍵の管理はこのビルの管理人。初老の男性。少なくともムッシュ・カージュよりは紳士だと思います」
「……それは、給料二か月分をいまだに払っていない私への嫌味かい?」
「いいえ。ムッシュ・カージュ。正確には二ヶ月と半分です。そして、嫌味ではなく、事実です」
「……なるべく早く払えるよう努力はするよ」
「精々がんばってください。その台詞はコレで通算24回目です」
「…………」
カージュは泣きそうな顔になると口を閉じ、安全柵をまたいで外側の検分を始めた。
「ムッシュ・カージュ。自殺しても保険金は出ません」
「しないよ」
保険金が出ないことなんて承知していた。保険金を納めていないのだから。
屋上から下を見下ろすとそこには石畳の敷かれた路地。様々な人々が、様々な理由で忙しく、あるいは気だるそうに歩いている。その少し向こうには道路。最近ようやく出回り始めた車が大気を汚しながら、馬車に混じって走っている。心なしか、馬が迷惑そうにしている風に見えるのは、きっと気のせいではないだろう。
そんなことを思っていると、ふと何かが見えた気がした。カージュは柵を掴んで覗き込むようにしてそれを見た。
「ミシェル。なぁミシェル」
「はい。ムッシュ・カージュ。なんです?」
「これはなんだい?」
そう言ってカージュが指を差した先にはプラスチック製の筒。それは屋上に突き刺さり下の路地まで一直線に延び、やはり路地に突き刺さっていた。
「はい。ムッシュ・カージュ。これは屋上に溜まった雨水などを排出するためのパイプです」
「こういったものはどこにでもついているものなのか?」
「はい。ムッシュ・カージュ。引き篭もっていないでたまには自主的に外に出てください」
「面倒じゃないか」
「ムッシュ・カージュ。あなたは間違っています」
「何を今さら」
そう鼻で笑うと立ち上がり、検分を再開する。
殺風景な屋上。さて、別に自殺でも不思議ではないのだが、なぜミシェルは自殺ではないと断言しているのか。
そんなに、気に食わないのだろうか?
「よし。ミシェル。警察に行こうか。異を申し立てよう」
「はい。ムッシュ・カージュ」
さぁ、コレでお話は終わりだ。
どうだい? 言っただろう? つまらない、と。
あとは【君】らで勝手に空想したまえよ。
【僕】は、もう寝るから。
起こしてくれるなよ?
なんだい。
わかったよ。じゃあ、よく聞いてくれ。
名前には必ず意味がある。
それさえわかってしまえば、あとは二通りの想像しか出来ない。
そして、お話をよおく思い出せば、想像は一つだけになる。
あとはもう、本当に知らない。
こんどこそ、【僕】は寝るよ。
おやすみ……。
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