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沖田総司の恋
作:梅小路  葵



第三話









その日は少し風が強く、屯所の前を歩く人々は皆、着物の裾を揺らしながら歩いていた。

自室の障子から、ひょこっと顔を出していた沖田は空を見上げていた。

沖田の自室の近くには、ちょうど松の木がある。そこから見える江戸の空には、怪しげな雲が広がっている。

(どうしようか)

沖田は悩んでいた。医者のところへ出掛けようか、行くまいか、である。

あれから数日たって隊内は日々忙しくなっていたが、うぐいすの鳴く声は相変わらずだった。

今日は非番だったが、沖田は朝から竹刀の稽古をするわけでもなく、ただ空模様を計っていた。

先日訪ねてきた外島そとじま(会津藩公用人)から聞いたところ、屯所から一刻ほど歩いたところに、ある町医者がいるという。

そこにいって様子を見てもらえればいい、と勧められたのだ。沖田自身、正直いうとあまり医者が好きではなかったし、どうも気がすすまなかった。

けれど勧められたのだから少し行ってみようと思った沖田は、こっそり行くことにしたのである。自分の体のことに多少の不安があったのは言うまでもない。

土方、近藤にはとてもでないけれど言えなかった。心配を強いるようで、この若者にはいやだったのである。

しばらく空を見つめて案じていた沖田は、すくっと立ち上がると私服の羽織を羽織って屯所の門をくぐった。

―――どこへいく。

とは誰も聞かない。にっこりと笑って「ちょっとそこまで…」と言い残して去っていった沖田には、不安など微塵も感じられなかった。

それほど、明るくて自然な振る舞いだった。

沖田は屯所を出ると四条通りへ出た。四条通りの向こうには小さく東寺が見え、それまで曇っていた天気が急に晴れだした。梅雨前の気候とは、不安定だが…

風が冷たくないように、一枚多く羽織ってきた羽織の下は、もうすでに汗ばんでいる。

屯所を離れるにつれ、沖田の足は物憂げなものになっていく。ときどき、神社の鳥居の影になってやすんだり、茶屋で一息入れたりしながら、烏丸通からすまどおりに出た。

四条通りに面した東側の角に、大きな屋敷が二軒、隣り合わせに並んでいる。

片方が“芸州広島藩”、そしてその東隣りが“水口藩”である。

(水口藩の屋敷の東隣りの建物だと聞いたが…)

碁盤の目になった通りを歩き、ようやくそこまで来たとき、沖田は少しためらった。

(どうしようか…)

この若者は小さいころから人見知りで、未だにそういうところがある。医者嫌いというのも、これが原因のひとつでもあった。

門の前でうろうろしている沖田は、黒塗りの塀からのぞいている青葉に目がいった。

まだ若い葉から木漏れ日が漏れている。石畳に降り注いでいる陽の光を受けて、楓の葉が透き通る緑に見えた。

幼い頃を武州で過ごした沖田には、京の緑があまりにも懐かしくて、大好きなのである。思わず、武州での情景が目に浮かんできた。

そのとき、後ろで声が聞こえた。振り向くと、小さな袋を手にした娘が沖田を見ていた。

外出から帰ってきたと思われるその娘は、淡い紫陽花の柄の入った着物を着ていた。

けげんそうにこちらを見ながら、娘は沖田に話しかけた。

「あの…何かごようでございますか」

武家育ちなのだろうか、やわらく明るい言葉が沖田の緊張をほぐした。

「あ、いえ。別にそんな…」

沖田はあわてて数歩、引き下がった。医者に診てもらうつもりで来たのが、ここまで来てためらったのである。

不思議そうにこちらを見ている娘の視線から目を離すと、足元に目をやった。どう答えればいいのか、とっさに思いつかなかったのだ。

「患者です」と一言いえばいいのだが、果たして自分はどうするべきなのか、考えようとしていた。

どもる沖田に、娘も戸惑っていたが、くすりと微笑うと沖田のそばにきた。そして、門の前で戸惑う沖田に手で仕草を示した。

「―――どうぞ」

沖田は頬の辺りを赤く染めると、軽く頭を下げて門をくぐった。

小さな中庭がある。奥へと続いている石畳の上にふたつの影が映った。

「すみません。その…患者です」

さっき黒塗りの塀から見えていた柳の青葉が風に揺れている。沖田は後ろを歩いていた娘に振り返って言った。

言いそびれたのが恥ずかしかったのか、それとも娘に話しかけることが恥ずかしかったのか、沖田は少し照れていた。

娘はうつむき加減で沖田の後をついていっていたが、顔を上げると微笑って頷いた。

娘の名前を、“おふさ”といった。

縁側に面している部屋に通されると、間もなく奥から白髪の混じった老人が来た。沖田は一人で医者に来たことが初めてだから緊張した趣で座り直した。

医者は“半井なからい玄節”といい、先ほど老人だといったが歳は五十半ばだという。蓄えた白髪混じりの髪が、歳が老けてみえる第一の印象だと沖田は思った。

どんなことを聞かれるのだろうと内心、冷や汗をかいていた沖田に、半井は世間話を始めた。ゆっくりと話すその口調に、沖田は少しずつ落ち着いてきた。

他愛もない話に相槌を打ちながら、沖田は少し疑問に思うことがあった。

縁側につるされた小さな灯篭を見ながら、何故か会津藩のことを話すのである。

沖田は新撰組だから会津藩との関わりも少なからずやあるし、むしろ会津藩と手を組んでいるといってもいい。

けれど沖田自身は武州出身で会津生まれではないから、腑に落ちないと思いながらも茶をすすっていた。

しばらくして話が一段落ついたときに、半井は外島の話を持ちかけた。

「外島さんから聞いていましたがね、会津藩の御家中ですな」

一瞬、沖田の頭の中でどういうことか考えたが、すぐに笑った。

「ええ」

何故、外島が沖田を新撰組隊士だといわなかったのか。勘の鋭いこの若者は気づいた。

京において、新撰組がどういう目で見られているか、沖田は知っていた。もちろんどこにいっても新撰組の名は恐れられていたが、それとは別の感情があるのを知っていたのである。

それは何かと聞かれても困るが、千年以上も都が置かれた“京”という街には、他のところにはない“文化”がある。土方はそれを好まなかったが、沖田には新鮮ですてきなものだと思えた。

だから外島はそのことを思って“会津藩の御家中”という紹介をしたのだろう。




「で、どういう具合なんです」

半井は訪ねた。診察にとりかかるらしい。途端に口をもごもごさせる沖田から様子を聞いて、半井は驚いた顔をした。

「なに、血を吐いた…?」

手元の診察書に筆をおくと、沖田の目をじっとみて聞いた。

「それはどこで―――」

「えっと…」

沖田は返答に困った。まさか、池田屋に乗り込んで、ばっさばっさと人を斬っていた途中だとは言えない。

「……地元の道場で……」

「ほぉ」

「稽古をしていたときに―――」

「あぁ。稽古ですか」

「はい」

適当な答えを探して言った。すると半井は、

「それなら、さっさとおやめさない。それが一番だ。私も若い頃、稽古をしたことがあるが、あんな埃くさいところでやるのは無理だ。とくにあなたのような体では―――」

「ええ…」

沖田は小さく頷いた。

「それに、そんな細い体で大した力があるわけでもないのだから、やめてしまいなさい。さらに悪くなるのはいけない」

半井は手元にある薬箱から、小さな紙袋を取り出した。

「薬は差し上げましょう。風通しのいい、明るいところで寝なさい。薄暗いところで寝るのならば、いっこうによくならない。いいですか?」

「はい」

(果たしてそんなことが自分にできるだろうか……)

だが沖田は笑顔で頷いた。

「そのとおりにします」









帰り、門のところでお房がいた。しゃがんで紫陽花に水をやっている。

改めてお房を見てみると、少し丸顔で、まつげがきれいだった。形のいいあごをもっている。

沖田の気づくと小さく会釈をして、石畳の奥の母屋へ消えていった。

半井から受け取った小さな紙袋を手に握ると、そのまま屯所へ帰った。

陽の光がまぶしかった。







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