その拾:欲張りで最終的に得する奴はいない
「へえ、こりゃ予想以上に広いなぁ…」
予想外の大きさにびっくりしながら、新しいデパートの中を歩いている人物がいた。
志村新八である。
「こんなに大きかったら、迷子になる子とか出るよなぁ…」
なんて心配をしているところが、いかにも新八らしい。
新八がここにやって来たのは、夕食の材料の調達(今日はみんなでお鍋の予定だった)のためであったが、あともう一つ、山崎のことが心配でたまらなかったからだ。
初めから、新八は山崎が一人だけでデパートに行くことに反対だった。得体の知れぬ敵が相手なのに、危険過ぎる。
それなのにあまりにも冷めた銀時たちの様子を見て、愛想を尽かしてしまった新八は、一人でも山崎の手助けをしてやる決意をしたのだった。
もちろん、みんなには内緒だ。銀時たちには、どこかで買い物してくるとしか言っていない。
「それにしてもしくじったな…」
こんなにでかいとは思わなかった。デパート自体がでかいだけでなく、中にいる人の数も半端でない。この中で山崎と野原一家を見つけ出すなど、至難の技である。
第一自分は、野原一家がどんな顔をしているのか知らないのだという事実に、新八は今さらながら気がついた。
これじゃ本当に買い物だけで終わっちゃうじゃないか。まったく情けない、もう少しよく考えてから来るべきだった………。
……ん?
えっ!?なんであの人が、ここに…!!
新八の見開かれた目に、思いもかけないある人物の姿が映し出されていた。
「母ちゃん!両方買って!!」
「ああもう、あんたなんか連れてくるんじゃなかった………」
野原みさえは、一つ大きくため息をついた。このデパート行きを、しんのすけがあれだけ楽しみにしていたのは、お菓子や新しいおもちゃを狙ってのことだ。
それぐらいのことは、誰にだって予想がつく。
それでもやはり、面と向かって大はしゃぎでこう言われると、どんな親だって気が滅入るというものだ。
さらにお菓子を選ぼうとしているしんのすけを呆れた目つきで見やると、みさえはカートを進めようとした。少しぐらいほうっておいても大丈夫だろう。何しろこいつは、迷子にかけてはベテラン(?)だ。
ところが本当にしんのすけから離れるより先に、自分がいる場所としんのすけを挟んで反対側から、声がかかった。
「やあ、しんのすけくん。」
「お?」
またもう一つお菓子を取ろうとしていたしんのすけが、手を止めて声のした方を向き、そしてみさえの驚いたことに、ぱっと顔を輝かせて飛びついた。
「山崎お兄ちゃん!」
「しんのすけ…この人、知り合いなの?」
突然現れた人物に、みさえは当然のごとく少し警戒心を抱いた。全く見覚えのない人だ。一体誰だろう?
「山崎退お兄ちゃんだゾ!最近毎日、オラとクリキントンしてるの。」
「バドミントンだよ。」
苦笑しつつ突っ込む青年。恐らく今まで何度も、この間違いを修正してきたのだろう。
「母ちゃん、安心していいゾ。」
しんのすけが重ねて言う。懇願するような口調だ。
「お兄ちゃんは悪い人じゃないゾ。へーぼんで地味で特徴あまりないけど、でもいい人だゾ!」
「…それ、ほめてくれてるの?」
ため息をつく青年。見れば、確かに地味で実直そうな、好感を持てる感じの若い男である。
みさえはほんの少しだけ、警戒を緩めた。ほんの少しだけ。人というのは、見かけによらない生き物だからである。
その時山崎なる青年が、しんのすけがいっぱい抱えているお菓子に目をやった。
「あれ…それ全部買ってもらうの?」
「うん!」
元気に答えるしんのすけ。
「でも母ちゃんがおケチだから…」
「何ですって!」
みさえが店内だということを忘れて、怒鳴った。人前でなかったら、げんこつ攻撃もあったことだろう。
すると山崎なる青年は、少し首をかしげてしんのすけを見ていたが、やがて言った。
「しんのすけくん、俺が昨日言ったこと覚えてるかな?」
「お?何?浜崎あゆみの新曲がどうなるか、心配で仕方がないってこと?」
「そんなこと言った覚えないし。そうじゃなくてほら、君が買い物に行くって話した時のことさ。俺はこう言ったよな。」
『欲張ったら、買ってくれるものも買ってもらえなくなるよ。』
しんのすけが少し、あっという顔つきになった。
「確かに今はみんな欲しいかも知れないけどさ、お母さんだって買いたいものがあるし、君がそんなにしつこく言ったらきっと困るに決まってるよ。お菓子は別に今日買わなきゃいけないってものじゃないんだから、今回はどれか一つだけにしておいたら?他のはまた別の時に買うとしてさ。」
そこまでいっぺんに言うと、初めて山崎の声に、からかうような調子が混じった。
「それにお菓子を食べ過ぎて太ったら、もう女の子にもてなくなるよ。」
その一言が、しんのすけの心を決めたようだった。
「母ちゃん!オラ、チョコビだけにしとく!!」
「えっ?…あっ、そう……」
みさえは驚きでぼんやりしながら、しんのすけがかごの中にチョコビだけを投げ入れ、あとのお菓子を棚に戻そうとするのを見ていた。そしてそれを手伝う山崎の姿も。
何だか分からないけど、確かにいい人みたいだわ。しんのすけをいさめる時の言い方が気に入った。心がこもっていないと、あんな言葉は出ない。
みさえの心の中で、一つ鎧が脱げた。
「あの…」
気がつくと、声をかけていた。
「よかったら、ご一緒しませんか?」
しんのすけが今にも、浮気だ浮気だと騒ぎそうな発言であった………。
「沖田さん!」
新八が呼びかけながら走り寄ると、沖田は本当にびくっとしたらしく、ものすごい勢いで振り向いた。
そして新八だと分かると、少しだけ肩から力を抜いた。
「なんだ、おめぇか………何でこんな所にいる?」
新八は山崎が心配で来たことを話し、同じ質問をぶつけた。
「沖田さんこそ、どうしてこんな所に?」
「そ、それはだなァ…」
沖田は昨日、マサオがこのデパートに行く予定だと聞いたことを説明した。そしてその時、妙に嫌な感じがしたことも。
「そのマサオくんは、映画の中でもデパートに出かけることになってるんですか?」
何気ない質問のつもりだったが、沖田はさらに表情を険しくした。
「…いんや、違う。そんなシーンはなかった。だから、なんか…」
「不安で見に来たというわけですか。」
新八が先回りをして言った。
「う…ま、まあそういうこった。」
この人、本当にマサオのことが気に入ったんだな、と、新八は改めて驚いていた。自分勝手でサディストな沖田の心に、このような一面があったとは。
「それで、マサオくんはまだ来てないんですね?」
沖田が出入り口付近でうろうろしているということは、彼は明らかにマサオがやって来るのを待っているのだ。当然、マサオはまだ来ていないということになる。
しかし、答える沖田の口調は彼らしくもなく不安げで、迷いがあった。
「だと思うが…俺がここに来たのは開店の30分ぐらい後だ。時間を勘違いしちまってなァ。もしそれより早く来てたら……」
顔を曇らせている沖田を見ているうちに、新八の胸の内にも不安がきざし始めた。何よりも、いつもへらへらして何物にも動じないと思っていた沖田が不安をあからさまに見せたことに、新八は動揺を感じたのだった。
ふと目を横へやると、一人の怒った顔をした女性が、すぐそばを通り抜けていくところだった。通り抜けるひょうしに彼女の腕が少しぶつかったが、女性は謝りもせずにずんずん行ってしまう。本来穏やかな性格の新八は、何かよっぽど腹の立つことでもあったんだろうなと思いながら、その後ろ姿に目をやるだけだった。
するとその時、沖田がはっと息を呑んだ。その視線が、さっき新八にぶつかった女に、ぴたと当てられている。
どうしたんですか、と新八が尋ねるより早く、その女性を待っていたかのように、玄関フロアにある大きな噴水の陰から、現れた人物がいた。
「あいつ…」
沖田が、ほとんど聞こえないぐらいの小声で呟いた。
「あいつは…」
むしゃくしゃする。まったく、なんてことだ。
「一体どうしたの?そんなに怒った顔をして。」
噴水のそばで待っていた相手が、自分の顔を見て、少し驚いた顔になる。
「それに、あの子は?」
その問いに答えようと口を開いた途端、またさっきの煮えくり返るような気持ちが襲ってきた。
「計算外だわ!」
「しっ!声を小さく!!」
「ああ、ごめんなさい…」
怒りのあまり、つい我を忘れてしまうのだ。
「何があったの?」
「それがね…邪魔が入ったのよ。」
「何ですって?でもあいつは捕まえたはずでしょ、あの何とかいう女…」
「ええ、でもまた違うのがでてきたのよ!」
「また殴られたりしたわけ?」
「いえ、そうじゃないわ。今度出てきたのは、なんだか地味くさい、若い男だった。あんな奴、いなかったはずなのに…。とにかくあいつが割り込んだせいでしんのすけが一人きりにならなくなって、私の出番がなくなっちゃったのよ!」
「嘘でしょう?その男、本当に見覚えないの!?」
「ないわ。それに多分、春日部の住人でもない。住んでるといっても、ごくごく最近に引っ越してきたのよ、きっと。あいつのせいで、計画は全てめちゃくちゃだわ!」
「まあ落ち着いてちょうだいよ。ここじゃ目立つわ。」
「ええ…それはそうと、そっちはうまくいったんでしょうね?」
「ええ。」
答えた相手の顔に、人のよくない笑みが浮かんだ。
「今倉庫に閉じ込めてあるわ。縛りつけて、気絶させておいてね。どう、見に来ない?大丈夫よ、あの一家を捕まえるチャンスは、いくらでもあるんだから。」
「そうね…そうしましょうか。」
話しながら、歩き始めたこの二人の姿を野原一家が見たら、さぞかしびっくりしたことだろう。
なぜなら二人は、野原みさえとマサオの母親にそっくりだったのだから…。
「いやー、今日は本当にありがとうございました。」
「いえいえ…」
山崎は野原ひろしの感謝の言葉に、軽く手を振って応じた。
もう時刻は昼に近い。山崎を付き合わせ、たっぷりと買い物をした山崎は、一家が車に買ったものを詰め込むのまで手伝っていた。
この、ある意味現代では珍しいほど地味な青年を、一家はいたく気に入ってしまったらしい。なんなら昼食も一緒にどうかと誘われたくらいだ。さすがにそこまでずうずうしくはなれないので、山崎はやんわりと断った。
ま、これで土方さんの言ってた任務は果たしたことになるな、と、山崎は軽くため息をついた。
結局なんの危険も現れなかったし、はっきり言って彼らと買い物するのはとても楽しいことだった。こんな任務なら、もっかいやりたいくらいだ。
「ばいばーい、お兄ちゃん!」
「たやいやーい!」
走り出した車の窓から身を乗り出し、しんのすけとひまわりが(ひまわりはちゃんとしんのすけに片手でしがみついていた)手を振った。山崎は、笑顔で手を上げ、それに応えた。
そう、彼もまた、平凡そうでいっぷう風変わりな、この野原一家を好きになり始めていたのである。
向こうにもし帰れたら、俺もクレしん見よう………ひそかにそう誓った山崎であった。
やっぱりだ。見失ってしまった。
「畜生!」
沖田が珍しく感情をむき出しにして、悪態をついた。今日は沖田さんの、意外なところばかり見せられるなあと思った新八だが、当然口に出しては言わない。
噴水から歩き出した二人の女性が、野原みさえとマサオの母親だと告げた沖田は、すぐさま後をつけ始めた。どうしようかと一瞬迷った新八も、置いてけぼりは嫌だなと考えて彼の後を追い始めた。
ところがこうして、5分とたたないうちに見失ってしまったというわけであった。
しかし、決して不用心だったのではない。ただ単に人が多すぎて、その中にまぎれてしまった二人を見つけることができなかったというだけのことだ。
「くそ!」
沖田は再び吐き捨てると、設置されているベンチにどさっと座り込んでしまった。
「沖田さん…」
「マサオの母ちゃんが、あんな所で一人でいやがったということは…間違いねェ。あいつァニセモノだ。マサオをどこかにやりやがったんだ!」
「沖田さん、落ち着いて下さい!」
興奮し、憤慨する一方の沖田を見かねて、新八が言った。
「そうだ、僕がコーヒーか何か買ってきましょう。自動販売機があるはずですから。少し待ってて下さいね。」
沖田は返事をしなかった。少し離れてから振り返ってみると、さっきと同じ姿勢で、ベンチに身体を投げ出していた。
ゴロゴロ、ガッシャン!
自動販売機から缶を取り出し、新八は軽く息をついた。
「僕のはカルピスで…沖田さんのは濃い目のコーヒー。これでよし、と。」
沖田がコーヒーを飲むかは知らないが、気持ちを落ち着かせるには熱いコーヒーが一番である。新八は沖田のいるベンチのある方向へ、歩き始めた。
にしても、なんか変だな、このデパート。
新八は今さらのように違和感を感じた。いや、ずっと感じていたのだが、色々あったので気にする暇がなかったのかも知れない。
何がおかしいんだろう?普通のデパートにある何かが、ここには欠けている。
そう…活気だ。これだけの人の数なのに、まるで活気が感じられない。そういえばさっき沖田が大声を上げた時も、誰もこちらを見なかったっけ………。
もしかしたらデパート中の人間が、もうニセモノなのかも知れない。このぞっとするような考えを、新八は振り払えなかった。
そんなことを考えていたからだろう。すぐ前を通りかかった扉の中から、微かな声が聞こえてきた時、新八は反射的に立ち止まった。
普通の声ではない。
泣き声だった。
「………!」
深く考えるより先に、身体が動いていた。重そうな大きい扉を、ぐいと押し開けていたのだ。
倉庫だ。一目見て、新八にはすぐ分かった。
広々とした空間の中、色々な品物が、箱づめになって雑多に積み上げられている。清掃係の誰かが置いていったものらしい、一本の箒が床に転がっていた。
しかし、そんなものはどうでもよかった。新八の目をとらえていたのは、倉庫の奥にたたずむ二つの人影だった。
両者はお互いに、凍りついたようになって見つめ合った。
新八は、彼らの足元に横たわっている小さな影に目をやった。暗くて見えにくいが、そのシルエットには見覚えがある。
「…マサオくん。」
新八がそう呟いた瞬間、みさえと、マサオの母親…のニセモノが、一斉に襲いかかってきた。
「遅ェなァ、あいつ…」
沖田はベンチに座って悶々としたまま、すでに10分以上は待ち続けていた。彼にしてはよく我慢した方である。
「並んでるのか?自動販売機って並ぶもんなのかィ。」
そして何より気に入らないのは、目の前を通り過ぎていく人々の雰囲気であった。
なんて活気のねェ野郎どもなんでィ。もうちょいしゃべったり、余所見したりしたらどうなんだ。どいつもこいつも、前向いてばっかりで………全く不愉快でしょうがねェ。
「沖田…さん。」
すぐそばでか細い声がして、沖田は通り過ぎていく群集をにらみつけるのをやめた。
「おい、お前遅ェ…」
「すみません…でもそれどころじゃなくってね。」
沖田は言葉を失い、大きく目を見開いた。
新八の腕の中には、今日沖田が何よりも捜し求めていたもの………マサオの姿があったのである。
「マサオ…お前、何で……?」
「いや、色々ありまして…。」
新八は倉庫の前を通りかかった時に泣き声を耳にし、入ってみたところ中にいた二人のニセモノに襲われたことを順序だてて話した。
「運よく手元に箒がありましてね。何とか二人とも、叩き伏せました。」
「そうだったのか…マ、マサオは無事なのか!?」
「ええ、気絶してますけどね。それほど大した怪我はしていませんから。」
ちなみに言っておくと、新八は家が道場ということもあり、剣術はかなり使える方だ。その年頃の男の子としては、相当強い部類に入るかも知れない。ただ周りがとんでもない奴ばかりなので、目立たないだけである。
「う、うーん…」
「!」
二人は話をやめた。マサオが顔をしかめ、うめき声を上げている。今にも目を覚ましそうだ。
「マサオくん?」
新八が声をかけると、マサオはうっすらと目を開いた。ぼんやりとこちらを見上げる。
「うーん…誰?」
変な質問だな、と新八は一瞬首をかしげた。この近さで、自分の顔が見えないはずはないのだが…。
それとも、地味過ぎて忘れられた?いや、いくらなんでもそんなことは。
「マサオくん、僕だよ。新八だよ。分かるかい?」
軽く揺すって呼びかけると、マサオはさらに大きく目を開いた。
「あ、新八さん…マ、ママは?ママのニセモノは?」
「大丈夫。僕がやっつけたから、もう心配いらないよ。」
安心させるような口調で、語りかける。しかし、マサオの顔から怯えの表情は消えなかった。
「そうですか…あの……ここから出してくれませんか?」
「え?」
「僕、真っ暗なところ嫌いなんです。」
今度こそ、新八は本気で当惑した。沖田と目を合わせると、彼もわけが分からないという顔をしている。
その時新八は初めて、マサオの視線が新八の顔ではなく、その右肩辺りにずれていることに気がついた。恐ろしい認識が、心の奥から這い上がってくる。
「マサオくん、君もしかして………
目、見えないの?」
くそっ、なんてことだ。
冷たい床に倒れ、みさえのニセモノは悔しげに舌打ちを漏らした。
あの女を捕らえ、あのお方に力を頂いたからには、スムーズに任務をこなせると思っていたのに。何で邪魔ばかり入るのだ?
あの時しんのすけが迷子にならなくしやがった男かと思ったが、違ったようだ。自分たちを痛めつけたのは、そいつより若い、むしろ少年みたいな感じの奴だった。
どっちにしろ、奴らは我々の任務を妨害したのだ。自分たちのことを知っていたのか、それとも知らずにやったのかは分からないが。
身体が動かない。何とかして、あのお方にこのことをお知らせしなくては………。
倉庫の中に、誰かが入ってくる気配がした。
起き上がろうとした瞬間、背中に鋭い何かが貫通する音を、みさえのニセモノは確かに聞き取った。
ほとんど声を上げる間も、痛みを感じる時間すらなく、彼女は絶命した。 |