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某月某日、日本で

某月某日、子供を拾った。

作者: 銀月

 某月某日、子供を拾った。


 某月某日といえば聞こえはよいが、単に日付を覚えていないだけだ。

 ぷくぷくとよく肉のついた子供で、変わった服を着ているが身なりは悪くない。髪も肌も手入れが行き届いているところを見ると、どこか良い家の出であるのか。真っ黒な目をまん丸にして、ぽかんと口を開けたまま、私をひたすらにじっと見つめていた。

 声を掛けてもただ茫然とするだけで反応らしい反応がなく……だが、何やら理解しがたい言葉を発していたので遠方の出身なのだろう。この荒れた土地の真ん中に放置されていたというのは、この子供は棄てられたか攫われたか親とはぐれたか。


子供(ヴィオ)、お前の名前は何だ」

「……」


 子供はとても不安げな表情を浮かべ、私を見上げる。手を差し出せばびくりと震え、がちゃがちゃとうるさい私の鎧の音にも驚き、挙げ句の果てには私の掛けた言葉に怯えて泣き出してしまった。


「おいおい、勘弁しろ、子供(ヴィオ)

 どうしたものかと溜息を吐き、地べたにしゃがみこんで、私は子供の頭を撫でる。

「少し落ち着け。どうやらお前ははぐれ者のようだ。仕方ない、私が面倒を見てやるとしよう。いいか、私はイシュカだ」

 ゆっくりと話しながら頭を撫で続けていたら、いつの間にか子供は泣き止んでいた。おずおずと顔を上げ、窺うように私を見る子供に、もう一度自分を指して、「イシュカ」と告げる。

「いすか?」

「イシュカだ」

「いすか」

 子供の拙い耳と口では、うまく音を拾って発音できないのか。

「仕方ない、イスカでいい」

「いすか」

 子供の呼ぶ名に、私は頷いた。


 幼い子供に荒野を歩かせるのは酷だろうと抱き上げて、手っ取り早く一番近い町へと飛んだ。

 子供は小さく思ったよりも軽く、そして温かかった。

 意外にも空の高さは平気なようで、私の腕の中にじっと収まったまま、きらきらと輝く目で地上のようすを見下ろしていた。


 町の少し手前で降り立ち、狭量な人間に絡まれないように、人里へ入る前にはいつもそうするように姿を変えると、子供は不思議そうに私を見つめて「いすか?」と首を傾げた。

「ああ、私だ。イスカだ」

 頷くと、子供は安心したように笑った。


 子供は町が珍しいのか、しっかりと私の手を握ったまま、きょろきょろと落ち着かなげにあたりを見回していた。

 そして、あれは何かと問うようにあちこち指差してはこちら見上げるたびに、私はいちいちあれは何でこれは何だと答えていった。

 どれくらい言葉を理解しているのかはわからなかったが、私の口にした単語を復唱しては、にっこりと笑って私をまた見上げるのだ。


 子供との暮らしは意外に楽しく、順調に過ぎていった。


 子供の顔立ちはこの辺りの住民とは違っているし、誰も子供を見咎めるような者もいないところを見ると、やはりどこか遠方から攫われてきたのではないかと思われた。

 せめて、子供の話す言葉がどのあたりのものなのかわかれば、探しようがあるのだが。


 しかし、こんな田舎町では魔術師のようなものは居らず、教会も、大地の女神の小さなものがひとつのみ。下級の司祭しかいないのでは、子供の故郷など探しようがない。

 かといって、こんな幼い子供を連れて大都市まで旅をするのはきついだろう。

 だから、この子供がある程度育つまではここに留まり、もう少し体力ができてから旅をしようと、私は決めた。


 * * *


 俺は物心付くか付かないかの頃、神隠しにあっていたようだ。保育園の年中のときだから、もう、15年は前のことだ。親の話では家にいたはずなのに忽然と姿が消えて、ほうぼう探し回ったのに手掛かりすら見つからず、3日経って諦めかけたところにひょっこりと帰ってきたらしい。

 らしいと言うのは、どうもぼんやりと漠然としたことしか覚えていないからなのだが……そのときの記憶は、当時見ていたアニメとごっちゃになってしまったのだろう。

 自分が漠然と覚えているのが、どうにも日本とは思えない場所で、人間じゃないものと暮らしていたとしか言いようがないことなのだから。


 昨年、大学に入った俺は、今は実家を出て地方のキャンパスでひとり暮らしをしている。

 地方なだけにバイトができるような場所もあまりなく、週に一度の家庭教師と親の仕送りで細々と慎ましく暮らしつつ、レポートやら課題やらをこなす毎日である。

 まあ、そうは言っても、サークルやらコンパやらで、それなりに充実した毎日は送っているのだが。


 ……それにしても、あれは本当に何だったのだろうか。時折思い出しては首を捻る。

 背中には蝙蝠としか言いようのない皮の翼に、頭には山羊のような形の黒くでかい角が生えていた。燃え盛る炎のように赤く長くうねる髪に、金色の猫みたいな目をしていて……記憶の中にはっきりと残っている顔は確かに人間離れした容貌かもしれないが、十分以上に美女だったと思う。

 どうにも気になって、当時、そんなキャラクターが出てくるアニメ番組でもあったかと調べてみたが、該当するものは何もなかった。


 ……では、この記憶は本当に何なのだろうか。自分を抱えて空を飛び、よくわからない言葉で話し掛けては何くれと世話を焼いてくれた、その女のことだけはよく覚えているのに、彼女が現実の存在だったのかどうかだけが、はっきりとしない。

「“神隠し”だもんな。神の国にでも行ってたのかな、俺は」

 はは、と笑って、あの記憶を反芻しながら、俺はアパートへの帰り道を歩いていた。


 あの町の夜は暗く、日が沈んだ後、女は絶対に俺を外へは出さなかった。

 恐らくは治安があまり良くなかったのだろう。幼い子供が独り歩きなどしたら、あっという間に攫われて、人買いにでも売られてしまうような町だったのかもしれない。

 石やレンガを積み上げた壁に土を塗った家と、あちこち傷だらけの鎧兜を身に付けて剣や槍を持ったいかつい男たち。町の人が着ている衣服はどちらかといえば簡素で、灰色だったり茶色だったりと地味なうえに薄汚れていた。貧しくはないが、決して裕福とも言えない町だったと思う。

 けれど、彼女の鎧はよく磨かれていたし腰に吊るした剣も顔が映りそうなくらいピカピカで、衣服も洗濯の行き届いたものだった。たぶん彼女は金銭的にも余裕があったのだろう。俺に、毎日しっかりと腹いっぱいに飯を食わせ、衣服も清潔に保って行水もまめにさせてと、今思い返しても、随分な手間と金をかけて世話を焼かれていたのではないかと思う。

 結局、また気づいたらいつの間にか家に戻っていたところを考えると、ろくに礼も言えなかったのではないだろうか。

「せめてさようならと、礼くらいは、ちゃんと言ってたんだといいけどな」

 夏空に瞬く星を見上げて、そんなことを独りごちながら、いつものショートカットをしようと公園に踏み込んだ。


 ちょっとした植え込みとベンチだけが置かれた小さな公園に、さすがにもう人影はない。こんな夜中では犬の散歩をする人間すらいない。

 いかに俺が男とはいえ、人気のない公園はあまり気味の良い場所ではない。薄暗い街灯に照らされた広場をさっさと通り過ぎてしまおうと足を早めた俺の耳に、急にがさりと植え込みをかき分けるような音が飛び込んできた。

 ぎょっとしてそちらへ目をやると、木々の間の暗がりから何かがぬっと顔を出して……。


「イスカ?」


 植え込みから出てきたのは、どう見てもあの時自分を拾ってくれた、あの異形の女だった。暗がりで色までははっきりとわからないが、たぶん間違いない。背には翼、頭には大きな角、うねるような長い髪……記憶の中の彼女が頭から抜け出し、そのまま現実になったかのようで。

 ふらふらと歩み寄る俺を見つけて、女は酷く驚いた顔で何かをまくし立てる。もう一度、俺が「イスカ」と呼ぶと、彼女は茫然とした顔で「ヴィオ?」と小さく呟いた。

 当時の俺を呼ぶ時に使っていた名前……そう、それだ、“ヴィオ”だ。

「そう、ヴィオだよ、イスカ!」

 勢い込んで頷く俺に、イスカの目が丸くなる。手を伸ばし、俺の顔をぺたぺたと撫で回し……ひとしきり確認して満足したのか、驚きに目を丸くしたまま何かをぶつぶつと呟いて、はあ、と息を吐いた。

「ヴィオ? ……ヴィオ?」

 何度も繰り返される女の言葉に、俺はうんうんと頷く。まさか、彼女が……イスカが実在したなんて。


 では、俺の記憶に残っているあの諸々のことは、すべて現実だったのか。何か虚構と混じってわけがわからなくなってしまったのではなく、全部現実に俺が体験したことだったのか。

「本当に、イスカなんだ」

 俺は、いつかイスカにそうされたように彼女の手を取って、「俺の家に行こう」と言った。たぶん言葉は通じていないだろうけど、彼女は頷き、俺と歩き出す。


 高揚した気分のまま、イスカと手を繋ぎ、歩きながら考える。

 幼い頃の出来事なんてほとんど忘れてしまったのに、どうしてイスカのことだけはこんなに鮮明に覚えていられたのだろう。

 横をあるく彼女をちらりと見ると、すぐに視線を返してにこりと笑いかけられ、慌ててまた目を逸らす。

 そうして、ああそうか、とようやく思い至る。だから、俺はイスカのことを忘れなかったのか。


* * *


 魔法嵐で生まれた裂け目に呑まれ、揉みくちゃにされた後に出てきたのは、見知らぬ土地だった。

 見たことのない家屋に見たことのない風景、見たことのない星……いったいどこへ出てしまったのかと木々をかき分けて開けた場所に出てみれば、そこに居たのは、見たこともない服を着た見慣れない顔立ちの若い人間の男で……。

「いすか?」

 そう呼ばれて、はっとする。私をその名前で呼ぶのは、後にも先にも、突然現れて突然消えてしまったあの子供だけなのだから。

 そう考えてみれば、目の前の男の顔立ちはあの子供と似ている気がしたし、服装も、あの子供が着ていたものと良く似ているように思えて。

 まさか、と思いながら「子供(ヴィオ)か?」と尋ねれば、男は意を得たりとばかりに笑顔を浮かべて頷き……その笑顔はあの子供が見せた笑顔と良く似ていた。


 名を呼ばれ、手を握られて歩き出す。まるでいつかの出来事を、立場だけをいれかえて繰り返すように。

 ちらりと私を見るかつての子供(ヴィオ)を見返して、にこりと笑う。

 ここがどこなのかはわからないけれど、子供(ヴィオ)がいるのならきっと大丈夫だろう。

 あの時、突然子供が消えてしまった時には必死で探したし、どうしても見つからずがっかりもしたのだが、元気で、しかもこんなに大きく成長していてくれて、よかったと思う。

 まさか、あれから何年も経ったこんな見知らぬ場所で再会できるなど、思ってもみなかった。




 そうしてその後、私は、結局のところ元いた世界に帰ることは叶わなかった。

 けれど、子供(ヴィオ)……いや、(もとい)とともに一生をこの世界で過ごすことになり、これはこれでよい結果であったなと思う。

 


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