ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
9・押しかけ女房
 翌朝、アリアが寝室で寝ていると、キッチンから物音がして目が覚めた。
包丁のリズミカルな音。
 ヒロかな、などと思いながらのんきにそのまま横になっていると、鍵がかかっているはずの寝室のドアがカチャリと音を立てて開いた。
 ベッドでうつらうつらしていたアリアは、その音で飛び起きて、すかさず枕元においてあるサングラスをかけた。
「誰だ!」
「おはよう、アリア。朝食ができたよ。もう起きたら?」
 柚子は手に持っていた針金のようなものをポケットにしまうと、毎日そうしているかのようにカーテンを開けた。
 一気に眩しい日差しが部屋中に入り込む。
 「鍵がかかっていたはずなのにいったいどうやって入ったの。人の家に勝手に上がり込んで」
「あら、そんなこと別に何の障害にもならないけれど」
 柚子がにこっと笑う。
「それに、ここは今日から私の部屋でもあるわ」
「って、一緒に住むって本気だったの?」
 アリアはベッドの上であぐらをかき恨めしそうに柚子を見た。
「もう九時よ。朝食ができているから起きてきてね」
 そう言って柚子は部屋を出た。
 何を考えているのか。まったく面識もない他人と同居するなんて。
 これからはマンションに帰ってもゆっくりできないと思うと、ため息が漏れた。
 アリアは仕方なく、白い洗いざらしのシャツと濃いグリーンのタックパンツに着替えて居間へ行った。
 ソファの横にボストンバックが一つ、無造作に置いてあったのが目に付いた。柚子の持ち物のようだ。本当に身軽にここへ来たのか。
 いったい、この少女は今までどういう生活をしていたのだろう。
 キッチンにある食卓テーブルにはトースト、目玉焼きにキャベツのサラダ、そしてロイヤルブルーのマグカップに紅茶がいれてあった。
「コーヒーは置いてないのね」
 柚子は鼻歌交じりで、トーストにマーガリンを塗っている。
「紅茶しか飲まないから」
 アリアはトーストをかじりながら、まだボーっとしている状態で答えた。
 早起きさせられたアリアは、まだ思考が追いつかないのだ。
「冷蔵庫が空っぽだったよ。食料を買ってきたから間に合ったけれど、いつもこんな感じなの? なんだか部屋はがらんとしているし」
 小振りの白いティーカップで紅茶を飲みながら柚子が部屋を見回した。
「ここはたまにしか来ないから。そんなことより、あの探偵が多分ここに来る。柚子さんは会ったらまずいでしょ」
 アリアは棘のある言い方でささやかな抵抗を試みたが、柚子は特に動じた様子もなく、「そうなの」と言っただけだった。
 脅しても無駄だ。腹ごしらえをしてから策を練ろう。そう考え、アリアはそれ以上何も言わなかった。
 朝食をぺろりと平らげ、アリアがご馳走様をした丁度その時、玄関のドアが開いて昇の声が聞こえてきた。
「アリア、いるのか」
 そう言いながら、十無と昇が部屋に入ってきた。
「勝手に上がらないでよ」
 双子は言っても聞かない。アリアの口調はあきらめ半分だった。
「カギも掛けないで無用心だな、あっ! この娘は確か……」
 食事をしている少女を見て、二人とも目を見開いた。
「柚子といいます。よろしく刑事さん、探偵さん。今日からアリアと一緒に住むの」
 柚子は動揺している二人をよそに、初対面のように白々しくぺこりとお辞儀をした。
「どういうことだ」
 昇は説明しろと言わんばかりにアリアを睨んだ。
「さあ、どうなっているのか」
 こっちが聞きたい。
 アリアは他人ごとのように呟く他なかった。
「ところで何しに来たの」
「何しにって、昨日もう解決したようなことを言ってさっさといなくなっただろう」
 昇はアリアを探るようにじっと目を離さない。
「渦中の人物がなぜここにいる」
 十無は柚子を睨みつけた。
「何のことかしら?」
 柚子は堂々としている。しらを切り通すつもりらしい。
 立ち話しの双子に、柚子は椅子を勧めて、食卓テーブルに白いティーカップを並べた。
「お茶でもどうぞ」
「あ、ありがとう」
 十無はついお礼を言っている。
「じゃなくて、君だろう? 財布と警察手帳を掏り取ったのは!」
「そんなに声を荒げないで。刑事さん本当にすられたの?」
 柚子は十無の横に立ったまま、自分のマグカップに紅茶を次ぎたし、ゆっくりと飲んだ。
「本当にって、現に……あれ?」
 十無がなんとなしにコートのポケットに手を入れたのだが、そのまま固まってしまった。      
 ポケットから手帳と財布が出てきたのだ。
「こんな小娘の私に、刑事さんがスリにあうなんていうことないですよねえ」
 柚子はにっこり微笑み、十無はポケットに手を入れたまま複雑な顔をしている。
「いや、でも」
 昇が言いかけたところを遮って、アリアが笑いをこらえながら言った。
「なあんだ。勘違いだったの、しっかりしてよ。刑事がスリにやられたなんて変だと思った」
「う……」
 十無は黙ってしまった。
 柚子がちょっとした隙にポケットに入れ戻したのは間違いなかった。しかしこれ以上あれこれ言っても、恥の上塗りをすることになる。
「よかったね、解決して」
 アリアは意地悪く言った。
「解決って……」
「じゃ、これから出かける用事があるから。柚子さんとゆっくりどうぞ」
 これ以上巻き込まれたくない。アリアは、コートを取りにそそくさと部屋を出た。
「あっ、私も一緒に行く!」
 柚子も慌ててアリアを追いかけた。
「どこへ行く? まだ話は終わっていないぞ」
 双子も追いかけようとするが、アリアは玄関でコートを着ながらちょっと考え込み、「デート! 今度は邪魔しないでね」と三人に釘を刺した。
「え〜、アリア付き合っているひといるの? その相手ってやっぱり男の人な……」
 アリアは慌てて柚子の口を手で押さえ込んだ。
「ってことで、柚子さんを頼むね、お二人さん」
「待てよ、デートって誰と……」
 昇のそれには答えず、アリアはぽんと十無の肩を叩いて「じゃあね」と、部屋を出た。

 ヒロに柚子のことを何て言えばいいのだろう。
この先のことを考えると気が滅入りそうになったが、アリアはとにかく一人になりたかった。
 何も考えずにただ空を見上げていたい。
 外に出てからアリアは頭上を見上げてみたが、ビルの谷間に見える空は四角く切り取られて狭く、排気ガスで濁った灰色だった。
 白い雪が見たい。そして心の中までも綺麗に浄化してくれそうな、天使の羽のような雪に包まれたい。そうしたら何かが変わるかもしれない。嫌な過去やヒロとの関係も、それに今の自分も真っ白に覆い隠されるかもしれない。
 汚れのない私であれば、十無の瞳を真っ直ぐに見ることができるだろうか。
 過去を引きずって身動きが取れない状態に、逃避だと分かっていてもアリアはそう考えずにはいられなかった。

 兄貴はどうして尾行しないんだろう。単に、アリアが恋人といる所を見たくなかったのか? このまま姿を消されたらどうする気だ。
 東昇は動こうとしない十無に、やきもきしていた。
「うまく逃げられた気がする」
 昇は十無のはっきりしない態度に苛ついたが、刑事として腕の立つ兄に面と向かってはさすがに言えなかった。
 妙な組み合わせの三人が、部屋に取り残されていた。
「尾行しなくていいの? 刑事さん、暢気ね」
 柚子は昇が躊躇しているのをよそに、昇の分までずけずけと話した。
「しかし、デ―トと……」
 十無が言葉を濁す。
「なんだか甘いのね。それにどうしてそんなにアリアと親しいの? おかしいじゃない」
「そんなことはない」
 そう言ったが、十無の声は小さくて説得力がなかった。
「変なのよね、アリアを見る目が。なんだか好きな人を見るみたい」
 女子高生に指摘されてもやり返せず、十無は、目線をそらすばかりだった。 
 優秀な刑事がやり込められている。恋にはかなり奥手なのだ。
 少し可哀想になったが、兄の本音が知りたくて、昇は成り行きを黙ってみていた。
 更に柚子は、意地悪く質問を続けた。
「おかしいじゃない、そんなの。だってアリアは男でしょ、その気あるの?」
「いや、俺はいたってノーマル!」
 慌てて十無は否定した。
「でもあいつは女だよ、多分」
 昇はアリアの華奢な腕を思い出しながらぽつりと呟いた。
「それって願望でしょう、違う?」
 確かに何も確証はない。昇は反論できずに黙った。
「これじゃ、いつまでたっても捕まえられっこないわね。暫くは退屈しないですみそう」
 柚子は明らかに愉しんでいた。
 昇も他人ごとではないのだ。かなりややこしい人を好きになってしまったのだから。
 ミイラ取りがミイラ、か。兄に忠告していたはずが、まさか自分もこんな気持ちになるなんてどうかしている。
 昇はアリアに対する自分の感情が何なのかはっきりと自覚していた。そして兄が追う被疑者で、しかも女性かどうかも分からない人物に惹かれている自分に動揺していた。
 三人がこんな話をしているとは、アリアはまったく知らないのだった。
評価
ポイントを選んで「評価する」ボタンを押してください。

▼この作品の書き方はどうでしたか?(文法・文章評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
▼物語(ストーリー)はどうでしたか?満足しましたか?(ストーリー評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
  ※評価するにはログインしてください。
ついったーで読了宣言!
ついったー
― 感想を書く ―
⇒感想一覧を見る
名前:
▼良い点
▼悪い点
▼一言

1項目の入力から送信できます。
感想を書く場合の注意事項を必ずお読みください。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。