第4話 カフェテリア
2052年4月7日。
日付が変わったばかりの頃。
彩雲市のビルの屋上に2人の男がいた。
1人は体格のいい強面の男。髪と瞳の色は茶色。
もう1人は、強面の男とは対照的な優男。髪は金色で瞳は青。
身長は強面の男が190センチ以上の長身に対して、優男は170センチほど。
どちらも日本人とは違う顔立ちだった。
「首尾は?」
「上々といっておきましょうか。これまでに4人を確保しましたから、もう1人くらい攫えば、そろそろ動き出すかもしれませんね」
強面の男の問いに、優男は微笑を浮かべながら、眼下の彩雲市を見下ろした。
「俺は未だに理解できん。生徒を攫うのに、わざわざこんな回りくどい真似をする必要があるのか?」
「今回の目的は魔力を多く有する人間を確保すること。前線に出てくる魔術師を確保するのは難しいですし、狙いはまだまだ未熟な子供たち。けれど、あの彩雲学園にいる教師たちは、アストリアが派遣している一線級の実力者。いくら赤腕のローガンといえど、強行突破をするのは無謀です」
「無謀か。やってみなければわからんだろう?」
強面の男、ローガン・シュバルツは肉食動物に似た獰猛な笑みを浮かべた。
優男、リッツ・フィクサーはその笑みを見て、微かに冷や汗を流した。
「……作戦を台無しにするのは勘弁していただきたいですね。特尉」
「作戦には従う。しっかりと必要なだけの人数を確保しよう。だが、そこにオマケがついても構わんだろ?」
「どういう意味ですか?」
「あの学園には膨大な魔力を持つ者たちがいる。雑魚をいくら釣ろうと、大物には勝てん」
リッツはローガンの言葉を聞いて、目を細めた。
「十三名家の者を狙う気ですか? 子供といえど侮れませんし、捕らえることができたとしても、逃げるのが難しくなります」
「追っ手など蹴散らすのみ。この国の魔術師など、いくら出てこようと問題ではない」
「アストリアの騎士が出てきた場合はどうするおつもりですか?」
「ありえん。ホールを攻撃するわけじゃないからな。騎士もそこまで暇ではないさ」
ローガンの言葉を聞いて、リッツは内心でため息を吐いた。
作戦遂行のためにA級魔法師の増援を要請し、やってきたのは戦闘狂として有名な赤腕のローガン。
手間をかけて日本に密入国させたというのに、暴れて正体が発覚すれば全てが水の泡になる。
「軽率な行動は謹んでください。今回の作戦の指揮官は私です」
「重々承知しているさ。少佐殿」
ローガンはそういうと、離れた場所にある彩雲学園を見て、薄ら笑いを浮かべた。
それは捕食者が獲物を見つけたときに浮かべる笑みに見えて、リッツは胸騒ぎを覚えた。
◆◇◆
昼。
護は峻と一緒にカフェテリアに来ていた。
昨日の騒動は、男子生徒の3日間の停学で解決した。
他ならぬ美咲が大事になるのを嫌がったからだ。
護と峻は、教師を呼ばなかったことについては軽く注意を受けたが、美咲の事情説明のおかげですぐに帰ることができた。
停学理由も魔術の違反使用ということになり、魔術学園としてはよくある停学理由で収まった。
おかげで嫌な形で注目を集めることもなくなり、護はほっとしていたのだが。
「どうしてもっと大々的に公表してくれないんだぁ~」
「またそれかよ……。今日で3度目だぞ……」
「護は悔しくないのかっ!? 美少女を悪漢の手から救ったのに、オレたちは賞賛すらされないんだぞ!?」
「悔しくないし、そもそもお前は何もしてないだろう……」
「なんてことを!? いざとなれば九条さんを連れて逃げれるように、オレはお前の後ろで絶妙なポジショニングをしていたのに!」
それは俺を盾にしていただけじゃないのか、という言葉が喉まで出かかったが、それをいえば、また適当なことをいうのが目に見えていたため、護はその言葉を飲み込んだ。
峻を相手にしていては、食事の時間がなくなると判断した護は、空いていた4人掛けの席に持っていたトレイを置いた。
「お前のポジショニングについては、あとでゆっくりと聞いてやる。だからとりあえず座れ。カフェテリアはただでさえ混むんだから」
護は峻にそう呼びかけながら、徐々に増え始めた生徒をみて、げんなりとした。
彩雲学園のカフェテリアは広い。
けれど、それ以上に利用客のほうが多いのだ。
寮に暮らす生徒は、お昼は寮生用の食堂で食べるか、カフェテリアで食べるかの2択しかない。
しかし、大半の生徒はカフェテリアで食事をする。
単純に校舎から近いからだ。
おかげでお昼時のカフェテリアは戦場になり、席を取れなかった者たちは購買でお昼を買うことになる。
護たちのクラスは、担任である松岡が気を利かせて、お昼前の授業を早めに切り上げるため、今のところカフェテリアの席争奪戦に巻き込まれたことはなかった。
もっとも、護たちがカフェテリアに来たときですら、席の大半は埋まっているのだが。
「毎度毎度、人が多いなぁ。オレ、今度から弁当にしようかなぁ」
「家から通っている奴はそういう選択肢もあるな。で? 弁当作れるのか?」
「無理。オレは姉貴と2人暮らしだけど、姉貴は料理できないし、オレも朝起きる自信はない」
そう言ったあと、峻は何かを思いついたように手を叩いた。
その顔を見て、碌なことじゃないなと察した護は、あえて峻に触れなかった。
しかし、峻は護が質問してこないのをみて、自分から話を切り出した。
「いいこと思いついた」
「……」
「いいこと思いついた」
「……」
「いいこと」
「わかったよっ! 聞くよ! なんだよ……?」
箸でからあげ定食のからあげを1つ摘みながら、護は呆れたように峻の思いつきについて聞いた。
峻は護が食いついたことにニンマリと笑みを浮かべて、自分の考えを披露した。
「お弁当を作ってくれる彼女を作ればいいんだ!」
「んなこったろうと思ったよ……」
「というわけで、護。オレと一緒に放課後、美女ウォッチに出かけようじゃないかっ」
楽しそうに提案する峻をみて、護はため息を吐いた。
美女を見つけたとして、知り合いになれるかわからない、や、知り合いになれても彼女にするまでどれだけ時間が掛かるのか、などといった峻の夢を打ち砕く言葉が脳裏に過ぎるが、それよりも護には言いたいことがあった。
「お前は懲りるって事を知れ。昨日、俺はお前に付き合ったせいで、面倒事に巻き込まれたんだぞ?」
「日常にはアクセントが必要だろう?」
「アクセントじゃなくて、あれはアクシデントだ! だいたい、俺は十三名家の人間と関わる気なんて……」
護はから揚げを口に放り込み、なんとなく左側を向いた。
そしてある少女と目が合ってしまった。
トレーを持ち、席を探していた美咲だ。
目が合った瞬間に、目を逸らしていれば、向こうに気付かれずに済んだかもしれない。
しかし、あまりにタイミングの良い登場に、護は意表を突かれ、目を逸らせなかった。
昨日のこともあるため、他人の振りをするのも気が引けた護は、ぎこちなく片手をあげると、視線を峻に向けて。
頬を盛大に引きつらせた。
「九条さん? 護が九条さんとお昼を一緒にしたいって言ってるんだけど、どうかな?」
峻は護が視線を逸らした隙に席を立ち、美咲に近寄っていた。
ビックリする美咲に対して、峻は軽い言葉をマシンガンのように投げかけ、ついには持っていたトレーを奪ってしまった。
「あの馬鹿……」
昨日、男子生徒に襲われかけた少女になんてことを。
デリカシーがないのか、それともわかっていてやっているのか。
たぶん後者だろうな、と護は思いつつ、両肩を力なく落とした。
「護、護。美少女を連れてきてやったぞ~」
「俺が望んだみたいな言い方はやめろ!」
「え~、馴れ馴れしく手をあげて挨拶してたじゃんか」
「えっと……結城君。ご一緒しても大丈夫ですか?」
本人がいる以上、露骨に拒むわけにもいかず、また、美咲も席がなくて困っている様子だったため、護は仕方なく頷いた。
それを見て、峻は自分の隣の席にトレーを置いたが、美咲は置かれたトレーを持って、護の隣に移動した。
「失礼しますね?」
「いや、いいけど……」
目の前で死んだ魚並に目の輝きを失っている峻をみて、護は歯切れの悪い返事しか返せなかった。
「美少女が逃げてった……」
「え? あの、すみません。気分を害してしまいましたか? 左利きのようだったので、右利きの私が隣に座るのは悪いかと思いまして……」
護は美咲の言葉を聞いて、峻が箸を持つ手を見た。
たしかに左利きで、右利きの美咲が峻の左隣の席に座るのはまずい。
自分が避けられたわけではないとわかった峻の目に、見る見る光が戻ってきた。
「そうなんだぁ。九条さんってよく見てるなぁ」
左利きを当てられたことがよほど嬉しいのか、峻は体をくねらせて喜びを表している。
しかし、護は隣で美咲はホっと息を吐くのを見逃さなかった。
峻の左利きの話は咄嗟に思いついた言い訳で、やっぱり避けたというのが本音なのだろう。
昨日の今日だ。仕方ないというよりは、当たり前か、と護は思うことにして、あえてそこには触れなかった。
「昨日は俺たちの弁護ありがとな。助かったよ」
「いえ、助けていただいたのは私のほうですから。お礼をいうのは私のほうです。ありがとうございました」
美咲はそう丁寧な口調でお礼をいうと、頭を下げた。
「気にしなくて大丈夫だよ。九条さんのためなら、いつでも助けにいくからね!」
「なんでお前が答えるんだよ……。ポジショニングで頑張っただけだろう?」
「あ! 馬鹿にしたな!? 俺のポジショニングがあればこそ、あの先輩は隙を見せたんだぞ!?」
「いや、どう考えてもあの先輩の自爆だろう」
「違う! 護はオレの勇姿を見てないから、そんなことをいうんだ!」
そりゃあ、俺の後ろにいたからな、と思いつつ、護は横で美咲がクスクスと笑っていることに気付いた。
「そんなに面白かったか?」
「はい、とても。仲が良いんですね、2人は」
「そうです! オレと護は仲良しなんです!」
調子の良いことをいう峻を見て、美咲は笑みを深めた。
そして峻と護の顔を交互に見てから、少し改まって自己紹介を始めた。
「改めまして、私は九条美咲といいます。お名前を窺ってもいいですか?」
「……護」
「わかったから名乗れよ……」
喜びのあまり目に涙が浮かんでいる峻は、護に握手を求めてきた。
面倒そうにその握手に答えつつ、護は峻を促した。
「あー、えー、護のクラスメイトで矢上峻といいます。よろしく」
峻の自己紹介を終えたあと、美咲が何かを求めるように護をじーっと見つめた。
一瞬、間をおいて、自己紹介を求められていることに気付いた護は、困惑した表情を浮かべた。
「俺は必要ないだろう……」
「名前は大丈夫です。けど、出身地とか得意なこととか、色々あるじゃないですか」
「そっちだって言ってないだろう?」
「結城君が話してくれたら言いますよ。そうですよね、矢上君」
「ええ! そのとおり! 早く言え!」
もう峻の扱い方を心得た美咲に苦笑しつつ、護は自分の出身地や特技など、当たり障りの無いプロフォールを語った。
そんな護を美咲は注意深く観察していた。
美咲には、護が普通の生徒には思えなかったのだ。
男子生徒を捕らえたときの手並みや、その前に行った攻撃。
普通の高校生が身につけているスキルではないというのを、美咲は漠然と感じ取っていた。
美咲はこれまで、同年代の多くの優秀な若者たちと接してきた。
その中には魔術の腕に秀でた者もいれば、体術に優れた者もいた。
だからこそ、美咲はそれなりに自分の知識には自信があった。
けれど、そんな美咲でも、ただ掌を押し込むだけで相手に膝をつかすような技術は知らなかった。
十三名家の跡取りたちでも会得していない技術。それを使えるだけでも、美咲が護に興味を抱く理由は十分だったが、もう1つ、美咲には護を気にする理由があった。
十三名家の筆頭である九条の息女。
美咲に接する人間で、この肩書きを意識しない者はほとんどいない。
同年代では皆無といってもよかった。
ここ最近はテレビへの露出が増えたせいで、その傾向は更に強まっていた。
だが、護は意識こそしてはいても、それを態度に出すようなことはしなかった。
対等に接してくれる少年。
それは美咲にとっては無視できない要素であった。
だから、美咲は護の技量の高さに疑いを持ちつつも、距離を取ることはしなかった。
「結城君、矢上君。よければ……私と友達になってくれませんか?」
「よろこんで!」
「即答かよ。まぁ、断る理由は……なくもないけど、まぁいいよ。友達くらいならいくらでもなるよ。九条は友達少なそうだし」
遠慮のない言葉に美咲は目を何度も瞬かせた。
そんな美咲に対して、護は笑いながら指摘する。
「早く食べないと置いてくぞ。俺たちは次は実習だからな」
「実習? どこでですか?」
「屋内実習室」
「あー、なるほど。合同でやるクラスはF組だったんですね」
「……どういう意味だ?」
「Bクラスも実習室を使うようですよ。急遽決まった合同授業だそうですね」
美咲は柔和な微笑みを浮かべて、そう告げた。