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血袋くん

作者: 陸 理明

 あの体育教師は絶対に痛い目にあうな。


 沼袋(ぬまぶくろ)くんが教壇へ呼びつけられたときに、わたしはそんな確信を抱いていた。

 あれは、確か、高校一年の五月ぐらいのことだった。

 この時はまだ、入学してはじめて出会った人たちばかりだったので、沼袋くんのことをよく知る人物は教室でわたし一人だったこともあり、クラスメートの同情の視線は彼に向けられていた。

 だけど、わたしだけは周囲とちょっと違う感想を持っていた。 

 要するに、沼袋くんが関わるということの恐ろしさをよく理解していたのは、わたしだけだったという訳だ。

 この時、別に彼が悪いことをしたわけではなかった。

 自分が飲酒したまま自転車に乗ったことで警察に捕まったというのに、その鬱憤を父親が警察官というクラスメートに対して暴言を吐くという形で晴らしていた担任教師に挙手をして抗議をしたのが原因だった。

 大人として教師として問題ありな行動だったので、抗議されても仕方ない話だった。

 ただ、新学期早々から強権的な学級運営をしていた教師にとって、面と向かっての生徒の反抗は許しがたいものだったのだろう。

 前に出て来い、と命じられて沼袋くんは諾々と従った。

 正しいことを言ったと自負しているのだから、彼が逃げるはずはない。

 そして、なじられた。


「おまえ、教師に対して口答えする気か?」

「いいえ、先生。僕は○×さんへの謂れのない暴言をやめてくださいといっただけです」

「謂れのないだと? 生意気なことを言うな!」

「すみません。でも、こんな八つ当たりみたいな真似はよくないと思います」

「ふざけるな、ガキのくせに!」


 沼袋くんの態度は慇懃無礼とまではいかないが、明らかに教師を挑発する類のものだった。

 もちろん、彼にはそんな気はなかったのだけどね。

 普通に純粋に教師にいじめられていたクラスメートを助けてあげたかったんだと思う。

 昔から、沼袋くんはお節介なお人好しだったのだ。

 でも、激昂した体育教師にはただの生意気な反抗に映ってしまったのだろう。

 咄嗟に平手が出て、沼袋くんの頬がはりとばされた。 

 大柄なスポーツマンに力一杯殴られて沼袋くんの顔がひしゃげた。

 同時に、教師の顔半分と教卓と黒板の一部にびちゃりと派手に液体が飛び散った。

 赤い、赤い、生温かい液体だった。

 それは真っ赤な血だ。

 張り手を受けた沼袋くんの口が裂け、そこから信じられないほどの大量の鮮血が吹き出した結果だった。

 一瞬、みんな、何が起こったか理解できないようだった。

 教師に至っては、自分の半顔についた生暖かいものを手でこするまで、唾でも吐きかけられたのかと思っていただろう。

 だが、客観的に見ると、理不尽な体罰を加えたことで、教師は半分血まみれ、まるで殺人事件の現場に佇む犯人のようになってしまっていたのだ。


「うぎゃあああああああああ!」


 わたしたちの教室内で起こった大流血は、すぐに他の教室に伝わり、職員室からもたくさんの先生方がやってきて大騒ぎになった。

 体育教師がまるで生徒を刃物で刺したかのような惨状だったのだから当然である。

 何が起きたのかさっぱりわからない教師と他のクラスメートたちと、バツの悪そうな顔をして殴られた頬を押さえる沼袋くんの対比が印象的だった。

 このときの騒ぎが元で、彼は失職こそしなかったが、肩身が狭くなり度を超えた体罰を慎むようになった……。


 さて、どうしてこんな騒ぎになったかというと、きちんとした理由がある。

 それは沼袋くんの体質のせいだ。

 彼が言うには、「僕は皮膚が薄くて、血管も傷つきやすいからすぐに血がでちゃうんだよ」とのことだった。

 確かにそれは事実で、沼袋くんはしょっちゅう怪我をしては保健室のお世話になっていた。

 もっとも、傷つきやすいかわりに治るのも早いので、だいたい二日後には傷もなくなっているのが通常だった。

 だが、わずかに傷ついただけで、漫画みたいにプシューと噴水のように鮮血を噴き出すことは普通ありえない。

 生命は一定量の血が流れ出てしまうと死んでしまうのだから。

 ただ、沼袋くんについては例外だった。

 ほんのちょっとのかすり傷でも沼袋くんの場合は夥しい血液が流れ、あたりかまわず血の海と化してしまうのだ。

 それはまるでバケツに入った水を撒き散らすように。

 ほとんど、血の詰まった水鉄砲を乱射するような勢いで。

 しかも、昔から流血しなれているせいでやたらと体内の血の量が多いうえ、傷が付くことを恐れない正義漢でもあったから、なおのこと性質が悪かった。

 昔、彼が殴る蹴るをされていじめられている女の子を助けようと体を張って割り込んだとき、そのイジメ現場は一瞬にして血の海地獄に変わった。

 たまたま、イジメのリーダーの拳が、沼袋くんの額の血のでやすい場所を傷つけてしまったからだ。

 バシャリと鮮血が飛び散りまくった。

 相手を傷つけていることなんて考えもせずに、集団で暴力を振るっていたイジメっ子グループは、沼袋くんを殴ったことで手のひらが血にまみれ、そして返り血が顔にかかることで恐怖のあまりに倒れ込んだ。

 中には腰を抜かす者もいた。

 暴力というものが、結果として血を招くというのっぴきならない事実を、身をもって体験してしまったのだ。

 それ以来、血がトラウマになってしまったものもいるらしい。

 一方の助けられた女の子とはというと、身を呈して助けてくれた彼に感謝する気持ちこそあれ、自分の顔に他人の血がかかっていることもあまり気にはならなかったのだが。

 そして、それ以来、彼女へのイジメはなくなった。

 女の子は、その後もずっと穏やかに学生生活を送ることができたのである。

 沼袋くんの出血のおかげといえた。

 この時のことについて、後に沼袋くんは言う。


「あの時は無我夢中だったけど、助けなきゃと思ったんだ。でも、あとでクリーニングが大変だったよ。いつものことだけどね」


 以上のように、沼袋くんは正義感の強い少年だ。

 だけど、彼が絡むとなんということのない出来事でもすぐに流血沙汰になってしまうのが問題なのだった。

 いつだったか、彼が車に轢かれたときも大変だった。

 一時停止を無視して十字路に入ってきたセダンの乗用車にはねられた彼は、そのままボンネットを転がり、フロントガラスにぶつかった。

 まるで映画の一シーンのようだった。

 もっとも、ほぼ徐行運転であり、幸いなことに数箇所のカスリ傷だけですんだのだが、被害者が沼袋くんである以上、それが普通の事故で終わるはずがない。

 車のボンネットとフロントガラスには生々しい血の痕による赤い模様が走り、どうみても何人もの命を奪った重大な事故車としか思えない恐ろしい有様になってしまったのである。

 通りすがりの目撃者のおばさんは絶叫し、子供たちは泣き出し、まさに阿鼻叫喚の光景だった。

 運転をしていたサラリーマンの男性は真っ青な顔をして外に飛び出してきたが、ボンネットに突っ伏していた沼袋くんが「ああ助かったァ」と顔を上げてにっこりと微笑んだ瞬間に、ショックのあまり気絶してしまった。

 あんな血まみれではどうみても手遅れであり、死人としか思えないのだからそれも当然だ。

 駆けつけてきた警察官や救急士も、頭から血をダラダラと流し続けるくせに平然としている沼袋くんにビビっていたくらいなのだった。

 結局、救急車のお世話になったのは加害者である運転手という滅多に見ない展開が繰り広げられたのである。


 ……と、まあ、こんな感じで沼袋くんは常に血にまみれた事件ばかりを起こすので、ついた渾名が『血袋くん』。

 映画の吐血シーンなどにつかう血糊袋みたいに、ド派手に血を吹き出すやつという意味だ。

 もちろん、沼袋という姓にかかっているのである。

 そんな『血袋くん』こと沼袋くんが今までに引き起こした事件は山ほどあるが、彼をよく知る者は例外なくそのまっすぐである意味では血の気の多い性格を愛している。

 むしろ、たまに出血しないと健康状態が悪くなる厄介な体質なのかもしれないけど。

 だからいつもビュービュー血を噴いているのかもしれない。

 だが、これまで紹介したとおり、皮膚も血管も薄くて弱い彼なのだけど、同時にいろいろ興奮することにも極端に弱いという特徴もある。

 ちょっと緊張したりすると、すぐに鼻血を出すという悪癖を有しているのだ。

 しかも、その場合もタラァという感じではなく、鼻血まで間欠泉のように正面に向けてプシューなのだ。

 ものすごい勢いの赤い霧吹きをかけられた感じである。

 漫画ではないのだから、あれだけは何とかしてもらいたいものだ。

 いつまでたってもあれだけには慣れることができない。

 そのことでよく文句をつけるのだが、彼に言わせると、


「仕方ないよ、君とキスしようとすると、いつも心臓がドキドキして止まらなくなるんだから!」


 ……おかげでわたしが苦労して選んだ勝負服の上着は、もう十枚以上彼の流血で台無しにされてしまっていた。

 せめて、来週着る予定の真っ白なウェディングドレスぐらいは無事でいて欲しいものである。

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[良い点] 発想だけでなくオチが効いてて好きです。
[良い点] 面白かった! ホラーかと思ったらコメディーだった! 助けられた女の子=「わたし」だと一瞬思ったけど、彼女って言ってたから違った。残念。 でも最後のオチ好き [気になる点] 結婚したら普段…
[良い点] どうしたんですか陸さんwwwww [一言] 突っ込みながら読んで、オチでニンマリしてしまった(´∀`*) いいじゃないか、真っ赤なドレス! あたかも咲き誇る深紅のバラの如く夥しい流血が祝う…
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