7・接触
午後五時過ぎ、既に暗くなり冷たいビル風が吹いていた。
池袋駅周辺では帰宅途中の学生やサラリーマンが足早に通り過ぎていく、そんな街の一角にアリアはいた。
東昇は仕事に呼び出され、十無は夕方になって署から呼び出しがかかり、二人とも渋々マンションを後にしたのだった。その隙にアリアは素早くマンションを飛び出した。
今のアリアは化粧をして少しカールのかかった長めのウイッグをつけ、ハイネックの服にロングスカート、その上にベージュのコートを羽織っていた。
すれ違ってもあの双子には気づかれないという自信があった。
いや、もしかしたら刑事さんには気付かれるかもしれない。一度、女性の姿で会っているから。もし気付いてくれたら――。
アリアは無意識にそんなことを想像して歩いていた。
一息つこうと、駅の近くにある行きつけの喫茶店に入った。
アリアが注文したアールグレイを飲もうとした時、視線を感じてふと顔を上げると、目の前に少女が立っていた。
小柄で紺のセーラー服を着て、髪は三つ編みにしてくるりと巻いて頭の上で止められている。
『柚子』が目の前でにっこりしていた。
アリアは一度持ち上げたティーカップを受け皿に置き、何と言えば良いのか思いつかずに、ただ視線が彼女に釘付けになっていた。
「こんにちは、アリア。同席してもいい?」
アリアが返事をするより先に、柚子は向かい側のソファにちょこんと座った。
「あの」
アリアは対応に困った。相手はこちらのことを知っているようだがどこまで知っているのだろうか。
「そんなにびっくりさせちゃった? 私を捜していたでしょ、でも私もずうっと探していたのよ、アリアのことを」
どういうことか。アリアは何も言えず緊張した表情のまま黙っていた。
「刑事と別行動してくれてよかった。いつもひっついているから、アリアの所へ行けなかったの」
ニッと笑って柚子はオレンジジュースを頼み、その後急に真顔になった。
「取り引きしない?」
「取引って、何を?」
アリアは恐る恐る聞いた。
「アリアは返してほしい物があるでしょう?」
柚子はちらりとアリアを見た。
アリアはまだこの娘がどうする気なのか全く見当がつかず、黙ったまま出方を窺った。
「こんな物があるけれど」
そう言って差し出した柚子の手のひらには、小さなペンダントがのっていた。それは失くしたと思っていた物だった。
ヒロが誕生日に買ってくれたペンダント。
「これって刑事さんに渡ったらまずいでしょう?」
アリアは無表情でじっと柚子を見た。何を要求してくるのだろう。
「で、返す代わりに私を使ってほしいの、つまりお弟子さん。役に立つわよ、住み込みでね」
柚子は意味ありげにふふと笑った。
「ち、ちょっと待って。そんなことはできない」
思いもよらない「取引」を持ちかけられてアリアは慌てた。
「Dと組んでいた時、アリアとヒロのことを少し訊いていたの。結構稼いでいるでしょう? あなたのこと興味があるの。どうせ私は親がいなくて一人だし、丁度いいでしょ」
アリアは返事をせずにまず紅茶を一口のんで気を落ち着かせた。
改めて柚子を見る。人なつっこそうな印象、でもどこかつかみ所がない。苦手なタイプかなあとふと思った。
「いったい何を考えているの? それに弟子って何の」
アリアは落ち着きを取り戻して静かに言った。
「今更とぼけないで、もう分かっているのよ。これに決まっているじゃないの」
そう言いながら、柚子は右手の人差し指を鍵状に曲げて見せた。
「何を言っているのかわからないな。私はあなたを見つけるのを手伝っただけ」
とんでもないことを言い出した。こんな娘にかかわったら面倒なことになる。アリアは席を立とうとした。
「ペンダントの中の写真を見ちゃった。ロケットになっているのね。これって小さい頃のアリアとヒロだよね? 驚いちゃった、アリアって男かと思っていたから」
「それはヒロのものだから私には関係ない」
「ふーん、でもこの写真を見たらアリアだってなんとなくわかるよ。こうして女性の格好をしていたらね」
「他人の空似でしょ」
アリアは表情が硬くなり動揺が隠せなくなっていた。
「でも、どうして男で通しているの? ま、それはいいとして、これ刑事さんに渡しちゃおうかな。そうしたらきっと身元が割れちゃうよね」
「それって、脅し?」
「そんな物騒なこと言わないでよね」
柚子は涼しい顔をして、くすっと笑った。アリアはもう条件を飲まないわけにはいかなくなってしまった。
「あなた学校は? 家族はどうなっているの」
「心配ないわ。実質、一人暮らしだったもの。Dが保護者だったのかなあ、一応。だから今度はアリアが保護者。そんなに贅沢は言わないよ。今のマンションでいいの、荷物はほとんどないから」
「ちょっと待って。一緒に住む気?」
「もちろん。料理もできるし重宝するよ、きっと。アリアの朝食はいつも和食? 洋食?」
柚子はこれからの生活をあれこれ想像し、うきうきして話しが止まらないようだ。
「待って、それはだめだよ。保護者なんてあなたに責任もてない」
「責任? そんなの自分でもつもの」
「それにヒロとDは知り合いみたいだから、トラブルを起こしたあなたと関わることはできない」
「Dの指輪のこと? 人使い荒いから腹いせに貰ってきたの。あんまり返したくないけれど……ダイヤを返してきたらいい? じゃ決まり。準備ができたらマンションに行くね。そうそう、あの刑事って思った通り、アリアの名前出したらちゃんと居場所を見つけてくれたから助かったわ」
柚子はテーブルの上にすっと黒い手帳を置いた。
「アリアにしょっちゅうついてまわる刑事に興味もあったし、ちょっと失敬したの。財布と一緒に手帳もって感じで。でも刑事なのにずいぶん親しい感じね」
「余計なお世話だ。……やっとこれで刑事達から開放される」
アリアは手帳をとろうとすると、柚子はさっと自分の手元へ手帳を置いた。
「手帳は後で返すわ、念のため。じゃ、これからDとの決着をつけてくる」
柚子はそう言ったかと思うと、アリアが何も口を挟まないうちにさっと席を立った。
抜け目のない女子高生、柚子。
またトラブルを背負い込んだアリアは、大きなため息をついた。