第5話 Bクラス
彩雲学園のクラスはそれぞれのレベルに合わせた授業を行うために、レベル別に分けられている。
それを知っていたからこそ、護は合同授業の意味がわからなかった。
体操着に着替えた護と峻は、他の生徒より少し遅れて屋内実習室に入った。
ドーム状の屋内実習室には2つのクラスの生徒がおり、来たばかりの護と峻にもわかるほど。
「揉めてるな……」
「揉めてるねぇ」
護はため息を吐き、峻は事態を楽しむように笑った。
「今回はどこにポジションを取る気だ?」
「護の後ろかな。背中は任せろっ」
ガッツポーズでそう峻は護に答えた。
あくまで自分から動く気はない峻のブレない姿勢に感心しつつ、護は揉めている原因を探した。
BクラスとFクラス。
互いの先頭にいる人間たちが激しく口論をしている。
Bクラスの先頭にいるのは護と同じくらいの背の少年。短めの黒髪をツンツンと尖らせている。
一方、Fクラスの先頭にいるのは、茶色の髪をポニーテールにしている勝気そうな少女。
「あんな子、Fクラスにいたか?」
「あの子は三原理緒ちゃん。Bクラスの女の子だなぁ。強気で可愛いっていいよなぁ」
「BクラスとBクラスが言い合いをしてるのか?」
「みたいだなぁ。しかし、理緒ちゃんのあの勝気そうな目……グッとくるなぁ」
クネクネと体をよじる峻から2歩ほど距離を置いて、護は理緒と言い合いをしている男子生徒を見た。
手には四角い棒状のギアが握られており、微かだがそのギアからは魔力が漂っていた。
魔力の残滓があるということは、男子生徒が魔術を使ったということだ。
自慢でもしたかったのか、それとも口論の末に使ったのか。
どちらにしろ、今、言い合いをしているのは魔術を使ったせいだろう。
「授業開始までどれくらいだ?」
「あと5分ってところ。自主的に魔術の訓練をするのは別に違反じゃない。それが目的でみんな早めに集まってるんだからな。力づくで止めるのは無しだぞ?」
「なんで俺が止めること前提なんだよ?」
「え? 止めないの?」
意外そうな表情を見せた峻に対して、護は肩を竦めた。
「厄介ごとに進んで首を突っ込むのは御免だ」
「昨日は率先して首を突っ込んだじゃん」
「あのときと今は状況が違うだろう? 今はどうみても学生の喧嘩だ。危なくなったら止めるけど、言い合いに干渉する気はないよ」
「なるほど。美咲嬢は特別というわけだな」
その言い方には語弊がある。
そう思い、護は否定を口にしようとして、やめた。
ニヤニヤと笑う峻を見て、何をいっても無駄だと感じたからだ。
護は仕方なく、話を別の方向に移すことにした。
「しかし、よく魔術を使ったってわかったな?」
「うん? まぁ、これでも“刻印師”志望だからさ。ギアの状態を見れば、魔術を使用したかどうかくらいはわかるんだ」
峻の口から意外な言葉が出たことに護は驚いた。
そんな護の反応を見て、峻は苦笑した。
「意外?」
「正直、な。刻印師は一流の魔術師になるよりも更に難しい」
護は腕につけている黒い腕輪型のギアをチラリと見た。
そのギアを製作したのはアストリアの兵器開発や最新技術の研究を一手に引き受けるアストリア技術局。
外面は一般人でも入手可能なギアと変わらないが、その内部には最先端技術がつぎ込まれている。
さすがにリリーシャが預かっている、サー・ドレッドノート用に試作技術がつぎ込まれたギアと比べれば性能では劣るが、それでも破格の性能を有している。
ギアも、中にセットされているラピスも。そしてラピスに刻まれている術式も。
ギアの役目はラピスに魔力を効率よく送り込むこと。
だが、なにも手を加えていないラピスに魔力を送り込んでも、魔力が放出されるだけで終わってしまう。
魔術とは、ラピスに魔法で使われる術式を刻むことで成立する。
そのラピスに術式を刻む者を刻印師と呼ぶ。
しかし、ラピスに術式を刻むというのは、それだけでいくつもの技術と膨大な知識が必要な行為である。
ラピスが豊富に採掘されるアストリアとは違い、日本はラピスの採掘量が少ない。
ラピスが貴重であるが故に日本政府は刻印師になるために、難関の国家試験を設けている。
それに挑戦すると峻は言っているのだ。
実際に刻印師の作業を見たことのある護としては、あまりオススメできない選択だった。
「大変だぞ?」
「平気平気。オレは根気強いからね」
難しい術式を刻む作業は、下手をすれば数週間にも及ぶ。
わずかな術式のズレや刻む術式の深さで効果は雲泥の差が出る。
ゆえに刻印師は重要なのだ。
一流の魔術師を何人も確保するよりも、二流の魔術師を何人も一流にすることができる刻印師を確保するほうが、国家としては大切であり、重要だ。
「まぁ、オレの話はいいじゃないの。向こうはヒートアップしてるし」
峻はそういって、言い争いを続けている2人を指差した。
護と峻たちは言い争いを続ける2人からは10メートル以上離れた位置にいた。
それでも聞き取れるくらい、2人は大きな声で言い合いをしている。
「いい加減に謝んなさいよ!!」
「俺は謝るようなことはしてねぇ!!」
謝罪を求める理緒に対して、男子生徒はそう怒鳴り返した。
護は口論をする2人ではなく、理緒の後ろのいる黒髪の少女を見た。
セミロングの黒髪に優しげな印象を与える顔立ち。
理緒とは対照的ではあるが、整った容姿といえるだろう。
しかし、その顔に浮かぶ表情は怯えと困惑だった。
「峻。あの子……」
「今井桜ちゃん。Fクラスの子だよ。あの子にちょっかいを出して、理緒ちゃんが怒ったってところかな? 桜ちゃんは保護欲をくすぐる子だし、守ってあげたい気持ちはわかるなぁ」
「じゃあ、守ってきたらどうだ? どっちもギアを構えてるぞ?」
男子生徒も理緒もそれぞれのギアを構えて、いつでも魔術が使えるような状況になっていた。
周りにいたほかの生徒たちは身の危険を感じたのか、距離を置き始めている。
「そういう荒事はオレには向かないからさ。頼むよ」
スルスルと足音も立てずに、護の背中側に回り込んだ峻がそういった。
護はその言葉に小さく頷いた。
どちらも魔力が高まってきている。
魔術を使うのは時間の問題だろう。
問題は、理緒の後ろに桜がいる点だった。
桜はギアを使う素振りを見せていない。
万が一、魔術が流れた場合は怪我をしかねない。
仕方ない、とため息を吐きながら、護はゆっくりと理緒と男子生徒の間に立った。
理緒も男子生徒も驚くというよりは、眉を潜めた。
「……だれよ。あんた?」
「Fクラスの結城護。別に俺は2人が喧嘩するのは構わないんだが……目の前で怪我人が出ると面倒だから止めさせてもらうよ」
「あん? 止めるだぁ? F風情がなに言ってんだ?」
男子生徒が怒りの表情を浮かべた。
自身がなめられていると感じたからだ。
しかし。
「とりあえず、後ろの君は離れた方がいい。君が一番危ない」
護は背中側から発せられた男子生徒の声を無視した。
護は、あきらかに防御の術を持たない桜を、この場から離れさせることが最重要だと考えていた。
もっと言えば、争う2人にはほとんど興味を示してはいなかったのだ。
「それはできない相談ね。桜はさっき、そいつから攻撃を受けかけたのよ……!」
「ちっ! 当ててないだろうが!」
「わざわざ桜の近くで魔術を使ったじゃない!? 当てる気がなくても害意があったとしか思えないわよ!」
「俺の近くにいるほうが悪いんだよ! だいたい、あんな程度でビビる奴なんざ、そもそも魔術師に向いてねぇんだよ!」
「あんたねぇ……もう土下座しても許さないわよ!」
理緒の腕が帯電し始める。
それを見て、男子生徒も持っていたギアに魔力を込め始めた。
内心で舌打ちしつつ、護は双方の魔術を分析し始めた。
理緒の腕にはバチバチと電気が集まっている。
性質変換系の魔術なのは間違いはなかった。
通常、魔力は魔力として扱われる。魔力の弾丸や、魔力のバリアなど、その他に変換はしない。
それは性質変換には向き不向きがあるからだ。基本的に、普通の魔術師は性質変換には向かない。
しかし、性質変換系の魔術の方が得意な者もたまにいる。
そういった魔術師は、魔力を火や氷、電気などに変換して扱う。
理緒がそのタイプであることは間違いはなかった。
性質変換された魔術は、人体にダメージを与えることに関しては、普通の魔力攻撃よりも優れている。
理緒の腕に溜まっている電撃を食らえば、痺れるだけでは済まないだろう。
一方、男子生徒のギアからは魔力の刃が伸びていた。
魔力刃と呼ばれるタイプの魔術だ。
魔力刃には、ただ単に刃を魔力で作るタイプのものもあれば、魔力を圧縮して密度を高めるタイプもある。
男子生徒のモノは後者だった。
しかし、魔力刃はあくまで近接戦闘用。
護が間に入っており、しかも理緒との距離は6、7メートルはある。
魔力を圧縮系の魔力刃は刃を伸ばしたり、変化させたりすることには向かない。
この距離でどう攻撃する気なのか。
その疑問が浮かんだと同時に、すぐに護は答えにたどり着いた。
アストリアの騎士の中で最強といわれるサー・ブレイク。
彼が得意とするのは斬撃。
剣から放たれる斬撃だけですべてを壊してしまう、斬壊の使い手。
ゆえにサー・ブレイクの名を受け取った。
彼の斬撃は自由自在。
変化もすれば、飛ぶことだってある。
つい最近、飛ぶ斬撃で拠点から出てきた魔法師を一瞬でバラバラにしたのを思い出した護は、かすかに気分が悪くなった。
嫌なことを思い出させてくれる。
そう思いつつも、護は両者の魔術を防ぐためにギアに魔力を送り込んだ。
ギアに複数のラピスがセットされている場合、魔力を送り込むラピスを選択する必要がある。
選択方法はギアにあるボタンを押すか、あらかじめギアに設定してあるトリガーを引くか、のどちらかだ。
前者はただボタンを押すだけだが、戦闘中は一々操作をしていては、間に合わない場面も多い。
よって、戦闘中は後者のほうが多く使われる。
ギアに設定してあるトリガーというのは大きく分けて2つ。
音声認識の“コマンドトリガー”と、動作認識の“アクショントリガー”だ。
どちらも使用者が魔力を送り込むことでセーフティーが解除される。
音声認識はどんな言葉でも構わないが、ラピスに魔力を送り込んだあと、発動した魔術のコントロールは術者にある。
正確なコントロールには、発動している魔術の正確なイメージが必要であり、コマンドトリガーにはイメージがごちゃごちゃにならないように、魔術の名前が使われることが多い。
護は両者がコマンドトリガーを呟くのがほぼ同時であるのを見て、発動する予定のプロテクションの位置を調整した。
≪ライトニング≫
一瞬だけ早く、理緒の手から電光が放たれた。
それを迎え撃つように、男子生徒がギアから伸びた魔力刃を飛ばした。
≪アーク・スラッシュ≫
弧を描く斬撃が飛ぶ。
電光も斬撃も護から微かに外れたコースを辿っている。
さすがに無関係の人間を巻き込む気はないようだ。
しかし、頭に血が上っているのには変わりなく、どちらも人に向けて放っていい威力を超えていた。
≪プロテクション≫
護は2枚の魔力のシールドを生み出し、電光と斬撃が衝突する前に受け止めた。
プロテクションは単純な魔力防壁を作る魔術ではあるが、それゆえに応用力は高い。
使い慣れている護は、ラピスに形状を固定する術式を刻んでいない。
そのため、プロテクションの形状を毎回毎回イメージして展開する必要性があるが、全方位や単一方向のシールドへと自在に変化させることができる。
基本的に発動する魔術の規模や数は、術者が送り込んだ魔力次第であり、今回はちょうど2枚分の魔力を送り込んで、護は2枚のプロテクションを同時展開した。
電光と斬撃。種類の違う攻撃に対して、それぞれを受け止められる程度の防壁を用意する。
この場にいる誰もが、その技術の難しさには気付かなかった。
護は男子生徒の斬撃がかすかにブレているのを見て、プロテクションの位置をずらした。
もともと、圧縮した魔力刃を飛ばすのは高等技術であり、魔術の性質上、繊細なコントロールは難しい。
上手くコントロールできるだけの力があれば、Bクラスにはいないか、と1人で納得した護は、霧散する斬撃と電光を見ながら、ため息を吐いた。
魔術が当たりそうになった。
わざとじゃない。
今もコントロールを失った。
以上のことを踏まえれば、男子生徒が魔術のコントロールに失敗したのは明らかであった。
加えていえば、わざわざ近くで魔術を使用したのは。
「いいところを見せたかったからか……」
小学生か、と思いつつ、護は呆然としている理緒と男子生徒に忠告した。
「これ以上やるなら、力づくで止めるぞ?」
「……」
「っ! ふざけんな! 一度止めたくらいでいい気になるな!」
「コントロールできない大技を使っている奴にいわれたくはない」
真っ直ぐ男子生徒を射抜くように見ながら、護はそういった。
男子生徒は図星をさされたせいか動揺し、他の者は意味が理解できていなかった。
男子生徒が護を睨みつけ、護はそれを当たり前のように受け止めた。
しばらく、その状況は続いたが、長くは続かなかった。
「さてと、これはどういう状況だ? 小学生でも授業の開始時間になったら整列するぞ?」
松岡が呆れた表情で現れたからだ。
松岡の横にはBクラスの担任と思われる若い男性教師もおり、その視線は厳しい。
「結城。なにがあった?」
「彼らが“口論”をしていたので止めに入っていました」
「“口論”ねぇ」
松岡は辺りに漂う魔力の残滓を感じ取りながら、そう呟いた。
教師からすれば嘘だとすぐにわかる状況だった。
しかし、松岡は笑って護の言葉に頷いた。
「口論で済んでよかった。魔術で相手を攻撃なんてしていたら、罰則を与えなきゃだからな」
「松岡先生!?」
「口論ですよ、白井先生。高校生といっても子供です。口論くらいしますよ」
そういって松岡は白井を宥めに掛かった。
護はその様子を見て、男子生徒に近づいていく。
そして小声で声をかけた。
「あとで謝罪しておけ。故意じゃなくても危険に晒したのは事実だ」
「……なんの話だよ……」
「故意に魔術を自分に向けた男よりも、コントロールミスで怪我させそうになった男のほうがマシだと思うぞ? 大差はないかもしれないけど、小さな差でもデカイだろう。もしかしたら、自分の過ちを認められる男だと高評価を貰えるかもしれない」
「っ!? お前……!」
「お前じゃない。結城護だ。じゃあ、せいぜい勇気を振り絞れよ。斬撃君」
護はそういって、自分の名前を告げると、男子生徒に背を向けた。
その背に男子生徒は自分の名を名乗った。
「高原雄介だ! 次はお前の防壁なんか吹き飛ばしてやる!」
「だから、結城護だっていってるだろうに……」
護はそう呟きつつ、松岡が集合をかけている場所に向かった。