その拾伍:休みだからって昼寝で時間をつぶすな
「ボーちゃんが………そっくりさんだったなんて…嘘……」
あまりにも予想外な衝撃に、口を押さえたネネの身体がぐらりと揺れた。マサオがその気配を察し、慌ててネネの肩をつかみ、支える。
しかし、動揺しているのは彼もまた同じだった。
ボーちゃんが………一ヵ月も前から、ニセモノに替わられていた!?
じゃあ銀さんたちがここに来る前からってことになるじゃないか。そんなに長い間、僕らに気づかれることなくなりすましてきただなんて………。
ボーちゃんがニセモノだと見抜けなかったのが、何よりショックだった。
「銀さん!大丈夫ですか?」
トオルが肩から血を流す銀時のもとへ駆け寄る。するとニセのボーちゃんの小さな目が、ぎらりとばかりに光ってトオルをにらみすえた。
「……風間トオルを、渡せ。」
「えっ?」
「風間トオルを渡したら………お前らは、見逃してやっても、いい。何も、手出し、しない。」
銀時や、マサオたちが何か言う前に、しんのすけと神楽が怒声を浴びせ始めた。
「そんなことできるわけないゾ!風間くんはオラの大親友なんだゾ!!」
「勝手なことぬかしてんじゃねぇヨ、ボケェ!」
「そうか…」
ボーちゃんの声に、暗い殺気がこもる。
「じゃあ、お前らから、死ね!」
「新ちゃん、大丈夫?顔色が悪いわよ。」
「はい…」
新八の中の嫌な感じは、おさまるどころかますます激しくなっていた。
相変わらず道を歩く人の姿はない。それなのに、家々の窓やあちことの物陰からこちらを見張っている視線を、強烈に感じるのだ。
「…!新ちゃん!!」
お妙が突然、金切り声を発した。
「どうしました、姉上…」
返事をし終わらないうちに、新八もそれに気づいた。
前方から、白くて大きな何かが、ゆっくりゆっくりとこちらへやって来る。一歩一歩、身体を動かすのがいかにもつらいといった様子で。
定春だった。
「!」
新八は目を見開いた。
定春の右わき腹が、真っ赤に染まっていた。そこからぽたぽたと血がしたたり落ち、地面に赤い道を作っている。
「定春!どうして…!?」
新八とお妙が駆け寄ると、定春は力尽きたように、その場に倒れ込んでしまった。
「ひどいわ、一体誰がこんなことを…」
「定春にこんな傷を負わせるなんて…誰にそんなことが…」
定春は一見ただのでかい犬みたいだが、実際は狛神というとんでもない力を持つ宇宙巨大生物である。銀時や神楽にさえ、時折手におえなくなることがあるのだ。
そんな定春にこれほどの傷を負わせるとは、一体どれほどすごい奴なのか…。
「これはどこかで手当てしないと…姉上、酢乙女邸に連れていきましょう!あそこなら薬とか包帯とか、あるでしょうし。」
「そうね…獣医さんに連れて行くわけにもいかないものねぇ。」
確かに見てもらうどころか、獣医の方が倒れてしまうかも知れない。
「それにしても、本当にヒドイことするわよね。
………さ、酢乙女邸まで乗せてって、定春ちゃん!」
「いや、姉上も何気にヒドイことしてますよ。」
「………くっ!」
ちょうど新八たちが酢乙女邸へ向かい始めた頃、酢乙女あいのニセモノは、頭の痛みに必死で耐えているところだった。
(くそっ、あいつ、ただじゃおかないんだから…)
頭の痛みの原因は、庭で好き勝手に駆け回る定春であった。
もともと銀時その他の人々の頭にかじりつく癖のあった定春だが、沖田にけしかけられて一度彼女の頭に食らいついてからは、その噛み心地(?)が気に入ってしまったらしく、ニセあいが姿を見せるたびに飛びかかって噛みつこうとするようになってしまった。
おかげで外に出ることもままならない。全て、あのいまいましいドS青年のせいだ。
今日はあまりにも噛まれたところの痛みがひどくなってきたので、一日休むことに決めたのだった。
沖田は意外にも、あっさり承知してくれた。自分も一日休めるので、嬉しかったようだ。
(何とか、あいつをこらしめる方法はないかしら…?)
いつものように、頭の中で復讐方法を考えるニセあいだったが、バズーカ砲と定春のことを考えると、どうも気力が萎えてきてしまうのだった……。
リビングの扉が、ぎいっと音を立てて開いた(あの一件の後、再び直したのである)。
沖田が入ってきたのだと思ったニセあいは、そちらへ不機嫌な顔を向けたが、それがすぐ、驚きの表情へと変わった。
そして、恐怖に凍りついた。
「リオル、様…!」
沖田はリビングの自分の部屋で、熟睡していた。
顔には愛用の、赤字にぱっちりおめめが描かれたアイマスク。だからどんな表情をしているのかいまいち分かりにくいが、すーすーと安らかな寝息を立てているところを見ると、そう悪い夢を見ているわけではなさそうだ。
「……………?」
何か聞こえたような気がして、沖田は突如眠りから引き戻された。うっすらと目を開けてみる。
真っ暗で、何も見えない。そりゃそうだろう、アイマスクをしたままなのだから。
アイマスクを押し上げ、沖田はぬぼーっとした寝起きの表情で起き上がった。
「…んー……今、何時だ?」
この部屋には時計がない。沖田はポケットから携帯を取り出し、開いて画面に表示された時刻を見つめた。
そして、驚いた。
「もう三時過ぎかよ…」
今日、沖田はニセあいが休むと聞いて、朝食を食べてから再び嬉々として眠りについた。その時八時ちょっとだったから、七時間近く眠っていたことになる。
そう、沖田は昼飯も食べずに、眠り続けていたのであった。
当然ながら、お腹はぺこぺこを通り過ぎてしまっている。今目が覚めたのも、多分身体が食物を欲してのことに違いない。
いつものように、何か台所に行ってうまい昼飯でも用意させるか。いや、この時間帯ではおやつと言った方がふさわしいかも知れないが………。
とりあえず、居間へ行ってみよう。
沖田は寝ぐせの目立つ髪を直そうともせずに、自分の部屋から出た。
沖田の部屋は、リビングの真上にある。そして階段にも近い。そこを降りていけば、リビングの扉は目の前だった。
だから階段を降り始めた時点で、沖田は下から漂ってくる異臭にいち早く気がついた。
(……気にくわねェ匂いだ。)
知らず知らずのうちに、沖田は顔をしかめていた。何の匂いかは分からないが、いやに不快感をかき立てる匂いだ。
それだけではない。前にもこんな匂いをかいだ覚えがある。どこでだろう?
考えているうちに、階段を降りきってしまった。
リビングの扉が半開きになっている。
しばしためらった後…沖田は足音をひそめて、そっと扉に歩み寄った。別にこそこそする必要はないのに、そうしなければならないような気持ちに襲われたのだ。
扉をそっと押し開け、中を覗き込もうとしたその時、
ペチャン。
足元で、液体質の音がした。
「………?」
床を見下ろした沖田の目に飛び込んできたのは、毒々しいばかりに鮮やかな紫色の液体でできた、大きな水たまりだった。
その中に、見覚えのある長い黒髪が、ぷかぷかと浮いていた、
黒髪だけだった。
「あら?変ねえ、鳴らないわ。」
酢乙女邸の立派な門の前で、お妙が困った声を出した。
定春をここまで連れてきたのはいいのだが、チャイムを押してもうんともすんとも言わないのだ。中から応答する声も聞こえてこない。
「故障かしら。まったくダメじゃないの、ちゃんと修理しとかなきゃ…それでも金持ちなの?」
「仕方ないですよ、姉上。沖田さんがここに来てからは、それどころじゃないでしょうし。」
お妙の機嫌が悪くなり出したので、新八は慌ててなだめにかかった。
定春は自らの治癒力のおかげで、だいぶ元気になっていた。今も新八の後ろで、どすどすと(犬にはふさわしくない擬音かも知れないが)足を踏み鳴らしている。傷はふさがったようで、もう大した治療をする必要はなさそうだった。
しかし定春自身も、中に入れないことにイライラしていたらしい。ものも言わずに突き進んでくると、巨大な門を頭でどんと押した。
予想もしなかったことが起きたのは、次の瞬間だった。
「あら…」
「あれっ?」
新八とお妙は、ほぼ同時に驚きの声を上げた。
門が重々しい音と共に、内側へと開いていく。つまり始めから、鍵などかけられていなかったのだ。
いくら沖田がいい加減な性格だからといって、いつ敵が現れるかも分からぬ時に、屋敷の門を開けっ放しにしたりするだろうか…。
「新ちゃん…」
同じことを考えていたのか、お妙も不安そうな顔になっている。
「姉上…とりあえず、中へ入ってみませんか。沖田さんに何か起こってるのかも……」
「………」
「姉上?」
お妙はなぜか何も言わず、ただ新八の服のすそを強く引っ張った。見ると、門のてっぺん辺りをしきりに指さしている。
「え?何?」
指さされた方向を見た瞬間、新八ははっきりと目にした。『何』を。一瞬、自分が幻を見ているに違いないと思った───姉の瞳が恐怖で凍りついている理由が、すぐに分かった。
門の上に、誰かが腰かけていた………子供だ。恐ろしいことに、どこからどう見ても風間トオル そっくりの姿をしている。トオルは今幼稚園にいて 、ここにいるはずがないのに。だが最悪なのはその部分ではなかった。
その少年の腕は手の平から肘の辺りまでかけて、不気味な紫色に染まっていた。
そして彼の右手は、全身ずたずたになった酢乙女あいのニセモノの首根っこをつかんでいた。
「銀さん…」
耳元で囁かれた怯えの混じる声に、銀時は顔を上げた。
トオルは心底怯えた表情をしていた。おまけにそこには、わけが分からないという混乱の表情もあった 。
戦いの形勢は、決して有利とは言えなかった。銀時の手傷は増え、左腕の肘の辺りからも血が滴っている。神楽でさえ、頬にわずかな傷を受けていた。
敵の───ボーちゃんのニセモノの鼻水攻撃は恐ろしく速かった。少しでも気を抜いたら、あとは心臓を貫かれるか喉を切られるかしかない。さすがの超人的な二人にも、つけいるすきがなかった。
「…何やってんだお前。おとなしく向こうに隠れてろ。敵の標的は、お前なんだからな。」
銀時は右手を強く振って、トオルをしんのすけたちが隠れている茂みの中へ追いやろうとした。
が、トオルは動かない。
銀時はトオルが、自分の傷ついた左肘を見つめていることにハッと気づいた。しかも、その目つきがおかしい。ぼうっとした、熱に浮かされた時のような視線で、いつものトオルとは別人のようだった。
そして、うわごとのように呟いていた。
「腕…腕が…僕のせいで…」
銀時は一瞬、トオルが敵に何かされておかしくなったのかと思った。胸の奥にひやりとしたものが走った。
「トオル?おいっ、大丈夫か!?」
敵の攻撃の危険をつかの間忘れ、銀時はトオルを激しく揺さぶった。幸い攻撃はもっぱら、神楽の方へ向けられていた。
トオルのぼやけた視線が元に戻った。数回瞬きして、トオルは銀時の顔を見つめた。
「ん…どうしたんですか、銀さん。」
いつもとごく変わりない彼の声にほっとして、しかし外面的には少々きつい口調で、銀時はトオルに背を向けて言った。
「どうしたんですかじゃねーだろ。さっさと隠れてろ、ガリ勉くん。」
ぎらぎらと光る鼻水の刃が、こちらめがけて飛んできた。
ちょうどその頃、春日部山の頂上辺り───春日部が見下ろせる場所に、たたずんでいる人影があった。
その人影はフードつきの、どう考えても季節外れな (しかも時代遅れな)長いコートをはおって、フードも深々とかぶっていたので顔も身体もほとんど見えなかった。年齢も、性別すらはっきりしない。何とも不気味な印象を与える雰囲気の持ち主だった。
しばらくして、フードの中から忍び笑いが漏れ、しかも、低い声がした。
「覚悟してろよ、トオル。」
コートの人物はくるりと向きを変え、木々の間へと歩いていった。その拍子に、コートがめくれ上がって身体の左側がちらりと見えた。
腕がなかった。
左肩の付け根から下には、汚れた包帯が無造作に巻かれて、ひらひらとはためいているだけだった。
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