その拾壱:やたらと他人を責める奴にはロクなのがいない
「お呼びですか。」
薄暗い部屋の中に、無表情な声が響いた。
「ああ、ごめんね急に。」
それに答える軽い調子の声。天井の淡い明かりに照らされた小さなテーブルの上に、とん、と何かが置かれる。
二枚の写真だった。
「でもちょっと、注意しなきゃいけない事態が起こったかも知れなくてね。それで至急君を呼んだわけ。」
「………この二人を、どうしろと?」
「うん、なんかそいつら、俺たちの計画の一部を邪魔したらしいんだよね。わざとかたまたまか知んないけど、またそんなことされちゃやだもんね。」
そこで一息つく。そして…。
「というわけでそいつら、消しちゃってくれる?」
声の軽い調子は変わらなかった。まるでちょっとスーパーに行っておつかいをしてきてくれないかとでも言うような、平坦な口調だった。
「ああ、それにもう一つ、やってほしいことがあるんだ。」
「………?」
「この子をここへさらってきてくれないかな。」
もう一枚、写真が机の上に置かれた。
「君一人じゃ大変なら、あいつらにも手伝わせてやりなよ。久しぶりだから、きっと喜ぶよ。」
「…承知いたしました。」
一拍の間をおいて、もう片方の無表情な声の主はそう答えると、片手で三枚の写真のうちの一枚を取り、もう片方の手の指をすっと二枚の写真の上にそえた。
写真が、燃え上がった。
揺らめく赤とオレンジの中で、新八と山崎の顔が崩れていった。
「大丈夫?一人だけで…。」
「うん、へーきへーき。」
双葉幼稚園では、ここのところついぞない光景が繰り広げられていた。
マサオが失明したという話は、恐ろしいほどのスピードであちこちに知れ渡り、もちろん幼稚園中の子供たちが知っていた。
ネネもすぐにそのことを耳にしたらしいが、今回ばかりは性質の悪い好奇心を発揮することがなく、ただただ心配のためだけにマサオ宅に駆けつけ、お見舞いしてくれた。そしてマサオの目が、本当に完全に見えなくなったことを知ると、なんとぽろぽろと涙をこぼし始めたものである。これにはトオルやボーちゃん、それにしんのすけさえもがびっくりさせられた。
しかしさらに驚いたことには、ネネはマサオが幼稚園に来るようになっても、決してリアルおままごとをしなくなった。
しかも見ることのできなくなったマサオのそばにくっついて、手助けするようにすらなっていた。その献身(そう呼ぶのがふさわしいほどの身の尽くしようだった)ぶりは、沖田ですら凌ぐほどのものであった。
マサオが失明した原因は、身体的な怪我というよりも、精神へ加えられたショックやストレスだろうと医者は言っていた。少し時間がたてば、すぐに戻るだろうとも。これには銀時たちも、大いに安堵のため息をついたものだ。
ショックの理由は、分かり過ぎるほどに分かっている。今はマサオが、立ち直るのを待つしかなかった。
一方マサオは、思いのほか気丈だった。沖田に導かれ、自分の家の中を隅々まで歩き回って場所を覚えると、すぐに自宅の中での移動には不自由しなくなった。春日部の中のよく行く所や、そこに続く道のりなども、まさに身体で覚え、体得しているようだった。
一つの機関が潰されると、他の機関がその働きを補うために鋭敏になる───というのはよく聞く話だが、マサオの場合もそうだ。視力を失った代わりに、彼の耳や鼻は格段に鋭くなった。今や足音を聞いただけで、誰が来たのか分かるまでになっている。
もちろん普通にそうなったわけではない。マサオが苦しい練習を、積み重ねてできるようになったことだ。トオルもよくそれに付き合っていたが、ある時マサオがこう言ったことがあった。
「僕、こうやって目が見えなくなって、初めて分かったんだけどさ。人間って耳とか鼻よりずっと、目に頼ってるんだね。だって大体見た目で判断することが多いでしょ?…でも、そのせいで間違っちゃうこともあるんだよね、きっと。」
トオルは、特にその最後の言葉に、はっと胸をつかれるような気持ちになったのだった。
幼稚園に来るようになって、もちろんマサオは噂と好奇心の的になったが、しんのすけたちが団結して彼を守った。特にネネはすごかった。一度マサオをからかいに来たいじめっ子たちを、ウサギのぬいぐるみで叩きまくって追い返したという武勇伝がある。
もっともマサオ本人は、普通に過ごす分には全く支障がない様子だった。机の周りやロッカーの中は相変わらずきちっと片づけられていたし、トイレにだって自分で行けるし、声の聞こえる方向で誰かのいる場所を正確に感じることもできる。はた目には目が見える時とまるで変わらなかった。
それでもネネは、マサオのそばにい続けた。周りには二人をさかんにはやし立てる、バカでおせっかいな奴もいたが、それでもずっと離れなかった。トオルたちだけでなく、マサオ当人が戸惑うほどに。
なぜだろう?トオルは頭の中を疑問符でいっぱいにしながら考えた。
なんでネネちゃんは、こんなに一生懸命にマサオのそばにいようとするんだろう?
驚いたことに、その答えを持ってきてくれたのは、ネネ本人であった。
「マサオくん、一人で本当に帰れる?危なくない?」
夕暮れの公園。赤い光が遊具を染めている。
二人はもう誰もいない公園を出て、帰途につこうとしているところだった。ブランコに座って何となくゆらゆら揺れていたら、いつの間にか他の子供たちは誰もいなくなってしまったというわけだ。
マサオはネネを安心させるように、ちらりと笑った。
「本当に大丈夫だってば、ネネちゃん。いつも一人で帰ってるもの。平気だよ。」
それに、正直ついてこられては困るのだ。本物もニセモノも、ママがいなくなってしまったので、最近はトオルの家で夕飯を食べることにしている。今日はそのまま彼の家へ行くつもりだった。
ちなみに朝ご飯は、新八が夕食の時に一緒に準備してくれた料理を温めて食べることにしており、お弁当もトオルが新八に頼まれて持ってきたのを、みんなにバレないようこっそり受け取るようにしていた。簡単な料理なら自分でも作れるが、やはり目の見えない状態で包丁やコンロなどを扱うのは、かなり危ないことだ。
それに新八の作る料理が、言っちゃあ悪いが自分やママの作るものよりおいしい、ということもあった……。
「ネネちゃん…本当に心配いらないんだよ。どうしてこんなに気をつかってくれるの?」
実際、どうしてネネだけがこんなに心配そうな様子でい続けているのか、マサオも周りの人たちも不思議がっていた。確かに友達が失明するというのは、ショッキングな出来事かも知れないが……。
「…ごめんね。」
「えっ!?」
一瞬ネネが何と言ったのか分からず、マサオは戸惑った。
「ごめんなさい。」
今度はさっきよりはっきりした口調で、ネネが言葉を口にした。
「……なんで謝るの?」
ネネは気が強い分、あまり人に弱みを見せないタイプだ。従って軽々しく謝罪の言葉を話すような性格でもない。
それなのに、理由も分からないままいきなり謝られたものだから、マサオは完全に面食らってしまった。
本当にどうしちゃったの?ネネちゃん。
「だって…」
ネネが、ほとんど聞こえないほど小さな声で言った。
「マサオくんの目が見えなくなったのは、あたしのせいなんだもの。」
「えぇ?」
マサオは聞き間違えたのではないかと思った。どうしてそんなことを言うのかと尋ねるより早く、ネネがしゃべり出した。
「あたし、マサオくんにいつもひどいことしてたわよね。リアルおままごとを無理やりさせたり、悪口言ったり。」
「?」
一体何を言い出すのだ。
「きっとあたしが嫌なことばかりしてたから、マサオくん、ストレス溜まっちゃってたのね。でも、ネネ全然気がつかなかった。それでとうとうこんなことになって…全部あたしのせいよ。」
聞いているうちに、マサオは思わず笑い出しそうになった。なんてことだろう。ネネはまるで見当違いの予測をして、自分を責め続けていたのだ。
「ネネちゃん、それは違うよ。」
「いいの、ごまかさなくたって。だってそれ意外に考えられないじゃない。みんなだってそう思ってるわ。」
一瞬、マサオはネネの言葉の意味を考えなければならなかった。
「みんなもそう思ってるって?」
「そうよ。」
ネネの声に、突如うるみがかかった。泣きかけているのだと分かって、マサオは慌ててポケットからハンカチを取り出し、差し出した。
「ありがとう。」
ネネがハンカチを受け取るのが分かった。
「少なくとも、幼稚園の女の子はみんな知ってるわ。男の子たちは…あまり知らないみたいだけど。」
「………」
聞いているうちに、マサオの頭の中で一つの考えがまとまってきた。しかしすぐには言わず、かわりに尋ねた。
「ネネちゃん、そのこと誰に聞いたの?」
すぐさま答えが返ってくる。
「あいちゃんよ。」
マサオは束の間絶句した。あいちゃんだって!?
「あいちゃん、最近マサオくんのことが好きになりかけてるでしょ?だからあたしのこと、すごく怒ってた。どうしてくれるのよって、すごく責めてたわ。」
それは違うよ、ネネちゃん。
マサオは心の中で囁いた。あのあいちゃんはニセモノで、僕を捕まえるためにああやってただけなんだ。ただの演技だったんだよ。
君を責めるのは、ただ沖田さんに捕まってる鬱憤を、そうやって晴らしたいからだけさ。
「それにね、マサオくんとばかりいるのはそのせいだけじゃないわ。」
「どういうこと?」
「もう幼稚園の女の子は、誰もネネと遊んでくれないの。」
またしても、マサオは言葉を失った。
「声かけても無視されるし………寂しいから、ずっとマサオくんやしんちゃんたちのそばにいたのよ。」
そこまで言うと、ネネはフッと笑った。自嘲的な笑い方に聞こえた。
「結局あたしって、自分勝手のままね。自分の寂しさをまぎらわすために、マサオくんのそばにいたんだもの。今までと変わらないわ。」
「ネネちゃん…」
マサオはかけるべき言葉が見つからなかった。どんな慰めも、宙に浮いてしまいそうだ。
その時一つだけ、マサオは効果的かも知れない方法を思いついた。
「ネネちゃん、これから風間くんちに行かない?」
「えっ?何言ってるのよ、迷惑じゃないの。」
「実はね、僕風間くんの家に、夕食に呼ばれてるんだ。」
マサオはなるべく慎重に言葉を選び、土方先生、銀八先生が風間家の両隣にあること、それをきっかけに互いが交流し合い、一緒に夕食をとっていること、そして今日、母親が留守なためマサオもそれに招待されたということを説明した。あながち嘘というわけでもない。
「へえ、そんな偶然って、あるのね。」
普段ならそういう話を耳にすると、ここぞとばかりに好奇心を発揮するネネであったが、今回は純粋に驚いた表情を浮かべただけだった。
「でも…ママに何も言ってないし……」
「大丈夫大丈夫。風間くんちについたら、電話すればいいんだよ。」
そう言ってネネを説き伏せ、二人は公園を出た。
夕日の光が作る二つの長く伸びた影が、どちらからともなく互いに手を伸ばしてつなぎ合った。
ネネとマサオが公園を去った約一分後、そこに再び二つの影が現れていた。マサオはもう公園に誰もいないと思い込んでいたが、それは間違いだったのだ。
しかも、その二人は顔も身体つきも服装でさえも、ネネとマサオの姿に瓜二つであった。
二人はしばし黙り込み、ネネたちの消えていった方向を眺めていたが………。
「予言に、間違いはないのね?」
ネネそっくりの少女が、感情のこもっていない声で尋ねた。もちろん隣の少年への言葉なのだが、そちらを見ようともしない。
マサオそっくりの少年は、いっこうに気にする様子もなく声を返した。
「そりゃ大丈夫さ。あいつの予言は外れない………お前だって、よく知ってるはずじゃないか。何でそんなに怪しむんだ?」
マサオのものと同じその声には、自信と怪訝そうな響きが入り混じっていた。
「念を入れてるだけよ。怪しんでるわけじゃないわ。」
相変わらず話している相手には目を向けず、ネネと同じ姿をした少女は無機質に答えを返した。声はおろか、夕日の赤い光を反射している瞳にすら、なんの感情も映し出されていない。まるでただのガラス玉のようだった。
「とにかくあいつは、あの男に連れられて家に送られてくる。その時に捕まえて、男の方は始末しちまえばいい。簡単な仕事だ。」
マサオに瓜二つの少年が、鼻を鳴らした。つまらなそうな感じにとれなくもない。
「まったく何で、あんな何でもなさそーな二人を殺らなきゃなんないのかね?俺たちがやらなくても、他のザコどもに任しとけば充分じゃないか。何でわざわざ俺たちが出る必要がある?退屈しのぎさせてくれるためなのか?」
「それもあるかもね。」
ネネそっくりの声が、ただし本物なら決して出さないような冷え切った声で告げた。
「でもあのお方は、少しでも障害になるものは消しておかないと気がすまない方だし、あいつらに任したら何かとんでもないことするかも知れないし。」
「ああ、バカだからな。」
「ええ、バカだからよ。」
束の間、沈黙が満ちた。既に夕日は落ちかけ、辺りは柔らかい闇の中に包み込まれようとしている。
再び、マサオと同じ声が言った。
「それじゃあ仕方ない。奴らが来るまで、我慢して待つとするか。退屈だけど、あとでいっぱい楽しめばいいからな。」
「そうね…」
少女は、そっと目を閉じた。
「少しは手応えあればいいけどね…」
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