駄菓子屋の守護霊
そういや昔、こんなことがあった。
――三十年以上前の、ある夏の日のことだ。俺は当時中学三年生で、ヤンチャ盛りだった。その日も学校をサボって、友人の円谷陽一――ヨッチャンと二人して、街をブラついてた。
……つっても田舎町だ。遊ぶとこなんていったら駅前のの大きなスーパーか、商店街。あとは山か、川くらいしかない。その日、俺たちは小腹が減り、いつもの駄菓子屋に向かった。ちょうど三時くらいだったと思う。
俺が店内で駄菓子を物色し、顔なじみのばぁさんに会計をやってもらっていると、外からガチャチャン、なんて音がした。(あぁ、ヨッチャンまた“ガチャガチャ”やっとんな……)俺は咄嗟にそう思った。中三にもなってガチャガチャをやる奴なんて当時はいなかったのだが、ヨッチャンは何故かソレが好きだった。ここに来れば、いつも回していたのだ。
「……ああァーッ! またダブった!」
店先に出ると、ヨッチャンが言った。手のひらには開いたカプセルと、肌色のゴムをこねくり回したようなフィギュアが乗っている。
「おゥ。どれどれ……」
見れば、見覚えのあるものだった。俺の覚えている限り、それを見るのは三回目だった。俺が覚えているだけでそれなのだから、実際はもう何個か、同じのを持っているのだろう。
「どれが出てねェんだっけ?」
「これと……これ……」
俺が言うとヨッチャンはガチャガチャ台のパッケージを眺め、まだ出ていないものを指差す。……どうやら、全て集めないと気が済まないらしい――。
*
「……マッチよォー。おかしいとは思わねぇか?」
「……何がぁ」
俺たちは近くに流れる川にいた。いつもお決まりの岩に腰をかけ、制服のズボンをまくって、両素足を流れる水に浸していた。側には駄菓子屋で買った菓子があり、それをちょっとずつ食べながらその川で涼むのが、いつもの流れだった。
――ちなみにマッチとは、町田健吾。俺の呼び名だ。
「ガチャガチャだよォー。俺、何回回してっと思ってんだよォー」
ヨッチャンはイカの“ゲソ”を延々と噛んでいる。そして、川の流れを脱力した様子で見つめながら、ぼんやり話す。
「……そろそろ全部出てもいいんだよなァー。オカシイぜ、ありゃー。あのばぁさん、きっとズルしてんだ」
……そんな訳ゃあないだろう。そう思いつつ、アァ、と適当に相槌を打つ。
「……あそこの駄菓子屋よォー……。夜閉店したあと、“ガチャガチャ”の台、しまわねェーんだよなァ……」
フッ、とヨッチャンの方を見る。ヨッチャンも、俺を見ていた。
「……なに考えてんだよ」
言いながら、俺はニヤけるのを抑えられなかった。なんだかヨッチャンが、アホなことを考えている。そんな予感がした。
「……俺もそんな“ワル”じゃあねぇんだよ。ただ、“ガチャガチャの台を開けて、俺がまだ出してない『アレ』と『アレ』を頂戴して、代わりに『コイツ』を入れといてやる”。それだけさァ」
ヨッチャンはニヤニヤしながらポケットから、さっきガチャガチャで出た“何体目かのダブり”を手のひらに乗っけて、こちらに見せた。
――俺は喉を鳴らしてクッ、クッ、クッ、と笑った。ヨッチャンはウッ、ヒッ、ヒッ、ヒッ、と笑った。
川の両岸の木々がざわざわと揺れて、蝉は五月蝿いくらいに鳴いていた。俺は何故だか、ワクワクしていた――。
*
――その日の夜。一旦家に帰った俺たちは、再び集まった。いつもの川の橋の上に、夜の一時。時間きっかりに、ヨッチャンは現れた。自転車のカゴには、“バールのようなもの”が入っていた。いや、正真正銘、“バール”だ。
そして自転車を漕ぎ、駄菓子屋へ向かった。昼間の暑さは和らぎ、優しい風が俺たちを撫ぜた。あんなに騒がしかった蝉たちも、夜になると黙り込む。街は暗く、眠り込んだように静かだ。そんな街中を、たった二人で突っ切った。何もしていないのに、笑いがこみ上げてくるような、そんな堪らない気持ちだったのを、今でも覚えている。
駄菓子屋に着くと、物音を立てずに自転車を停めた。ヨッチャンが笑いを堪えながら、人差し指を前に持って行ってシーッ、とやる。わかった、わかった、と頷いて、お目当てのガチャガチャの台を前にした。
店は閉まっているというのに、やはりその“台”は表に出たまんまだった。なんとも無防備というか――“台”が重いので、ばぁさんはそのまんまにしているのだろうと推測した。腰の曲がったばぁさんが、毎日店を開け閉めするたびにこれを出したり閉まったりするのは、確かに大変だろうと思う。
「よし、やっか……」
右手にバールを持ったヨッチャンが、台に近づく。
「……なぁ。開けといて、そのお目当てが無かったら、どうする」
俺がふと疑問を口にする。“台”の蓋を開けてから探すというのか。……ならば中のカプセルを、一つ一つ確認しなくてはならない。――正直に言うと、俺は急にビビり出していた。ことを済まして、早急にその場を離れたいと思ったのだ。
「……それもそうだな」
俺たちはその後少しだけ話し合い、まず中に入っている無数のカプセルを“台”の外から確認し、お目当てのものを見つけてから蓋を開けようと決めた。俺は持ってきていた懐中電灯をヨッチャンに渡すと、「俺は辺りを見回ってくるから」と言って、その場を離れた。
寝静まった街は、まるで時を止めた世界だった。動くものは何もなく、音をたてるものもなかった。普通ならばそれで安心するところだが、俺は逆に無性に不安が掻き立てられていく思いだった。空を見上げれば濃い雲の向こうに満月があって、ちらちらとその姿を覗かせている――。
「ウッワ!」
背後で、ヨッチャンの声が弾けた。俺は肩をビクリと震わし、ヨッチャンの元へと戻る。
「何やってんだよ!」
俺が小声で言った。ヨッチャンはぶるぶる震えながら、ゆっくりこちらを向く。懐中電灯とバールを胸に抱きかかえる形になって、その怯えた顔を下から照らしていた。
「か、帰ろう……」
「ハァ⁉︎」
俺がそう言うと、ヨッチャンは懐中電灯を差し出してきた。そして、言うのだ。「これで、あの台の中を覗いてくれ……」と。
訳もわからないまま、俺は“台”の中を覗いた。ヨッチャンも大きな声を上げてしまったし、帰るなら帰るでいいのだが、その怯える理由をどうしても確かめずにはいられなかったのだ。
“台”の中を覗く。中には半分くらい、カプセルが埋まっている。懐中電灯の光を照らすと、中のソレが反射してキラキラ光った。それらの中には肌色の、ゴム製のフィギュアが入っている。これのどこが――。そう思った時だった。
目があった。ガチャガチャの“台”の向こう側から――歪んだ透明のプラスチックの向こうから、誰かが覗いている。
小学校低学年くらいの男の子だった。白い肌に、眉にかかった前髪。つぶらな瞳が、俺を見ているのだ。
「アワァァア‼︎」
俺が叫ぶと、ヨッチャンが「マッチ!」と俺を呼んだ。ヨッチャンは自転車にまたがり、道路の向こう側を指差す。すると、向こうから一筋の光が射した。これまた恐ろしい存在――“おまわりさん”だ。
「コラァッ! なにやってるっ!」
俺は懐中電灯を消して自転車に跨ると、全力でペダルを漕いだ。ヨッチャンも俺に並び、二人一緒に逃げた。途中「いつものところで!」と言い、二手に別れた。おまわりさんは一瞬どちらを追うか悩み、その判断の遅れのせいで俺たちを取り逃がした――。
*
いつもの川を眼下にして、橋の上で俺たちは肩で息をしていた。見上げれば、綺麗な満月が輝いていた。気付けば雲は、どこかへ消え失せていた。
俺たちは黙って、ただ川を見ていた。ヨッチャンは一度だけ、
「……あの子、あの駄菓子屋が好きだったのかな」
と言った。
夏の夜は涼しく、汗はすぐに乾いた。
――夏の夜風に当たると、いつもこのことを思い出す。