その拾七:相手が電話に出るまで長いこと待たされるのって腹立つよね
憎い。
ずっと前から、あいつのことが嫌いだった。許せなかった。
どんな方法でもいい。とにかく傷つけてやりたくてたまらなかった。あいつの顔が苦痛に歪む瞬間を、命乞いをして泣き叫ぶ姿を、見たくてたまらなかった。
気の済むまで、思い切り痛めつけてやりたかった。
今、自分の手につかまれてぐったりしている、この役立たずにしてやったように………。
しかし最近、それだけではダメだということに気づいた。
あいつ本人を苦しめて殺すだけなら、それでおしまいだ。でもその前に、あいつの『大切なもの』をぶち壊してやるのはどうだろう?
そう、例えば───。
考え込みながら下に目をやったその時、二つの人影がその場に凍りついて、こちらを見上げているのが目に入った。
突然、ズボンのポケットが震えた。
土方は思わずぎくりとしたが、そこに携帯電話を入れておいたことを思い出した。内心自分を叱りながら画面を見ると、酢乙女邸からの電話である。
後ろをちらりと見て、ボーちゃんとテルがついてきていることを確かめる。そして土方が電話の通話ボタンを押して耳に当てるか当てないかのうちに、沖田の声が耳に飛び込んできた。
「土方さん、今どこにいるんですかィ?マンションの部屋にかけたのに出ねェもんですから………」
「外だ。」
土方は簡潔に答えた。今はごちゃごちゃ説明している暇などない。
「それより、何の用だ?」
「あァ、それが、大変なんで…」
沖田はいつになく切迫した口調で、酢乙女あいのニセモノがいなくなったことを告げた。
しかも、彼女がいなくなる直前にいたと思われるリビングには、紫の液体と長い髪の毛が数本、落ちていたという。
「紫…だと?」
土方はマンションで斬り倒したニセモノたちの血も、紫色だったことを思い出した。それと同時にまた、あれと同じものを確かにどこかで見たような気がしてならなくなった。どこでだろう、もう少しで思い出せそうなのに………。
「………土方さん、あいつのこと、覚えてますかィ?」
「………あァ?」
土方は沖田の問いの意味が分からず、顔をしかめた。
「何だと?」
「だからあいつでさァ、ほら…
魔虞蛇博士のことでさァ。」
「………!」
土方は微かに目を見開いた。その名前に心当たりがあったからだけではない。沖田のいわんとしていることに気づいたのだ。
「そうだ………あの紫の液体は………」
土方たちが江戸で、近藤らと共に真選組で働いていた頃、といってもここに来てからせいぜい二ヶ月ぐらい前のことだが、あちこちで連続殺人が発生した。しかも犠牲者はそれぞれひどい殺され方をされており、江戸の人々は皆恐怖のどん底に叩き落とされることになった。
近藤はこれまでにないほど怒り狂った。真選組の目と鼻の先でこれらの事件が発生したからということもあったが、何より彼を怒らせたのは、殺されたのが皆子供だったこと、そして死体が発見されてからすぐに、何者かに盗まれていることだった。その何者かが殺人犯であることはほぼ間違いなかった。なぜなら死体が消えた後に、『お子様はありがたく再利用させていただきます。ご協力ありがとうございました。』というふざけたメッセージが残されていたからだ。
何としても犯人を捕まえる。そう決心した近藤たちは、一週間懸命の活動を続け、遂に犯人を突き止めた。
そいつが、魔虞蛇博士だったのだ。
彼は「巨脳族」という頭でっかちな天人だった。この種族は大変頭がよいことで知られていたが、ひねくれた偏屈ものでほとんど他の種族と交流しない。それなのに巨脳族の彼が地球にやってきて江戸に住んでいるということは、それだけで驚きだった。
しかも同じ種族の仲間と違い、魔虞蛇博士は愛想よく、多くの人と交流した。病気にかかった人のために薬を作ってやることもあったので、評判はなかなかいいものばかりだった。
しかしある夜、隠密の山崎が、博士の家のそばに張り込んでいた時、そこから子供の泣き声らしきものが聞こえてきたのだ。
当然山崎は驚愕したが、そこは真選組の隠密である。すぐさま博士の家を囲む塀に身を寄せ、じっと耳をすました。
すると今度は疑いようもなく、子供の泣き叫ぶ声が中から響き、しかしすぐに途切れた。
その日は死体は見つからなかったが、行方不明の子供が一人出ていた。しかもその子のいなくなった場所は、魔虞蛇博士の家のすぐ近くだった。
こうなってはぐずぐずしてはいられない。山崎は携帯で仲間に応援を求めた。幸いにも、近藤・土方・沖田の三人がすぐ近くにいたので、突入隊はすぐに結成された。
そうして博士の家の中から、これまで犠牲になった子供たちの遺体と、まだ殺されてはいなかった行方不明の子供が発見されたのだった。不可解なことに、そして恐ろしいことに、子供たちの遺体は全て冷凍保存されていた。
しかしその時部屋の奥の方へと逃げていく博士の姿が目撃されたにも関わらず、彼が捕まることはなかった。鍵をかけて閉じこもった自分の研究室の中から、消えてしまったのだ。どこかに秘密の扉や抜け穴でもあるのではと、土方たちはその部屋をそれこそ虱潰しに調べたが、何も見つからなかった。博士が書いた書類といったようなものも全てなくなっていた。
奇妙なことといえば、テレビがつけっぱなしになっており、それにへんてこな装置が接続されていていたこと、そして床に小さなびんが転がっていたことだけだった。あの装置は今頃幕府の科学班に預けられ、綿密に調べられているはずだ。
そして床に転がっていたびんに入っていたのが………。
「確か、紫色のどろどろしたやつだったな。」
土方は今まで思い出すことのできなかった自分を内心呪った。
「土方さん、そんで結局あれは何の液だったんですかィ?」
「いや、知らねぇ。あれもあの装置と一緒に、幕府で調べられているはずだ。」
それにしても、何でニセモノたちの血が同じような紫色をしていたのか。
土方はボーちゃんと、その足元でじっとしているテルを見つめた。
そして、魔虞蛇博士の失踪とこの映画の中で起きている異変には、何か関係があるのだろうか………。
「土方さん、俺ァ………」
同じことを考えていたらしい沖田が、珍しく思案しているような口調で言いかけた。───しかし結局、最後まで言わずじまいに終わった。
悲鳴が聞こえてきたのだ。甲高い、いわゆる『絹を裂くような』女の叫び声が。
土方はさすがに一瞬ぎくりとしたが、顔色を変えるほどではなかった。何と言っても血なまぐさい仕事に従事することが多い身としては、この程度のことに動揺するわけにはいかないのだ。ボーちゃんとテルの表情が変わっていないところを見ると、悲鳴は沖田側のものらしい。
「沖田………!」
「すいやせん土方さん、ちょっくら見に行ってきまさァ。またすぐ電話するんで。」
かかった時と同様に、電話は唐突に切られた。土方は舌打ちして携帯を耳から離し、閉じてズボンのポケットに突っ込んだ。
「………知り合いだ。」
ボーちゃんがもの問いたげに見ているのに気づいて、土方はぶっきらぼうにそれだけ答えた。
そして、目にも止まらぬ速さで足元の石を拾い上げ、彼らが立っていた場所から数メートルも離れていない所にある茂みに投げつけた。
すると茂みが叫んだ。
「いたっ!」
ボーちゃんの口がぽかんと開いた。茂みの中から、マサオそっくりの少年が頭をさすりながら転がり出てきたのだ。その姿を見た途端、テルが怯えたようなうなり声を上げ、ボーちゃんの足にぴったりと身を寄せた。空色の目がぴかっと光った。
「逃げるぞ!」
土方は怒鳴り、まだ唖然としているボーちゃんの腕を問答無用でつかむと走り出した。テルが飛ぶように走り、後に続く。
「この野郎!」
後ろの怒鳴り声が、次第に遠ざかっていった。
土方たちが近くに無造作に置かれていたゴミ箱のそばを走り過ぎたまさにその時(テルは匂いをかぐのが嫌らしく、息を止めているような顔をしていた)、土方のズボンのポケットがまた震え出した。
土方は無視した。車に乗っているわけではないが、逃げ回りながら携帯で会話するなんて、それこそ自殺行為だ。後ろに殺気立った追っ手が迫っているとなればなおさらである。
沖田は相当辛抱強く待っているらしく、携帯はなかなか静かにならなかった。しかしマサオとネネそっくりな姿をした追っ手たちをまくことに成功し、ようやく一同が狭くてゴミだらけの路地に腰を下ろした時、震えが止まった。
土方は息をつき、そして今頃向こうはさぞカンカンに怒っているだろうと思いやりながら、携帯を取り出し、開き、不在着信欄の最新項目を表示した。
それまで何の変化もなかった土方の顔色が、にわかにさっと白くなった。目が画面に映し出された文字に、釘づけになっていた。
そこにあったのは、まるで思いもしなかった五文字であった。
『近藤勲携帯』
「まったく大変だったんだぞ、ここに来るまで………」
再び走り出した送迎バスの中で、長いコートを脱ぎ捨てた女性が独り言のように呟いた。
女は左腕がなかった───それなのに今度は神楽に代わり、その女が右腕だけでハンドルを握っていた。彼女の運転のし方は神楽のスリルに満ちたものと比べるとずっとおとなしく、乗客たちは比較的安心して座席に腰を落ち着けることができた。
そして助手席にいたしんのすけも、今はトオルと交替していた。トオルは嬉しいような困っているような複雑な表情を浮かべ、運転席の方に顔を向けずにじっとフロントガラスを通して見える前方の風景を見つめていた。
女がまたしゃべり出した。
「春日部に着いた途端に変な奴らに襲われてさ。そんで逃げ回ってたら路地の中でうろうろしてるあの兄ちゃんが(と言いながら、すぐ後ろに座っている山崎を指さした)いたもんで、どうなってんのか聞いてみたわけ。でも彼もいまいち分かんないみたいだったし………しょーがないから二人で逃げてたのよ。そしたらさ、急にこのバスが飛び出してきて、しかもあんたの顔が窓から覗いてるのが見えたんだ。だからとりあえず停めてみようと思って………」
一人でこれだけしゃべると、女はちらっと隣にいるトオルに目をやった。
「………」
トオルは黙っていた。後ろにいるみんながこちらへ耳をそばだてているのは分かっていた。
今運転席に座っている女の名は、風間みおり。トオルの父親の妹で、つまりトオルの叔母に当たる人だ。しかし高校を卒業してから世界中を放浪しているため、トオルと会ったのは一回だけ、二年前のことだった。
トオルは今まで、友達にみおり叔母さんの話をしたことがなかった。ほとんど会ったことがないのと、母親がみおりを嫌っているからということもあったが、何より一番の理由は、一度だけ彼女と会った時の記憶が思い出すのも苦痛なものだからだった。
みおりもそれを分かっていたようで、あれ以来春日部に来ることはおろか、電話をかけてくることすらなかった。
それなのにどうして、よりによってこんな時に、叔母さんはここにやって来たんだろう?
そしてトオルは、もう一つ考えた。確か叔母さんが来るなんてことは、銀さんたちから聞いた『あらすじ』の中にはなかったはずだけど………。
「叔母さん、どうして急に春日部に来たんですか?」
深く考えもしないうちに、トオルの口から言葉が転がり出た。みおりがちょっとびっくりしたみたいにトオルを見つめ、それからまたすぐに視線を戻した。
「さあ。」
返答を考えるのに困っているような、曖昧な口調だった。
「それが分からないんだ。何だかどうしてもここに来て、お前に会わなきゃならない気がしたんだ………。」
今の悲鳴はどうやら、外から聞こえてきたようだ。
沖田はそう見当をつけ、急いで酢乙女邸の外に走り出た。すると彼の考えを裏づけるかのように、門の辺りからまた女の悲鳴が聞こえた。
沖田は一層足を速めたが、門の手前辺りまで来た時、はたと立ち止まった。
門は今や、大きく開き切っていた。その向こう側の、沖田に一番近い場所に、紫色の液体にまみれた黒い塊が落ちていた。それが酢乙女あいのニセモノのなれの果てだと気づいた時には、さすがの沖田も背中に戦慄が走るのを感じた。
ニセモノはシューシューと嫌な匂いのする煙を立てている。そして見る間に溶け、はっきりした形を失い、やがてはただの紫色の水たまりになってしまった。
そして、その向こうにはさらに恐ろしい光景が展開していた。
沖田はこちらに背を向けている人物を、信じられない気持ちで見つめた。まさか、こいつがここにいるはずがない。
だがしかし、ここ最近親しくしてきた人だ。後ろ姿とはいっても、見間違えようがなかった。
風間トオルとそっくり同じ姿をした人影が、こちらに背を向け、全身のあちこちを紫に染めて立っていた。
ただしこちらは怪我のためではなく、外から浴びたものらしい。酢乙女あいのニセモノを始末したのはこいつのようだ。しかし、それよりもっと差し迫った問題があった。
トオルそっくりの誰かの足元に、新八がうずくまっていた。そばに折れた棒が転がっているところを見ると、さっきまでそれを使って応戦していたのだろう。新八が苦しげに咳込むたびに、その口からポタポタと血が地面に落ちた。
そこからやや離れた所でお妙が、膨らんだ買い物袋を握りしめたまま、恐怖の表情を顔に貼りつかせて立ち尽くしていた。その脇でうなり声を上げているのは、定春だ。
沖田が次の行動に移る間もないうちに、新八を見下ろしていた少年がくるりとこちらを振り返った。
沖田は束の間息が止まり、動けなくなった。覚悟していた通り、そいつの顔もトオルと瓜二つだった───だが、目が違う。五歳の子供の目ではない。そこにあるのは………。
憎悪だ。
見ただけで人をすくみ上がらせてしまうような激しい憎悪の炎が、その瞳の中にはあった。顔の表情自体は笑みを浮かべていることが、それを却って一層恐ろしげなものにしていた。
「こんにちは。」
トオルそっくりの少年はにっこりした。そして沖田に一歩近づいた。沖田は思わず後ずさりしそうになったが、気弱なところを見せまいとぐっとこらえた。
少年はさらにまた一歩、こちらへ踏み出してきた。
「あなたも、風間トオルの友達ですか?」
沖田は顔をしかめた。
「それが、どうだってんでィ。」
トオルそっくりの少年の口元が、にやりと笑った………と思った瞬間、沖田は手にしていた刀を抜き放っていた。
全身に、泡立つような殺気を感じたのだ。真選組一番隊隊長の刀がほとんど目にも止まらぬ速さで動いた。
しかし───。
ドッ!
(………なっ!?)
沖田の刀が相手に襲いかからないうちに、彼の腹をすさまじい衝撃が襲った。内臓をやられたかと思うほど強い衝撃だった。
「トオルのお友達がこれで三人………ふふふ、ちょうどいいや。」
笑い声が、地面に崩れ落ちる沖田の耳に届いた。
そしてその後は暗闇に呑まれ───もう、何も分からなくなった。
しんのすけたちの知らないうちに、壮絶な悪意を持つ者が、静かに行動を起こしつつあった。
そして、風間トオルと風間みおりの過去につながる悪夢も、また………。
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