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先にシャワーを浴びた俊也はバスタオルで髪を拭きつつ、交代でバスルームに入った大吾が浴びるシャワーの水音を聞いていた。
閉じた瞼の裏に、最後に見た大吾の広い背中を思い出しながら考える事はこの先の事。
シリルの時と違い、嫌悪感は微塵も無かった。それどころか今までに感じたことが無いほど、感情が昂ぶって快感に溺れてしまっていた。
そして、最中さえも端々に大吾の優しさに気付く。
だからこそ、自分の気持ちを試すなんて、確認する為に抱かれるだなんて、大吾を利用するようで酷い行為だと罪悪感を感じていた。
負い目があるからこそ、自分の心がどこにあるのかが分からない。
身体の快感に流される事を拒否する理性が、心の落ち着き場所を見失っていた。
ただ、はっきりと自覚するまでに、多少の好意と身体の快感で流されてしまうと、このまま大吾に依存しそうになる自分が怖い。
どこまでが自分の希望で、どこまでが流されそうになっているのか……抱かれた事により確認しようと思っていた目論見は外れ、余計に混乱する羽目になってしまった。
「俊也、なんか飲む……あれ?」
大吾がバスルームから出てくると、そこに俊也の姿は無かった。
小さなメモに書置きが一枚。
『わがままに付き合ってくれてありがとう。また明日店で』
「なんだよそれ……」
身体だけの関係のような冷たい言葉、心まで手にしたのかというような錯覚は脆くも崩れ去る。
「わかんねーよ」
握りつぶしたメモ用紙を、叩きつけるようにゴミ箱に投げ込んだ。
◆◇◆
翌日、大吾が店に行くと、既に俊也はキッチンで下準備をしていた。
声をかけるか迷ったが、今言わなければ一生聞けないような気がして俊也に近づいていく。
「俊也……」
「大ちゃん……昨日はごめん」
「ん……」
素直に謝罪する俊也の言葉に、つい何も言えなくなってしまう。
「勝手に帰って驚かせたよね」
「あぁ、かなりな。どうして…帰ったんだ?」
気まずそうに目を伏せた俊也がぽつりと呟くように話し出す。
「なんか……試したっていうか、自分を試すというか、確認するのを手伝ってもらったような気がして……きまずくなって」
「逃げたのか」
「……ごめん」
溜息をついて俯く大吾に、俊也の心は申し訳なさで潰されそうになる。
しかし、大吾の言葉は俊也を責める事はない。逃げたのは自分のせいなのかと不安に思う気持ちは惚れた弱味。
「俊也。俺が傷つけたなら、苦しませたなら謝るよ、嫌ならそう言って……」
「違う! 違うんだ……ごめん」
苦しそうに切なげな俊也の表情、昨日までの大吾だったら強く抱きしめていただろう、しかし、受け入れられたと思ったら突き放されるこの状況に大吾も困惑していた。
抱きしめる事は出来ない、微妙な距離感を保ったまま手を伸ばす事が出来ない。
「暫く考えたい……身勝手だって分かってるけど、もう一度今までのように……」
「分かってるよ、大丈夫」
本当は分かりたくない、大丈夫だなんて言葉は自らを助けてくれる事はない。しかし、大吾の複雑な想いは当然の事ながら伝える術を完全に失ってしまっていた。
それから数日は、いつもの変わらぬ日々が過ぎる。
以前より少しだけギクシャクする二人の関係も、1週間が過ぎると自然と柔らかくなっていった。
◆◇◆
閉店間際に来店する客にろくな客は居ない。
大吾と俊也の間ではこの日以来、そんなジンクスが浸透することになる。
閉店間際、小柄な青年が一人で来店した。
ドアを開けた瞬間、テーブルを片付けていた大吾に飛びつく。
「だーいごっ!」
「あ…朝陽……どうしたんだよ」
「テレビに大吾が出てたからさー、久しぶりに会いたくなって……迷惑?」
「いや、別に……ちょっと外へ……」
大吾が店外で話そうと促すと、その青年は大きな瞳をびっくりしたように開いて形のよい唇を尖らせた。
「えー! お茶とケーキくらい出してくれたっていいじゃん!」
「バカ、こんな閉店間際に来て言う事かよ、ラストオーダーとっくに終ってんだよ」
冷たい言葉に、頬を膨らませて言葉を発しようとした瞬間、
「知り合い? お茶くらい良いじゃない、大吾。僕が用意するよ」
キッチンから俊也が声をかけてきた。
本当のところは、この青年が店内に入ってきた瞬間から気になって仕方がない。
大吾に抱きついた瞬間を見てしまったから。
声をかけられるまで、俊也の存在に全く気付いていなかった青年が、不機嫌そうに俊也に話しかける。
「あんたが大吾の初恋の人?」
「えっ……?」
「あ、朝陽っ!」
大吾の制止を振り切って、キッチンにいる俊也の側へと小走りで向かう。
「俺、大吾と恋人だったの。でもあんたの事が忘れられないって振られちゃった」
「朝陽っ! お前っ!」
慌てて大吾が腕を掴み引きずるように外へ連れ出す。
外へ連れ出される瞬間、
「俺、大吾の事諦めてないから!」
自信ありげに叫ぶ声はいつまでも俊也の耳に残り続けていた。
10分程して、大吾が一人で店内に戻ってきた。
心なしか疲れたような表情が痛々しい。
「俊也……ごめんな」
「何も謝る事ないんじゃないの」
「朝陽は……」
「僕が聞かなきゃならないような事は何もないと思うけど」
大吾の言葉を遮って放つ言葉は氷の冷たさ。
「俊也……」
「もう片付け終わるから。お店閉めるよ」
そう言うと、大吾に背を向けて片付けを再開し始めてしまった。
◆◇◆
帰宅後、俊也は一人部屋で今日の出来事を考えていた。
大吾が自分の事を好きなのは分かっているけれど、過去の相手が気にならない訳ではない。
しかし、大吾の気持ちを100%受け入れたわけではない状態でのその気持ちは、ただの身勝手に他ならなかった。
あの様子では朝陽という青年は大吾に未練があるのだろう。
大吾も邪険にするわけではないその素振り、嫌って別れた訳ではないのだろう。二人が別れたのはいつなのだろうか。
今思えば大吾には男性の恋人がいて当然だった。
大吾に抱かれた夜、シリルばかり相手にしていた頃から考えると、それが普通だと思っていたが、男を抱くのが初めてだとして、あんなに余裕のある慣れた抱き方を出来るわけがない。
いつから付き合っていたのだろう。
そんな事は考える権利さえない。分かっているけれど、焦燥感に心のざわめきは大きくなるばかり。
彼に取られてしまいたくない、自分が大吾の傍に居たい。
今思えば、シリルに抱かれているときに度々思い出していたのは大吾の事。
フィルに惹かれたときもそう、大吾の事を考えていた。
ぼんやりと抱いていた大吾への好意、朝陽の出現という切欠が与えられた今、その想いの名前が愛情だと認識するまでそんなに時間はかからなかった。
◆◇◆
大吾も、時を同じくして考えていた。
パティシエの仕事を始めた時、就職したホテルのレストランでシェフとして働いていたのが朝陽だった。中学を卒業してすぐこの世界に入った彼は、仕事としてはかなり先輩だったが、年が近い大吾と仲良くなり、いろいろ教えてくれるようになる。
いつも屈託無く笑うその人懐っこさに、元々明るい性格の大吾はすぐに打ち解け親友といっても良い関係となっていく。
しかし、仕事場での宴会の帰り具合が悪くなったという朝陽を、近所に住む大吾が泊めることになったその日から、二人の関係がおかしくなり始めた。
ベッドに朝陽を寝かせて大吾はリビングのソファーで寝る事にしたのだが、眠りに落ちて暫くたった頃、何かが身体に触れる感覚で目を覚ます。
その光景を見て大吾は夢の中にいるのかと思ってしまった程。
大吾の着ていた部屋着のハーフパンツが膝の辺りまでずり下げられ、腰付近にくすぐったい様な感触……大吾のものに唇を這わせ、今まさに飲み込んでいこうとする朝陽の姿。
慌てて起き上がり止めさせたけれど……いつも天真爛漫な朝陽の酔って赤く染まった頬、寂しげな表情、それに絆されて抱いてしまったのが過ちの始まりだった。
もちろん関係は朝陽の一方的なもので、大吾は俊也の事を話し関係は終わる事になる。
二人の関係は3度のみで恋人になったわけではなかった。
しかし朝陽を嫌いになるわけでもない為、自分に厳しく人には優しい大吾は朝陽の事を完全に切ることが出来ないでいた。
未だに半年に一回程度、ただ一緒に食事をするような仲で続いてはいたのだが、このような強引さは予想外。俊也との関係が微妙に揺らぐ今の時期での出現に、タイミングの悪さを嘆かずにいられない。
明日、また俊也になんて言えばいいのだろう、そればかり考えて気持ちは重くなるばかりだった。
◆◇◆
その頃、朝陽は見知らぬ男性とバーで語り合っていた。
相手は外国人だったが、留学経験もある朝陽は言葉の不自由さも無く、彼の言葉ににこやかに答える。
店を出て朝陽はタクシーへ乗り込む、この先への期待に胸膨らませながら。
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